「推しが炎上したとき、ファンには何ができるか」元タカラジェンヌ・美園さくらさんと一緒に考えてみた
昨年から今年にかけて、旧ジャニーズ事務所や宝塚歌劇団に関する話題など、芸能界ではさまざまな「炎上」が起こりました。
大好きな「推し」の言動に幻滅してしまったり、ネット上で「推し」が叩かれているのを目にして傷ついたりした経験がある方もいるのではないでしょうか。
ニコニコニュースでは、「推し」の炎上について、視聴者からのおたよりをもとにじっくり語る番組を実施しました。
ご出演したのは、美園さくらさんと香月孝史さんです。
美園さんは、元宝塚歌劇団月組トップ娘役です。退団後に慶応義塾大学大学院に進学し、演技指導におけるコミュニケーションの研究をされました。現在もミュージカルに出演しながら研究員をされています。
香月さんは、日本の女性アイドルをメインの領域とするライターです。単著に『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』、共編著に『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』などがあります。
番組では、事前に「推しの炎上」を経験したことのある方からのおたよりを募集しました。
どうしたら「推し」を好きな気持ちや混乱と向き合えるのか。
その気持ちと向き合って、さらに人を傷つけたりすることなく受け止めていくにはどうしたらいいか……
率直なおたよりを読みながら、出演者のおふたりにも視聴者と一緒に考えていただき、話題の展開が早いSNS上での議論はたどり着けないところまでじっくりと「推しの炎上」と向き合った番組になりました。本記事では、番組の一部を抜粋してお届けします。ぜひ番組のアーカイブとあわせてお読みください。
「事務所」や「公式」はどこまで事態を説明すべき?
おたよりの要旨:宝塚歌劇団で、昨年9月に劇団員が自死し、劇団の調査によってその原因に過重労働、パワハラがあったとされた。この件に関して、まだなにが事実かわからない段階から劇団に所属している特定の個人が批判を受けていたのを見て、もっと劇団に団員のケアをしてほしいと思った。
香月
「何かしらあったのだろう」ということだけはわかっていて情報が錯綜していく中で、ちょっとした推測や誰かが適当に言っただけのことでも、それを根拠にしてまた叩いたり……というのはかなり起きてしまうことですよね。
何が起きたかの追求とは別に、最も矢面に立たざるを得ない演者さん自身へのケアをまず外からも見えるようにしてくださいというのは、私もアイドルの運営を見ていて時折思うことでもあります。
美園
本人たちがなかなか発信しづらい状況だと、やはり周囲の方たちにかちっと固めてほしいですよね。
香月
そうした後に、実際何があったかの追求は別途できるはずなので。
美園
例えば、「組織自体の仕組みの問題で起きたことだから、当事者ではない残された劇団員のケアに力を入れてほしい」っていう部分なんですけれども。「全く無関係だから」とも正直言いがたい面もあるじゃないですか。
香月
その組織の一部ではありますからね。
美園
組織の一部である。そういったときにどういうふうにケアしていくのかっていうのがありますね。
香月
少なくとも運営する側が、何かしらそこにいる当事者メンバーの人たちに関するケアを発信しなければ、「あの人も何か加担していたかもしれない」「この人も何か加担していたかもしれない」というのが投げ続けられる状況にもなってしまうんですよね。
これは具体的な良くない例のひとつなんですが、数年前、NGT48のメンバーの自宅に男が押しかけ、メンバーが暴行されたという事件があったんですけれども。暴行被害やその後の運営の対応が不十分だったことが、本人のライブ配信で告発されて発覚したんです。それで世の中で問題になって、その直後の劇場公演で、その当事者メンバーを劇場で人前に立たせて説明させたんですよ。
美園
おお……
香月
暴行の被害者のメンバーはまず一番守られなきゃいけないはずの人じゃないですか。こういったときに「まずこの人たちは最優先で守られなきゃいけない人だよね」という認識と動きができるのかっていうのは、ジャンルに限らず、芸能組織には常にケアしてほしいところですよね。
美園
びっくりしました……ご本人が……。
香月
