ハル研究所の窮地を救った救世主『星のカービィ』誕生秘話「会社の存亡を賭けて作られたゲームだった」「当初は”ポポポ”という名前だった」
丸々としたピンクの身体と、何でも食べてしまう特徴でおなじみの「カービィ」。可愛らしく、穏やかな表情がたまらないキャラクターですが、登場するゲーム『星のカービィ』には、実はとてつもない秘密がありました。
それは、「倒産寸前だった企業を救った」こと。
本記事ではしばけんさん投稿の『【任天堂岩田社長】ハル研究所再建星のカービィ編【ゆっくり解説】』にて、霧雨魔理沙と博麗霊夢の二人が、ゆっくり音声で解説を行った様子を、画像を交えてご紹介いたします。
【任天堂岩田社長】ハル研究所再建
星のカービィ編【ゆっくり解説】
当初の名前は「カービィ」ではなく「ポポポ」だった
霧雨魔理沙(以下、魔理沙):
1991年頃に、ゲーム開発などを行う企業「ハル研究所」は倒産の危機に陥ります。この倒産寸前の状況のときに、ハル研究所は、まさに会社の存亡を賭けて新しいゲームをつくることになりました。いくつかの企画の候補のうち、実際に開発していくことになったのが、現在の『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズなどのディレクターを務める天才クリエイター・桜井政博さんの企画……。
その企画タイトルは『はるかぜポポポ』。のちに『ティンクル★ポポ』となります。
この主人公の名前は、最初は『ポポポ』でした。発売の予約も開始し、発売予定日は1992年1月下旬、価格も3500円と決まっていました。注文数も2万6000本取っていました。しかし、この数字は、会社の存続と再建をかけていることを考えると、厳しい数字でした。
当時、ハル研究所は、たくさんソフトを作っていたけれど、「技術力がある」し、ちゃんと「面白い」のに「あまり売れない」という結果になっていましたが、そこに、もう一人の天才ゲームクリエイターが現れます。
それは、任天堂の宮本茂さんです。
博麗霊夢(以下、霊夢):
マリオやゼルダの生みの親の人ですよね。魔理沙:
そうです。宮本さんに、その試作品の「ティンクル★ポポ」をみてもらったところ、「すごく惜しい。あともうちょっといじるだけで、ものすごく面白くなる」と、発売に待ったをかけます。その後、2万6000本の注文をすべていったんキャンセルします。そのあと、発売は延期され、いろいろと見直されることとなりました。しかし、実は実際にゲームの内容で変更になった点は、ほとんどありませんでした。ただ、大きかった変更は「ネーミング」と、商品の「売り出し方」でした。
そこで、主人公の名前は「ポポポ」から「カービィ」に変わり、タイトルも『星のカービィ』に変更されます。また、発売元も、ハル研究所からではなく、任天堂から発売されることとなり、潤沢な資金をもとに、大々的な広告宣伝が行われます。
まさに、ハル研究所が存亡をかけて、ゲームボーイから1992年4月27日に発売されます。ハル研究所のスタッフや任天堂など、様々な人達の力を集結して、たくさんの願いが込められ生まれた『星のカービィ』は、という、1作目にして、国内で172万本以上、全世界累計500万本という、とんでもない数字を叩き出します。
霊夢:
仮注文から桁が2つも違う……宮本さんの判断はすごいですね。
救世主となった『星のカービィ』の快進撃
魔理沙:
その後、ハル研究所は「いいモノをつくってカービィをブランドにしよう」「お客さんがカービィを買えば安心ってイメージをつくろう」と、会社が一丸となって頑張ることになります。ここから、カービィの快進撃が始まります。
カービィが、初めてコピー能力【※】をもつことになった、2作目の『星のカービィ 夢の泉の物語』は、国内で100万本以上のミリオンセラーとなりました。
※コピー能力
能力を持った敵を吸い込んで自分のものにするカービィの能力。この成功によって、ハル研究所は「自分たちが納得できるいいモノを作れば売れる」という意識となり、「ユーザーのみんなが満足できる作品づくり」をしていくことにつながっていきました。
3作目の『星のカービィ2』は、1995年3月21日にゲームボーイより発売。国内で149万本以上を売り上げます。
4作目『星のカービィ スーパーデラックス』は、1996年3月21日にスーパーファミコンから発売。2人同時プレイなこのゲームは、国内110万本以上の売上を記録しました。
そして、その後に発売される星のカービィシリーズは、全て含めて世界中で2000万本以上を売り上げています。
霊夢:
感覚がマヒするくらい桁違いの売上ですね。
いかがでしたでしょうか。
窮地に立たされたハル研究所で、数多くの人たちの協力のもと、1992年4月27日に生まれたカービィは、その後も大切に育てられ、全世界で愛され続けました。
動画では、より細かいカービィの誕生秘話や、誕生のきっかけとなった、任天堂の故・岩田聡元社長の逸話も語られているので、ぜひともご覧になってみてください。
【任天堂岩田社長】ハル研究所再建
星のカービィ編【ゆっくり解説】
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