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ロシア文学は時々爆発する――声優・池澤春菜とロシア文学者による「みんなが知らないロシア文学」

混沌の中から拾い上げるカタルシス。ロシア文学の奇才・ソローキンを語る

池澤:
 では、ここで「おそロシア」の一端と言ってもいいのでしょうか? 先程も少し話が出た、ソローキンの話にいきたいと思います。実は私は帯を書かせていただいたことがあるのですが、「おそローキン、おそロシア」って書いちゃって。

一同:
 (笑)。

池澤:
 よく怒られなかったなって思うんですけど、松下さんはこのソローキンの翻訳を手掛けた翻訳家でもありますよね。さぞや、大変だったのではないでしょうか。

松下:
 そうですね。先程申し上げたとおり、罵倒語や汚い言葉がいっぱい出てくるのですが、そういう言葉って辞書には載ってないんですよね。今はインターネットがあるのでいろいろ調べることもできるんですけど、調べていくうちに、実はソローキンが発明した罵倒語もあることがわかって……。

池澤:
 え〜! 造語!?

松下:
 そうなんですよ、もう意味とかそういうことを超えちゃっているようなところもあって、例えば『青い脂』って作品、これはちょっと近未来SFみたいな内容なんですけど……。

池澤:
 後ろのあらすじを読んでみましょうか。

7体の文学クローンの身体にたまる謎の物質「青脂」。スターリンとヒトラーがヨーロッパを二分する1954年のモスクワに、その物体が送り込まれる。

池澤:
 視聴者の皆様、ちょっと今、私が何を言っているのかわからないと思いますけど、少し待ってくださいね。

巨塔たちによる大争奪戦の後、エロ・グロ・ナンセンスな造語に満ちた脅威の物語は、究極の大団円を迎える。20世紀末に誕生した世界文学の新たな金字塔。

池澤:
 ……というふうに、最後まで読んでもだいたい何を言っているのかわからないのですが、実際に読んでもすごいんですよ。自分が今何に巻き込まれているのか理解できないまま、周りでものすごい嵐が吹き荒れているみたいな感じです。

 ただ、私もソローキンをいろいろ読んでいるんですけど、ものすごく走って走って苦しくて汗をいっぱいかいて「もうやめたい、走るのもう嫌だ」と思いながらゴールしたときのあの爽快感みたいなものがあるというか、不思議な泥風呂に浸かったあとみたいな感覚になるんですよ。

松下:
 そうですね。わりと内容はメチャクチャなのに、最後まで読むとある種のカタルシスみたいなものがあるという。

池澤:
 スパーンて抜けて、「読んだ!」ってなるんですよね。

沼野:
 さっきロシア文学は重くて深刻で暗いっていうステレオタイプの話がありましたよね。変な言葉を使っちゃいけないとか、それにも関わらず、こういう作家が出てきたことについて、どう思いますか?

松下:
 先程、沼野先生が仰ったように、抑圧が強すぎるせいで逆に禁止されている言葉を使うこと自体が快感になってしまうんじゃないですか。

池澤:
 「子供か!?」って感じですね。小学生が嫌がられる言葉をつい言っちゃうみたいな(笑)。

松下:
 まさにそんな感じですね(笑)。

池澤:
 あと「ソローキンは果たしてSFと言っていいのかどうか?」という話もありますよね。ジャンル的にはSFということになってはいますが、彼の場合SFを書こうとしたと言うよりは「書きたいものを探していったらSFの手段を取らざるをえなかった」みたいな印象がありますね。

松下:
 そうですね。『青い脂』はSFチックですけど、それ以前の作品は必ずしも別にそうではなくて、この作品辺りから、ちょっとファンタジーの枠組みを取り入れていて……。

池澤:
 氷三部作の『ブロの道』、『氷』、『23000』あたりは本当にそうですね。

松下:
 その後もずっと近未来モノを書いているので、たしかに日本人からするとどう見てもSF作家なんです。だけど、個人的にはSF作家と思っていなかったんで、最初は違和感を感じていたんです。というのは、ロシアってジャンルの住み分けが今でもすごく残っていて、いわゆる純文学に比べて、SFやミステリーってちょっと下の分類なんですよね。

池澤:
 エンターテイメントがまだ、下に見られているんですね。

松下:
 だから、ソローキン自身もSF作家と言われると、ちょっと「ウッ」って感じでしたよね。

沼野:
 でも彼の作風が初期からかなり変わったことは確かですよね。その変化をどう考えるかということですけど。

松下:
 やっぱりある種、ソ連社会自体が一種のディストピアみたいなものじゃないですか? 僕が思うのは、そういう現実を素材にしてその裏側みたいなものを書けていたと思うんですけど、そういう硬いものがなくなると何を書いていいのかわからなくなるんで、今のソローキンはむしろ近未来にロシア帝国みたいなのを復活させて、その中の裏側みたいなものを自分で作り出している感じですね。

