平成のアイドル史を総ざらい! モー娘。ももクロ、AKB…アイドル冬の時代から現在に至るまでの30年を徹底的に解説【話者:久田将義・南波一海・吉田豪】
2010年代以降はアイドル戦国時代――「ももクロによってジャンルとしては面白くなった」
吉田:
という流れの中に、BiS【※】とかが入ってくるぐらいまでいったほうがいいんですかね。ももクロとか。
※BiS
歌手、プー・ルイ氏が音楽配信・情報サイトOTOTOYでのインタビューにて、「アイドルグループがやりたかった」と発言。これを発端に2010年10月に公開メンバー選考オーディションを行い、同年11月から活動を開始。南波一海氏を講師として、「OTOTOYアイドル研究室」の生徒として授業を受けていたこともある。
久田:
お願いします。
南波:
2010年代以降ですよね。
吉田:
アイドル戦国時代、到来。このぐらいから南波さんもアイドルライター業が始まったんですよね。
南波:
そうですね。本当にまさにそうです。2010年、11年ぐらいからですね、仕事になったのは。単純にももクロが流行って、外側にも広まっていったから、自分にも仕事がきたって感じですね。
吉田:
いろんな、それまでアイドルを扱ってなかった音楽誌とかが、「ももいろクローバーZ【※】で特集をやろう」みたいな感じになって、バンドを辞めて音楽ライターやっていた南波さんに声がかかって、気がついたら世間からアイドルライターだと思われる存在になっていくという。
※ももいろクローバーZ
ももいろクローバーとして2008年5月17日に結成。2011年4月11日にはももいろクローバーZに改名。2014年に国立競技場でのライブを女性グループとしては初めて行い、2日間で11万人を動員。ライブの年間動員数においては、過去2度にわたり女性アーティスト1位を記録している。
(画像はももいろパンチ | ももいろクローバー Amazonより)
南波:
そうそう。
久田:
『ミュージック・マガジン』とかですよね。
南波:
それも仕事していましたね。
久田:
ですよね。
吉田:
その後もめましたよね。
南波:
(笑)
吉田:
僕は南波さんと最初に会ったのは、『ミュージック・マガジン』の増刊のアイドル本を作るときで、僕がBiSのHMVの限定版が買えてないとかぼやいていたら、最初の打ち合わせで会ったときに、「豪さん、どうぞ」とかいって、BiSのその買えなかったCDをくれた。というのが出会いです。
南波:
ありましたね。でも、盛り上がりましたよね。すべてが本当に面白かったです。
吉田:
うん。あの時期は本当に面白かったですよ。
久田:
ももクロですか。
吉田:
それも含めたアイドル戦国時代的な流れ。
南波:
とか、ももクロを発端に、僕もやってみようみたいな人が増えたんですよね。
吉田:
そう。ももクロが大きかったのは、「あれぐらいおかしなことやってもいいんだ、アイドルって」って気づいたいわゆる音楽好きな、バンドとかやっていた人とかが、アイドルの運営に次々となって、おかしなアイドルをどんどんデビューさせたっていう功績が本当でかいんですよ。
久田:
なるほど。じゃあももクロが発端なんですか。
吉田:
AKBを発端として地下もいっぱい増えたけど、それはAKB的な地下なんですよ。ああいうようなチェックの制服みたいなのを着たグループが増えて、若いファンも増えて、それがももクロによってジャンルとして面白くなった。
南波:
音楽的にも、何やっても面白いみたいな、音楽好きな人もいるから、これを、自分の好きだったこの音楽をアイドルに当てはめたらどうなるだろう、みたいなのがすっごい増えた時期で、それこそBABYMETAL【※】なんてその極北じゃないですか(笑)。そういうのがいっぱい増えた時期が、10~12年とかなんですよね。
※BABYMETAL
日本の女性2人組メタルダンス・ユニット。通称「べビメタ」。 「アイドルとメタルの融合」をテーマに2010年結成。2014年から世界進出を果たし、ワールドワイドな活動を展開している。
(画像は BABYMETALのヘドバンギャー!! Amazonより)
吉田:
言っちゃえば、BiSも、ももクロなかったら生まれてないですよね。
南波:
絶対そうですよね。
吉田:
うん。全部そうですよ。
久田:
じゃあももクロから始まった的な感じあるんですね。
吉田:
ももクロがジャンルを面白くしてカオスにした。今のジャンルを作ったのは、ももクロだと思うし、AKBが土壌を作って、ももクロがそれを広げたって感じですね。
南波:
やっぱりシステム的にはそれこそ1枚チェキ撮って1000円とか500円とか。だから、CD1枚買ったら握手みたいなので、経済的にも結構サイクルがすごいよかったんで、みんなすぐ始められたっていうのが。
吉田:
チェキビジネスはAKBが始めたんですよ。ただ、チェキビジネスを始めた某カメラマンはぼやいていましたけどね。「あれで億単位の売り上げになったのに、俺には全然金が入んない」って(笑)。
久田:
まあチェキだから。
吉田:
そんな感じで生まれたアイドルが、AKBでビジネスとして大きなものになって、ももクロのおかげで地下もどんどん増えてジャンルとして面白くなった、それが平成でした。
Perfumeはアイドル?
