「ガチ勢はニコ動に上げるな」と言われたことも――踊り手姉妹ATYがそれでも貫き続けた、自分たちの「踊ってみた」
あらゆるジャンルの要素を取り入れた振付と魅力的なビジュアルで絶大な人気を誇る、明香里と夕香里の二人による姉妹ダンサーユニット『ATY』。数多くの踊り手がしのぎを削る「踊ってみた」シーンにおいて、活動開始から数年で確固たる地位を築いた彼女達。そんなATYを語るうえで欠かせないのが、作品ごとに全く違った一面を見せる、まるで演劇を見ているかのような卓越した表現力だ。
その表現力が高く評価され、ニコニコ超パーティー2016では初音ミクなどのボカロがステージで踊るMMD(MikuMikuDance)、さらには松岡充が『脱獄』を歌った際のバックダンサーも務めている。
二人の投稿する「踊ってみた」動画の完成度の高さに、当初は「ガチ勢はニコ動に上げるなよ」といったコメントもあったというが、それでも自分たちのスタイルを貫き通したATY。目に見えないはずの「感情」をそのまま体現したかのようなダンスの根底には、一体何があるのだろうか。幼少期のエピソードからATY活動前夜、そして現在の思いまで。胸に訴えかけるダンスの理由を探った。
取材・文:松永麗美
撮影:荒川れいこ
編集:サイトウタカシ
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小さな頃から「大人になったらみんな舞台に立つんだ……」と思っていた
――ATYのおふたりがダンスと出会ったのは、いくつの時ですか?
夕香里:
私は4歳くらいで、最初はクラシックバレエでした。ずっとバレリーナを目指していたので、実はジャズダンスは高校くらいで初めて触れて、ヒップホップに至っては20歳を過ぎてから初めてやったくらいなんです。
明香里:
私は小1からジャズとバレエを始めました。でもジャズの方が楽しくなっちゃって、バレエはあまり好きじゃなかった(笑)。中学からはヒップホップも習い始めて、さらに上京してからはお仕事の広がりとともに、よりいろいろなジャンルを踊るようになりました。
――ダンスは自発的に始めたんですか?
夕香里:
実はうちってちょっと特殊な環境で、両親がミュージカルの団体に参加していたんです。それこそ私が母のお腹の中にいる時から趣味で音楽やミュージカルをやっているような両親だったので、周りの大人がみんな踊って歌ってお芝居をしているというのが、当たり前だったんですよね。
明香里:
小さな頃は「大人になったらみんな舞台に立つんだ……」と思っていたくらい(笑)。そんな環境が日常だったこともあり、私たちも身体を動かすのが好きで、自分達から「ダンスをやりたい」と言ったらしいです。
――恥ずかしさや抵抗感といった壁が一切ない状態でスタートできそうな、恵まれた環境ですね。
夕香里:
そうですね、確かに抵抗感みたいなものは最初からまったく無かったように思います。
――影響を受けたダンサーさんや、憧れていた方はいらっしゃいますか?