池澤:
 ちなみにその『ブロの道』から始まる三部作は「心臓を氷のハンマーで打つ」というのがアイディアの中心になっていて、氷のハンマーで心臓を打つと心臓が歌い出す人と歌い出さない人がいるんですね。歌い出すのは選ばれた人たちなんですけど、「その選ばれた人をいっぱい集めたら世の中が変わるかもしれない」という、長い長い革命のお話ですね。

 ……みんな、「う~ん」「わからん」ってなっているけど、そうなんですよ。あらすじを説明していくと、ちっともわからないんですよ。

沼野:
 氷のハンマーで叩くと歌うとか歌わないっていうのは、すごく面白いけど本来のSFではないですよね。SFの定義の仕方ですけど、例えばストルガツキーとかポーランドのレムはもっと社会的あるいは科学的な枠組みをきちんとしたうえで書いていますが、ソローキンはどちらかというと、ファンタジー的な寓話の部分とSFとを合体させていますよね。

池澤:
 SFとファンタジーの違いって難しいところではあるんですけど、私としては「なぜ?」の中身をちゃんと書くのがSFだと思っています。例えばここに浮いている玉1つがあるとしたら、それがなぜ浮いているのか、 「反重力だ」「異星のなんとかだ」と理由をちゃんと見つけるのがSFで、「魔法だからさ、さあ、この浮いている玉で何をしようか?」となるのがファンタジーなのかな? って思うんです。そういう点で見ると、ソローキンはSFっぽいテーマではあるけれど、手法としてはファンタジーなんですよね。

現在ロシア文学を代表する3大巨頭 ソローキン・ペレーヴィン・トルスタヤ

池澤:
 そして、実は、今日先生がお宝写真を……?

沼野:
 本邦初公開のお宝写真。私、実はソローキンと、日本人としては最初にモスクワで接触しているんですよ。

池澤:
 これがまたね。「どこの俳優さんですか?」 ってぐらい、めっちゃイケメンなんですよ。

沼野:
 これは1997年なんですけど、ゾッとするくらい、鳥肌が立つようなかっこよさでした。モスクワの真ん中にあるプーシキン広場というところに、まったく面識がなかったんですけど、「面白い人が出てきたな」と思って呼び出してね。喫茶店で1時間以上お話ししたんですが、あんまり格好いいからつい写真を撮ってしまった。今は60歳を超えましたからこんなに若くはないですけど、でも格好いい人です。

 実はソローキン、東京外国語大学で2年間ロシア語を教えていたそうなんです。彼を呼んだのは亀山郁夫さんだそうですが、「よく呼んだな、大胆な人だな」と。だってこんな作品を書く人が、うら若き乙女たちにロシア語を教えるとなると……。ちょっと心配になるでしょ(笑)?

池澤:
 間違いしか起きない気がしてしまいますね(笑)。

沼野:
 これが、彼が日本にいた頃の写真。彼はすごくジェントルマンなんです。すごく紳士的で立派な先生です。

池澤:
 受講生も多いんじゃないですか?

沼野:
 でもその頃の学生たちは、ソローキン先生が何を書いているかなんて知らないから。

池澤:
 いや、見た目で♡

沼野:
 見た目でね(笑)。でも、書いたものを読むとみんなびっくりするから、私はソローキンの短編などもその頃に訳しましたが、やっぱり本格的にやるのは、次の世代の人じゃなきゃと思っていますよ。

 松下さんの北大時代の先生だった望月哲男さんもソローキンの『ロマン』という長編を訳しているので、師弟で受け継いでいるということになりますね。

池澤:
 松下さんもソローキンにお会いしたことありますか?

松下:
 僕も何度かあります。日本に来ていただいたことも、モスクワでお茶をしたこともあるんですけど、本当に紳士的な人です。実際に日本に住んでおられたのでいろいろと愛着もあるみたいで……。

池澤:
 吉祥寺のあたりに、いらっしゃったらしいですよ。

松下:
 そういったことをエッセイに書いていたり、日本を舞台にした短編もいくつかあるそうです。

池澤:
 日本語はお出来になるんですか?

松下:
 いや、日本語はあんまり……

沼野:
 片言でしょうね。

松下:
 そうですね、あとは先ほど仰った『23000』にも、ちょっと日本に来たスナイパーみたいなキャラクターがいたり……。

池澤:
 あの日本の描写は、いわゆるトンデモな日本ではなくて、割とリアルな日本でしたよね。

松下:
 ただ、ハチ公の場所は間違えていて「新宿にある」みたいな感じで書かれています(笑)。

沼野:
 それくらいは許して(笑)。

松下:
 それはそのままにしているんですけど、臨場感があって面白いですし、さっきの氷のハンマーも日本で思いついたらしいですよ。だから日本に来たことが、後々の彼の創作にも影響を与えています。

池澤:
 日本で何か嫌な体験をしたとかじゃないですよね?

