声優・小清水亜美 「ナージャ」の時は何十テイクも出したうなり声を、今は一発で出せる── 20年のキャリアで編み出した、戦闘系から可憐なキャラまでを操る秘密【人生の3つの分岐点】
今年10月、アニメ『明日のナージャ』20周年を記念して上演された朗読劇を観劇した。アニメで描かれた時点から3年後の設定のエピソードが、20年越しに再集結したキャストたちによって語られた。当時の面影をくっきりと残しつつ、少し大人になったことがたしかに感じられるナージャやフランシス/キース、ローズマリーらの声。改めて声優という仕事の奥深さを噛みしめるばかりであった。
朗読劇を観劇した『ナージャ』ファンが、懐かしくも新鮮な彼らの声に心を震わせた一方、当事者として声優の仕事の広がりを改めて感じていた人物がいる。20年前にナージャ役で声優デビューを果たした小清水亜美さんご本人である。
「『終わらない学芸会』がやりたい!」
小清水さんはお芝居の道を志し始めた当時の想いをこう表現した。
変えようのない自分自身の性別や生まれた環境から少し離れて、他の人生を生きられるお芝居の楽しさに小学校の学芸会で目覚め、12歳で劇団若草に入団。しかし、中学生のときに身長が急激に伸び、子役も大人の役もまわってこないつらい時期を迎えたという。
こんなにも早くお芝居のキャリアが閉ざされるのかと落ち込んだ小清水さんの前に開かれた「運命の扉」が、ナージャ役からはじまる声の仕事だった。声の仕事は、自ら人前に立つお芝居よりも、身長や性別などさらに多くの幅を越えられる! お話しぶりから、小清水さんがいまも声優の仕事の可能性を強く感じていることがひしひしと伝わってきた。
声優デビュー20周年を迎えても、「終わらない学芸会」のためにハングリーに自分の身体と向き合い、論理的に声の使い方を研究してきた中、『明日のナージャ』朗読劇、『狼と香辛料』新作で過去の役を再び演じる機会に出会った小清水さん。「まさか自分を研究することになるとは思わなかった」と笑いながら、これまで獲得した技術の引き出しを開けていく作業をたっぷり語ってくださった。
小清水さんが語ってくださったエピソードから垣間見える、声の芝居の道を「終わらせない」意志を感じていただければ幸いだ。
■1つ目の分岐点:12歳で劇団若草に入団
──では早速ですが、1つ目の分岐点からお話をうかがわせてください。
小清水
はい。「12歳のとき、劇団若草に入ったこと」です。そもそもそれがなかったら、今のような自分の人生がスタートしていませんでしたから。
──プロの役者としての原点ですよね。入団した理由はなんだったんですか?
小清水
小学生のとき、学芸会がすごく好きだったんです。「自分じゃない誰かになる」ことが、とにかく刺激的だったんですよね。肉体や生まれた環境は変えようがないですけど、お芝居の中でなら、砂漠の盗賊にだってなれる。それだけじゃなくて、素敵な衣装を着たり、みんなで声を揃えておかしな掛け声を叫んだり、日々の生活では絶対にやらないようなこともできる。それが本当に楽しくて。
でも小学校を卒業したら、そんな機会がなくなってしまう! と。
──中学校で学芸会って、なかなか聞かないですもんね。
小清水
そうなんですよ。演劇部がある学校もありますけど、また少しそれは雰囲気が違いますし、とにかく小学生の私は、その事実に絶望したんですよね。「この先の未来、何を楽しみに生きていけばいいんだろう?」くらいまで(笑)。
その様子を見た祖母が、「この世には『劇団』というものがあるのよ」と教えてくれて、劇団若草の団員募集のチラシも持ってきてくれたんです。
──親御さんの反応はいかがでした?
