なぜ豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第1章】
4歳の頃から将棋を始め、史上初の小学生プロ棋士の期待すらかかり、令和初の竜王名人となった、平成生まれ初のプロ棋士・豊島将之竜王(叡王)へのインタビュー企画が実現。
聞き手を務めるのは、『りゅうおうのおしごと! 』作者である白鳥士郎氏。全3章に渡る超ロングインタビューをお届けしていく。
※取材は、緊急事態宣言の発出前に、感染対策を行ったうえで実施いたしました。
取材・文/白鳥士郎
撮影/諏訪景子
豊島将之。
将棋界最高位タイトルである竜王。そしてドワンゴが主催した最後の叡王を獲得した、現代最強の棋士の一人。
将棋界で今、最も勢いがあるのは、藤井聡太二冠だろう。
ありとあらゆる記録を更新し続ける天才は、将棋界という枠を超えた有名人でもある。
豊島は、その藤井聡太に6連勝した。デビュー戦から29連勝したことで知られる藤井は、デビューしてから豊島に6連敗していたのだ。
現在、藤井に2勝以上で勝ち越している棋士は、豊島を含め5名しかいない。そのうち4人は1勝差であり、6勝1敗という圧倒的な戦績を残しているのは豊島だけだ。
しかし、豊島と藤井のレーティング(実力を数値化したもの)は拮抗している。数値上、ここまで対戦成績に差が出ることは考えづらいのだが……。
その理由の一端を今回、豊島自身の口から聞くことができた。
あまりにも長くなってしまったので3章構成にした超ロングインタビューの第1章は、誰もが気になるこの話題からにしよう。
なぜ……豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?
電王戦の時は『ソフトに負けてしまうと、この後どうなってしまうんだろう?』という不安があった
──本日はお忙しい中、インタビューを受けていただきありがとうございます。最初にコンセプトを説明させていただきます。
「あ……はい」
──豊島先生が、ドワンゴ主催の最後となる叡王戦でタイトルを獲得なさったこと。そして電王戦でAIと戦ったことがきっかけでご自身が大きく変わられたと語っておられること。主にその二つから、豊島先生を通して、ドワンゴが将棋界に与えた変化というものを探っていくような記事にできたらなと考えておりまして。
「はい」
──こちらで調べた感じですと、豊島先生の対局が初めてニコニコ動画で流れたのが、2014年の朝日杯。羽生(羽生善治九段)先生と雪の日に戦われた将棋です。
「ああー……準決勝の」
──はい。準決勝の。羽生先生がスノーブーツを履いて来られたという。豊島先生は、惜しくも羽生先生に敗れてしまったのですが……。
「はい」
──そうやってご自身の将棋が中継された映像って、ご覧になっていましたか?
「いやぁ……あんまり見ていなかったですかね、最初の頃は。コメントとか流れてきて……怖い気持ちもあったので(笑)」
──『とよぴー』と呼ばれたり、『かわいい』という評価が付いたり。そういうの、意外でしたか?
「こんなふうになるとは思っていませんでしたね(笑)。そもそも自分がメディアに出ることになるなんて思わなかったですし」
──で、この2014年2月に行われた朝日杯中継の1ヶ月半後に、電王戦に出られたということだと思うのですが。
「はい」
──世間からの反響というものは、いかがでしたか?
「電王戦の時は……出る前からすごく注目されているのは感じていて」
──世間からの注目というのは、豊島先生に何か影響を与えましたか?
「ええ。最初はそんなに、練習対局をしてガチガチに作戦立ててやろうと思っていなかったですし」
──そうなんですか!? 1000局近くも練習対局をしたことに、全世界が衝撃を受けたんですが……最初は、そんなことするつもりがなかったと?
