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「平和主義のメッキが剥がれてきている」戦後日本が抱え続けた“平和主義と日米安保の矛盾”の歴史を解説【話者:白井聡】

 6月17日放送の『日本国防論~宮台・白井・伊勢崎・孫崎・伊藤インタビュー集~』。

 1948年に軍隊を廃止したコスタリカは、軍事予算をゼロにしたことで、教育や医療や環境に予算を充て、国民の幸福度を最大化する道を選びました。独自の安全保障体制で平和国家を構築したコスタリカに、私たちが学べることは何なのか。

 そして、「日本の国防のかたち」とは、どうあるべきなのか。政治学者であり、京都精華大学人文学部専任講師である白井聡氏へ、日本が目指すべき「国防」のかたちについてインタビューを実施しました。

コスタリカが平和国家を構築するまでの軌跡を描いたドキュメンタリー映画『コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~』
(画像はAmazonより)

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文学、映像、絵本……日本の文化の柱は「戦争体験の表現方法」

白井聡氏。

白井:
 非常に勉強になりましたし、やはりあれを見ると我が国の有様を振り返って非常に反省をさせられるという気がしますね。コスタリカも日本も平和国家だということを看板にしてるわけですよね。しかし、その内実が何なのかと言うと、コスタリカの平和主義には芯がある。

 それは一朝一夕にできるものではないし、長い苦難、革命がまずあり、そしてピンチもあったけれどそれを一生懸命守り抜くという形で、幾つもの山を乗り越えながら保持してきたものなのだ、と。この社会に共有されて政治的に確立された理念である、と。だからこそ強いわけですね。それに対して日本の戦後の平和主義ってどうなんだろう? と自省を迫られます。

 戦後日本の平和主義が政治的にはあやふやなものでありつつも、一応それは支えられてきたわけで、その柱が、戦争体験ということだろうと思うんですよね。戦争体験をベースにして、ある意味、戦後日本の文学であれ、映像であれ、漫画・アニメ、絵本であれ、あの経験をどう捉えるのかということが、戦後日本の文化の柱を支えてきたんですよね。しかし、その世代が今、次々と鬼籍に入って退場しつつある。

 そうなると今、日本の平和主義って何だったんだろうかってことが本当に問われてきてますね。で、実はその実質はなかった、あるいはあまりにも巨大な矛盾をはらんだものだったということが、明らかになっちゃってきてると思うんですよね。そういう意味で非常に日本の有様について反省させられる番組だったと思いますね。

コスタリカから日本が学べること

 やはり人口規模が大きく違うので前提条件が違うところがあり、また産業構造もかなり違うでしょうから、当然(コスタリカの考え方を)直輸入できるかっていうと、そうできない部分もいろいろあるとは思います。ですが、ドキュメンタリーでも強調されてた部分だと思うんですけど、どれだけ国民が理念を内面化してるかというところ、これが最も学ぶべき点じゃないかと思いますね。

 今般の日本の現状は本当に、戦後の日本人が平和主義を本当に内面化してきたの? かということが非常に鋭く問われる状況になってきてると思うんですよね。例えば、僕が出した『国体論』という本には「戦後日本の平和主義というのも結局、ある意味では誤魔化しによって始まったものだよ」と。「今、それが誤魔化せない状況になって、メッキが剥がれてきちゃってるんだよ」ということを書いてるわけなんですけどね。

 そこで問題は、どこに誤魔化しの核心があるかということなわけです。歴史的起源から言うと、平和主義の象徴であり核心をなす憲法9条は、何のために導入されたのか。それはいろんな要因があるわけなんですけど、非常に大きかったのが、いかにして天皇制を守るか、つまり国体護持を実現する手段であったわけです。そのことは即座に大変な矛盾を生むことになったんですよね。

 どうやって天皇制を維持するのかが問われる場面で、一方で(終戦時に昭和天皇は)退位すらしないわけですよね。これは諸外国から見ると、あるいはアメリカの世論からも、非常に厳しい視線があったんです。そんな中で、マッカーサーをはじめとする対日政策を直接適用する立場にあった人々は、なんとかして昭和天皇および皇室の存続を守り抜きたいと考え、日本の支配層もそれに賛同した。そのとき、要するに、「もう完全非武装の国になりますよ」というところまでやらなければ、これは世界中のみなさんが納得してくれない、ということだったわけです。

 だから、憲法9条は天皇を守り抜くために必要とされたという文脈があったわけですよね。だから、最初のコンセプトとしては、自衛権すら完全に放棄してるっていうことなんですね。吉田茂【※】が国会で当時はっきりそういう答弁をしてます。「これはひどいじゃないかと、一方的に侵略される場合にはどうするんだ?」という野党側の質問に対して、「これまで自衛権の名のもとに軍拡競争が行われ、結局のところ侵略的な戦争が行われてきたんだ」、と。

※吉田茂
東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、1946年に内閣総理大臣に就任。

 「だから、我が国は率先してこの自衛権を否定すると、放棄するんだっていうところにこの憲法の画期的な新しさがあるんだ」ということを吉田茂は答弁で言ってるわけなんです。だから、明らかに憲法9条の最初の考え方はそのようなものだったんです。かつ同時に、当時は国際連合によるグローバルな安全保障体制ができる、つまり各国は自発的に自衛権を放棄して主権国家間の戦争が廃絶されるだろう、という楽観的な展望が見えていた。日本はそうした流れの先駆けになりうると考えられていたわけです。

 しかし、世界の趨勢(すうせい)はそうならなかった。つまり、東西対立が厳しくなってくる。そういう中で、共産主義の脅威が日本の戦後の体制にとっての脅威だと、日米の支配層は強く感じるようになってきたわけですね。

 その脅威に対して何が必要なのか、日米安保体制が必要だって話になったわけですね。つまり、サンフランシスコ平和条約とともに占領が終わって、米軍がいなくなってしまう。となったときに、いわゆる共産主義勢力の直接的な侵略は無理にせよ、日本の左翼勢力を通じた、間接的な侵略の企みが起こることを、天皇をはじめ、保守支配層が恐れたんですね。そのための抑えとして、米軍がずっと居続けることが必要だということで、だから、サンフランシスコ講和条約とワンセットで日米安保条約が結ばれたわけです。

ここに大変な矛盾が生じるっていうことなんですよ。どういうことかというと、戦前からかなりの程度連続してるところの、保守支配層、つまりあの軍国主義の体制を担った勢力が、日本の権力の中枢に居続ける。このことが国体護持の実質的内容です。そしてそのシンボルが、昭和天皇の引き続きの在位だったと言えますけれども、そのためには一方で絶対平和主義が必要だったわけですよね。こんなに改心してますと。他方で、この体制を支えるために日米安保体制も必要となった。絶対的な平和主義と日米安保体制が相互補完的に共存する状況が生まれたわけですが、それが長い年月を経て結局どういうものになっていったのか。とにかく米軍というものは、第二次世界大戦後も常に戦争をし続けるわけですよね。冷戦体制下においても大中小の戦争をやり続けたわけですし、冷戦が終わってもやはり、様々な紛争に主体的に関与し続けるわけですね。

 まさにこのドキュメンタリーでは「(アメリカは)中米で一体何をやってきましたか?」っていう話がかなり強調されてますけど、要するに地球上のいろんなところで間断なく戦争をやっている。そして、地球の少なく見積もっても3分の1くらいのエリアのアメリカの作戦は、日本における広大な米軍基地を抜きにしては絶対にできるはずがないんですよね。

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