そのときは、たまたま先輩メンバーや元メンバーが「いや、この人が何か責めを負うようなことじゃないんですよ」っていうのをSNSで即座に発信して、当事者に近い先輩たちが守るような姿勢を取れたんですよね。それは女性アイドルというカルチャーの中に、SNSなどをそれぞれが使って自由度の高い発信をするという文化がたまたま生まれていたのでできたことではあるんですけれども。ただ、その発信で何かが解決するわけではもちろんないですし。だから、これはファン自身の受け止めということよりも、運営する側に対してファンが「特にちゃんとケアしてくださいよ」と言っていくことかなと思いますね。
運営からの質問:加害者となってしまった、もしくは加害者とされているメンバーの弁解や謝罪の機会も組織が用意すべきか
香月
今のNGT48の例だと、加害者は完全に外部の人だったわけですけれども、組織の内部の人が問題を起こしたようなときについてですね。
そういう場って、謝罪弁明の機会であると同時に、ある種その個人を過剰な私的制裁を受けないように守るための場所でもあると思うんですよ。そのためにどうケアできるかっていうところを考えながらになるんだと思いますね。だから、場合によっては、組織の中である程度、謝罪のかたちまで作ったほうが、その後、スムーズなのかもしれません。
美園
本当に罪を犯してしまったときに、謝ればいいっていう問題じゃない場合もあるじゃないですか。でも、一言「すみません」っていう言葉が欲しいっていうときもある。加害者とされる人本人の声がどうしても欲しいっていうシチュエーションもあるかなとも思うので、難しいところではありますよね。
香月
あと、事態が正確にどういうことであったのかっていうことも。
今、NGT48の件を念頭に置いてだと思いますけども、「けしかけたの内部の人じゃなかったっけ」っていうようなコメントがありました。実際、事件と関係のなかった内部の人が、不確かな情報に基づいて誹謗中傷を受け続けたっていうことが、結構あとになってからメディアで語られたりはしていましたね。どこまでが事実認定としてあるのかも、公式からきちんとした発表がなされないといけないですよね。発表したとしても憶測は起きてしまいますけれども。
炎上したら表舞台から去らないといけない?
おたよりの要旨:薬物使用で逮捕された推しに対して、活動がとまってしまうのが嫌だという気持ちが強かった。また、推し本人に対してよりもワイドショーやSNSで事情もしらないまま意見をいうファンではない人たちに腹が立った。
美園
活動が止まってしまうというのが一番嫌だっていう気持ちはすごくわかりますね。
香月
薬物使用、何か直接的に暴行などをした場合のような被害者がいない状況ということで、活動が止まるのが嫌という気持ちが一番大きかったんですね。
特にニュース番組的なものだと、出演者が出てくるニュースひとつずつにちょっとしたコメントをするっていう構造になっていますよね。いろんな種類のニュースが出てくる中、1人でそれらを受け持つっていうのはかなり無理があることではあるんですけども。出演者たちがそういう役割をしているだけであるにせよ、したり顔で批判しているふうにどうしてもなってしまいますよね。
SNSに関しては、事実に基づかない憶測を乗っけた発信が何となく拡散されてしまうと、それが何となくその人たちにとっての事実っぽい感じとして話が進んでしまって。際限がないですよね。
美園
こういった声が大量にあると完全に無視はできないですしね。
香月
そうなんですよ。だから、憶測の部分に対して、「いや、そこはそうじゃない」「そんな根拠は全くない」といった発信をしようとしても、たとえば薬物使用自体を擁護したいわけではないのにそうとられてしまったり。正確なところを話したくてもSNSだとやりにくいので。
運営からの質問:美園さんは自分の行動に反省すべき点があって炎上してしまったら、ファンの人にはどうしてほしいか
美園
(笑)。
私、自分の行動に反省すべき点があったら黙っていられない性格ですね。自分でまず何か行動しないと気が済まない。謝ったり、何か起こしたことに対するアフターケアをしたくなる。
ただ、事務所とかに属していたり、「運営」がいると、その対応の仕方も変わってくるじゃないですか。でも、自分自身がしたいなっていうふうに思っちゃうので、難しいですよね。
香月
大きな組織の中の一員である場合と、またそうじゃない立場でもやれることも違うでしょうし。
美園
SNS等に「ああらしいよ」「こうらしいよ」って事実じゃないことまでいろいろ載るような事態に仮に私がなったら、自分自身が釈明する機会を設けたいって思ってしまいますね。さっきNGT48の例で、ご本人が矢面に立って表明したっていう話がありましたが、その方のご心境はわかりませんけど……私だったら、多分やっちゃうかもしれないです。やっぱり自分の言葉で言うことが一番相手に届くかなって。結構はっきりと言いたいかなとは思うかもしれないですね。