夕香里:
私が影響を受けたのは、アレッサンドラ・フェリというイタリアのバレリーナです。既に引退されている方なんですが、技術だけじゃなく、それぞれのストーリーに合わせて全く違う顔を見せてくれるところが魅力的な方です。私自身も踊ること以前に身体を使って表現することが好きなので、憧れの存在でもあります。
明香里:
私は、井出リエコさんという地元のスタジオの先生ですね。これまで出会った誰よりも、井出さんからの影響を強く受けていると思います。井出さんに出会って、「単純な“ダンス”ではなく、気持ちや感情を表現するものがやりたかったんだ!」なと自覚させられました。
――ATYさんのダンスは感情表現が素晴らしいですよね。表情や緩急、間の取り方や歌詞と振付とのリンクなどによって、なんだか演劇を観ているような感覚になるというか。最近のものだと個人的に『ナンセンス文学』がすごく印象に残っています。
明香里:
ありがとうございます。『ナンセンス文学』の振りは、歌詞を読んで「ハチャメチャでぶっとんだフリを作りたいな」と思って作りました。
夕香里:
フリもハチャメチャ、表情もハチャメチャだよね(笑)。
明香里:
情緒が不安定な感じでね(笑)。 振付をする時は、歌詞を自分なりに解釈しつつ、画を思い浮かべながら作っていくことが多いです。『ナンセンス文学』は、ナンセンス文学という言葉を調べてみたりもしました。
ATY誕生の裏に敏腕プロデューサーSLHの存在
――ニコニコ動画への初投稿は、『メランコリック』のカバーでしたよね。
夕香里:
そうです。当時は「明香里と夕香里」という名前で投稿していたんですけど、いつのまにか「ATY」になりましたね……。
明香里:
SLH【※】が地元(山口県下関市)の先輩なんですけど、彼らもシェアロックホームズの頭文字をとってSLHじゃないですか。それと同じ感じで、明香里と夕香里も気付けばATYになっていて。
※SLH
正式名称SHARE LOCK HOMES(シェアロックホームズ)。YUMA、KARASU、SHIRAHAN、RYOからなるダンスユニット。
――最初に動画投稿を言い出したのは、どちらなんですか?
夕香里:
SLHのSHIRAHANです(笑)。
明香里:
SLHとはニコニコ以外のイベントに遊びで出たりしていたんですけど、 彼らが事務所に入ったこともあり、一緒にイベントに出ることが無くなってしまって。そんな折にSHIRAHANから、「ニコニコ動画に投稿してくれたら、一緒にコラボとかできるんじゃない?」と持ちかけられたんです。
――当時、ニコニコってご存知でした?
明香里:
私、まったく知らなかったんですよ。
夕香里:
私はニコ動の話を持ちかけられる前からボカロを聞いていたので知っていました。ボカロや歌い手さんの動画を見ているうちに、たまたまみうめさんの動画を見て、そこで初めて「踊ってみた」というジャンルを知ったんです。「こんなのがあるんだ〜!」と思いながら見ていたら、「あれ? なんか知ってる人もいるぞ?」となって……(笑)。
明香里:
「なんか地元で見たことある4人組がいるぞ?」ってね(笑)。
夕香里:
SLHの4人やみうめさんがすごく楽しそうに踊っている姿を見ていたから、SHIRAHANに誘われたときも「みんなと一緒にワイワイしよう!」くらいのテンションで考えていました。
――初投稿は2013年の5月でしたが、投稿後の反応はいかがでしたか?
夕香里:
最初の動画はSLHのアカウントから上げさせてもらったんですけど、初投稿に合わせて初めて作ったTwitterの通知が鳴り止まなくて、「何事⁈」ってびっくりしましたね。
明香里:
そういえば最初に投稿する曲を決めたのも、YUMAなんですよ。
夕香里:
「『メランコリック』か『いーあるふぁんくらぶ』か、どっちがいい?」って言われてね。
――ATYが世に出た裏にはSLHの敏腕プロデューサー達の存在があったんですね(笑)。2015年には初めてニコニコの公式イベントに出られていますが、当時のことは覚えていますか?
夕香里:
最初に参加した公式イベントは本社で行われたワークショップで、その後広島で行われた町会議に初めてショー的な形で出演させていただきました。その日の「踊ってみた」ブースにはATYとYUMA、KARASU、ぺんちゃん【※】がいたんですけど、「ぺんちゃんがいない間のMC、誰がやる? 」という話になって、急遽私も司会をやることになったんですよ。だからその日は「生放送をやって、目の前にいるお客さんにも対応して……!」みたいな感じで、かなりテンパったことを覚えています。
※足太ぺんた
ニコニコ動画・YouTubeで活動している女性踊り手。初投稿は2009年1月の 「ハレ晴レユカイ」、当時、13歳の中学1年生だった。
明香里:
でもすごく楽しかったよね。今思えば最初から良い経験ができたなと思います。
夕香里:
他の方とも交流できたしね。ああいう場じゃないと話せない方もたくさんいらっしゃるので、公式イベントはいろいろな人との出会いの場だなと思います。あと、出演を重ねた今は同窓会みたいな感覚になる場所でもありますね。