『save your dream』第4譜 金井恒太六段―高見泰地六段:第3期叡王戦 決勝七番勝負 第1局 観戦記
今期から新たにタイトル戦へと昇格し、34年ぶりの新棋戦となった「叡王戦」の決勝七番勝負が2018年4月14日より開幕。
本戦トーナメントを勝ち抜き、決勝七番勝負へ駒を進めたのは金井恒太六段と高見泰地六段。タイトル戦初挑戦となる棋士同士の対局ということでも注目を集めています。
ニコニコでは、金井恒太六段と高見泰地六段による決勝七番勝負の様子を、生放送および観戦記を通じてお届けします。
■前回までの観戦記
・第1局観戦記 『save your dream』第1譜
第3期叡王戦 決勝七番勝負 第1局観戦記『save your dream』第4譜
白鳥士郎
次に記者室の研究が盛り上がったのは、髙見が24手目に△8六歩と打ったタイミングだった。
その手はソフトが推奨していた手だったが、ニコニコ生放送で解説をしていた豊島は「人間の感覚では指しづらいかも」と語っていた。
記者室でも同様の意見を山崎が口にしていた。
「人間は指せない。人間はリターンがないと指せないから」
「あんまり参考にならんなコンピューターの手も。人間が指せんと意味ない」
福崎が甲高い声で言った。
人間は、人間は、人間は……という言葉が記者室をぐるぐると飛び交う。
そして髙見は歩を打った。△8六に。
佐藤会長はポツリと言った。「研究してるんですね」
でも、まあ打ちますよね……と、佐藤は継ぎ盤に△8六歩を打ち込む。
「これが成立しているかどうかを確かめるんですから」
タイミングを見計らって、私は佐藤に話しかける。叡王戦の特徴である『持ち時間変動制』について、佐藤の考えを聞きたかった。
「会長。持ち時間が対局によって変わるのは、会長のご提案だとうかがいましたが?」
「まあ……アイデアは持っていました」
「持ち時間が変化することで、どう戦いが変化するのでしょうか?」
「同じ戦型でも、たとえば序盤を飛ばすようになったりするでしょうね……」
佐藤の口調は重い。どちらかといえば多弁な人物なので、もっと自らの考えを披露してくれるものかと思ったが……。
私が佐藤への取材を終えるのを見計らったかのように、一人の男性が声をかけてきた。
一部の隙もなく、だが全く嫌味なくスーツを着こなした紳士の名前を聞いて、私は飛び上がった。
「『白瀧呉服店』の白瀧幹夫と申します」
「えっ!? あの白瀧さんですか?」
『白瀧呉服店』といえば、将棋ファンなら知らぬ者はいない。
多くの棋士に信頼され、棋士の個性を引き立てる素晴らしい和服を提供・管理している人物だ。この時初めて知ったのだが、白瀧は対局者だけではなく、記録係の和服まで用意していた。
白瀧は記者室の壁際にひっそりと座り、決して自分から口を開くことはない。ただ、モニターをじっと見詰め、対局者と記録係の和服の状態に常に気を配っている。
そんな白瀧に、私は矢継ぎ早に質問した。棋士の和服について、専門家に聞ける機会など滅多にない。
「両対局者の和服は、どういったものなのですか?」
「髙見先生の和服は、ご覧の通り本当に色鮮やかなものです」
「名古屋の親戚の方が用意されたと……」
「はい。髙見先生も気に入っておられますし、色合いもとてもお似合いだと思います」
「対局室の照明の下で直に拝見すると、輝いているように見えました」
「はい、はい。本当に素晴らしいものです」
和服を褒められるとき、白瀧はとても嬉しそうな顔をする。
「では、金井先生の和服は?」
「金井先生のお召しになっているものも、素晴らしいものです。ただ……」
滑らかだった白瀧の口調が一瞬、淀む。
金井の和服は、素人の私から見ると少し地味に思えた。むしろそれが金井らしくもあり、落ち着いた雰囲気は視聴者から『若旦那』と評されるほどだ。
その渋さを、てっきり白瀧が褒めるかと思ったのだが――
「金井先生のものは、羽織の表よりも、むしろ裏地……『羽裏』というのですが、そちらのほうが特徴があるかもしれません」
「裏? 何か模様が入っているんですか?」
「金井先生は、武将の旗印を背負っておられます」
耳を疑った。
「旗印?」
「はい。大きな鎌が交差している……」
「『違い鎌』ですか? 小早川秀秋が使っていた……?」
「そう! それです」
