「お坊さんは人と釈迦の教えという情報を繋ぐメディアである」元DJ住職に何故テクノ法要をするのか?聞いてみた
お経のメロディは全く変えていない、テクノ法要は蓮如さんの原曲リスペクト!
──朝倉さんのそういったところには驚かされます。これまでも音楽と仏教のコラボは実は結構行われているんですが、音楽の側からのアプローチではすごく仏教に気を遣っているという感じがしていて、それに対してテクノ法要は仏教に対する変な遠慮がないと思っています。そこにはご自身がお坊さんであるということで突破できているのかなと思ったんです。
高橋:
テクノ法要の曲の『正信偈』【※】も『礼賛』【※】もそうなんですけど、お経のメロディ自体は変わってないわけですよね。
※正信偈:正信念仏偈。親鸞の代表的な著書『教行信証』に収録されている偈(讃歌)。蓮如によって節を付けられ唱えられるようになった。
※礼賛:往生礼讃偈。中国の僧・善導によって書かれた極楽往生を願う偈。浄土宗の開祖・法然の弟子・遵西によって節が付けられたという。
朝倉:
アレンジをしているだけです。
高橋:
蓮如さんリスペクトという感じですよね。
朝倉:
蓮如さんが作ったものをすごく大事にしたいという思いが強くあるんです。
──原曲のメロディはちゃんと生かして、バックトラックだけを変えたわけですね。そこはやはりDJ的な感覚だったりするんでしょうか?
朝倉:
その感覚はあるかもしれませんね。
──Remixですよね。朝倉さんはYouTubeに複数の曲を融合させるMashup動画を上げたりされてますが、Remixはあまりやられていませんよね。
朝倉:
Mashupはコレとコレを合わせるともっとカッコ良いなと思うんですけど、やっぱりRemixしたいのは自分の好きな曲じゃないですか? でも、好きな曲は好き過ぎて、それ以上いじれないんですよ。
──テクノ法要は、大好きな曲だけどバックトラックが元から無かったので良かったということですね。
朝倉:
そうです!
──自分がRemixすることで伝えたいという宣伝マンとしての強い気持ちもあるんでしょうか?
朝倉:
それよりも、それが古臭いと言われることが嫌だったんです。だから違う聴き方をすれば良いんじゃないのか? という。
今の人は仏教に興味が無いのかと勘違いをしていた
──近代化の過程で、仏教がいつの間にかにお葬式だけになってしまった。
朝倉:
それが悔しくってね。
僕が勘違いしていたのは、今の人は仏教に興味が無いのかと思っていたんです。でも、興味を持っている人がたくさん居て、お坊さんと話すわけではないけれど、本を読んでいたり、ネットからそういう情報を得ていたりするんです。
せっかく興味を持っているのに、お寺との接し方が分からない。だから、お寺との接するポイントを作るということをしているんです。
昔は、お寺という存在が格が高いとか、話しにくいとか言われていたんです。特に僕らの父親世代なんかはそういう感覚が強かった。それがずっとそのまま来ていて、ただ縁遠くなってしまった。
家とお寺との関係が今崩壊している。宗教は飯食うためのものなのか?
朝倉:
昔から伝わっているシステムが、家とお寺との関係。それがいま崩壊していると思っているんです。それで、教えと個人との関係にどんどんなってくる、そうならないといけないなという感覚もあるんです。その中でいろんなマッチングあって、だから超会議でご一緒する寺社フェスの「向源」とも付き合いたいんです。
──確かに「向源」には色々なワークショップがあったり、来られる人と直接何かをするというイメージですね。若い仏教の方の考え方が、そうした方向に向いているのでしょうか。
朝倉:
今までのやり方に疑問を持つ僧侶がどんどん増えていて。
──今のままでは、お寺は観光地でもない限り行かないような場所になってしまう。
朝倉:
宗教は飯食うためのものなのか? 単純にお葬式やったら、呼ばれて行って、お布施もらって、それで良いのか? ということなんです。僕の意識は。
──平安〜鎌倉時代にかけて、貴族社会から武家社会に変化する中、法然や親鸞が念仏を唱えるだけで良い、極楽浄土に行けると、仏教をシンプルに改革しなければいけなかったように、今も大きな時代の変化で価値観が揺らいでいます。
朝倉:
今、価値観が多様化はしているけれども、その多様化が正常な多様化かというと、ちょっと疑問があるんです。
いつの時代も多分、病んでいるんですよ。いつの時代も大変だし、その時代を生きている人だからこそ、その時代の大変さがわかるだけで。みんな苦悩しているのは一緒なんですよ。今の苦しさしか、僕は分からないから、今が一番苦しいと思っているけども。