IT業界に永遠に語り継がれる宿命のライバル――スティーブ・ジョブズ&ビル・ゲイツ
ニコニコドキュメンタリーでは、『ザ・ライバル』と題して、世界が注目する“ライバル関係”を描いた12作品を、ニコニコ生放送にてお届けします。
本稿では、そんな『ザ・ライバル』シリーズの内容を、プロデューサーを務める吉川圭三が6月28日に放送される『ジョブズVSビル・ゲイツ ~ヒッピーとオタクの対決~』を解説。
「世界まる見え!テレビ特捜部」や「恋のから騒ぎ」など、数々の人気テレビ番組を手がけてきた吉川氏が語る、対決の見所とは……!?
世界を変えた2人の物語
アップルのスティーブ・ジョブズは、そのあまりにもドラマティックなその人生の軌跡から2度も映画化されてる。映画化2回目は「スラムドッグ$ミリオネア」で第81回米アカデミー賞(2009年)の最優秀作品賞を獲得したダニー・ボイルが監督した。
終始ハイテンションで喋りまくるジョブズの姿が印象的だった。また、彼の評伝やドキュメンタリーやインタビューも数多く世に出ているので、かなり多くの方々がジョブズの波乱の人生を知っている。
一方のビル・ゲイツはシアトルの裕福な家に生まれ、ハーバード大学在学中にMicrosoft社を設立。パーソナル・コンピューターのオペレーションシステム(OS)BASICやMS-DOSやWindowsシリーズを開発。世界のコンピューターシステムを制覇して2017年も世界一の大富豪になっている。
いまは経営の前線を退き、主に慈善活動をしている。ゲイツの人生はある種、平坦で映画にもなっていし、ドキュメンタリーも希少で評伝も少ない。
『ザ・ライバル』ジョブズVSビル・ゲイツ ~ヒッピーとオタクの対決~より
しかしこのドキュメンタリーはジョブズと対比しつつゲイツの足跡を辿り(たどり)、秘話が満載された貴重な作品となっている。策士でテンションの高いジョブズと、プログラマーで同じく戦略家でビジネストリップにもエコノミークラスを利用するというゲイツの対立と協力関係を描く、おそらく世界唯一の作品である。
ここでまず、何度、振り返っても興味深いので、以下ゲイツとのエピソードも挟みつつ簡単にジョブズの人生の軌跡を記しておく。
20世紀を代表する2人の偉人の35年の物語
ジョブズはシリア人留学生の父と米国人の母の間に誕生したが、当時イスラム教徒と米国人の結婚を認められなかったことから、養子としてもらわれてゆく。長じてゲーム会社「アタリ社」に勤めていたジョブズはインド哲学・東洋思想・瞑想などにのめり込んだ。
1976年、ジョブズは朋友の天才技術者・ウォズニアックと共同でアップルⅠを生み、追加投資を投入を導入し、アップルⅡを生み爆発的に売れる。この製品にはMicrosoftのビル・ゲイツがアップルⅡのために自らが開発したOS・BASICが搭載された。ジョブズは1976年のアップルⅠ発売後からわずか4年後の1980年にジョブズは2億ドルの資産を得ることになる。
当時アップルは象、Microsoftは蟻(あり)の様な存在だった。
しかし1980年に巨人IBMがパーソナル・コンピューター業界進出するにあたりビル・ゲイツは全面協力しMS-DOSを開発した。しかし巧妙なゲイツはIBMとの契約に有利な条件を引出し、MS-DOSは他の社のパソコンでも使える様にしていたのである。IBM以外からも多額のOS使用料が流れ込みMicrosoft社は一気に拡大する。外見の印象と違いゲイツは金にこだわり、ジョブズは商才はあったが金にあまりこだわっていなかったと言う。
IBM・パソコンに対抗しアップルは「Lisa」(リサ)の開発を開始する。ジョブズは後に「マウス」となる操作装置をゼロックスの研究所で見て「Lisa」に組み込むことを考えるが、この「Lisa」プロジェクトにおける独断専行のジョブズの振る舞いが祟り(たたり)開発チームから外される。
ジョブズは1981年、突然、もう既に始まっていたMacintoshチームに加わると宣言、先行して指揮を執っていたジェフ・ラスキンと対立し、彼を追放してしまう。「誰にでも扱えるノートの様なコンピュータ」を目指したMacintoshはジョブズが加わり、よりシンプルな美しさを目指す。手間を惜しまなかったが故、発売は遅れ1984年1月だった。だがこれは世界的にも画期的な製品だった。