「家紋みたいに、小さいそれが並んでいる?」
「いいえ。大きなものが入っています」
鎌が意味するのは『収穫』。
そして刃物であることから、武将が好んだとされる。
武によって獲得する……つまり『タイトルを力尽くで刈り取る』という決意を、文字通り背負っているのだ。金井は。
それを誰にも見せないけれど、常に背負っているのだ。大きな旗印を。
しかしあまりにも金井のイメージと異なる。
「……カタログを見て、間違えて注文しちゃったとかではないですよね?」
「現物をいくつかご覧いただき、金井先生ははっきりと『これを』と示されました」
当時の衝撃を思い出すかのように目を開いて、白瀧は語る。
「金井先生であれば、穏やかな、優しい柄のものを選ばれると思っていたので……私どもも『本当にこちらで?』と思わず聞き返してしまったほどです」
「それは……そうでしょうね」
白瀧の話によれば、他の棋士でも同じように猛々しい羽裏を好む者もいるという。大きな阿修羅とか、竜とか。
それにしても、和服にまつわる話は本当に興味深い。
「他にも何かありませんか? 棋士によって違いが出るようなものは?」
「返し方です」
「返却の方法ですか? 畳んで返すんじゃ……?」
「棋士の先生方には『和服は丸めてトランクに放り込んでください』とお伝えしています。そういったことで貴重なお時間を使ってほしくないので」
そんなところにまで気を遣っているのかと、私は白瀧の棋士への深い思慮と愛情に胸を打たれた。
「ですが、やはりきちんと畳まれて返される方が多いんです。多いんですが……」
「そうじゃない人もいる?」
「対局の結果によって変わるんです。普段は綺麗に畳む先生も、負けたときはグチャグチャに丸めてトランクに詰め込んで返ってくることがありますね」
とても興味深い話だと思った。
果たして金井は、髙見は、今日の対局が終わったときに和服をどうするのだろう?
記者室にはもう一人、興味深い人物がいた。
フリーアナウンサーの永田実だ。
永田はまだこの叡王戦が『電王戦』であった時代から携わってきた。今回、仕事ではなくプライベートで興味があって名古屋を訪れていた。本当に将棋が好きなのだと感じた。
「時間があれば、明日は岐阜の長良川スタジアムでFC岐阜と徳島ヴォルティスの試合も観ていきたかったんですが」
普段は主にスポーツ中継を担当している永田は、そう言って岐阜県出身の私を喜ばせてくれた。
「やっぱり人間同士の対局は面白いですよね。特に、どちらが勝つかはわからない戦いは」
電王戦も、人間とコンピューターどちらが勝つのかわからなかった頃が最も面白かったと、永田は語った。
両対局者の印象を尋ねてみる。
「振り駒の時からもう、金井さんは気合いが違っていました。これにかける思いがひしひしと伝わってきた。前夜祭の映像もニコ生で拝見していたのですが、『名古屋でいい結果を出したい』とはっきりおっしゃっていた。そういう方ではなかったので、驚きました」
永田は約2ヵ月前に行われた公開振り駒で司会を務めている。その時の様子を思い出しながら語ってくれた。
「逆に髙見さんは、1つでも多くの場所で指したいと語っていました。だから持ち時間1時間の対局が1~4局に来なくて、ホッとしてるようでしたよ」
叡王戦の持ち時間は変則的で、最も短いのは1時間。その場合、1日で2局を行う。
すると、どうなるか。
1~4局目で1時間の対局が入ると、最短3日でタイトル戦が終わってしまうのだ。
今回の対局場は史跡が多い。
歴史好きの髙見は、叶うのならばその全てで対局したいと思っているのだろう。もちろん、4連勝で奪取するに越したことはないが……。
「金井さんは、今回が最後のチャンスと思っているのかもしれない。逆に髙見さんは、どんな結果になってもこれも経験と思って楽しもうとしているように見えます」
永田と話しているうちに、昼食休憩になった。
金井の注文は、『鰻丼』。
髙見の注文は……『ひつまぶし』と『きしめん』。欲張りにも、2つの名古屋飯を一度に楽しもうとしていた。
「1つでも多くの場所で指したがっている」という永田の言葉を裏付けるかのように。
(つづく)
第1局の観戦記は本日から4月26日まで、毎日17時に公開予定。
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