香月
先ほどの例はご本人が被害者だった場合ではあったと思うんですけれども、いろいろ憶測が進んでいく中で、内部にいた人たちが加担していたんじゃないの?っていうような噂が流れていったときに、風評の当事者になってる人が、自分で何か発信するのも難しいことだと思うんですよね。
美園
ファンの人にはどうしてほしいですか、か。
してしまったことの度合いにもよると思うんですが、「大丈夫だよ、あなたは悪くないよ」って言われることが正しいとは正直思わないかな……。やっぱりよくなかったことはよくなかったことだって、認めていかないと、前には進んでいけないじゃないですか。大切に思ってくださっているからこそ、これはよくなかったんじゃない?って言ってもらえたら、また前に進めるきっかけになるとも思うので。
アガペーの精神で大丈夫だよって包み込んでもらうのも、時には必要だったりもするかもしれないけど(笑)、ファンの方こそ客観的な視線で、「これはよくなかったんじゃないか」って言ってもらえたらいいのかなと私は思ったりします。先生、どうでしょう?私、間違ってますか?(笑)。
香月
(笑)。その人の言動にどの程度非があったのか、もしくは、全く非がないのかっていうのは、炎上の大小で測れるものではないのですよね。たとえば世の中的に炎上っていうほど大きな話題にはなってなくても、「あの振る舞いはよくなかったよね」ってファンから指摘があって、それに対して、「あ、そうでした」っていうふうに釈明する場合も全然あると思うんですよ。
指摘は受け止めて、じゃあ、それ以降気を付けて、また続けていけばいいねっていう話ではある。今回の番組では「炎上」っていう言葉を使っていますけれども、「炎上」する、しないということと、自分に非がある行いがあったときに、それをどう反省していくかは分けて考えないといけないですよね。「炎上が大きい」=「表舞台から退場しなきゃいけない」ということではないはずなので。
美園
何か本当に悪いことをしてしまったときに、見て見ぬふりをするのは違いますもんね。
香月
そうですね。
炎上の性質が変わるんですけれども、ちょっと思い出したのは、今年の6月ぐらいに音楽グループのMrs. GREEN APPLEのコロンブスというミュージックビデオが、かなりあからさまに植民地主義的な表現をして炎上していました。
あれは、まず炎上案件として世の中に消費されるスピードがものすごく早かったんですよね。1、2日のうちにSNS上でいろいろ語られ尽くして、当事者の大森元貴さんからも声明が発表されて、数日のうちに新聞等で識者からの論評みたいなものも出て。瞬間風速的な話題としてはかなり大きかったんですけれども、そのあとMrs.GREEN APPLEが活動をやめなきゃいけない事態になったかっていうと、別にそんなことは全くなく、その後も楽曲の発表は普通にやっていました。
それはそれでいいはずなんですよ。炎上が大きかったとしても、何がよくなかったのか認識して次にいくっていうのは、ごく順当的なステップだと思うので。炎上の大きさで、その後の表舞台に立つ、立たないの身の振り方まで影響されすぎると、道理を見失ってしまっているような感じはしますね。
おたよりの要旨:炎上してしまった推しの活動再開が決まったら、戸惑いながらも応援すると思う。
香月
今、表舞台に出ていない人のことなのかなと思うんですけども。これは何か答えを出すとかいう話ではなく、ちょっとまた私のことに引きつけて話すと、私自身は比較的長く歌舞伎を見てきまして。昨年、市川猿之助氏がご両親、お父さんは市川段四郎さんという歌舞伎俳優ですけれども、その方の自殺幇助をしてしまって、執行猶予つきの判決が出ました。
彼がいつか舞台に復帰することがあるのか、ないのか、わかりませんけれども。たとえば復帰するとして、私はそれを見るのだろうかっていうのは全然答えが出ないんですよ、想像してみても。
猿之助氏はもともと市川亀治郎という名前でしたけども、その頃から面白い俳優だなと思って見ていましたし、もっと言えば、その事件で亡くなった段四郎さんは私が歌舞伎見始めた頃から舞台によく立っていた方なので、その方がある日、ああいう事件でいなくなってしまったという件でもあって。今後、彼がどういうふうに表舞台に出るか、出ないか、わかりませけれども。表に出ることがあるとしても、ないとしても、恐らくすっきりと決着が自分の中でできないまま抱え続けるんだろうと思いますし、それはそれで仕方ないんだろうと思います、その決着がつかないっていうこと自体は。