小清水
親はあまり乗り気じゃなかったですね。「オーディションにはどうせ受からないだろうし、受けさせるだけ受けさせれば満足するだろう」と思ったらしく、「自分で電話をして、申し込むならいいよ」と言われました。
それでがんばって、小学生ながらに初めて知らない人と電話をして、資料を取り寄せて、オーディションを受けて……そして、まんまと受かりまして。
──すごい行動力ですね。
小清水
でも児童劇団、つまり、子役の養成所に行くには、少し年齢的に遅かったんですよね。
──厳しい世界ですね。11歳、12歳でも子役としてスタートを切るには、既に遅い。
小清水
そうなんです。年齢が一桁のころから仕事をしているのが普通で、早い子なんて赤ちゃんの頃からやっているくらいですから。
でもそこから毎週、日曜日のお昼の時間を丸々使って、日本舞踊、ジャズダンス、声楽、演技、基礎レッスンの5つの科目をやっていくのは、めちゃめちゃ楽しかった!!
──性に合いましたか。
小清水
もともと、人とおしゃべりするのはあまり得意じゃなかったんです。劇団の申込みの電話も、本当に勇気を振り絞りました。
でも劇団に入ったことで、新しい友達が増えたのはもちろん、大人との会話の仕方も学ばせていただけた。ただお芝居を練習しているだけじゃなく、一種の社会勉強をさせていただいた部分があって、それも含めて何もかもが楽しかったんです。
もっと根本的なところでいえば、「人前で声を出す」経験を積めたのも大きかったですし。
──ああ、そうか。実はそれって、特殊な経験ですよね。
小清水
誰でもやっているようで、意外と難しいことなんですよね。授業ではみんなの前で発声練習をしたり、他にもいろいろと人前で声を出すことをやるので、「これだけの大きな声を出していいんだよ」「人間にはここまでの声が出せるんだよ」みたいなことを、経験を通じて知っていけた。
劇団に通っていなかったら、私は日常会話で遠くにいる人を呼んだりもできないタイプの子だったと思います。だから本当に、ただ芝居を学んだだけではなく、もし仮に役者のお仕事をその後やっていなかったとしても、人として生きる上でプラスになっていただろう物事を劇団若草では教えてもらったと思っていますね。
──まさに、人生の大きな分岐点ですね。ちなみに劇団若草はものすごい名門児童劇団じゃないですか。現在も活躍されている錚々たる方々が、若草のご出身で。
小清水
そうなんですよ。今はもう解散してしまいましたけど、杉田かおるさんや坂上忍さんがご出身で。
──声優業界でも水島裕さんがいらっしゃったり。
小清水
そうなんです。飯塚雅弓さんもそうですね。
──そういうことは入団時は全然知らず?
小清水
全然です。とにかく「終わらない学芸会」がやれればよかったんで、「おばあちゃんが持ってきたチラシの劇団、ここしかない! ……他を知らないけど」みたいな(笑)。祖母にも理由を聞いてみたことがあるんですけど、たまたま郵便ポストに入っていたチラシを持ってきただけだったとか。
──やはり活躍される方は、引きの強さがすごい。
小清水
いやいや。ただ、いろいろな偶然が重なることはありますよね。三瓶由布子ちゃんが、年齢は一緒なんですけど若草の先輩で、ほとんど幼なじみみたいな存在なんです。そんなふたりが、出会ってから20年近く経った今でも、どちらも声優としてずっとお仕事をさせていただいていたりもしますし。
■「終わらない学芸会」のはずが……
──同じ年齢でも先輩という話もまさにですが、先ほども「子役としては遅いスタートだった」というお話がありました。そのことで特別なご苦労はなかったんですか?
