「アメリカのニュースを真に受けてはいけない」ブッシュ政権下で戦争をエンターテイメントにしたFOXニュースの手法をジャーナリストが解説
戦争において映像は常にプロパガンダとセットになる
モーリー:
1回目のイラク戦争と2回目のイラク戦争、1回目はCNNが独占的に報道していた。その段階で書かれたいろんな論文で、これは戦争のエンターテインメント化だとか、由々しきことって、いろんな人たちが言っていたんですよ。
ところが、FOXになると、エンターテインメントのための戦争というぐらい、エンターテインメント性が強くなる。2つの戦争に関する報道みたいなものを当時見比べて、どうでしたか?
永田:
CNNの活躍っていうのは、湾岸戦争のときは衝撃的だったわけですけれども、戦争報道っていうことで言えば、テレビと戦争報道っていうのは重要な節目に戦争があって、一番大きいのはやっぱり60年代のベトナム戦争ですよね。
あのときはアメリカの戦争にはたして正義があるのか、正当性があるのかっていうことをテレビメディアがきちっと現場から真実を伝えることで反戦に結びついていくような、そういう報道だったと思うんですね。これはメディアが権力を監視して批判することで機能したんだと思うんです。
モーリー:
ベトナム戦争を始めてしまった当時のケネディ政権のマクナマラ国防長官がひたすら淡々と語るというドキュメンタリーがありました。
要は、彼は「自分にはベトナム戦争を数カ月で終わらせる自信があったけれども、始めてしまったらもう予期しないことだらけだったんだよ」っていう反省の弁を述べるという晩年のドキュメンタリーがあったんです。
僕が受けた印象っていうのは、どちらがより残酷か、ホー・チ・ミン側なのか、アメリカ側なのか、虐殺の現場が伝えられて、アメリカの特に若い層がショックを受けて、反戦運動が起きたが、共産圏側がそれほど人道的だったかは、わからない側面もあったんじゃないでしょうか?
永田:
もちろん映像は常にプロパガンダとセットのものですから、それは戦争においては特に顕著になるわけですよね。活字メディアもそうなんですけれども、戦争において戦果を上げて、英雄の物語がつくられるかということでは、新聞が初期はそれで売れるわけです。
映像も同じような形で使われてきた歴史があるわけです。ただ、やっぱりベトナム戦争で見たときに、アメリカの全部が健全だったと言うつもりはありませんけれども、健全なジャーナリズムが機能したことは間違いないと思うんですよ。
多チャンネル時代――湾岸戦争とイラク戦争でのメディアの違い
モーリー:
CNNが報じていて、既に「ショーアップしているぞ」っていうふうに言われていた1回目のイラク戦争。2回目になると、FOXが誘導したようなところがあると。ブッシュ政権と一体化して「コンテンツとして戦争をやろうよ」みたいな企画会議をやったんじゃないかと(笑)。
そうすると、91年と2003年は、アメリカのメディアのバランスはどうだったんですか?
神保:
まず、メディア状況が93年と2001年では随分変わってしまった。アメリカは日本に比べると多チャンネル化が早くて、70年代終わりぐらいからケーブルが普及し始めたので、ニュースチャンネル1つとっても複数のチャンネルがある。
FOX現象という言い方があるくらいで、自分の政治的なスタンスに合うチャンネルしか見ない人たちが増えちゃった。つまり、チャンネルの数が増えたら、いろんな意見に触れることができることになるはずだったわけです。
モーリー:
例えば、10何個ぐらいにチャンネルが増えていれば、多様性やマイノリティボイスみたいなものもあって、バランスよく見られるけど、100を超えてしまうと、どれがどれだかわからなくなって、ポータルから行くしかないみたいな?
神保:
ネットの時代になって、まさに今度はそこまでいっちゃった。ケーブルテレビの時代は100もニュースチャンネルはなかったので、そうすると、それしか見なくなっちゃうんですよね。特にFOXの場合は、路線を明確にしているので。
要するに「イラク戦争を支持する人はみんなFOXを見ている、FOXを見ている人はみんなイラク戦争を支持している」って言われるくらい、イラク戦争の「FOXのためのFOXによるFOXの戦争」みたいなところが2000年代のイラク戦争はあったわけです。
CNNは市民権を持っていなかったってことは、そこまではニュースチャンネルは3大ネットワークとか地上波が強かった。いよいよCNNが大きくなり、その後いろんなニュースチャンネルがどんどん出てきて視聴者を伸ばすんですよね。
神保:
その結果、FOX時代に入って、今度は自分のテイストに合うものしか見なくなったので、たくさんチャンネルができて言論が多様化すればするほど、自分と同じ意見しか見なくなる。いわゆる、FOXシンドロームみたいなものが起きてしまった。
視聴者側が多チャンネルに対応するだけの免疫というものがなかった面があったわけです。テレビとか新聞というのは、見たものをある程度真に受けていい時代が長かったわけです。
それが、もう今アメリカはフェアネス・ドクトリンっていう中立公正原則っていう法の縛りがなくなっちゃったんで、思いっきり路線をとってもよくなった。だったら、ほんとは視聴者は真に受けちゃいけないわけですよ。
でも、「新聞、テレビが言っているんだから、さすがにほんとだろう」と思っているところがあって、実はアメリカはかなり路線を出してよくなっちゃったんですよね。
日本で多チャンネル化が失敗した理由
モーリー:
なるほど。先ほど出てきました、公正中立のフェアネス・ドクトリンですが、フェアネス・ドクトリンの規定が外されたのは2001年だったんですか?
神保:
アメリカでは、実際の規定がはずされたのは1987年。もともと1949年、ラジオに対して課せられたものなんですよ。87年にアメリカではそれが効力を失って、実際に文言がアメリカのFCCコードとかから削られたのは2011年になってからなんだけども、87年からそれはやらなくていいと。
アメリカのフェアネス・ドクトリンっていうのは、もう単純に異なる意見を紹介するっていうことと、公共的に関心の高いものを一定の時間扱わなければいけないと言っているだけなんですよ。
両側を、3つあったら3つ出さなきゃいけない、全政党を出さなきゃいけないとか、そんなものはどこにも書いていないんですね。
あくまで異なる意見、つまり、例えば4つ意見があっても、その中で2つ出せば、コントラスティング・ビューっていう言い方をしているんですけど、異なる意見を出せばいいっていうことになっているので。
あとは公共的に関心の高いものをやってくださいっていうことなので、もともと大した縛りじゃないんです。でも、それさえもアメリカは多チャンネル化したので、「もういいよ」と、「みんな自由にやれや」と。
神保:
日本は一応放送法でまだ不偏不党原則というものがあって、要は日本ではもうケーブルテレビとかの多チャンネル化は事実上失敗しちゃったわけなんですよ。
ネットになって言論のチャンネルがたくさん増えているので、ほんとは今フェアネス・ドクトリンというのがどこまで必要かっていうことは議論しなきゃいけないんだけど、それを課すことによって、中立的なことを言っていると、退屈でだれも見なくなっちゃうわけですよね。
そうすると、ちょっと偏る可能性がある。そうなったときに、政治が入ってきやすくなっちゃっているわけですよ。政治介入をするための非常に入りやすい入り口を日本ではまだ不偏不党原則っていうのが残っていることが提供している。
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