美園
決着はどうしたらつくんだろう……。つかない。私は、わかんないですけど、やっぱり罪を犯してしまった、ご本人の態度というか、これからの態度とか、そういったものがすごく重要になってくるかなとも思いますね。ファンの気持ちに決着をつけさせてくれるのは本人自身なのかもしれないですよね。難しいです……。
香月
もちろん、彼をその後も生きている1人の人格として、躊躇なく見続けますよという人もいるでしょうし、その人は間違っているとも思わないですし。出口のないお話をしてしまいましたけれども、「こういうふうに気持ちを整理するのが一般的な正解です」みたいなことは恐らく一つもないんですね。すべての件において個別の事情、個別の周辺環境があるので。
美園
どのような思いを抱いたとしても、それはその人の正解ですよね、多分。だから、それを誰かに強要するのも間違ってるし。ただ、その示し方っていうのかな。その思いの表し方みたいなところは少し冷静に考えていくっていうのも大事かもしれないですね、ファンとして推していくのであれば。
香月
その振る舞いによって、ほかのファンの人のスタンスを否定するようなことをするべきではないですし。ただ葛藤を持ち続けるのは致し方ないというか、しかるべきことかもしれないですね。
好きな人、組織を守りたいはずの言葉が見落とすもの
おたよりの要旨:「宝塚歌劇団に入った以上、厳しい指導や上下関係があるのはわかりきっていたことなのでは」というようなほかのファンの意見を見て、そういうファンに混ざって宝塚歌劇を見に行くことはできないと思った。
香月
問題が起きてもそのまま何となく見続けてるファンの方が相当数おられたと。で、その人たちと同じような感覚でその場にい続けることはできないなっていう、一つの判断ですよね。
私の身近なアイドルについても、そういうことが起きたときに、ちょっともう「自分はそこからは離れる」というふうに宣言して、情報にまったく触れないわけではないけれども、ファンではなくなったというスタンスの方もおられました。それは尊重されるべき一つの意見ですし、そういう立場を取ったファンが少なからず事実が可視化されるのは、その組織にとって大事なことだと思うんですよ。
美園
私もそう思います。
香月
「何となく離れてしまう」って、サイレントに起きるものなので、あんまり発信として運営側に見えないかもしれないですけど。「離れてしまった」ってあえて言うことも、一つ大事なメッセージですよね。
美園
そうですね。そういった声は、組織に対して届くべきかなって、私も思っています。
香月
そうなんですよね。
「こういうとこに入ったんだから、覚悟のうえだろうみたいな感覚のファンも相当数いた」とあるんですけども。その組織の内実がすごくいびつな、人間の尊厳を奪うようなものであった際に、「それ承知のうえで入ったんだから」というのは、その組織の異常性についてどう考えるのかをシャットアウトしてしまっている感じがあるんですよね。ファンの立場からそういう異常性が見えているのだからこそ、それをどうにかしようっていう方向にいくのも自然なはずですし。
異常性があってもその組織を肯定しようっていう立場の方って、その組織を批判から守るつもりでそう言ってるかもしれないですけど、本来自分が好きであるはずの推したちの労働環境なり人格を奪い続けることに加担してしまってるかもしれないっていうのは、ちょっと考えてみていいんじゃないかなと思いますね。
美園
こういう伝統を長年培っている、旧態依然としている組織は、もしかしたら、ファンの方の声が届くことで大きく変わるかもしれないですもんね。
香月
そうなんですよ。それを期待したい。
美園
だからこそ、正しい情報を精査したうえで、きちんとした声が届くように、応援してくださってる方々が注目していったりだとか、声を上げて意見していくっていうことも、大切かもしれないですよね。
香月
今コメントで流れてきたんですけど、「劇団は批判はしたけれども、生徒さんのことはちょっと気の毒で、叩くことはできなかった」とのことで。とてもよくわかる心情です。
ファンの人たちにとっては推している演者さんたちを「人質に取られている」というと、言い方が強いかもしれないですけれど、組織を批判すること=中にいる演者さんたちにも批判が向かってしまうような感覚っていうのが生まれやすいですよね。なのでどうしても言い方が難しくなるというのはあると思いますね。
批判は嫌いだからするものなのか?