小清水
ありました!! 私、中学2年生の夏休みの約1ヶ月ちょっとで、身長が15センチ伸びてしまったんです。それまで150センチちょっとしかなかったのが、一気に160センチを超えて、でも、顔はまだ小学生みたいに幼くて、ものすごくアンバランスになってしまった。
子役をするには背が高いが、かといって、高校生を演じるには顔が子供らし過ぎるという狭間に突入したせいで、受けられるオーディションがだいぶ少なくなってしまったんです。
──自分ではどうしようもないことが……。
小清水
当時は、「スタートしてまだちょっとしか経ってないのに、私の『終わらない学芸会』という夢は、終わったのだろうか!」……なんて考えてしまうぐらい、絶望しましたね。ただ成長しただけならまだしも、165センチぐらいにまで届いてしまうと、お母さん役の方より身長が下手すると高くなってしまう。
──大人の女性でも160センチに届かない方はざらにいらっしゃいますもんね。
小清水
そうなんです。舞台もですし、当時若草によく来ていたドラマや映画関係の仕事も難しいな、と。
でもそれで、あまりにも私がシュンと落ち込んでいたんでしょうね。見かねたマネージャーさんが、「声の仕事って、興味ある?」と声をかけてくれて。
──おお。
小清水
そのときはもう、中学3年生になってたかな。ますます背が伸びて、167センチありました(笑)。
マネージャーさんは、「アニメやゲームには声をあてている人がいるの。劇団若草にも飯塚雅弓さんという人がいて、『ポケットモンスター』のカスミちゃんを演じているのよ」と説明をしてくれて。
──大活躍されていて、しかも年齢も比較的近い方が身近に。
小清水
『ポケモン』は観ていましたし、そのあとで飯塚さんのライブに招待していただいたりもして、そうした流れで初めて「声優」という仕事を意識したんです。
──そこからどうアクションを起こされたんですか?
小清水
数は多くなかったですけど、声の仕事のオーデイションを受けさせてもらえることになったので、まずは自分なりに勉強してみることにしました。
──たとえばどんなことを?
小清水
永井一郎さんの書いた本を読んだり、劇団の先生たちに「声だけで芝居するって、どういうことですか!?」みたいにリサーチしたり……
あとは、同じ授業を受けている同世代の子に、当時はまだ今ほど多くはなかっただろう、アニメオタクの子がいたんですよ。その子に「どういうアニメを見ると勉強になると思う?」みたいなのを聞いたりとか。
──ちょっと気になりますね。どういう答えがあったんですか?
小清水
そのときにまずその子が勧めてくれたのが、『鎧伝サムライトルーパー』。
──意外なタイトル!
小清水
やっぱりそうですよね(笑)。そのときにオンエアしているものは自力で見られるから、そうじゃないもので……と聞いたこともあってか、『聖闘士星矢』とか、あと『ヴァイスクロイツ』。
──子安武人さんの。
小清水
『ヴァイス』は、アニメは見てないんですけど、ドラマCDと歌のCDを貸してくれて。それで私、現場でまだお会いする前の、子安さんのもみあげが長かった時代を一方的に知ってるんです(笑)。
──伝説の時代ですね。
小清水
あとは飯塚さんが出ている『ハーメルンのバイオリン弾き』とか、『魔術士オーフェンはぐれ旅』とかもでしたね。
──ラインナップがたしかに、当時のオタク女子の好きそうな並びですね。
小清水
私自身はそれまで、アニメといえば日曜の夜にご飯を食べながら見る『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』のあの流れだったり、『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』に『美少女戦士セーラームーン』みたいな感じだったので、違う雰囲気のものを知るのが新鮮でした。
ただですね……ちょっと脱線してもいいですか?
──どうぞどうぞ。
小清水
私が子供だった頃、我が家のテレビのチャンネル権は、すべて父にあったんです。でも日曜日になると、別に子供たちが観たいと言っているわけでもないのに、「マクロス」を見てたな……と。
──小清水さんが子供のころ、ちょうど『マクロス7』(1994年放送)が放送されますよね。
小清水
ええ。無邪気に喜んでいたんですけど、あれは子供のためではなく……父の趣味のチョイスだったのでは? と。
──気づいちゃったんですね(笑)。
小清水
そう言われてみると、母から私の名前の由来を聞いたときに、父はどうやら「ラム」ちゃんと名付けようとしていた、なんて話もあって……。
──「ラム」ちゃんって、おそらく『うる星やつら』からですよね。オタクだと、ほぼ確定では……。
小清水
祖父母がお肉屋さんをやっていたのもあって、さすがにまずいだろうと母が大反対して、尾崎亜美さんからいただいて「亜美」になったそうなんですが。
とにかく、父は亡くなるまで、オタク趣味のことを話題にしてこなかったんですよね。
ただ、事情があって家族と離れて暮らしていた父が亡くなったあと、父の部屋の郵便受けに、通販サイトからの郵便物があったんです。相続手続きのうえで開ける必要があったので、「これがお父さんの最後の買い物だったんだ〜。……変なものじゃありませんように!」って、思い切って開けたら、私が出演しているわけでもない「異世界転生もの」のマンガが入ってたんですよ。それも3冊も!
