ジャバに囚われたレイアが“ビキニ姿”になっていたのには、ちゃんとした理由があった【スター・ウォーズ EP6/ジェダイの帰還】
毎週日曜日の夜8時から放送中の『岡田斗司夫ゼミ』。12月の放送では、金曜ロードショーの3週連続「スター・ウォーズ特集」を受けて、放送日時を変更し『スター・ウォーズ』の世界をより深く解説します。
12月8日金曜日の放送回では、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』を徹底解説。「この作品のテーマはすべてが終わってしまう切なさである」という岡田斗司夫氏。現在展開中の新シリーズに通じる、主人公のルーク・スカイウォーカーが抱える孤独について語りました。
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『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』ジェダイが崩壊したのはどう考えてもヨーダが悪くない?
『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』のテーマは終わってしまう切なさ
岡田:
僕が思う『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』のテーマは、終わってしまうということ。例えば、「学園祭が終わる」とか、「もう卒業する」とか、「修学旅行が終わる」みたいな。何かが終わる前の寂しさみたいなものが、この作品の見所なんですね。
『スター・ウォーズ』という作品について、特にエピソード4~6に関しては、「徹底的にポジティブで明るくて楽しくて、アクションがある映画」というふうに、ついつい思っちゃうんです。だけど、それはあくまでも、第1作目の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』と、次作の『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』に関しての話です。
比べて『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』は、徹底的に寂しくて切ない作品として作られていて、「爽快なアクションが魅力の作品なんだ」と思って見ると、どうしても腑に落ちない部分が多い。特に、映画のクライマックスで展開される、「銀河皇帝の手から怪光線がバリバリ出て、苦しむルークの前で葛藤するダース・ベイダー」というシーン。
怪光線を浴びたルークが「痛い! 痛いよ! お父さん!」と言うと、間に挟まれたダース・ベイダーが、「息子……銀河皇帝……息子……銀河皇帝……どうする? どうする?」とキョロキョロ見ながら、なぜか迷うんですけど。これ、はっきり言ってSF映画としては本当にバカみたいなシーンなんですよ(笑)。
岡田:
でも、なんでこんなバカみたいなシーンを入れたのか? このシーンは、いろいろな設定「帝国軍の宇宙船の中」や「広大な宇宙が覗く巨大な窓」、「ダース・ベイダー、ルーク・スカイウォーカー、銀河皇帝の関係」みたいなものをすべて取り払って見ると、極めてシンプルで切ない人間ドラマが残るんですね。
こういった、悲しみというニュアンスを持って『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』全体を見てあげると、すごくわかりやすくなると思います。
冒頭はあくまでも「明るく楽しいスター・ウォーズ」
岡田:
前半部、ジャバ・ザ・ハットの屋敷での話は、まだまだ「明るく楽しいスター・ウォーズ」です。なので、切なくて悲しいというテーマは、ここを見ているだけでは、まだわかりにくいと思うんですけど。やっぱり、ハン・ソロを救出するまでは、前作『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』でのテンポを残しているんですね。
これは、僕も何か証拠があって言えるんじゃないんですけども、ジョージ・ルーカスの中では、エピソード4~6を6時間ぶっ続けで見ても、ある程度は1つの話になるように作っていると思うんですよね。
なぜ、僕がそう思うのかというと、『スター・ウォーズ』というのは、元々は“シリアル”と呼ばれる連続活劇をイメージして作られているからなんですよ。シリアルというのは、毎週毎週、10分とか15分の新作映画を映画館で公開して、それを後で繋げても1本の映画として見ることも出来るという形の作品形体です。
岡田:
そして、『フラッシュ・ゴードン』のような、モノクロ時代の映画館でやってたようなシリアルを、もう一度、現代に蘇らせようとして作ったのが『スター・ウォーズ』なので、映画ごとにブツンと切れちゃうということではなく、1つの繋がりとして大きい話を作っている。
まあ、そういった雰囲気は、エピソード1~3のころにはなくなっちゃったので、それらが公開された当時は「ジョージ・ルーカスの中からは、もう、そういう理想は消えちゃったんだな」なんて思ったりしました。だから、ハン・ソロ救出までの時点で、「切なく悲しいスター・ウォーズ」というのは、ちょっとそんな予感がしている程度なんですね。
スペース・オペラのアイコンとしてのレイア姫の衣装
岡田:
ジャバ・ザ・ハットに囚われていたレイア姫が着せられていた、あのビキニみたいな格好というのは、なかなか良かったと思うんですよね。まあ、レイア姫役のキャリー・フィッシャーとしては、たぶん、年齢的にも見せるのは限界なところもあるんですけども。
やっぱり『スター・ウォーズ』の元々のイメージというのは“スペース・オペラ【※】”なんですよ。そして、スペース・オペラというのは、『火星のプリンセス』という作品に出てくる、デジャー・ソリスという火星人のお姫様に代表されるようなイメージを持っているんです。
※スペース・オペラ
サイエンス・フィクション のサブジャンルの一つで、主に宇宙空間で繰り広げられる騎士道物語的な宇宙活劇のことで、しばしばメロドラマ的要素が入っている。
岡田:
パルプ雑誌と呼ばれる、いわゆる昔の安物のSF雑誌では、「オスの宇宙人は、なぜだか全員、腕が6本くらいあるモンスターみたいに描かれるけど、メスの宇宙人は、もう絶世の美女」というのが定番だったんです。
そんな、美女の宇宙人が、ビキニみたいな肌もあらわなギリギリの格好で「あっはーん」としなだれているというのが、当時のSF雑誌の表紙の典型例だったんですね。
そこから端を発している『スター・ウォーズ』としては、そういった古き良きSFのイメージを出したかったんだと思うんです。そして、『スター・ウォーズ』の中で、ビキニを着せるとしたら、もう、レイア姫しかいないんですよね。
『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』というのは、そういった過去作でやり残したことを、全部詰め込んじゃってるんですよね。だから、ちょっと無理矢理な感じもするんですけど。
公開当時の僕が「あのビキニシーンを見れて嬉しかったか?」と聞かれたら、「お得感はないけど、これこれ。これでなきゃいけないよ。これはあってもいいものだよ」みたいな感覚はあったんですよ。
岡田:
まあ、『ラ・ラ・ランド』のクライマックスのキスシーンみたいなものですね。主役の兄ちゃんと姉ちゃんがクライマックスにキスをしたからといって、別に見ている僕らとしては嬉しいこともないんだけれど、「これがなけりゃ終われないよ。これこれ」と思うのと、すごく似たような感じですね。