香月
批判といわれると、「外側から問題を指摘される」「たたく」ようなイメージで取られたりもするんですけれども。ただ、批判っていう言葉自体は別に否定や糾弾オンリーではないと思うんです。
「芸能組織としてアウトプットしている作品にはすごく魅力があるから継続していってほしい」と思うことは健全なことなんですけれども、「継続していくためには、組織のこの部分をそのまま放置していったら絶対この人たちに無理がくるよね」っていうこと、いくらでもありますよね。それらの指摘、もしくはちょっと相対化して、こっちの価値観のほうがベターじゃないですかっていうのを示すのも、批判たり得ると思うんですよ。
「批判」=「舌鋒鋭くののしる」ということではないので。ここの問題性はもうちょっとこういうふうにしていけるんじゃないかっていうところの指摘。で、それをどう反映するかっていう、本来はその芸能ジャンル、その組織がもっと健康なものになっていくためのプロセスの一つでしかないはずなんですよね。
美園
今、コメントで「言葉選びが重要なんじゃないですか」っていうご意見があったんですけど、私も今おんなじことを言おうとしてました(笑)。
宝塚では、演出家の方から、「もっとこうしてほしい」っていうようなことを言われることを「だめ出し」っていう言葉で呼んでいたんです。「だめを出す」っていう。で、私も「『だめ』出し」なんだなって思いながらずっとやってきたんです。
でも、最近は「ノート」っていうんですって。「だめ出し」っていう言葉をもう辞めましょうっていうことで。「ノート」も、ここ改善してほしいっていうものだから、批判ではあるじゃないですか。
香月
批判ではあると思いますね。
美園
「ノート」も今のパフォーマンスに対する批判なんですよね。
香月
今のお話って結構大事で。
「だめ出し」っていう言葉を使うことによって、「この人、だめな部分があるんだ」っていうイメージになるじゃないですか。「否定されるべき部分が必ずあるんだな」というふうになってしまう。
けれども「ノート」っていう言葉が使われてると、「今こうなっているところから、こっちの方向に、これを参照していくとベターになりますよね」っていう意味合いになる。
言葉遣いって細かいことのようですが結構大事で。言葉を受け取る側がどのようにそれを自分にとって建設的にフィードバックできるかにとって、結構大事ではあるはずなんですよ。言ってる内容が同じだったとしても、人格なので。傷つきもすれば、それでつぶれもするものなので。ちょっとした言葉の調整の仕方というのは細かいことのようでいて大事だと思いますね。
美園
本当にそう思います。
炎上はいつ「終わる」のか
おたよりの要旨:ファンであることはやめてしまったが、一市民として今後の宝塚歌劇団の対応に注視していく。
香月
宝塚にしても、ジャニーズのことにしても、歌舞伎でも昨年はいろいろありました。先ほど言った、乃木坂のことも昨年でしたね。気がついたらもう今年も終盤で、どれも1年たったところです。
いまのおたよりで「ファンとしてではなく、一市民として宝塚歌劇団の対応は注視している」とありましたが、そこはすごく大事なところで。時間がたつと何となく世の中的にも報道の数自体も減っていくでしょうし、一見注目が収まったように見えてしまうんですよね。
注目が収まったことと、問題が解決したこととは全然違う話なんですけれども、注目が収まったことで問題も解決したかのように見えてしまう。それによって組織の運営側も「このまま継続できるんだな」と思ってしまい、結局根本がなにも変わらないまま維持されてしまうということはあり得て。
だからこの方の「離れたけど市民として対応を注視している」っていう立場は大切だと思いますし、より積極的に「忘れてないぞ」っていうことを示し続けることも、また大事だろうと思うんですね。でなければ、宝塚に限らず、いろんな組織が、「ちょっとの間、我慢すれば、根本的な対応をしなくても運営を続けられちゃうんだ」って、正直思ってしまうだろうと。
根本的なところ、そこにいる当事者の方たちの人格、尊厳が守られるような状況がちょっとずつでも実現しているのかっていうようなところが置き去りにされてしまいかねないので、何かしら言い続けるのは大事だと思うんですね。
私の専門のジャンルに引きつけていいますと、昨年乃木坂46のライブの演出家がメンバーの容姿に関する暴言を吐いたのですが、それもメンバーのラジオの生出演で告発がありました。世の中的にはさほど炎上というほどの炎上はしてないと思いますし、1年たって、もう顧みられることはかなり減りました。じゃあその後、演出の体制はどうなったのかっていうフィードバックが、我々に見えているのかというと、見えてないんですよね。