──ガチじゃないですか。
小清水
だからうちの父は、確実に異世界に転生してると思います(笑)。でも本当に、娘としては生涯、そこに触れてこなかったんです。なんとなく、「触れてはいけないところなんだろうな」という気持ちがあって。『スタートレック』が好きで、エンタープライズ号のプラモが部屋に飾ってあるな……とかも気づいていたけど、特に言い出しはせず。
でも最後の最後で、マンガが3冊も届く。そんなオチが来るような父でした(笑)。
──こんなにアニメで大活躍されている娘さんがいるのに、隠していたんですね……。
小清水
『マクロス』シリーズに娘が出ているのに、現場の裏話を聞いてきたりだとか、私の仕事に関して質問してくることが一切なかったんですよね。最後の買い物、せめて私の出演作にしてくれよ!っていう感じなんですけど(笑)。ただただ純粋に、マンガやアニメが好きな人だったんだと思います。
■2つ目の分岐点:『明日のナージャ』で声優デビュー
──話を本筋に戻すと、急激な身長の伸びによる挫折があり、そこから声優の道を歩み始めた。
小清水
はい。そこから、数は少ないものの、いくつかオーディションを受けさせていただいていた中に、『明日のナージャ』があったんです。この「『明日のナージャ』にナージャ役として出演したこと」が、私にとっての2つ目の人生の分岐点ですね。
──役にはどんな流れで決まったんですか?
小清水
それまで受けたオーディションは、全部テープオーディションの段階で落ちていて、初めてスタジオオーディションに通ったのが『ナージャ』だったんです。
そんな状態だったから、いきなりスタジオでマイクにお尻を向けて逆向きに立ちまして……。というのも、顔出し(※舞台やドラマ、映画などの仕事のこと)のオーディションって、ちゃんと審査員さんと向き合うんですよ。
──審査する人に背中を向けるより、発想としてはそっちが自然ですよね。
小清水
そうなんですよ。スタッフさんのいるアフレコブースには背を向けてスクリーンを見るという当然のことも知らず、「マイク逆だよ」事件を起こしてしまうくらい、とにかく本当に経験がない状態からのスタートでした。
そのくせ、同じ若草からスタジオオーディションに参加している子がふたりぐらいいて、受かるわけがないと思っていたのもあって、一緒にロビーで待っているあいだに、キャッキャキャッキャ騒いだりしてて。今考えればとんでもないことなんですけど。
緊張しているのに妙に元気な、変なテンションだったんですよね。
──それで受かるわけですから、世の中、どう転ぶかわかりませんね。
小清水
ですね。忘れもしません。合格の連絡を受け取ったのは学校の休み時間だったんですけど、電話口でマネージャーさんと「あのね、事務所も信じられないんだけどね……決まったのよ」「え゛っ! 本当ですか?」「本当。事務所も信じられないから、3回確認した」なんて会話をしたんです。
──あはは。オーディションから合格の連絡までは、あまり間を置かずに?
小清水
スタジオオーディションを受けたのが8月で、結果が来たのは8月末か9月でしたね。そして10月からはもう、おもちゃの収録がアフレコに先んじて始まりました。
──わ、なるほど。放送が翌年の2月スタートだから、即座におもちゃの仕込みが。
小清水
そうなんです。おもちゃとCMの音声、それから着ぐるみショーのための音声もオンエア前に一部録っていました。
そのあいだに、アフレコ経験がまったくなかったので、東映アニメーションさんのご厚意で前番組の『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』の収録を見学させてもらったりしつつ準備をして、『ナージャ』の本編の収録は12月末か、1月からスタートしたように記憶しています。
──怒涛の流れですね。率直にいって、劇団からアニメの世界に、しかもいきなりの主演で飛び込んでみて、いかがでしたか?
