矢倉受難の時代 渡辺明棋王―佐藤秀司七段:第3期 叡王戦本戦観戦記
「叡王戦」の本戦トーナメントが11月25日より開幕。3期目となる今回から新たにタイトル戦へと昇格し、ますます注目が集まっています。
ニコニコでは、佐藤天彦 第2期叡王と段位別予選を勝ち抜いた15名による本戦トーナメントの様子を、生放送および観戦記を通じてお届けします。
渡辺明棋王の言葉で、妙に筆者の印象に残るものがある。
「後世の将棋ファンに評価されるのは、結局のところ、獲ったタイトルの数」
棋士が残した棋譜はもちろん後世の評価の対象になり得ると思うが、なぜその将棋がその時代に指されたのかという背景などを含めて考えねば、本質的な棋譜の理解には至らないのではないだろうか。
それと比較して「タイトル数」と断じるのは実に分かりやすく、渡辺らしい。
現在、渡辺の通算獲得タイトルは19期で、これは米長邦雄永世棋聖と並ぶ5位タイだ。通算タイトル数1~4位は、羽生善治竜王(99期)、大山康晴十五世名人(80期)、中原誠十六世名人(64期)、谷川浩司九段(27期)が名を連ねる。
あと1期で20の大台に乗るが、先日の竜王戦七番勝負では羽生に名をなさしめた。永世七冠の大々的報道に改めて触れるまでもないだろう。
敗戦の屈辱を晴らすには勝つしかないのだ。次のタイトル戦は年明け2月に始まる棋王の防衛戦、そして本棋戦を勝ち上がっての七番勝負となる。タイトル戦が間近に迫るという意味では、叡王戦へのモチベーションが特に強いのではないかと思う。
矢倉の減少と居角左美濃
渡辺と相対するのは佐藤秀司七段。今年(2017年)に50歳を迎えたベテランだ。本戦トーナメントの抽選では「皆さん、私と当たりたいでしょうね」などという自虐的ギャグを飛ばしていたが、七段戦予選決勝では強敵の村山慈明七段に快勝している。
両者の対戦は過去に3局あり、全て先手番を引いた渡辺の2勝1敗。本局は実に15年ぶりの再戦となった。
15年の月日は当然ながら多くのものを変える。盤上における戦いの様相もそうだ。その一例が本局にも現れた居角左美濃である。
この形が出現してから、先手矢倉の採用率が目を見えて落ちた。居角左美濃の骨子は玉の囲いを最低限の手数(△3二銀、△4二玉、△3一玉の3手)で済ませ、その分を攻めの態勢作りに回すことにある。第1図を見ても後手の攻撃態勢のほうがより充実しているのがお分かりだろう。
佐藤も当然そのことはわかっている。現在の矢倉受難に関しては「一時的なもので、いつか復活するのではないでしょうか」と語るが、まずは居角左美濃への対策が必要だ。
それが第1図からの▲3六歩である。これで前例がなくなった。以下△5二金右▲3五歩△同歩▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2六飛が実戦の進行だが、3筋の歩を突き捨てたことで△4四角が飛車当たりにならず、また先手は3筋に攻めの歩を使えるメリットがある。
自然な手が疑問手
渡辺は現在の矢倉情勢について「ここまで受難の時代になると5手目に▲7七銀や▲6六歩で先に角道を止めるのがどうなんだろう、という気はします」と語る。続けて「後手の視点では『ありがたい』まではいかなくても後手番で攻勢を取れるので、攻め好きの人なら避ける理由がない気はします」という。
はたして第2図をみると、後手が攻めて先手は陣形をへこまされたようだ。しかし将棋ソフトの評価値にさほどの差があるわけではない。攻めてもらうことで駒をもらって反撃する楽しみもある。
だが、第2図からの▲3五角は自然に見えて疑問手だった。後手も3筋に歩を打てるようになったのが大きいのだ。▲3五角以下は△4二金▲2四歩△同歩▲4六角△6三歩▲6六銀△4四角▲3六飛△3三歩と進んで後手陣が堅くなった。対して先手は飛車が狭い。銀を渡すと△2七銀がある。
第2図では▲4六角がまさった。以下の一例は△6二飛▲7五歩△8七歩成▲同歩△8五桂だが、先手に桂を渡すと▲3四桂が痛い。また▲4六角に△6三歩は本譜と比較すると歩が1枚少ないので打ちにくく、仮に△6三歩と打っても▲7五歩△4四角▲6六歩で先手十分である。
「▲3五角は相当に悪い手ですね。自然な手が悪手というのは誤算でした。少しずつポイントを稼げる将棋にできればと思っていたのですが、本譜は▲3六飛とせざるを得ないのでは、ハッキリ苦しくなりました」と佐藤は振り返る。
後手勝勢に
第3図。ここからの△8八歩が手筋である。と金を作らせるわけにはいかないので▲同金は仕方がないが、△6五銀▲5五銀△5六銀▲同金△5五金▲同金△同角で、いっぺんに後手の駒がさばけた。
先手は△8八角成を受ける必要があるが、▲6六金と先手を取る受けは△6七金が詰めろ金取りで負け。しかし実戦の▲6六歩では後手に手番を渡すのでやはり苦しい。
渡辺が2回戦へ
最終盤の第4図。まず△8九馬が目につくが、同じ飛車取りでも桂を取らない△7八馬がより好手だ、△8七飛成~△8九竜をスムーズに実現させる意味である。またこの筋に馬を置くことで、先手が飛車を逃げれば▲3四桂を△同馬と取れるようにしている。
佐藤は馬の利きが止まっているこの瞬間に▲2二銀△同玉▲3四桂と最後の反撃に出た。対して△3三玉は▲2二銀△3三玉▲4五金以下トン死する。
実戦は△3一玉と引いて渡辺の勝ちが決まった。▲2二銀△4一玉▲6三飛成で後手玉に詰めろがかかったが、△3八銀(投了図)で先に先手玉が詰んでいる。以下▲5九玉に△4九金まで。快勝の渡辺が2回戦進出を決めた。
後日、両者に叡王戦本戦特有の「15時開始、持ち時間チェスクロック3時間」という対局の感想を聞いた。
渡辺「チェスクロックの3時間は初めてやりましたが、早かったですね。ストップウォッチ方式と1時間くらいは違いそうです」
ストップウォッチの2時間とチェスクロックの3時間が同じくらいだという。
佐藤「こういうのもなかなか面白いですよね。昼間に対局開始というのは他棋戦で14時開始というのがありますし、夕食休憩後の夜戦も、もちろん他で経験していますから、特に違和感はありません」
(観戦記者:相崎修司)
■第3期 叡王戦本戦観戦記
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