平成のアイドル史を総ざらい! モー娘。ももクロ、AKB…アイドル冬の時代から現在に至るまでの30年を徹底的に解説【話者:久田将義・南波一海・吉田豪】
「モーニング娘。」のバブルで第1次ローカルアイドルブーム
久田:
2000年代。
南波:
モーニング娘。がちょっと落ち着いていった頃に、Negicco【※】とか実は誕生しているんですよね。
※Negicco
主に新潟県を活動拠点とする女性アイドルグループ。メンバーはNao☆・Megu・Kaedeの3人。2003年に地元ネギPRのため結成、2018年で15周年を迎えた。JA全農にいがたが展開する、新潟の名産ネギ「やわ肌ねぎ」PRキャンペーンのための1ヶ月間の期間限定ユニットだったが、そのまま活動が延長された経緯を持つ。
吉田:
一回そういうバブルがあると、一気に地方にもアイドルが増えるんですよ。モーニング娘。のバブルで、第1次ローカルアイドルブームがきて、一気にいろんなグループができて。ほとんどがいなくなって、Negiccoだけが残ったっていう。
久田:
Negiccoさんってもう30歳ぐらいですかね、年的には。
吉田:
そうですね。(コメント)「その時代はアキバホコ天の地下アイドル路上とか」。だから、アキバ文化がまた別でしたからね。いわゆる地底アイドル的なジャンルというか、アニソンに近いというか。だから、『B.L.T.』って雑誌でボクも長年連載して、桜川ひめことか2回ぐらいいわゆるアキバ系の人を取材してるけど、本当文化として接点がゼロで……。いまと違って、地上と地下が地続きじゃなかった気がします。
「AKB48」が出来たのは?
吉田:
(コメント)「秋元のチェキッ娘【※】も売れなかったよね」って、これも誤解ですね。絶対に本人も言いますよ、「あれは俺じゃねえよ!」って。
※チェキッ娘
活動期間は1998年10月9日から1999年11月3日。フジテレビプロデューサーだった水口昌彦氏が、「平成のおニャン子クラブ」的なアイドルグループの結成を意図し、当時セガ社外取締役であった秋元康の同意を得てドリームキャスト提供、秋元康事務所協力のもと、バラエティー番組『DAIBAッテキ!!』にて活動を開始した経緯を持つ。
一同:
(笑)
(画像はBest Memories | チェキッ娘 Amazonより)
久田:
チェキッ娘って何でした?
吉田:
わかりやすく言うと、まずおニャン子が当たったじゃないですか。おニャン子が2年半ぐらいで終わっちゃったけど、「おニャン子ビジネスよもう一度」みたいな感じで、フジテレビが何度も同じパターンを繰り返すんです。平日夕方に『夕やけニャンニャン』みたいな帯番組を作って、そこでアイドルを売り出すという。
だけど、フジテレビは繰り返すけど、その後のグループに秋元康はタッチしてないんですよ。乙女塾【※】にもタッチしてないし、チェキッ娘も別なんですよ。ところが、フジテレビがやっているから、秋元ビジネスだと思われているってことですよね。
※乙女塾
1989年(平成元年)から1991年(平成3年)にフジテレビが主催・運営していたタレント育成講座。
そもそも、おニャン子も秋元康プロデュースだと思われがちだけど、あれはフジテレビのプロデュースで、秋元康は番組の放送作家であり、作詞担当でしかなかったんですよ。でも、なぜかそれが秋元康の功績っぽくなっちゃったから、フジテレビは秋元康抜きでアイドルを作ろうとした。そして、秋元康がフジテレビと切れたのは、おニャン子があれだけ当たっても、利権を全部フジが持ってっちゃうから、自力でAKBを始めたといわれているじゃないですか。テレビをかませないでどう儲けるか。売れるまでの期間はしんどいけれど、自力で売れて、テレビ側が頭下げて「やらせてください」って言うように持っていくっていう。