小清水
まずはとにかく、何もわかっていなかったんですよね。声優事務所に所属していると、同じ事務所の先輩が現場にいる可能性があるんですけど、若草だとそんなことはないんですよ。
──震えますね! アニメの現場をよく知っていて、事務所からもそれとなく頼まれているような、面倒を見てくださる立場の方がいない。
小清水
そうなんです。しかも『どれみ』の現場も、「アフレコの様子を見ておきなさい」と言われて、全体を見てはいたんですけど、どういうポイントを勉強しておくべきなのかもわからないまま終わってしまって。
そんな状態からの『ナージャ』の1話の収録だったので、現場で、レギュラーの先輩方が、本っっっっ当に根本的なことから、いちから全部教えてくれてるんです。
──もう、芝居以前の何から何までですよね。
小清水
はい。たとえば、現代の一般的なアフレコは、前もって確認用のVTRをいただき、それを家で事前に見て、各自台本チェックをして、現場に行ったらテスト……という流れを踏みます。
でも『ナージャ』の頃のアフレコでは、まず「通し見」と呼ばれる作業から始まるんですね。前もってVTRはいただけなくて、みんなで定時にスタジオに集まって、まず一回、つるっと映像を見る。そこでセリフの秒数など、必要なことを台本にメモをとる。そしてテストに入って、本番……というシステムなんです。
でも、私はもう、通し見で何をしたらいいのかまったくわからない。そうしたら、さすがに隣に座ってる斎賀みつきさんだったり、大谷育江さんだったりが、「そこからわからないのか!」って、気づいてくださって。
──見るからに様子がおかしいわけですもんね。
小清水
で、1話以降、先輩たちが教えてくださるようになったんです。「まず、台本の読み方だけど、『上の行、何?』って思ってない?」「思ってます。これ、なんですかね?」「これは『ト書き』っていって、そのカットにはこういう絵が描かれていますよ、っていう情報なの。その下にセリフがあって……」って、もう、そこからですよ。次に秒数とは何か、ブレスのタイミングは映像の中でどう指示がでているのか……。
──はぁ〜……。
小清水
「映像がどんどん流れていってしまって、巻き戻しできないですけど、どうしたらいいんですか?」「慣れるしかない。大丈夫、初めのうちは、あなたは全部チェックできないと思うから、私たちであなたの分までチェックしとくから」なんて。
通し見もですし、台本修正(※台本の誤字・脱字や、絵コンテなどで脚本からセリフが変わった箇所を台本に書き入れる作業)も大変でした。台本修正を伝えてくださるかたが6人くらいいらっしゃって、話数ごとにローテーションで担当されていたんです。皆さんそれぞれ微妙に使われる用語が違っていて……。「セリフをなくす」ことを、「セリフカットです」という方もいれば、「オミットです」という方もいたり、カットの入れ替えを「テレコです」と説明する人もいれば、「入れ替えです」の人もいる。でも説明は止まってくれないので、そこも先輩に教えてもらいました。
──大変だったでしょうね、それは……。
小清水
大変だったんですけど、でも、私よりまわりのみなさんの方が、もっと大変だったと思います。第1話の収録なんか、朝の10時から始めて、18時ごろまでかかっていましたから。
──いきなり声優未経験の方がその状況におかれるのって、震えますね。
小清水
いやぁ、でも1年かけて、錚々たる役者の方々から、お金を払って教えてもらうようなことを、無料で、プロの現場で、いちから教えていただけたわけですよ。『ナージャ』が例えば1クールの作品だったら、そういうのを覚えるまでの時間が足りなかったでしょうし。 あの1年があったから私は、今も声優でいられていると本気で思っています。ここで教わったことのおかげで、別の現場で困らずにすみました。
さらに言えば、キャリアが5年になったタイミング、10年になったタイミングで、あとから理解できる教えも多かったんです。京田尚子さんから当時、「私が今から言うことは、今すぐにはわからないかもしれない。だけど、頭の片隅に置いておいて、忘れないでおいて。いつか、あっ! って思うときが来るから」と言われていたことが、本当に5年後、10年後に理解できた。「あぁ……。あのとき言われていたことの、本当の意味が、やっとわかった……」と。そんな未来にも繋がる栄養を、『ナージャ』の1年でめちゃくちゃくださったんですよ。
■「出たとこ勝負」だったナージャの声
──ナージャの役作りに関しては、どんなことを考えておられたのでしょう?
