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藤井聡太はなぜ矢倉でタイトルを取ったのか【勝又清和七段インタビュー 聞き手:白鳥士郎】

「羽生善治は作れる」

 かつて、こう語った棋士がいた。

 圧倒的な天才といえども、育成方法と本人の努力によってそれを作ることができると。

 天才を作る──

 しかしその言葉を完全否定した棋士がいた。

 人はその棋士を、敬意を込めて『教授』と呼ぶ。

教授こと勝又清和七段(@katsumata)。

 私が教授に──勝又清和に話を聞こうと思ったのは、藤井聡太の初タイトル戦となった、渡辺明との棋聖戦がきっかけだった。

 第1局、藤井は先手で矢倉を採用し、勝利。

 そして第2局、渡辺の矢倉を受けてたち勝利。

 初タイトルに王手をかけた第3局ではそれまでの得意戦法である角換わりを採用して勝負をかけるも、渡辺の研究に弾き返される。

 迎えた第4局、渡辺は矢倉を採用、藤井は第2局同様に受けてたった。その第4局で勝利し、史上最年少17歳のタイトル保持者が誕生した。白星は全て矢倉だった。

 

 「矢倉を学べばタイトルを獲れる」とアドバイスを贈った加藤一二三の言葉通り、結果を見れば、藤井は矢倉でタイトルを獲得したことになる。

 しかし、なぜ矢倉なのか?

 若手棋士の筆頭格である増田康宏はかつて「矢倉は終わった」と語り、藤井自身も三段リーグの途中で矢倉から角換わりに戦法をシフトしたと語った。(参考:『なぜ藤井聡太はフィクションを超えたのか』

 

 なぜ、藤井は矢倉を指すようになったのか?

 将棋界に今、矢倉に今、何が起こっているのか?

 『戦法』という切り口から藤井聡太の強さを探っていったとき……その才能の異質さが改めて浮かび上がってきた。

取材・文/白鳥士郎

勝又教授、矢倉の歴史を語る

──……と、いうわけで。本日は主に『矢倉』という戦法を通じて、藤井先生の強さを語っていただこうと思います。いやぁ勝又教授からこうして戦法講座を受けられるなんて、すごく贅沢です!

勝又七段:
 いえいえ。白鳥さんは矢倉の戦法というと、何が一番ピンと来ます?

──やっぱり……4六銀・三七桂型でしょうか。

勝又七段:
 いいですねぇ。じゃあ、その戦型になった公式戦を検索してみましょう……ほら、2000局以上ありますね。

──こんなにあるんですね!

勝又七段:
 じゃあもう少し絞って、この戦型になった名人戦だと……。

──羽生森内戦でたくさんありましたよね?

勝又七段:
 そう! 名人戦の羽生森内戦だけでも、7局もある。これはめちゃくちゃ多いんですよ。

──名人戦という最高峰の戦いで、しかも羽生森内という最高のカードでこれだけ指されていたということは、将棋界で最も流行していた戦型の一つと言えそうですね。

勝又七段:
 この戦型のポイントは、右の桂馬が跳ねること。そして飛車先の歩を突かないことです。

──3筋に戦力を集中するために、2筋の歩は後回しにするわけですね。

勝又七段:
 羽生善治九段が「新手で最も感心したのは飛車先突かず矢倉」っておっしゃってるくらい、革命だったんです。

──最初に飛車先を突かなかったのは、田中寅彦先生でしたっけ?

勝又七段:
 最初は田中寅彦九段。それが有名になったきっかけは、中原誠十六世名人と加藤一二三九段の名人戦です。

──ひふみん先生がここで登場するわけですね!

勝又七段:
 昭和57年。ここで4六銀・3七桂型と飛車先突かず矢倉がたくさん指されて、広まっていきました。

──加藤先生が名人位を獲得された、伝説の『十番勝負』! 戦法的にも大きな転換点だったんですねぇ。

勝又七段:
 こんな感じで、4六銀・3七桂型がずっとメジャーだった。では現在指されている矢倉はどんなものかというと、ターニングポイントになったのは、森内俊之九段と阿部光瑠六段の叡王戦ですね。

──あれは衝撃的でしたね! 矢倉で羽生先生を押しのけて永世名人の資格を得たあの森内先生が叡王戦(第1期。2015年10月27日)で阿部先生に一方的に敗れるという……。