久田:
だからあんな続いたのか。
吉田:
(コメント)「必死で秋元を擁護する吉田豪」(笑)。
南波:
(笑)
吉田:
これ自体はただの客観的な事実ですよ。
(「利権絡みでAKBができたのか 納得」というコメントを見て)利権絡みですよ。こういう話をボクはホリエモンが逮捕されたとき、面会に言って聞きました。
久田:
それはそれで成功したからいいんじゃないの? (「AKBは無名の初期からテレビでていたよ」というコメントを見て)AKB無名の初期、そんな出てなかったですよ、深夜ぐらいでしかね。
吉田:
最初からテレビありきの企画じゃないってことですね。
南波:
だって、そもそも劇場で成立させるっていうのがありましたもんね、最初は。
(画像はWikipediaより)
久田:
そうですよね。だから、宝塚みたいな感じですよね。
南波:
リアルにテレビをかませないって、そういう意味でもあるという。
吉田:
ただ、テレビをかませないで成立させるのって、最初の持ち出しが相当必要となってくるわけで、あれぐらいの資産がないと無理ですよね。
久田:
いや、無理だ。始めっからだったら。
吉田:
何年か続けなきゃいけないわけで。
久田:
だから、『¥マネーの虎』【※】で同じようなことを、出資者たちにプレゼンした人がいるんですけど、全然だめでしたもんね。資産がなかったからだと思うんだけど。ちょうどネットアイドルが出始めた頃に、『マネーの虎』でプレゼンしていた人がいましたけどね。
※¥マネーの虎
日本テレビで放送されたリアリティ番組。一般人でもある起業家が事業計画をプレゼンテーションし、マネーの虎と呼ばれる大物起業家たち審査員が出資の可否を決定するという内容だった。
吉田:
(コメント)「アイドリング!!! 見事にうまく行かなかったな」。そうなんですよね。結局フジテレビがドカンと仕掛けてもなかなかうまくいかない。ただ、乙女塾もうまくいかなかったといわれているけど、いま思えば全然成功しているんですよね。
(画像はガンバレ乙女(笑)(初回限定盤)(DVD付) | アイドリング!!!Amazonより)
南波:
いや、今の普通の地下アイドルとかのレベルで考えれば、冬でも何でもないですよね。
吉田:
そうなんですよ。基本コンサートはホールだし、CDはメジャーだし、ちゃんとそこそこ売れて、曲もタイアップはちゃんと取ってるし、売れてたんですよ。売れていたけど、それ以前がでかすぎたせいで冬みたいなイメージになっていて。
南波:
全然冬とは思えないですよね。
吉田:
CoCoとかribbon【※】とかちゃんと売れていましたよ。
※ribbon
1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、女性アイドルグループ。コントにも積極的で、女性アイドルグループには珍しい、自身のコント番組まで持っていた。メンバーの永作博美はこれらの経験を経て本格的な女優に転進していく。
(画像はMyこれ!Liteシリーズ ribbon Amazonより)
久田:
ちゃんと元取れていたという。
吉田:
世間的な認知度の低いQlair【※】でも、ちゃんとホールツアーやっていましたよって(笑)。
※Qlair
1991年にフジテレビが主催・運営していたタレント育成講座の乙女塾からデビューした、女性アイドルグループ。
(画像はお願い神さま | QlairAmazonより)
南波:
だってラジオとかも聞いていたもんな。
久田:
アイドリング!!! は成功したんですか?
吉田:
アイドリング!!! は、まあ成功はしてないですよ。
南波:
(笑)
久田:
してないの?
吉田:
うん。だって散々あれだけ時間かけて予算かけて、バラドルを2人生み出したぐらいの感じですからね。
久田:
菊地亜美ぐらい?
