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友達に連れられていったコンサートに“沼”があった――実業家から41歳で指揮者に転身したアメリカ人男性を知っていますか?

 今回紹介する動画はナカナミさんの投稿した『【クラシック】実業家のおじさんが指揮者になりました【ソフトウェアトーク解説】』です。実業家から指揮者へ転身したギルバート・キャプランの生涯について解説しています。

投稿者メッセージ(動画説明文より)

皆様お久しぶりです。
第七回ひじき祭に参加させていただきます。

今回の餌食題材はギルバート・キャプラン。
一曲しか曲を振らなかった指揮者として有名です。

ですが彼はそれだけの人ではありませんでした。その人生は一回のコンサートで大きく変わっていくのです。

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 銀河英雄伝説で流れるマーラーの「交響曲第2番<復活>」。緊張感があり、場面にマッチしています。70分もある大曲ですが、この曲に惹かれてこの1曲しか指揮をしなかった指揮者がいました。

 ギルバート・キャプランは1941年3月3日にニューヨークで生まれ、ニューヨークで育った。音楽とは関係のない学問を学び、 1963年にニューヨークの証券取引所でエコノミストとして就職。エリート街道を進み、音楽に関わるような人生とは思えません。

 1965年、友人の誘いで行ったストコフスキーとアメリカ交響楽団のコンサートで、マーラーの「交響曲第2番」を聴くことになりました。キャプランさんはそのコンサートについて「稲妻に打たれたようだ」と語っています。それからマーラーの交響曲2番を聴くようになりますが、まだ趣味の範疇でした。

 お仕事の方では1967年にアメリカの経済誌「インスティテューショナル・インベスター」の創刊者として携わり、実業家として成功します。このとき得た資産が後の活動を支えることになりました。

 経済誌の刊行をしながら、趣味ではオーケストラのコンサートに行く、きっとこういう生活を続けていたのだと思われます。そうした生活を続けること10年弱、自分の理想的な演奏に巡り合えなかったキャプランさんは「自分でオーケストラを指揮すれば、理想の演奏ができるのでは?」と思いつきます。

 こうして1980年辺りからキャプランさんは自分で指揮をすることを考え始めます。

 それから1981年の大半をチャールズ・ボーンスタインという若い指揮者から音楽の基礎や指揮法、マーラーの「交響曲2番」の楽譜を覚えることに費やします。

 そして1982年、ホールを借り、アメリカ交響楽団を雇い、一夜限りとして指揮者として壇上に上がりました。
このときの条件として、「チケットを一般発売しないこと」「誰にも批評を書かせないこと」として演奏会を開きました。しかし、2人の批評家が好意的なレビューを書いてしまい、他のオーケストラからも指揮者としての依頼が来るようになりました。

 このときのキャプランさんは41歳で、中年から指揮者に転向した前例がなく、また、1曲しか振らないことから彼はとても特異な存在でした。

 本格的に指揮者としてのキャリアをスタートさせるために、彼は自分が創刊した経済誌を売却しました。その金額は公表はされていませんが、700万ドルから1億ドルと言われています。

 本職の指揮者であるショルティに師事し、「復活」専門の指揮者としてのキャリアをスタートさせました。キャプランは世界の名だたるオーケストラと共演し、日本では1984年に新日本フィルと共演しています。1988年にはロンドン・フィルと録音したCDが発売されることになります。このCDは話題性もあり、一番売れたマーラーのCDとなっています。

 その後も「復活」の楽譜の改定を行い、「復活」のみを演奏する珍しい指揮者として活躍する傍ら、「復活」やマーラーに関する研究を行い、2016年に亡くなりました。

 動画では、マーラー演奏の歴史や、指揮者デビューを果たした後のキャプランの楽譜改定にまつわる話が紹介されています。ぜひ、全編ノーカットでご覧ください。

視聴者のコメント

結構ガチだ…単なる金持ちの道楽じゃないのね
同人誌作家からプロの漫画家とでも言えばいいのか

▼動画をノーカットで楽しみたい方は
こちらから視聴できます▼

【クラシック】実業家のおじさんが指揮者になりました【ソフトウェアトーク解説】

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