桂跳ねの舞台裏 丸山忠久九段ー藤井猛九段:第3期 叡王戦本戦観戦記
「叡王戦」の本戦トーナメントが2017年11月25日より開幕。3期目となる今回から新たにタイトル戦へと昇格し、ますます注目が集まっています。
ニコニコでは、佐藤天彦 第2期叡王と段位別予選を勝ち抜いた15名による本戦トーナメントの様子を、生放送および観戦記を通じてお届けします。
聞いた瞬間、思わず背筋が伸びていた。
丸山が勝利してすぐに、両者は対局室の隣りのスタジオで一局を振り返った。丸山が総括した後、聞き手の山口恵梨子女流二段が「△8五桂(第1図)はすごかったですね!」と興奮交じりに藤井に振る。
サービス精神豊かな敗者の返事が衝撃的だったのだ。
いや、そもそも桂跳ねが凄まじいインパクトである。▲9九玉と穴に潜った手に対していきなり単騎で跳ねたのだから。もちろん前例はない。この意表を突く手に対して丸山は▲8六角と上がった。これで桂は取られにくい形となり、いずれ攻めてくる先手に対して反撃の種駒となっている。
▲8六角以下は組み合いになり、△7三銀▲8八銀△6四歩▲6七金△5四銀▲7八金△8四歩▲3六歩△6二玉▲3八飛△4四角▲5九角に△6五歩で駒がぶつかった。
「難しいけどマズマズだと思っていた」と、藤井はこの辺りの局面まで想定内だったことを局後に明かしている。
だが丸山の▲1五角(第2図)がお返しの一着。「こういう角出までは想定できない」とふいを突かれた藤井は△3三桂と跳ねたが、▲3五歩△1四歩▲3四歩△1五歩▲3三歩成と一気に激しい展開に。藤井としては攻め合いになったのは誤算だったが、形勢は難解。両者のバランス感覚は見事だった。
▲3三歩成以下、△4一飛▲3四と△2六角▲4四桂に△6九角がまずかったという結論に。▲5二桂成△同金に堂々と▲6五歩(第3図)と取る手が大きく、「盤上の景色が一変した」と藤井はため息をついた。以下は難しいところもあったが、玉の堅さを生かした丸山が激戦を制した。
戻って△6九角では△4六歩と突き、▲同歩△6六歩▲同金△6九角(参考1図)なら大変な勝負だった。6筋の歩を取り込んだ効果で、角を4七に成った場合に飛車銀の両取りがかかるのだ。藤井は「△4六歩の突き捨てが入るかどうか怪しいと思った」との感想を残している。
村山推奨の一手
双方、1分将棋の激戦は見どころたっぷりだった。終局直後、私はどこがポイントになるのかと頭を悩ませていたが、冒頭で記した山口女流の振りに対する藤井の返答を聞いて、気持ちは固まった。
苦笑いしていた藤井は「あんまり言わないほうがいいかな」と口ごもったが、「つい最近、村山(慈明)七段にね、『先生、こういう手があるんですよ』と。聞かなきゃよかったね」と明かしたのである。
序盤早々に盤上に閃光が走った△8五桂は、村山から聞いた一手だったのだ。
そして藤井は「ムラ(村山七段の愛称)の手は大概怪しいって評判だけどね。どうも指してみたら大したことなかったね」と続けた。スタジオは大爆笑。モニターの前で笑った読者も多いだろう。
前述したように、後手は△8五桂で形勢を損ねたわけではない。ただし一局の流れを作った手であり、ポイントになることは間違いないだろう。村山に詳細を尋ねる価値は十分にあると思った。連絡をすると、上機嫌であれこれ教えてくれた。本稿は、この△8五桂という一手に特化して進めていきたい。
コーヤン流とのハイブリッド
藤井といえば四間飛車であり、藤井システムだ。6手目に飛車を4筋に振った時に、狂喜乱舞したファンも多いだろう。ちょうど藤井は本局の直前に『四間飛車上達法』(浅川書房)を出版したばかりで、それも採用の理由の一つだという。
勝率が落ちたことから一時期はまったく指さず、藤井矢倉や角交換四間飛車に軸足を置くようになっていたが、数年前からたまに採用するようになった。とはいえ散々指された定跡形ではなく、マイナーチェンジをほどこしている。本局も△6四歩を突いていないこともあって、前例が少ない。早めに△6四歩と突くと、▲5五角の牽制が嫌らしいというのは定説だ。
村山は、この将棋は藤井システムとは少し違うのではないかという。