「はい。やっていく中で、注目されているんだなということを感じて。あとは、けっこう……『ソフトに負けてしまうと、この後どうなってしまうんだろう?』という不安を、自分も持っていましたし、将棋界全体そういう空気もあったので」
──電王戦、すごく壮大だったじゃないですか。メンバー発表の時からニコファーレで派手にやって。お土産用に豊島先生の顔写真入り団扇も作って。それまでの将棋界の催し物とは、規模も方向性も違うというか。
「そうですね。『電王戦を見てから応援しています!』ということは、よくおっしゃっていただけるようになりました」
──街を歩いていたら声をかけられることが増えた、みたいな?
「街……を歩いていても声をかけられることはないんですけど(笑)。前夜祭などでファンの方から『電王戦を見ていました!』と言ってもらえたりはします」
──ネットメディアが華やかな頃で、あべのハルカスで対局ですよ! 普通のタイトル戦でも体験できないような場所で将棋を指してみて、いかがでしたか?
「や、そうですね。本当にいい経験になったというか。タイトル戦に初めて出た時も緊張しましたけど、それ以上に……緊張感はありましたね」
──相手がコンピューターだということも含めての緊張感だったんですかね?
「それもありますけど、やっぱり注目度の高さみたいなもので」
解説の仕事は控え目にして将棋の研究を
──電王戦の約半年後には王座戦で羽生先生に挑戦なさるなど、豊島先生の対局は数え切れないほど中継されました。しかし解説役として初めてニコ生にご登場なさったのは、電王戦からずっと後の……第3期叡王戦第1局なのではということなんですが、これは正しいでしょうか?
「そうですね。それ以前に解説者として1日いたことはなかったような。タイトル戦の副立会人として、少し登場させていただくということは何度もあったとは思いますけど」
──やはり関西にお住まいなので、スケジュールが合わなかったというのが、引き受けなかった大きな理由なんでしょうか?
「それもありますけど、その頃は結構そういう仕事は断って、研究することも多かったので……」
──解説の仕事を?
「全部断っていたわけではないんですけど。控え目にしていて」
──そういう時でも、なるべく出ようと心がけていたお仕事ってありますか?
「(出身地である)愛知県の関係の仕事は受けていましたかね」
──ですよね! 私が初めて豊島先生を生で拝見したのが、2013年の名人戦第5局。名古屋のホテルで行われた名人戦に、豊島先生が副立会人としていらしていて。
「ああ……そうですね」
──その対局……の、翌朝の朝食会場で、豊島先生が一人で座ってスマホを見ながらご飯食べてるのを、私は偶然すぐ後ろの席に座って見てて(笑)。
「ふふふ」
──でもその頃は、ちょっと声をかけづらかったというか……。
「そうでしたか?」
──インタビューを拝見すると、2012年から13年の頃は、伸び悩んでおられたとあります。それで、その……思い詰めるような感じだったんでしょうか?
「それは……もうちょっと後のことですかね。まあでもその頃も、何となく危機感はあったんですけど」
「自分の中では、あんまり上手くいっていないなという感じはありましたけど、同年代の中からタイトルを獲得するような人たちが出るのは、多分もう少し先のことになるので」
「まあでも、ちょっと焦りみたいなものはありましたけど」
──その頃は、名人戦は羽生森内(森内俊之九段)ばかり。将棋でも矢倉が主流で、しかもその矢倉も4六銀3七桂型ばかりで。
「はい」
──トップが固定され、一つの将棋が掘り下げられていた時代。戦法的な閉塞感のようなものはあったんですかね?
「あー……そうですね。横歩取りやゴキゲン中飛車も、だんだん厳しくなってきていて」
「2手目に8四歩を突けば、いろんな戦法になるんですけど……でもそうすると、羽生先生の世代の方々が、すごく研究してきた形の中で戦うことになるので……」
──相手の土俵で戦わざるを得ない?
「大変だな、というような感じはありましたよね……」
──少し話が飛ぶんですけど……リアル車将棋ってありましたね?
「ありましたね(笑)」
──いろいろなお仕事を断っておられた中で、どうしてあの企画に? やっぱり(愛知県に本社がある)トヨタ関連の仕事だから?
「あ、いや(笑)。まあ、あれは対局なので」
──あ、そうか。対局でしたね(笑)。
「羽生先生と指せるんだったら、当然……」
──受ける一手だと。ご出演なさって、いかがでしたか?