しかし、営業・マーケティングのプロとしてアップル社の社長として、ジョブズ自らが迎えたペプシコーラ社長のジョン・スカリーとの蜜月時代は長く続かず、1985年取締役会の決定でジョブズはアップル社を追われる。アップル社の駐車場で独裁者的で少数の部下しか信じないジョブズの追放が発表されたとき全社員は安堵の息をもらしていたと言う。約650万の株は全て売却したジョブズは自己資金700万ドルを投下してNeXT社を立ち上げる。
開発したコンピューターNeXT・stationの評価は高かったものの、生産コストが高く利益が出ず、多くの社員が解雇された。
NeXT社事業の一方で「スターウォーズ」のジョージ・ルーカスのルーカスフィルム社からコンピューターによるグラフィック部門を買い取った。後の「ピクサー社」である。1991年ディズニー社と3本の長編フルCGアニメ映画を契約、実際にはジョブズは、映像制作にはほとんど興味が無く、投資対象としてピクサーを買ったと言われる。
1995年公開の「トーイ・ストーリー」に彼は5000万ドルの資金を出すが、映画製作にかかる費用の巨額さに驚嘆したと言う。しかしこの映画の世界的ヒットによりピクサー社は株式を上場、ジョブズは多額の資金を得る。2006年ディズニーはピクサーを買収。ジョブズはディズニー社の筆頭株主になる。
1995年、歴史の転換期が訪れる。OSの世界標準とも言われるWindows95が発売された。世界は熱狂を持って迎えるが、ジョブズは激怒していた。Mac OSと酷似していると言うのだ。さらにWindow98の爆発的な売り上げを横目にジョブズが「あれは3流品だ。」とこき下ろす。
一方、ゲイツは1995年から世界一の大富豪になっていた。
ジョブズが居なくなったアップル社は自社内でのOS開発等が暗礁に乗り上げ、業績不振に悩んでいた。1997年、技術的に優れているジョブズのNeXT社を買収したが、アップルに復帰した抜け目のないジョブズは隠密にアップルCEOのギル・アメリオを追放する。
この作品でも描かれているが、同年8月、ボストンのアップルのコンベンションでジョブズは同社復活の為に驚くべき手を打つ。突然、最大の宿敵Microsoftのビル・ゲイツが衛星回線でつながれ会場の巨大モニターに写し出されたのである。何も知らなかったアップル関係者・観衆は度肝を抜かれた。
策士・ジョブズの面目躍如である。両者間で技術提携とMicrosoft社からの巨大資金援助が発表される。それは、表面上はゲイツとジョブズの友情に見えたが、策略に満ちたビジネスマン同士の計算ずくの発表であった。
社員に嫌われ、独裁者として振る舞い、プログラミングさえ出来なかったジョブズだが、自己資金で立ち上げたNexT社の失敗体験がジョブズを変貌させていた。
2000年、それまで拒否していたCEO就任を受け入れ新しいMac OSの開発、カラフルなデザインのパソコンiMacや、世界の音楽業界を変えてしまったiTune、まるで日本SONYのウォークマンの超進化版の様なiPodやゲーム・動画・通信と万能の世界最小の持ち歩けるコンピューターとも呼べるiPhone・iPad発売と快進撃を続ける。
この作品では独占禁止法で訴えられ経営の前線を退いたゲイツと絶好調のジョブズによる珍しいテレビでの「人生最後の対談」を見ることが出来る。「戦士の休日」とでも言うのか。30年以上の死闘を経て来た二人の実に微笑ましいシーンである。
2人をテーマに作品を仕上げるのは最初は大変だったと思う。しかし現代世界を変貌させたIT業界を描くためこの二人の最大の牽引者を持ち出し、ライバルとして描いたことは見事に成功していると思う。パーソナル・コンピューターの覇権を狙う二人の闘いはまさに「IT戦争」とも呼べる近現代のテクノロジー戦争だったのである。
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