松下:
 ハンマーで殴られたことはないと思いますけど、ただ彼が日本に住んでいる頃に地震があって、その揺れにものすごくびっくりして窓から飛び降りたことはあるらしいです。

沼野:
 地域によりますけど、モスクワとかあのへんはまったく地震がないんですよね。だから震度1、2でもびっくりするんですよね。

池澤:
 それが氷を思いつくきっかけになったんでしょうかね(笑)。

沼野:
 ソローキンも日本には全般的に好意的ですけど、今ロシアで彼と並ぶ人気作家のペレーヴィンという人も、東洋思想・東洋神秘思想がすごく好きで、アジアや東アジアに特別な気持ちを持っていますね。

池澤:
 日本人もロシアの底知れなさや奥深さに特別な気持ちみたいなものがあるじゃないですか。「絶対あの人達、すごいものを隠している」みたいな。だから、実は結構相思相愛なのかもしれません。

松下:
 ソローキンはどっちかというと実験的かつクラシック寄りな感じなんですけど、ペレーヴィンはもっとオタクチックな感じの人で、日本のマニアックな萌え系の話や同人誌の話も出てきたりして「この人は何を読んでいるんだろうな?」と思うんですけど、去年か一昨年くらいに出た新作も、萌え系の女の子が描かれたイラストを表紙にして売られています。

沼野:
 ロシアではそういうオタク文化も結構浸透していて、若者でも好きな人が多いんです。これは2000年代半ばに、日本に彼らを呼んでシンポジウムをやったときの写真なんですけど、みなさんから見て右の端、サングラスをしている人がペレーヴィンですね。真ん中がソローキン。

沼野:
 人前で喋ったりするのが嫌いで滅多に出てこないんですけど、このときは日本に呼んだのでサービスで少しだけ出てくれたんです。あと、みなさんから見て左側にいるタチヤーナ・トルスタヤ。この人も現代ロシアに出てきた、非常に重要な新しいタイプの女性作家です。この3人は現代ロシア文学における代表的な方々で、ロシアではまず並んで座ることはありえない。

 そして作風もみんな違っているんです。現代ロシア文学ってものすごく多様で、いろんな個性を持った人がいて。ソ連時代のイメージから、「ロシアってすごく画一的でかつ全体主義的な社会で、みんな判で押したような国だろう」という考えを持つ方もいるかもしれませんが、実は社会主義時代から潜在的にはものすごく多様だったんですね。ソローキンだって、実は社会主義時代からアンダーグラウンドで前衛的な絵を描いていました。

池澤:
 ソローキンは先程の秘密出版・サミズダートもやっていらっしゃったそうですね。

沼野:
 公認されない前衛芸術家・文学者のグループ、つまりそういう人達は昔からいたということです。

松下:
 特にソローキンの場合は、始めに加わったのがそういう地下の非文学なアーティストグループみたいなところだったんで、彼自身も絵を描いたりしていたんですよね。

 ポップアートをもじってソッツアートというものがあるんです。社会主義リアリズムとポップアートをかけ合わせて、ソッツアート。社会主義リアリズムって普通に読んだらすごく面白くなさそうなイメージがあると思うんですけど、彼は「そういうものをあえてアートのオブジェとして見よう」みたいなスタンスでやっていたようで、だから昔は「別に自分を作家と思っていない」みたいなことを言っていた時期もありました。文学をオブジェみたいに変形させていくっていう考え方だから。

池澤:
 素材のひとつとしての文学、ということですね。絵の具だったり、粘土だったり、木だったり、いろんなものがある中で、自分の表現したいものを選んでいったら、そのひとつが文学だったということですか?

松下:
 そうです。彼の場合、言葉のアートみたいな感じですね。最近はあまりないんですけど、昔の作品を読んでみたら「Aっていうアルファベットだけで埋め尽くされているページ」が何ページも続くとか、逆に何も書いてないページがいっぱいあるとかね。

 彼の一番長い初めの作品で『行列』というものがあるんですけど、どういう内容かって言うと、会話文だけからで成っているんです。つまり「会話が行列みたいに見える」というものなんですよ。それが最後まで延々と続いているんですが、途中に「列に並んでいる人たちの名前をひたすら連呼するだけ」っていうシーンが10ページ位続いていたりして、だから、ほとんど読むっていうより、視覚的に楽しむような感じです。

沼野:
 あれは、翻訳したらどうなるかなって思っているんですけど、誰もしないんですよ。

池澤:
 えっと、あの、多分、売れないかな? っていう気が……。

松下:
 でも、結構面白いのは面白いです。

沼野:
 たしかに、旧社会主義時代は何でも品不足だったから、みんな実際に行列していたわけです。トイレットペーパーを買うのに1時間とかが、冗談でなくそういうことがあって、行列していると知らない他人同士で話もするし、そのうち喧嘩になったりもします。だから、ある意味ではリアルなんですよ。ただ、リアルだけどすごい飛んでいるという……。

池澤:
 じゃあ、それはどちらが翻訳されますか? 今ここで決めておいた方が良いかもしれませんよ?

一同:
 (笑)

沼野:
 じゃあ私が、余生があったら、少し暇になったら(笑)。

松下:
 あれはあんまり、下品なところがあんまり出てこないので。

沼野:
 じゃあ、私は上品に訳してみようかな。

池澤:
 楽しみにしております(笑)。

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