「テストドライバーの方が、すごくいい人で! それは記憶に残っていますね。将棋界にはあんまりいない感じの人たちで」
──駒になった車を運転していた人たちですね。スポーツマンみたいな?
「そうですね。体育会系な感じで。スポニチの記者の方々にも、そういうものを感じるときはありますけど。王将戦とかだと」
──リアル車将棋は、ファンがもう一度見たい将棋番組の中でも上位に入っているんですが。
「あっ、再放送されるんですよね?」
※ニコニコネット超会議2021にて4月30日に再放送された。
──豊島先生は車を運転なさるんですか?
「いや、乗らないです。免許も持っていないので」
──『ちょっと車、買ってみようかな?』とはならなかったですか?
「『免許取りたいな』と、その時には思ったんですけどね。結局、取らず仕舞いで」
──棋士は考え事をしながら運転しちゃって危ないと聞きますしね。
「それはありそうですね」
多少、抵抗はあった“評価値”の表示
──中継で評価値がリアルタイムに表示されるようになったのは、ニコ生が初めてだったと思うのですが、いかがでしたか? 自分の将棋に評価値が表示されるのは。
「最初は多少、抵抗はあった……ですかね」
──それは、自分の将棋が機械に評価されることについて? それとも、その評価が自分の考えているものと違うから? どちらなんでしょう。
「どっちも……という感じですね。当時はそんなにソフトも……まあ強いのは強いですけど、間違った判断をしていることも多かったので。けど、評価値って(視聴者には)信用されてますから」
──私も、棋力がないので盲信してしまっていて。数字の力は強いですよね……。
「でも、いいことのほうが多かったと思います。やっぱり。評価値」
──ファンにとってわかりやすくなったから?
「ええ。かなり見る方も増えましたし。それに最近は精度が上がっているので」
──よっぽど違和感のある評価も出ないと。
「そこは昔も……はっきり『間違ってる』って言い切れることは少ないんですけど、実際に進めてみたらどうだったのかな? という感じでしたかね」
──電王となったポナンザは一般公開しておらず、ポナンザの評価を知ろうと思ったらニコ生に登場している時に見るしかなかったと思うんですが、そういう評価を参考になさったことはありますか?
「やっぱり、自分でパソコンをいじって、『この手だったらどうなのか?』ってやれないと、理解するのは難しいなと思いましたね。放送で流れる評価を見ているだけでは……」
「自分で『ここは疑問だな』というところを何回も繰り返して評価させてみても、やっぱりわからないところはあるので。それですらわからないところがあるのに、初めの評価値だけでは理解できない……感覚として蓄積していって、どこかの段階でわかるようになる、ということはあると思うんですけど」
──読み筋をいくつか比較していかないと、身につかないということですか?
「その場ではわからないですよね。とりあえず」
──放送を見て、そこに表示されている評価値を見ただけでは、プロ棋士もわからないと。
「たくさん見ていくうちにわかることは、あるかもしれませんけど。読み筋が表示されていたとしても、どこかの段階で『ここをこう指していたらどうなっていたんだろう?』というのはあるので」
──YSSと電王戦で戦われた直後に、大阪弁護士会のインタビューを受けていらっしゃいますよね?
「あ、はい」
──そこで『(ソフトの将棋は)人間同士とは別物なので、自分の中で消化するまで時間がかかる』とおっしゃっています。この『消化する』とは、どういった作業になるのでしょう?