小清水
「13歳で、孤児院育ちで……」みたいな、基本設定をもちろん意識はしていたんですけど、それに合わせて声を作ることは当然、当時の自分にはできませんでした。とにかく出たとこ勝負。地声に近い、10代後半で大人になりかけているとはいえ、まだ「子供の喉」も残っている声で、どう感情表現をしていくのか。そんなことばかり考えていました。
とにかく「ここは笑顔」「ここは悲しく」みたいな、セリフの感情を拾うのでいっぱいいっぱいで、本番中のことはほとんどその記憶しか残っていないんです。きっとまわりの方から、感情にたどり着くためにいろいろ導いてもらっていたのだと思うんですけど……。
──考えるより、とにかくやってみる、みたいな?
小清水
そうですね。覚えているところだと、例えばトレジャーハンティングの話(12話「宝探しはロマンチック!?」)。あの回の後半に、崖を登るシーンがあって、最初は普段ナージャが木に登ってるときと変わらない、「えいっ」みたいなかわいい声を出していたんです。
そうしたら、録音の川崎(公敬)さんから「ここは落ちたら死ぬ崖だ。もう疲弊してるんだけど、ちゃんと崖を掴まないと死ぬ。火事場の馬鹿力を出しているんだ。そんな気持ちでやって! キャラがぶれてもいいから!」とディレクションが飛んできて。
そこから何度もリテイクを重ねて、出てきたのが「っあ゛っ!」みたいな濁った声で(笑)。今なら最初から狙って出せるんですけど、当時の私は正解が出るまで食らいつくしかなかったです。まるでそう……スポ根でしたね!
──奇跡の1回が出るまで、粘って、粘って、作品が求める芝居が引き出されていく。おもしろいですね!
『ナージャ』のストーリーというか、あそこで描かれている人間関係や心理の機微って、当時はどう受け止めていました?大人同士の恋愛模様とか、階級社会のしがらみだとか、10代だと完全に理解するのは難しい気がするんですよ。
小清水
おっしゃりたいこと、わかります。たしかに私、大人になって見返してからの方が、『ナージャ』をより楽しめてるんですよ。もう収録が終わっているから、純粋に視聴者として観られるというのはもちろんあるんですけど、この年齢になって、いろいろなことをわかった上で見る『ナージャ』はもっと楽しいなと……。
──そういう深さがありますよね。
小清水
当時は内容を楽しむ以前に、そもそも私にとって「課題」だったんです。ナージャというキャラクターが生きるも死ぬも、自分の芝居をみんなに楽しんでもらえるかどうかにかかっていた。
そんな責任がのしかかっていたうえに、全然器用じゃない、できないことだらけの状態だったから、純粋にストーリーや映像の中身を楽しむ余裕がなかった。毎話の台本の感情の流れを「ここは楽しくて、ここでは切なくなって……」というふうに追いかけて、そのときのナージャをどう表現するかで、いっぱいいっぱいだったんです。
でも、そうだなあ……内容に関していえば、いっぱいいっぱいな当時の私でも、キースが鞭打たれるシーン(36話「危うし!命を賭けた黒バラ」)は「ドキドキする!」と思ったのはよーっく覚えています(笑)。
──ニチアサのアニメでやっていいのかな? と思わず感じる妖しさですよね(笑)。
小清水
当時はそんなふざけた感想は言えなかったですけど、これも今なら、もう、私もファンのみなさんも大人ですから、言っていいですよね(笑)。あのシーンで、私の中でヘルマンは「鞭打ちおいたん」として心に刻まれました。キースがあんなにひどい目に遭わされたけど、この感じ、嫌いじゃないな……と。
──大人っぽい描写でいうと、幼馴染だったはずが偽のナージャとして立ちはだかるローズマリーも強烈じゃないですか。
小清水
最後の方の追い込み方、ヤバいですよね?
