『はあちゅう』はライター? 作家? 肩書き問題を考える。室井佑月「別にどう名乗ってもいいんじゃない?」
--上原善広氏の意見--「物書きの肩書というのは、当人にとって複雑で繊細な問題だと思います。」
久田:
次、上原くん【※】か。
※上原善広
被差別部落出身である事をカミングアウトし、部落問題を中心に文筆活動を行っている。2010年4月、『日本の路地を旅する』で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
Q. はあちゅうさんの騒動についてどう思いますか?
A. 肩書は、本人の自由だというのが基本姿勢です。資格も何もない自由業ですからね。しかし物書きの肩書というのは、本当はかなり物書き当人にとって複雑で繊細な問題だと思います。
竹中労をはじめとして、沢木耕太郎さんとその同世代の方が「ルポライター」という肩書にこだわっていたのはよく知られています(現在は小説を主に発表されているので作家になっていると思いますが)。また数十年前まで、筒井康隆さんが肩書を「作家」ではなく「SF作家」とされるのを非常に気にしていたということを、編集者から聞いたことがあります。対して小松左京さんは「SF作家」と呼ばれることを誇りにしていたという話もあり、現在高名な作家になっている方も、肩書にはそれなりにこだわりがあったと思います。
はあちゅうさんという方は今回初めて名前を知りましたが、個人的には、もともとブロガーや自己啓発系で有名になった人が、数編の小説を文芸誌で発表しただけで「作家」を名乗るのはどうかと思います。基本的にはやっぱり小説家が作家であり、文学賞を取るか、それなりに小説が売れて一般的な認知を得てから、ようやく「作家」と名乗れるものだと思っています。
ただ今回の件では、吉田豪さんが突っ込みを入れたことで、ぼくのような門外漢でも、はうちゅうさんの名前とその存在を知ることができました。こうしてはあちゅうさんのファンや読者以外にその名前が知られるようになったことは、一定の宣伝効果があったので結果オーライではないでしょうか。物書きは大なり小なり、「作家コンプレックス」をはじめ、いろいろなコンプレックスを糧にして執筆活動しているので、はあちゅうさんの気持ちはわかります。ただ個人的には痛いなーとは思います。
しかし逆に、文学賞をもらっていても肩書を「フリーライター」にこだわっている人もいます。一見すると謙虚なようですが、これも実はコンプレックスの裏返しである場合も多々あり、そう名乗っている割に作家・著名人に露骨に取り入ったり、自由業なのに年功序列で人を区別したり、超高級ホテル好きで特別扱いされることに執着していて、すごく権威的だったりします。このへんは業界内の話なので一般の人には伝わりませんが、そういう内情を知っているので、肩書が謙虚であっても、ようはその人によるのだと思います。冒頭に「肩書はけっこう複雑だ」と書いたのは、そういう事情もあるからです。