勝又七段:
 後手の構えが変わってきたんです。左美濃ですね。あと、5筋の歩を突かないとか、角の位置がそのままとか。

──俗に『居角左美濃』っていわれてましたよね。この珍しい構えを目の当たりにした君島俊介さんの観戦記からも、当時の衝撃の大きさが伝わってきます。

勝又七段:
 こういう急戦がどんどん先鋭化して……このあたりのことは『Number』でも書いたんですけど。

──じゃあこのインタビューは『Number』の補足記事としても楽しんでいただけるということですね(笑)

勝又七段:
 『Number』では、藤井二冠(王位・棋聖)と小林健二九段の将棋を取り上げて解説しました。伯父さんとの将棋です。

──藤井先生の師匠である杉本昌隆先生の兄弟子に当たるのが小林先生ですね。順位戦A級4期在籍。棋戦優勝2回。堂々たる大棋士です。

勝又七段:
 後手の藤井二冠が14手目にいきなり6五桂と跳ねるんですが……後手は角も飛車も桂馬も全部使えるのに、先手は角も飛車も使えないうえに、7七に上がった銀が桂馬に狙われるだけの駒になっちゃってる。

──はい、はい。確かに。

勝又七段:
 しかも、先手は7七の銀が邪魔になって桂馬が跳ねられないじゃないですか。だから『Number』だと、現代将棋では桂馬がすぐ前線に出るけど、7七銀があるとそれができない、だから矢倉は衰退したと書きました。増田康宏六段の「矢倉は終わった」発言はセンセーショナルだったんですけど、彼はちゃんとその理由を「桂馬が使いづらいから」と言ってるんです。

──けど、こう中央に向かって桂馬をポンポン跳ねるのって、まるで私みたいな素人が指してる将棋のように見えてしまいますね……。

勝又七段:
 「桂馬の高跳び歩の餌食」ってね。私が奨励会を受験する頃にこんな将棋を指そうものなら師匠に怒られたと思います。

──格言が通用しなくなるくらい、将棋の常識が変わったんですね……。

勝又七段:
 昔のように、予定調和で矢倉に組み上げてから戦うんじゃ間に合わなくなった。城攻めから、野戦に持ち込まれちゃった感じですよね。昔の矢倉が豊臣秀吉だったら、今の矢倉は徳川家康の関ヶ原の戦いみたいな。

──なぁるほど! わかりやすいたとえです。

勝又七段:
 城を作る前にやられちゃったら、堪らないですからね。

──そもそも……どうして、城を作ってたんですかね?

勝又七段:
 そこは長い歴史があってね。急戦矢倉って、昔からあったんですよ。たとえば米長邦雄永世棋聖とか。昔からあった。でも……やっぱりちょっと無理かなぁ、って。

──野戦もあったけど、城を作る方が勝ってたと。

勝又七段:
 急戦矢倉で、角を居たまま使うっていう発想も、昔からあったんです。それが、ほんのちょっとした違いで変わる……これも羽生九段の言葉で、「過去にあったこと。過去になかった組み合わせ」っていうようなことをおっしゃってるんですけど。

──部品はあったけど、それをどう組み合わせるかで変わってくると。その組み合わせというのをソフトが発見して……。

勝又七段:
 ソフトが見つけて、人間もさらに改良したという感じですね。

──なるほどぉ……。

勝又七段:
 実はね? 桂がポンポン跳ねてく将棋って、僕はずいぶん前にコンピュータ将棋で見てるんですよ。

──ええ!?

勝又七段
 『激指』【※】とかも得意だったんです。昔からソフトはそうやりたがってた。だけど実力が付いてなかったから無理だったんです。先手が左の銀を7七に上がったらそれを咎めたいという発想は、昔からあったんです。

※激指……コンピュータ将棋ソフトウェアのシリーズ。

──強くなったから、その発想を実現できるようになったんですね。そう考えるとソフトも何だか、いじらしいですね(笑)

なぜ藤井聡太は角換わりを指していたのか?

──藤井先生はもともと矢倉党で、そこから角換わりにシフトされたじゃないですか。それはどうしてなんでしょう?

勝又七段:
 まず、このグラフを見てください。これは角換わりの先手で、4八金・2九飛車と構えた形の対局数と勝率です。

──うわ! 2016年度に爆発的に増えてますね……先手勝率も6割以上でエグい……。

勝又七段:
 この4八金・2九飛車という形がとにかく強いと。角換わりだけじゃなく、あらゆる戦型で大流行してます。大駒の打ち所が無いんです。飛車と金の弱点をお互いに補完し合うということですね。

──ガッチリ囲った矢倉と比べると、右の金が離れちゃってる感じがしますし……何だかスカスカしてて怖いけど、優秀なんですねぇ。

勝又七段:
 藤井二冠が自分なりにAIを取り入れて、このバランス型の現代将棋に移行しようとした時、それが一番フィットするのが角換わり腰掛け銀だったということですね。

──それで角換わりにシフトしたんですね!