「穴熊を完成される前に動くのがシステムですよね。でも本局は8五に桂を置いて、『どうぞ穴熊に組んでください。後でそこを直撃しますよ』という戦い方です。だからコーヤン流に思想が似ている」と三間飛車の大家である中田功七段の名前を出した。なるほど、穴熊に組ませた後に端攻め一本で穴熊攻略を狙うのがコーヤン流だ。
「序盤の進行を見ていたらすぐにわかりました。『あ、この間話した桂跳ねをやろうとしているんだな』って」と村山は言う。
きっかけはネット将棋
藤井と村山は長い付き合いだ。研究会は2つ行っており、一つは藤井、村山、佐藤天彦名人、そして本局の解説役を務めた行方尚史八段というメンバーだ。ただ最近は皆が忙しいうえに、よく公式戦で対戦するため、あまり開催できていない。
もう一つは、藤井、村山、そして若手棋士2人の4人で行っているものだ。村山が△8五桂について教えたのは、こちらだった。
昨年の12月8日、本局の19日前だった。対局を終えた後、雑談の中でその話は出た。
「いきなり△8五桂と跳ねる手があるんですよ」と村山が言うと、藤井は強い関心を示したという。
そもそも村山は、なぜこの手を知ったのか。
「ネット将棋です。たまたま続けて2回、この手を指されました。2局とも負かされたので、こういう手もあるのかな、と」
相手は誰かわからないという。プロなのか、アマチュアなのか、ソフトが指しているのかも不明だそうだ。
△8五桂以下の手順について、藤井と突っ込んだ話をしたのだろうか。
「本譜の▲8六角は穴熊に組める代わりに8五の桂が安定します。もう一つ▲8八角と引く手もあります。これは普通の穴熊には組めないけど、▲8六歩から桂を取りに行く手を見ています」と村山は言う。2局指したネット将棋では一局ずつ指しており、いまでもどちらも有力という認識だそうだ。
ただし藤井は「▲8八角ならありがたいね」と村山に語っており、「それを察知して▲8六角と上がった丸山さんはさすがですね」と村山は感嘆していた。
お試しは大事
話を聞いていて、ある事を思い出した。そういえば藤井は、以前にも村山から教わった手を公式戦で採用したはずだ。拙著『不屈の棋士』で村山にインタビューした際のエピソードである。
「よく覚えていますね(笑)。ええ、藤井システムVS急戦で、振り飛車側のある有力な手を藤井さんに教えたんです。将棋ソフトのポナンザに示された手でした」
藤井はその手を採用して、本局解説者の行方に快勝を収めた。ただこの話はそれだけでは終わらない。村山が教えた手にもかかわらず、藤井は村山との研究会でその手を試してきたのだ。
「ボコボコにされました(笑)。やはり練習で1回試しておくのは大きいんですよ。どれだけ頭の中で先を考えても、実戦とは違いますからね。僕の知る限りでは、藤井さんは誰にも△8五桂を試していなかったと思うので、感触はつかめていなかったかもしれません」
2匹目のドジョウはいなかったことになる。
あくまで雑談
終局後、村山はネット上で自分が話題になっていることを知り、本局の映像を見た。普段から親しく、世話になっている藤井とはいえ、「ムラの情報は大概怪しい」などと言われてどういう心境なのだろうか。
「いやあ、そうなんですよねえ」
え、否定しないの?
「羽生さんとも研究会をしていて、私が披露した新手を羽生さんが公式戦で指すこともあるんです。でも、勝率はあまり芳しくありません」
うーん、そうなのか。驚いていると、村山はまた△8五桂に話を戻した。
「△8五桂の話もあくまで雑談の範疇なんです。もちろんウソをついたり、いい加減なことを言ったわけじゃないですよ。ただ『こんな手をやられたんです』というくらいで、そこまでシリアスな話じゃない」
一呼吸おいてから、こう続けた。
「だって藤井さんとは2月に順位戦で当たっていますからね。しかも私が先手ですし。本当に指されて困るような手だったら、さすがに教えませんよ(笑)」
取り扱いは自己責任で、ということだろう。
(観戦記者:大川慎太郎)
■第3期 叡王戦本戦観戦記
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