「…………自分の感覚と、コンピューターの感覚の、どっちが正しいのかは、すぐにはわからないので。そのへんを……」
「今になって思うと、コンピューターの側も、行き過ぎていたところもあったと思いますし。自分も……人間も、一般的な常識がおかしかった部分があって。結局、その中間くらいのところに落ち着いた感じはあるんですけど」
「当時のソフトって、攻めが好きで。どんどん攻めていってて、人間はそれを『無理攻め』と評価していたと思うんですけど」
「あと、飛車とか角をどんどん切っていって。相手の陣形を荒らして、金銀と交換できたらいいという感覚だったと思うんです」
──はい。昔のソフトは金銀の価値が高かったですよね。
「それが新しい感覚だった部分もあったし、でもちょっと行き過ぎだった部分もあったと思います。たぶん今のソフトも、その中間くらいの部分に落ち着いたんだと思っていて」
「あとは、角換わりだと5八金型が主流でしたけど、4八金がいいとされて。100点とかプラスで出るんですけど。けどそれも、指していかないとわからない。何となく『いいのかな』とは思うものの、たくさんソフトの将棋を見たり、自分たちで指していって、ようやく共通認識になっていったと思うんですけど。そういうところまで、やっぱり時間がかかるというか」
「中盤の感覚とかもそうですし、序盤の駒組みとかも。やっぱり数をたくさん見ていかないと、判断がつかないというか」
「あとは、ソフトは人間よりもたくさん読んでいる。人間はどうしても(読みの量が)少なくなってしまうので。だからソフトが指しこなせる将棋だとしても、人間が指しこなせない将棋も当然あるはずなので。そういうのを……『これは指しこなせる』『これは難しい』『難しいけど、あとちょっとやれば指しこなせるようになるかもしれない』そういうところがわかってくるまで、時間がかかったということですかね」
『評価値はいいけど指しこなしづらい将棋』と『評価値が悪いけど指しこなしやすい将棋』
──ソフトの感覚と人間の感覚、そのどちらが正しいかという検証作業は、具体的にはどういう方法になるんでしょう? 読み筋を比較するだけなのか、それともソフトと実際に対局するのか。
「ええっとぉ…………指すとやっぱり、ソフトが勝つんですよね。無理攻めでも。ずっとそんなに、ちゃんと受け続けられないので。それで『あ、ソフトが正しいのかな』って」
「でもそういう感覚で、実戦で他の棋士に指すと……やっぱり自分の感覚では、上手くいかないので」
──ああー……。
「それが結構、続いてましたね。無理攻めして、負けて。だからどっちが正しいのか、わかんないなー……って思いつつ」
「結局、その中間くらいの感覚に落ち着いて。でも、自分が『そうなのかな』と思ったくらいで、ソフトも『技巧』とかが出てきて」
「技巧は結構、受けが強かったので。自分の元々の感覚と近いなぁと思いましたし」
「だからソフトの側でも、中間の評価をするものが増えてきた感じでした」
──なるほど……。
『技巧』は2015年の第3回将棋電王トーナメントで5位になったソフトだ。
第3回将棋電王トーナメントは優勝ソフトのポナンザのみ人類(山﨑隆之叡王)と対局することになったため、技巧は公の場で人類と対局していない。また、世界コンピュータ将棋選手権でも、ポナンザに次ぐ準優勝という成績だった。
それでも技巧が非常に高く評価されたのは、指し手が人間に近いとされたからだ。
実は、私も『りゅうおうのおしごと!』で棋譜を作る際、技巧の読み筋や評価値をベースにしている。その読み筋を、監修のプロにチェックしてもらい、ストーリーに落とし込むという作業だ。
現在では、様々な用途に特化したソフトがたくさん開発されているため、他のソフトも用いているが、技巧はよき相談相手として今でも活躍してくれている。
「指すとやっぱり、引っ張られますよね! ソフトのほうが、疲れないですし。自分……指してても、どうしてもミスが出てしまうので。それで自分の感覚自体がおかしかったんじゃないかと思ってしまいますから。負けると」
──ソフトは攻め将棋なので、対局していると極端な受け将棋になってしまうというお話を他のプロ棋士の先生がしておられたのですが、豊島先生はそうはならなかった?
「あー……そうですね。攻め、というか……ソフトの強いところを学びたいという気持ちを持ってやっていたので。うん。あと……あっ、崩してください(笑)」
──す、すみません……(正座を崩す)。
──失礼しました。ええと……ソフトのいいところを吸収しようと思っていらしたと?
