「お坊さんは人と釈迦の教えという情報を繋ぐメディアである」元DJ住職に何故テクノ法要をするのか?聞いてみた
死んだときではなく、生きているときのためのテクノ法要
──かつては、死後に極楽浄土に行けるかどうか? が人々の大きな関心であったように、生命の危機が人の苦しさの大きな部分を占めていたと思います。今の人も苦しんでいるけれども、それは生命の危機が迫って苦しんでいるわけではないですよね。
高橋:
実際、仏教の根本的なお話って、「生きることが実は苦しみである」というところから始まっているわけですよね。仏教が始まったインドには輪廻転生の思想があって、そこからの解脱が仏教の根源的な教えである。それを思うことによって心の平穏を得る。
昔は死と直面した世界があったけれども、今の世の中って、ここに来て、生きているのが苦しい世界なんじゃないのか? と萎みがちな気がするんです。その時に改めて、テクノ法要というものが出てきて、今こそ仏教というわけじゃないけれども、そのきっかけの一つだと思うんです。
朝倉:
仏教というのが、「生きている僕の隣にあるものなんだ」という感覚を持って欲しい。「あれは、死んだ人のためにあるものだから、生きている俺関係ないよ」という印象を変えていきたいんです。
──確かに、そういう印象になっちゃっています。
朝倉:
テクノ法要に対する批判が、「死者に対して、そんなことは悪いでしょ」という批判しかないんですよ。
──ニコ生のコメントで、「オレの葬式、コレにしてくれ」というのも流れたりしました。
高橋:
どうしても印象そうなっちゃうんですよね。
朝倉:
そうなんです。「それは生きてる時にやりましょうよ」ということなんです。
──実際にお葬式でやるやらないは別として、お葬式を変えようとか、そういうことではないと。
朝倉:
「死んだら見れないよ、自分で」って。生きている時こそやりましょう。
床に直置きしてはいけない経典もスマホで見れる時代、本当に大事なのは情報
──生きていることが苦しいという今の時代に、お坊さんができることって何でしょう?
朝倉:
最近、思うのが、今は経典などもスマホで見られるんですよ。でも、僕らが習ってきたのは、経典の本を直接床に置いてはいけない、畳においてはいけない、ありがたいものだからと。今、スマホで見られるようになっている経典があるけれど、じゃあ、そのスマホは下に置いてはいけないのか? それは何を大事にしていたのか? それは本としての物ではなくて、その中の情報なんです。
お坊さんという存在も、情報を持っているから、情報がありがたい。だから、お坊さんは崇められたわけですよ。それはお坊さんである僕ではなく僕の持っている情報なんです。本ではなくて情報が大事。そうすると、スマホが大事なんじゃなくて情報が大事だと考えれば、全部辻褄が合うんです。
僕の情報じゃなくて「僕がありがたい」となってしまうと弊害が出てくる。話しにくくなってしまいます。
高橋:
スマホやテクノロジーによってあらゆるツールを使って、情報に触れられる世界が作られた。正しい情報を間違って伝えなければ、それはどんなツールを使っても良いという話ですよね。
テクノを使っても構わない。それこそ、ゴアトランス法要があっても構わないわけですよね。
お坊さんはメディアである
──ただ、そういうお話になってくると、お寺やお坊さんは要るのか? というお話にもなるかと思うんです。情報には誰でもアクセスできるようになったのですから。
朝倉:
僕は、個のお付合いだと思うんです。ネットの情報や本などのテキストになっている情報は、一般に対して書いているものなんです。それが直接お話をすることによって、僕が持っている情報をダイレクトにその人が分りやすい形にできる。
お坊さんは、メディアなんです。多分。
媒体としてお釈迦さんの教えを伝えるという、そういう存在なんです。昔からメディアだったのですが、一時何故かお坊さんというメディアが偉いぞという空気感があったと。それはちょっと違うんじゃないでしょうか?
──メディア+情報で凄かったものが、情報よりもメディアが権威を持ってしまった。しかし、本当に凄かったのは情報であると。
朝倉:
そうです。だから、メディアは情報を正しく伝えなきゃいけない。
──ということは、情報に誰でもアクセスだけはできる時代になって、またメディアの方も重要になってくる。
朝倉:
情報というのは、それがちゃんと読めない場合があるんですよ。
──今は情報があまりに氾濫しすぎて、アクセスがかえって難しくなっています。
朝倉:
僕というメディア、あるいはお寺というメディアが、この人にはこういうふうな伝え方をしないと理解してもらえないなということを、分かった上で細やかに伝えていくのがお坊さんメディアだと僕は思っているんですよ。
高橋:
朝倉さんが以前、テクノ法要というものに触れてもらって、これは全くもって受け入れられない、かつ仏教も受け入れられないと思ったら、それはもう引き返してもらっても良いとおっしゃっていたと思うんです。
ご自身は素晴らしいものだと思っていて、自らそこへのインターフェイスにはなるんだけども、それに触れた人たちがどう思うか?というところまでは、強制しようとはしていない。
朝倉:
批判も受け入れますよというのは、そういう感覚なんですよ。
──朝倉さんはメディアだからテクノ法要をやる、ということなんですね。情報を求めていても、情報にアクセスできなかったりする人たちがアクセスできるようにするための。
朝倉:
「この情報にアクセスしたいな」と思ってもらえるようにする。
──入口なのですが、テクノ法要はただ「入口を作ってみました」というのとは少し違う気がするんです。潜在的に仏教的な世界観に興味がある人達がいると分かった上で、テクノ法要をされていると思うので、ただの入口ではないと思うんです。
朝倉:
もちろん意図があって、伝えたいことがたくさんあるんです。
──そう考えると、蓮如にしても、親鸞にしても、メディア改革のようなことをやった方ですよね。
朝倉:
ちょっと失礼なのかもしれないですが、ニコニコさんにしても、例えば放送局とかのマスメディアというものは、個に対して何かをするというのは、なかなか難しいんです。お坊さんはそれができるメディアなんです。だからお坊さんの数はたくさん必要なんです。
お釈迦様に捧げる「テクノ法要」24時間一挙放送【4/8お釈迦様の誕生日】
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来る4月28日(土)、29日(日)に開催されるニコニコ超会議2018では、若手僧侶たちが手がける寺社フェス「向源」ともコラボレーション。
テクノ法要では、超会議のための新たなミックスが用意される。さらに新たな「あなたのテクノ法要」では特設ページから素材をダウンロードして、ユーザーが自由な解釈でテクノ法要を作ることができる企画も現在進行中とのこと。乞うご期待!