Q. ご自身はどういう肩書で通していらっしゃいますか?
A. ぼく自身は「ノンフィクション作家」にしていますが、プロフィールには肩書は基本的に載せていません。雑誌などで編集者が勝手に付ける場合はたまに「ジャーナリスト」になっていることもありますが、ジャーナリストという肩書は困りますね。時事問題などを扱っていないし、何となく曖昧だからです。ただ連絡して訂正してもらうのも恥ずかしいので、そのままにしていますが。最終的には一般的な認知度が肩書を決定すると思っているので、そう書かれるのは自分がまだちゃんとした仕事をしていないからだと反省するようにしています。
ただ「ノンフィクション作家」を自称することも実はかなり恥ずかしいので、名刺にも肩書は入れてません。これは前述したように、肩書については基本的に一般的な認知度によって判断してもらおうと思っているからです。取材相手の一般の方から「どうして名刺に肩書がないんですか?」と訊かれることも多いので、面倒なので「ノンフィクション作家」と入れたいのですが(その方が取材がスムーズに進むことが多い)、恥ずかしさが勝って、なぜかこれはどうも気が進みません。
ですから対談の中や本文中で自分で書くときは「ルポライター」とか「物書き」を使っています。「フリーライター」を使わないのは、先ほどの例から、逆にイヤミになるかと思うからです。ブログではタイトルからドーンと大きく「(私)ノンフィクション作家」と謳うことで開き直っていますが、これも恥ずかしさの裏返しで、ちょっとしたジョークのようなものでした。基本的に自分から「ノンフィクション作家」と名乗っているのはブログのタイトルだけです。海外では「ドキュメンタリー専門のライターだ」と説明しますが、和製英語っぽいので、通じているかは謎です(笑)。
このようにやや神経質に考えているのは僕だけかもしれませんが、これも何かのコンプレックスの裏返しかもしれませんね。長々と書きましたが、肩書というのは冒頭でも書いたように、物書き当人にとって、かように複雑で繊細な問題だと思います。はあちゅうさんの一件で、それが表にあぶり出されたのは、肩書というものを考える上では良かったと思います。
久田:
なるほど。
吉田:
はい。
久田:
ご自身は、上原くんは肩書どう思うの? と言ったらこういうふうに……。
吉田:
ノンフィクション作家に指定です。
久田:
そうそう。
吉田:
でも基本的には載せていない。
久田:
「ジャーナリストではないな」とは自分で言っていましたけどね。だから、結構本質を突いている気がするんだよね。
吉田:
ですね。一番事情を分かって答えてくれている、という。
久田:
ただ、皆さん、4人ともはあちゅうさんのことを知らないというのがね(笑)
吉田:
今回知ったと(笑)
久田:
そう。だからさ、僕も電話していてさ、「誰か分かんないんだけどさ。ひさちゃん、答えにくいんだよね」とて言われて。
吉田:
そっかあ(笑)
久田:
ぼくも、なかなか答えにくくてさ。
吉田:
住んでいる世界がまったく別なんですよ。
久田:
そうなんですよ。
吉田:
同じ文筆業の枠でありながら、たぶんジャンルがまったく違うっていう。
久田:
違う。だから、「ブロガーと言われてもな」とか、言われちゃってさ。
吉田:
本当に、そうなんですよね。いろいろ考えている人と、考えていない人にハッキリわかれるという(笑)。
吉田豪「俺は編集に向いていないと自覚して、編集からはドロップアウトしたの」
久田:
吉田くんは、「プロインタビュアー」と名乗ったのは、いつごろですか?
吉田:
いつだろうなあ。たぶん、フリーになったあとですよね。
久田:
「プロ書評家」のイメージがあったけどな。
吉田:
「紙プロ」時代は「プロ書評家」ですね。当時から、もう「プロインタビュアー」名乗っていたっけなあ。
久田:
ライターは名乗っている? ライターって名乗ってなかったか。
吉田:
名乗ってはいないですけど、まあ「ご自由に」という感じですね。
久田:
「ご自由に」。そうだよね、そうだよね。
吉田:
だから、未だに肩書が「ライター」になっていることも多いし。それはなんでもいいです。
久田:
うん。OKでしょ、だって。
吉田:
怒んないです。それで、いちいち作家に直すのもアレだし、「ライターじゃない」って。
久田:
はい。僕もアレですよ、あくまで編集者ではないんで。書き手ではないんで(笑)「ライターだけはやめてください」と言っていますね。はい。ぜんぜん違うんだけど、ライターがタレントだとしたら、編集者は、テレビでいうところの裏方の人なんで。はい。それは全然違う。
吉田:
言い出したら、僕も、もともと編集者なんですけどね。
久田:
ああ、そうだよね。だから実績で大体ね……。
吉田:
俺は編集に向いていないと自覚して、編集からはドロップアウトしたの。
久田:
ああ、なるほど。まあ、でもね、その上原くんとか、みなさんが言っているとおり、自分がやってきた仕事を見て、「この人は編集者だな」とかね。吉田くんは完全にライターだと思います。僕はね。ということだと思うんですけどね。
吉田:
基本的には、まあ、好きにしたらいいんじゃないの? という(笑)
久田:
なんていうのかな。ただ、名乗られてどう思うかも自由ということですよね。
吉田:
そうそう。名乗った以上、責任を負うことになるんで。というだけですよね。