「思っていて。ソフトが相当攻め将棋だったので、自分とソフトが指した将棋よりも、かなり条件のいい状態で攻めることができるようになっていたんです」
──あっ! 人間と将棋を指すときは?
「そういう時は、大概よく指せていました。でも同じような条件の局面になると、自分の攻めが無理攻めになってしまって……」
「上手く攻めが繋げられないという、自分の技術の低さもあったと思うんですけど」
──豊島先生からご覧になって、早くからソフトの影響を受けているなと感じた先生はいらっしゃいますか?
「自分と同じではないんですが、千田(千田翔太七段)さんからは、早くから影響を受けているなと感じるところがありましたよね。どう見ても」
──ご自身と違うな、と思われたところはどういう部分でしょう?
「自分が『ちょっとこれは真似しづらいな』と思ったところでも、上手く取り入れて指しこなしている部分とかですね」
──少し前の豊島先生のインタビューでは、『自分の棋風に合っていないと取り入れづらい』というご発言がありましたが、直近のインタビューでは『長く指しつづけるには評価値の裏付けがないといけない』とありました。
「はい」
──それは、他の棋士もソフトの研究が進んできたので、そういう自分には合ってない局面にも踏み込まざるを得なくなった……という感じなんでしょうか?
「評価値は下がらないけど自分が指しこなしづらい局面ですか? そうですね、確かにそれを全て拒否していては、指す戦法がなくなってしまうっていうのはありますよね(笑)」
──指しこなしづらくても、指さざるを得ない。
「『これはちょっと難しいな』と思っていても、やっているうちに指しこなせるようになるかもしれないし。準備をしっかりして、それで『もしかしたら上手くいくかもしれない』と思ってやるしかないというところはありますね」
「全部、その……自分が上手くさせる将棋で、しかも評価値が悪くならないというのは、無理なので」
「だから『評価値はいいけど指しこなしづらい将棋』と『評価値が悪いけど指しこなしやすい将棋』のどちらかを選ぶという選択は、常に迫られているというか」
──その場合、どちらを選ぶことが多いんでしょう?
「私はやはり、評価値を下げないようにしたいという意識がありました。ただ、評価値を下げたとしても、たくさん読ませたら、また上がることもあります。そういう手を発見するのが、すごく楽しい。そういう気持ちで研究をやっていました」
──楽しい。
「ただ最近は、わざと一回下げる手を挟んで、それで自分の知っているところ(局面)へと誘って、それで結果を出すというやりかたも流行っているので。そういうのも取り入れつつっていう感じですけど……」
「そこまでは、あんまりやりたくないなぁ……というのがあったんですけど。そうも言っていられないというか」
「明らかにそれは、何回か使えば使えなくなってしまうので。どこかで使えなくなってしまう研究をするのはちょっと……というのがありましたし」
「あとは、評価値を下げているように見えていても、ちょっと進めたら上がるという手を発見するほうが、なんていうか……なんて言うんでしょう?(笑)」
──ふふふ。
「ふふ。面白い、という感じがありました」
──見つけたときはどんな感じですか?
「自分の思い浮かんだ手をとりあえず入れてみて、それで読み筋を何手か進めてみたら上がる……というのが、たまにあるんです。それが楽しくて研究をやってるというのも、けっこうあったので」
──どれくらいの頻度で見つかったんですか?
「初期の頃はけっこうあったんです。でもやっぱりだんだんそういうのは減ってきましたね」
──一日に何個も見つかったり?
「そんなに見つかることはないですね」
──数日に一つ見つかる感じでしょうか?
「そう……ですね。そういう感じですね」
──宝探しレベルですね……。
「最近だと、新しいソフトに変わると、対策を施されていたりすることもありますね。自分が『お! これは発見したかな?』と思っていた手が、新しいソフトになると、普通にその手を読むようになってしまっていたり(笑)」
──ああ~! それは切ない(笑)。入っていた定跡がマズくて、それに対策を施されちゃった感じなんですか?
「いえ。定跡はオフにして研究しているので」