ある時点で「ここをこう改善したから、もうクリアです」っていうことにはならなくて。その後どうなって、今どんな組織になっていってますっていうことは、常に人間も移り変わっていくし、状況もすべての公演で同じではないので、常にどんな姿勢を見せ続けていくのかっていうことは組織に問われることだろうなと思いますね。
美園
常に改善っていうか、新しく変わっていくためにも、ファンとしての立場だけではなく、一市民、第三者としての意見をずばりと。
香月
一市民として忘れない、注視するも大事なことだと思うんですよ。愛着のない人がある時期わっと騒ぐという現象はどうしても起きやすいけれども、その人たちが引いていってしまうと、「喉元過ぎれば」になっていってしまうので。
美園
逆に愛着がないからこそ、本当に俯瞰した意見を言えたりすることもあるじゃないですか。だからそういう方たちの意見や思いみたいなのもやっぱりときには必要になってくるんじゃないかなって、私は思いましたね。
香月
俯瞰したところから見えるからこそ、「いや、社会通念として、それおかしいよ」って率直に言うことができる。で、細かいところに関して一般の人たちの観測では不正確なところもあるかもしれないから、より正確なところはファンの人たち、もしくは内部、当事者の人たちが受け止めて、より精緻にしていけばいいというか、そうあるべきであろうと思いますよね。
美園
そうですね、本当に。難しいことですけど、きちっと思い起こして、じゃあどういうふうに変えていったらいいのかっていうところをやっていかなくてはいけないと思います。宝塚に限らず、きっといろいろなエンタメの組織も。
ファンの声が「推し」にもたらすもの
おたよりの要旨:企業の体制をすぐに変えるのは難しいと思うが、宝塚歌劇団にはこれから長い時間をかけて無理のない体制に変わっていってほしい。
香月
宝塚に限らず、長いスパンで続いていくことを想定するのであれば、ちょっとずつでも動いていってベターになってくれることを願う、信じるしかないというか、そうであるべきだとは思います。
実際、1年、2年で何かが大きく変わることは難しいかもしれないですけれども、何十年っていうスパンで見たときには、大きく変わる可能性はあると信じたいんですよ。芸能組織のことじゃなくて、社会全体のことでお話ししますけれども、例えば、私が最初に社会に出た頃って20年ちょっと前ぐらいですけれども、「パワーハラスメントがあります」っていうことを訴えて理解してもらえるような環境、周辺の空気はなかったわけですよね。就職氷河期みたいな時代の煽りもあったりして、「自分が弱いからいけないんだ」みたいな考え方しか当時持てなかったんですよ。それが今、時間を経て、その時代が相対化されている。世の中的に、少なくともパワーハラスメントというものの指摘をすることは自然な事象にはなりましたよね。
もうちょっと前のことで言うと、「セクシュアルハラスメント」っていう言葉は、35年ぐらい前の流行語大賞になってるんですよね。その頃、それが流行語になるっていうことは、まだセクハラっていう言葉が世の中に定着する土壌がなかったということなんですよ。でも、今はそういう指摘をして何か改善を促す、批判をするっていうことは、当時に比べればはるかに自然にできるようになっている。ある日がらっと変わるわけじゃなくて、数十年スパンで、世の中の「これはまずいよね」がちょっとずつ変わっていってくれるというのは、組織が継続するのであれば、それを信じるほかないなと思いますね。
美園
信じる、か。
香月
もちろん組織の状況を見て、場合によっては、「これは一旦解体しないとまずいでしょう」というケースもあるでしょうし、恐らく旧ジャニーズはそれを取ったんだと思います。何でもかんでもそのことを「信じる」で継続すればいいってわけではないですけれども、この先も続けていくのであれば、そういう営みは必須でしょうと思いますね。
美園
信じるってすごいすてきだと思うんですけど、ファンの方がほかにできることって、あるんでしょうか。
香月
何かここに問題があるよねっていうときに、それをさっき言ったみたいに積極的に発信できるかっていうのは、その人の立場もあったりするでしょうし、そういう発信し得る言語を持てるかっていうこともあるでしょうし、みんながみんな発信できるわけではないかもしれないけれども、まず肯定しないことはできると思うんですよ。
例えば、何がしかハラスメント的な表現が演出として、おもしろいこととして行われ続けてるような状況があったときに、それをみんながおもしろがらないことはできると思います。そうなると、「これは違うんだ」って、遅まきながら相手が気づいてくれるかもしれないし。だから、積極的にわかりやすい発信ではなくても、同調しないっていうことは、それも1回や2回の意思表明で何かが大きく変わるとは思いませんけれども、続けていくことで、空気が恐らくちょっとずつ変わっていくのかなと思いますね。
番組の全編視聴はこちらから☟