吉田:
あと朝日奈央です。
久田:
そっか。
吉田:
(コメント)「お金のかけ方が違う」、本当に。久しぶりにテレビと連動したアイドルっていうのが、モーニング娘。だったわけですよね、『ASAYAN』との連動がきちんとできていたのが。(コメント)「アイドリング!!!はTIF【※】を生み出した功績だけだな」。そこはでかいんですけどね。どうですか、久田さん。平成のアイドルについては(笑)。
※TIF
TOKYO IDOL FESTIVAL。2010年より開催されている出演アイドルの数では日本最大規模のアイドルのイベント。イベントの発案者は、2013年まで『アイドリング!!!』プロデューサーであり、当イベントの総合プロデューサーを務めていたフジテレビの門澤清太氏。
久田:
(笑)。僕はアラフィフじゃないですか。おニャン子ほぼ同じ年なんで。それにみんなはまっているし、僕もなかなか新田恵利好きだったし、みたいな感じで、ずっとファン目線ですね。モー娘。が始まる頃も5人で、まだ福田明日香がセンターの頃に、『モーニングコーヒー』。え? こんなん売れんのかなと思っていて(笑)。12チャン、テレ東か何かで。
(画像はモーニング娘。のモーニングコーヒー Amazonより)
3曲目ぐらいの『抱いてHOLD ON ME!』でこれいいじゃんって思ったんですよね。そっから伸びてって。僕もモー娘。途中で離れまして……。セクシービームの歌詞の『恋のダンスサイト』ぐらいから離れましたね。
吉田:
セクシービームで離れたんですか?
久田:
離れましたね。
吉田:
「セクシーじゃねえよ、これ」って(笑)?
久田:
いやいや、そんなことない。だから、十何年ぐらい前からAKB48の人、名前は言わないけども、「見に来い」ってずっと言われていたから、「じゃあ一回見に行きます」って劇場行ったときに、すごい狭い劇場で、正直言ってそのときはキャバクラだと思ったんですよ。
吉田:
ちゃんと劇場に行ってるんですよね。そもそもボク、劇場どころか、いまだにAKBも坂道も見たことない。
久田:
だから、「現場行かないとわかんないから久ちゃん」って言われて行って、そしたらちっちゃな女の子が応援しているんですよ。「まゆゆ!」みたいな。それ見て、これは必要だなと思ったんですよね。だから、ちょっと心入れ替えました。
アイドル冬の時代の象徴は?
吉田:
(コメント)「ピンクサターン【※】は?」。そうです。アイドル冬の時代の象徴として、歴史が変わったのはその辺りなんですよね。
※ピンクサターン
1990年代半ばに活動していた日本の女性アイドルグループ。当時、流行したハイレグやTバックの水着以上に過激である、Tフロントのコスチュームが話題を呼んだ。3年ほどの活動でグループは解散。
久田:
ピンクサターン?
吉田:
フジテレビの深夜、『天使のU・B・U・G』【※】という、要はアイドルが尊敬というか、そういうリスペクトされる対象から雑に扱われる対象になった瞬間の番組があって。アイドルが本当に過酷なバトルを乗り越えないと、歌も歌えないとか宣伝もできないみたいな、ひどい扱いをされる時代がそこで訪れて、冬の時代を象徴するような番組だったんです。
※天使のU・B・U・G
フジテレビ製作のバラエティ番組。今田耕司氏と東野幸治氏が司会を務めた深夜番組で、一般的な知名度が低い、一部マニアを除いては全く売れていない女性アイドルたちが様々なゲーム企画などに挑戦するものだった。この番組からは遠峯ありさ(後の華原朋美)や矢部美穂などが後に売れることとなった。
南波:
(コメント)「遠峯ありさ」、懐かしい。
吉田:
そうそう。遠峯ありさが、当時、「うちの事務所が給料1万円しかくれない」って言って、生放送で社長を足蹴にするっていう奇跡の放送があったんですけど、そのとき蹴られた人がいま某大きな事務所の社長になっておられますという(笑)。今は払ってんのかな、とかね。
一同:
(笑)
吉田:
これ、検索すると動画もすぐ出ますよ。「遠峯ありさ 社長」で(笑)。大好きだったんですよ、遠峯ありさ。当時。
久田:
そうなの?
吉田:
うん。だから、華原朋美になって、ボクはむしろがっかりした側というか(笑)。あのぎらぎらしたキャラがなくなっちゃったって。