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10万人以上処刑された“魔女狩り”の元凶は女性不信丸出しのトンデモ本!? 聖職者のバイブルか、稀代の悪書か『魔女に与える鉄槌』の正体【三崎律日:奇書の世界史】

 かつては“名著”と持て囃されたのに、時代の移り変わりのなかで「数“奇”な運命を辿った“書”物」=“奇書”の扱いを受けるようになってしまった本が、世界には存在します。

 三崎律日氏(@i_kaseki)による『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(以下、『奇書の世界史』)では、時代の変遷に伴う価値観の変化で、いつの間にか「奇」の1文字を冠されてしまった本たちが、歴史にどのように関わってきたのかが紹介されています。

 ときに、それら奇書が歴史に与えた影響の中には、にわかに信じがたいものもあります。

 本記事では、8月23日(金)に発売される『奇書の世界史』第1章より、『魔女に与える鉄槌』の紹介を無料でお届けします。
 この本が、いかにして中世の異端審問者のあいだで必携書となり、魔女狩りを本格化させて罪のない人々の命を奪ったのか? その謎に迫ります。


一人の男が“怒り”で書き上げた

 『魔女に与える鉄槌』は、3部構成からなる、魔女狩りに関する手引書と言える書物です。1486年に初版が出たのち、1669年までの間にフランス語版、ドイツ語版、イタリア語版、英語版が発行されて、増刷を重ねた数は少なくとも34版、3万部以上刷られています。

『魔女に与える鉄槌』1669年版の題扉。
(画像はWikipediaより)

 15世紀末から16世紀初頭における、異端審問官たちの必携書として、魔女狩りが本格化するきっかけとなりました。一連の異端審問によって死に追いやられた犠牲者の数は10万人にも上ります。
 この本を著したのは、異端審問官であったハインリヒ・クラーメル【※】という男です。本書は彼がインスブルックというオーストリアの町で味わった、人生初の大敗北をきっかけに生まれました。

※ハインリヒ・クラーメル
Heinrich Kramer(1430年~1505年)。15世紀ドイツのドミニコ会士、宗教裁判官。

 1485年から始まった、インスブルックでのクラーメルの異端審問は、被疑者に自白させるためなら脅迫や暴力も厭いませんでした。時には審問の記録を歪曲することさえありました。彼の容赦ないやり方は、市民のみならず、現地教会の反感をも招くことになります。そしてクラーメルは審問委員会による精査を受けることになったのです。その結果、クラーメルの審問は棄却され、教区から追放されました。
 クラーメルにとって、これは屈辱的な大敗でした。彼は経歴に傷をつけられたことで怒りに燃え、自身の異端審問官としての知識を総動員して1冊の本を書き上げます。のちに『魔女に与える鉄槌』と題されるこの本は、魔女の危険性を訴えるだけのものではありませんでした。クラーメルが異端審問官として培った、

「魔女を見つけ出す技術」
「魔女を自白させるための効果的な拷問法」
「処刑のための教義的に正当な方法」

 などが事細かに記されていたのです。まさに魔女狩りのためのハウ・ツーです。

スペインの異端審問。
(画像はWikipediaより)

 本書には次のような一節があります。

 女はその迷信、欲情、欺瞞、軽薄さにおいてはるかに男をしのいでおり、体力の無さを悪魔と結託することで補い、復讐を遂げる。妖術に頼り、執念深いみだらな欲情を満足させようとするのだ。
『ユリイカ』(1994年2月号、青土社)より引用

 この文章からも分かるように、クラーメルの女性に対する不信感は並々ならぬものがあったと推察されます。
 実際、「魔女」とされてはいるものの、当時、魔術を使うとされた人間は必ずしも女性に限ったものではありませんでした。しかし、クラーメルはとりわけ女性に対する記述【※】を多く記しています。

※女性に対する記述
クラ―メルが記述のなかで「MALEFICARUM」、つまり女性名詞を用いていることから、witch=魔「女」のイメージを決定づけたものであるとする研究者もいる。

 もはやヒステリックと言える内容ですが、ここでひとつの疑問が浮かびます。なぜ一介の異端審問官にすぎない男による“怒りに任せて書いた書物”が、15、16世紀における魔女狩りを先導(扇動)するほどの力を持つことができたのでしょうか?
 ここには大きく3つの理由があります。

教皇のお墨付きを悪用したクラーメル

 まず第1に、本書の共著者とされている、ヤーコブ・シュプレンガーの存在です。
 シュプレンガーは当時、神学研究において最も権威のある大学のひとつ、ケルン大学神学部の教授でした。
 クラーメルは本書をケルン大学へ送り、査読を依頼しました。そして神学部教授陣8名による「クラーメルの考察は学術的に正当なものである」という同意書を取り付けたのです。
 しかし後年の研究では、この同意書にはケルン大学から訂正の申し出があったことが分かり、クラーメルの捏造である可能性が指摘されています。共著者であるシュプレンガーも、クラーメルの活動を拒んでいた節があり、著書に関してもあくまでも名義貸しだけであったとも言われています。