──すさまじいですよ。大人になってから見ても、怖くて胃が締め付けられました。
小清水
ですよね。終盤のアフレコは、もうすぐ終わってしまう寂しさももちろんあったんですけど、それ以上にローズマリーに追い込みをかけられることがつらくて、毎回その意味で胃が痛かったです。
先日の『明日のナージャ』20周年記念の朗読劇をやるにあたって、あらためて全話を見返したんですけど、ローズマリーがどんどん酷いことをするラスト5話くらいは日を分けましたからね。今の私でも、続けてみるのはしんどくて(笑)。
すごい作品ですよ、本当に。
■『ナージャ』では出会わなかったコメディの難しさ
──それだけ重たい作品の現場で1年かけて揉まれると、あとはどんなタイプの作品が来ても怖くなかったんじゃないですか?
小清水
それがですね、たしかに未来に繋がる基礎は鍛えていただいたんですが、まだまだ勉強することはたくさんあったんです。
まず、『ナージャ』はコメディの回はあれど、根本的には真面目な会話劇なんですよね。日常から大きく離れない。でも次にいただいた大きなお仕事が、『スクールランブル』の塚本天満ちゃんだったんです。
──『ナージャ』のほぼ直後のお仕事ですよね。
小清水
高校を卒業する前にオーディションを受けて、ギリギリ卒業するかしないかぐらいのタイミングでアフレコが始まり、オンエアのタイミングでは卒業してました。そのタイミングでいただいたのが天満ちゃんと、初めてのゲームの仕事だった『テイルズ オブ レジェンディア』。ゲームのお仕事では『双恋 -フタコイ-』の方が先に世に出ているんですけど、オーディションも収録も『レジェンディア』の方が先だったんです。
──そうなんですね。
小清水
余談になりますけど、ゲームの収録って通常はひとりずつやるものなんです。でも「テイルズ」シリーズの会話シーンは掛け合いでとらせていただけるんです。それもあって、初仕事で勉強させていただくことはありつつも、『ナージャ』の経験は活かせたんですね。
ところが天満ちゃんですよ。
──原作は「週刊少年マガジン」の連載で、アニメも『ナージャ』とはガラッと違う作風ですよね。
小清水
『スクラン』は基本、ラブコメなんですね。青春ものの要素もあるけど、そっちよりもコメディの部分をどう処理するのかが強く求められるタイトル。そこですごく困ったわけです。
アニメだからこそできる、いい意味での「嘘」のテンションをどうお芝居で表現するか。急に前触れもなく怒ったり、落ち込んだり、気持ちの助走にあたるセリフなしに、いきなり感情のピークが来る。
──気持ちの流れを丁寧に追いかける『ナージャ』とは全然違うわけですね。
小清水
そうなんです。今はわかるんですが、ギャグ作品って、助走がないからこそ面白いんですよね。1秒前に大笑いしていた人が、1秒後にはもう絶望し、さらにその3行先のセリフではあっけらかんと悟りを開く。その落差こそが面白い。
その感情のスイッチングを身につけるのに、本っっっっ当に苦労しました。この作品で「コメディとは何か?」を学ばせていただいた。ちなみに、ここで得た学びをもっと磨きたいと考え続けて、現時点でのその集大成と呼べるお芝居が自分でできたのが、『ストライクウィッチーズ 501部隊発進しますっ!』なんです。
──おお、そこに繋がる。
小清水
「緩急こそが笑い」という考えに基づいて、畳み掛けるようにセリフのテンションに差をつける。そのための技術を磨き続けてきたのが、あの作品では発揮できました。機会があったら、比べてみていただきたいですね。