久田:
Perfume【※】はアイドルに入るんですか?
※Perfume
中田ヤスタカがプロデュースする広島県出身の3人組テクノポップユニット。2002年3月アクターズスクール広島「もみじレーベル」より「OMAJINAI★ペロリ」でインディーズデビュー。
(画像はポリリズム | Perfume Amazonより)
吉田:
最初は完全にアイドルです。
南波:
ばりばりアイドルですよね。
吉田:
もともとローカルアイドルで、広島から上京してきてもいわゆる地下アイドルの枠で活動していて。
久田:
僕、今はアーティストっぽいイメージが……。
吉田:
途中でシフトを変えましたよね。多分、スキャンダルが転換期だったんですよ。熱愛報道が同時期にあって、あそこで歌詞の一人称をあの時期に変えたって説もあって、異性に向けた歌詞が同性に向けた歌詞になっていったという。
久田:
すごい勉強になるな。
吉田:
あの時期、『BUBKA』がモーニング娘。の応援連載とかずっとやっていたのがまずあって、ももクロ応援連載とかもあって、Perfume応援連載をやってた時期もあったんですよ。ただ、その応援連載やっていた人が結構ガチ恋オタだったんで、熱愛報道に本気で怒る感じで。
一同:
(笑)
吉田:
それで、Perfume応援連載が終わった記憶があります(笑)。あそこでファン層のちょっと入れ替えがあったんですね。
『BUBKA』はいつからアイドルマガジンになったのか?
久田:
『BUBKA』はいつ路線変更を?
吉田:
もともと、『BUBKA』というのは、編集長がスキャンダル大好きで、アイドルに別に興味がない人だったんですよ。
久田:
寺島さんでしょ。
吉田:
そう。寺島さんというのはそういう人で、ただ部下が全部ただのモーヲタだったんですね。アイドルヲタ&プロレスヲタみたいなものが揃った編集部で、だからカラーの巻頭ページではスキャンダルを扱うけど、それ以外はひたすらモーニング娘。への愛を訴えたり、サブカル的な企画ばかりゃっていた。
モーニング娘。のスキャンダルを出しつつ、モーニング娘。を応援するという、ものすごいゆがんだ雑誌だったのが、編集長がいなくなったことで、応援色だけが残り、現在のAKB坂道雑誌に至るっていう流れですよね。
南波:
もうちょっと幅広かったですけどね。
吉田:
本当はハロー! とかも応援したいみたいなんですけど、ハロー! はスキャンダル報道の過去があるので、取材できないんですよ。
久田:
できないんだ。そうだ。出禁なんだって。だから、『BUBKA』というか、白夜書房は出禁でしょ、多分。
吉田:
そうです。ということですね。取材できるもので生き残る道として、AKB、坂道にいったということですね。この方向転換がなかったら確実に休刊していたと、いまの編集長は言ってました。
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