「特撮が全部CGになるのは悲しい。」映画評論家たちが考える『シン・ゴジラ』以降の日本の特撮映画
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シン・ゴジラが壊したものは「日本の特撮」
添野:
『シン・ゴジラ』はミニチュア特撮を今後どうするかという問題を提示した。部分的にミニチュアを使っているが、本当はもっと使うはずだった。アニマトロニクス、ロボットを使うシーンも予定されていたが本編に使われなかった。これは実際にものを作って撮る日本の特撮ファンにとって悲しい展開なんです。CGであれだけのものが作れるなら、全部CGでいいじゃんという話になる。
藤津:
『ジュラシック・パーク』のときにスピルバーグ監督が最初アニマトロニクスで撮るつもりだったけど、CGに切り替えたときと一緒ですね。
添野:
庵野さんと樋口さんは特撮博物館をやって、いかに日本の特撮技術がすごいかという問題提起をしたけども、『シン・ゴジラ』を作ったことで、事態を先に進めたのではないかな。
サンキュータツオ:
特撮は映像の手品を見るような楽しさがありましたが、全部CGになるのは悲しい。
堺:
逆に言うと93年のアメリカがCGへ舵を切ったのと同じ流れが日本にも来たとも言える。アメリカと同じように引き返すことはないんじゃないかな。
サンキュータツオ:
それは『シン・ゴジラ』だったからなのか、今後の特撮作品すべてに言えること?
堺:
一度この映像見てしまうと、これ以下のクオリティではお客さんが許してくれなくなるのではないですか。
添野:
時間とお金がかかっているので、どの映画でも同じことができるわけではないでしょう。
堺:
東宝が次のゴジラをどうするかも悩むと思うけど、ガメラはどうしようとか、他の会社も困ってると思いますよ。
サンキュータツオ:
つまりゴジラは日本の特撮を壊してしまったかもしれない。全部CGで片付けられたら特撮でも何でもないですね。
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