勝又七段:
 ちなみにこの4八金・2九飛車という形も、木村義雄十四世名人が編み出したものでした。

──木村先生って明治生まれですよ!? 昭和初期の名人が編み出した形が、令和になってあらゆる戦型で使われるようになるなんて……まさに「過去にあったこと。過去になかった組み合わせ」なわけですね!

勝又七段:
 一方、矢倉は桂馬が主役の現代将棋から取り残されてしまった。飛車先を突かない矢倉はどんどん減っていって、勝率もひどいことになりました。

──先手でこの勝率じゃあ指されなくなりますよねぇ……。

勝又七段:
 と、いうことなんですが。矢倉はまだ終わってないんです。

──え!?

勝又七段:
 この形が出てきたんです。

──これはまた……

勝又七段:
 で。実は矢倉、また復活してるんですね。

──おお! 4割だった勝率が、2019年度は5割3分近くまで! いったい何が起こってるんですか……?

矢倉は滅びぬ! 何度でも蘇るさ!

勝又七段:
 「飛車先突かず矢倉」の話に戻りますけど、あれは飛車先を突かずに4六銀と3七桂を急いでたじゃないですか。

──はい。

勝又七段:
 じゃあ今の矢倉はどうすると思いますか?

──飛車先を突くんですか?

勝又七段:
 正解。

──おお~。

勝又七段:
 簡単に言うと、2五歩を決めちゃいましょうと。そうして後手に3三に銀を上がってもらって。

──角道が止まりますね。

勝又七段:
 そうして後手の急戦を阻止する。

──なるほど! これなら7七に銀を上がっておいても、後手の角が利いてないから

勝又七段:
 ただ一方で、先手も2五に桂馬を跳ねることができない。

──自分の歩がありますもんね。

勝又七段:
 だから別の攻め方を考えましょう、と。

──サラッとおっしゃいましたけど……それって2五桂からの攻め方を全部捨てちゃうっていうことですよね? どうすればいいんでしょう?

勝又七段:
 たとえば、藤井二冠が棋聖戦第1局で採用した脇システムだったり。第2局で渡辺明名人(棋王・王将)が採用した先手急戦矢倉だったり。それから土居矢倉。

──あの棋聖戦は、新しい矢倉の見本市だったんですね……!

なぜ藤井聡太は矢倉に戻ったのか?

──藤井先生、勝負所で矢倉を選ばれるようになりましたよね? 棋聖戦の前に指した王将戦の挑決とかでも。それはなぜなんでしょうか?

勝又七段:
 矢倉で勝てると思ってるからでしょうね。

──得意戦法は角換わりだったじゃないですか。それでいつ、矢倉で勝てると自信を深めることができたんでしょう?

勝又七段:
 でも、後手番は矢倉ですからね。彼は二手目に8四歩しか突かないから。二手目に8四歩を突く人間が矢倉を研究してなかったら、プロ棋士としてやってけませんから。

──後手で矢倉を受け続けてきて、どうやら先手で矢倉を使うのは有効だと思うようになった……。

勝又七段:
 と、いうことでしょうね。

──皆さん、藤井先生との対局にはとっておきの戦法を投入するでしょうしね。羽生先生みたいに相手の得意戦法を吸収して、どんどん強くなって……漫画みたいですね。

勝又七段:
 あと、今は先手の角換わりも勝率がそんなに高くないんですよ。棋聖戦第3局がいい例じゃないですか。

──藤井先生が先手で伝家の宝刀・角換わり腰掛け銀を抜いて決めに出ましたけど、渡辺先生の一人千日手みたいな待機策に敗れました。

勝又七段:
 藤井二冠の特徴は、序盤で守る手と攻める手があったら、攻める手を選ぶ傾向がある。受けが強いんですけど、初球のストライクから振ってくタイプ。

──確かに以前、藤井先生にインタビューさせていただいた時も「角換わりも、その頃(※奨励会三段になる前)のものは待機策という感じで、自分には合ってないなと感じてはいました」とおっしゃってました。角換わりがその頃みたいに待機策ばっかになったら、別の戦法に興味が移るのかもしれませんね。

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