 『魔女に与える鉄槌』の冒頭には、「限りなき願いをもって求める」と題された教会教書が収録されています。この教書を著したのは当時の法王インノケンティウス8世【※】です。魔女の実在とその脅威を訴える文言とともに、クラーメルに対して魔女狩りの権限を与えるということが記されています。

※法王インノケンティウス8世
Innocentius VIII(1432年~1492年)。15世紀末のローマ教皇(在位は1484年~1492年)。

 しかしこの教書は、『魔女に与える鉄槌』が書かれる2年前に、クラーメル個人に対して発行されたものでした。つまり、書籍そのものに対して許可を与えたわけではありません。ところがクラーメルは、著書の権威強化のために教書を「序文」として悪用したのです【※】


イノケンティウス8世はその数年前、すでに魔女狩りを奨励するような教書を公布していたので、明らかな被害者とするには無理がある。

 教皇による教書というのは、神の言葉に等しいほど絶大な威力を持ちます。本書は冒頭に教皇のお墨付きを付け加えたことで、爆発的に普及するにいたったのです。 
 ちなみに、聖書のなかにも異端者の糾弾を奨励するような記述が存在します。『魔女に与える鉄槌』が発表された15世紀よりもずっと以前から、すでに異端とする存在を目の敵としていました。

「魔法使の女は、これを生かしておいてはならない」(『出エジプト記』22.18)
「あなたがたのうちに、(中略)魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない」(『申命記』18.10~11)
『旧約聖書』(1955年訳、日本聖書協会)より引用

印刷技術の革新で、大量に生産された

1568年に描かれた印刷所の様子。
(画像はWikipediaより)

 第2に、活版印刷技術の出現もこの本の流布を後押しすることになります。ヨハネス・グーテンベルク【※】によって活版印刷技術が実用化されたのは1455年、この本が出版された1486年は活版印刷による書籍印刷ブームとも言うべき時代です。それまで書物は、手写して複製するしかありませんでした。美しい活字によって記された書物は実際以上の神秘性を伴っており、大量生産によって瞬く間に普及したのです。

※ヨハネス・グーテンベルク
Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg(1398年頃~1468年)。ドイツ出身の金細工師、印刷業者。

時代と合致したがゆえに招いた不幸

 第3は、何と言っても本書の内容です。
 『魔女に与える鉄槌』が出版された時代には、ペストの流行や、小氷期と呼ばれる気候変動がヨーロッパ全土を襲いました。人々が病に倒れるなか、寒さに弱い小麦やブドウなどの作物も次々と枯れていったのです。その様はまさに「終末」と呼ぶにふさわしく、先行きの見えない不安が蔓延していました。そんななか、「この世の悪は魔女によってもたらされている」「魔女の増加は終末をもたらす」と語る記述が、当時に生きる人々の不安と合致してしまったのです【※】


事実比較的温暖な気候であったされる12~13世紀頃は、魔女狩りに関する記録は比較的少ない。

ペストによって死屍累々となった街を描いたヨーロッパの絵画
(画像はWikipediaより)

 村で起こった不幸に対し、人々は明確な「犯人」を求めました。村で疫病が流行れば、「酒場の女主人が毒を混ぜたに違いない」と疑い、産後に産褥熱(さんじょくねつ)で母親が死ねば、「産婆が魔術を働いた」と告発しました。
 こうして数々の追い風を受け、『魔女に与える鉄槌』はヨーロッパ全土へと広まっていき、「暗黒時代」と呼ばれた12世紀をも上回る数の犠牲者を出すことになるのです。

――以上が『魔女に与える鉄槌』に関する紹介です。
 本書は全編にわたり、特定の宗教・宗派を批判する意図は一切ありません。かつてキリスト教の一部の思想を拠り所として行われた魔女狩りですが、これは時代や場所が変われば別の宗教や主義主張のもとでも行われています。たとえば、アステカ王モクテソマ2世は、メキシコ中の魔術師とその家族を虐殺した記録が残っています。また16世紀のアンゴラでは、干ばつを起こした疑いで「天候を操る」とされた人々が殺害されました。こうして歴史を眺めてみると、「鉄槌」に類する主義主張は数多く見つかります。
 この本を「良書」と呼ぶか「悪書」と呼ぶかを判断するのなら、多くの人は「悪書」と断ずるでしょう。しかしそれは、現代の価値観に基づいたものにすぎません。かつてはこの本が(局地的ではあったにせよ)「良書」として扱われた時代があったことを忘れてはならないのです。
 私たち一人ひとりがいまバイブルとして信じている主義主張が、他の誰かへの「鉄槌」となっていないかは常に顧みたいものです。


 『奇書の世界史』には、本記事で紹介した『魔女に与える鉄槌』の他にも、謎の暗号で記述された架空の植物しか出てこない図鑑『ヴォイニッチ手稿』や、18世紀のイギリスで、ニセ修道士の手で書かれ知識人が次々と騙された“偽歴史資料”『台湾史』など、知的好奇心をくすぐる“ヤバい書物”の数々が紹介されています。

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