36歳独身女性の嘆き「キャリアウーマンにも母にもなれなかった……」←これって『他人と比べないと自分を確立出来ない不幸』の典型じゃない?
ニコニコニュースにて、36歳独身「キャリアウーマンにも母にもなれなかった」嘆きに激励 「人生の結果を語るには若くない?今から何か変えてみたら?」という内容の投稿が注目を集めています。
この話題を受け、pha氏・小飼弾氏・山路達也氏が4月17日配信の『小飼弾の論弾4/17「ゲスト対談:pha氏 1億総ニート化計画 やっぱり働いたら負けだっ!」』では、「なりたい何者かの正体について」この問題について語った。
誰もが陥る“自分は何者か”という病の正体
山路:
ちょっと前にニコニコニュースで取り上げられていた「36歳独身、キャリアウーマンにも母にもなれなかった嘆きに激励」みたいなニュースがあって、要は「何者にもなれなかった」という話なんです。でも「この“何者”ってなんだ?」と思うんですよね。
小飼:
これ、ほんとに典型的な「人様と比べないと自分が何者かが確立出来ない不幸」というのが出ていますよね。こう言うのもなんですけども、36歳でちゃんと一人暮らしできているのは、たいしたことだと思いますよ。36歳ぐらいだと、親の脛をかじって生きている人たちというのは、日本だけでなく、世界中にいくらでもいるので。そこで一人暮らしできているというのは中々すごいじゃない。
山路:
国によっては、10人か20人くらい家族がいて、そのうち働いているのが一人か二人ということも、けっこう普通にあります。この何者ということについて、私が思ったのは、「SNSとかで、キラキラしている人とかのことかな?」と。
小飼:
僕の友人が言っていたんですけど、「昔は地区予選があって、県予選があって、全国大会があって、それに勝ち抜いて、ようやく世界大会だったんだけど、今はタイムラインに載っちゃうと、いきなり世界チャンピオンになってしまう世の中だ。それってツライよね」と。
山路:
フェイスブックで見かけるような、それこそスーパードライの広告に出てくるみたいな感じの生活をしている人と比べても、しょうがないんじゃないかなと思うけど、比べちゃいますよね。
pha:
そうですね。
小飼:
確かに、敷居が高くなったというよりも階段の段数が減った? 前は、一段一段を上っていく感じだったけど、今は最初の一段だけがものすごく高い感じ?
山路:
確かに「自分のやっていることは、たいしたことないな」と比べちゃうのは、ある気がしますけどね。
根幹は理想の自分に対するハードルの高さ
pha:
でも、理想が高すぎるとも思いますね。僕なんかは、別に「生きているだけでよくやった」みたいな感じがするし、SNSとかを見ても、上ばかり見ずとも、下の人だってたくさんいるんです。無職とか、ひきこもりとか。自分より上手く行ってない人とか。
山路:
phaさんは、例えば本を出したりとかして、自分の中で「何者かになった感」は、ありますか?
pha:
いや、ないですね。僕なんかは、「どう評価されるか?」とか「どう見られるか?」とか。自分がやりたいことをやったらこうなったというだけで。人と比べるというのがないというか。わからないです。
小飼:
そこは共通しているかな。
山路:
本当にそう思いますよ。別に、弾さんが人と比べてどうとか聞いたこともないし。
pha:
それが幸せに生きるコツなんじゃないかと思いますよね。「何者か?」とか「人から見てどうか?」というものとは関係なく、自分の好きなことをやるという。
小飼:
昨日の自分に出来なかったことが、今日、出来るようになっていたら、それは嬉しくないですか? 例えば料理ひとつ取っても。
山路:
本を読むことの面白さっていうのも、先ほども仰っていたように、本質的には何かよく分からないことが分かったっていう嬉しさであって、何冊読んだからどうだっていうのでもない気がしますよね。
小飼:
でも「自分で自分を承認できる」というのも、ある種の才能になっちゃうのかな? でも、それを言ったら、人と比較して自分の位置を正確に測定できることが、僕は才能に思えるけどな。序列がわかるとか。
山路:
ただ、その序列というのは、先ほど仰っていたように、今や“世界ランキング”となっていたりとかするから、そういう人は大変ですよね?
pha:
そうですね。序列がわかっても、上には上がいるからキリがないし、どこまでいっても満たされないんじゃないかと思いますね。
何者かになれる仕事ってそんなにない
山路:
今の世の中で「おお!」って言われる仕事をやるのは、けっこう難しくないですか? 例えば、それこそ「Googleに入って人工知能を作りましたよ」とか、あるいは「ユーチューバーになって年収4億円稼ぐ」とか。
なんかその、「いいね」と言われるレベルが、めちゃめちゃ高くなっている気がしますね。
小飼:
「いいね」と言われないとダメなの?
pha:
なんか性格次第な感じもしますよね。僕は元々こんな感じだし。
小飼:
そうか。“自己満足”って才能だったのか。僕は食欲とか性欲とか睡眠欲とかその類ぐらい自然な事だなと思っていたんですけど、誰かが、承認してあげなきゃいけないのか?
確かに「すごい」と言われるとそれはそれでうれしいけれども、「自分で出来たー!」というほどではない。でも、往々にして、自分が「すごい」と思ったものの、すごさを理解してくれる人というのが、ガクッと少なくなったりとかしますからね。案外、他愛もないことを言っていたほうが「いいね」がついたりするものです。
山路:
友達同士で上手く楽しい人間関係が作れていたら、あまり序列を決める必要はないかもしれないし。
pha:
それが満たされない、寂しい人が、序列とか権威を必要とするというのは、あるかもしれないですよね。
自分で自分を承認するより他人に承認される方が楽
小飼:
でも、もしかしたら、他人の承認の方が安価というか、コストパフォーマンスがいいのかもしれない。というのも、今気がついたんだけど、例えば「すごいね」「いいね」という、人からの評価とか承認というのは、弱くても、たくさん集めようと思えば集められるわけじゃないですか?
対して、自分で自分を承認するというのは自分一人でしょ? だから掛け算効果が弱い。家族も含めて考えても、両親がいたら「すごい」と言ってくれるのは二人に増えて、兄弟とかいたら、さらに増えるわけでしょ?
山路:
で、ネット上とかで承認されたらもっと増える。だから、みんなキラキラした写真をSNSに上げるということでもあるのかな?
小飼:
そうかもしれない。確かに人に承認してもらうほうが安価だ。今ごろになって気が付いた。
山路:
自分でゲームを作って自分で王様になる。まあそれが出来る人ってのはまあ、まさにphaさんとかもそうですよね。
pha:
ああ、そうですね。自分でシェアハウスを作った時。
小飼:
でも、「シェアハウスいいね、俺も真似させてくれ」とふうに言われた時も嬉しいだろうけど、シェアハウスが「出来た時」が一番うれしいでしょ? じゃあ、どっちが嬉しいかと言ったら出来上がった時の方が嬉しい?
pha:
出来上がった時ですね。
小飼:
僕もそうだ。
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