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毎日おいしい牛乳が飲める理由 それは牛が健康だからこそ! 牛乳の“ニオイ”を測って体調管理の効率化に挑む

 ※この記事は農研機構(NARO)の提供でお送りします。

 牛乳、飲んだことありますよね。
 その牛乳を提供してくれる牛の体調管理にニオイが役立つことをご存じでしょうか?
 60%の牛が経験するといわれる一時的な体調不良に対応するため、今、注目を集めているのが『ニオイセンサ』です。

 『ニオイセンサ』は、牛の体調や健康状態を牛乳の「ニオイ」を測定することによって管理する装置で、空気中に漂う微細な成分を捉えることで、牛の食べ物や環境が体調に及ぼす影響を把握するというもの。
 このセンサが実用化されれば、酪農家が異変を早期に察知し、健康な状態を維持するためのツールとなりえます。
 また、「ニオイ」はまだ十分にビジネス化されていない分野で、技術が進化するほど多様な可能性が見込まれています。
 たとえば、牛の健康だけでなく、食の品質管理や消費者への新しい価値提供など、ニオイを活用した新ビジネスの扉を開くきっかけとなるかもしれません。

 本記事では、12月21日(土)10時からニコニコで生配信される「農研機構 冬のオンライン一般公開2024 農業と暮らしを結ぶサイエンス」に出演する、農業・食品産業技術総合研究機構の上級研究員中久保亮先生が『ニオイセンサ』について解説。

 牛の健康管理やニオイにまつわる未来への展望など、興味深い話題が満載です。どうぞ最後までご覧ください。

写真手前:中久保亮先生。写真奥:吉川先生(物質・材料研究機構 ニオイセンサ発明者)

■そもそも牛ってどんな生活をしてるの?

ーー今回はすごい初歩的なことから伺っていこうと思います! そもそも牛は何を食べて育つのでしょうか。素人考えだと草を食んでいるというイメージがある程度です。

中久保:
 牛は草食動物ですから、基本的に繊維質のもの、草を食べています。で、牛には放牧のイメージってあると思うんです。ですが、牧場にいる乳牛ってそれは少なく、管理がしやすくて、牛にとっても快適な牛舎の中で、干した草とか発酵させた草、『粗飼料』を食べています。
 ただ、粗飼料だけでは牛はたくさんの牛乳は出さないので大豆やコーンとか栄養成分がより詰まった穀物も食べています。

ーー草だけではないんですね。コーンなども与えると牛乳を出す量が増えるということは餌しだいで『味』にも影響が出るのでしょうか?

中久保:
結論から言ってしまうと牛乳の味や栄養成分に大きく影響しません。
ただ、食べる餌によって脂肪分やタンパク質の含有量や風味が少しづつ変わることはあります。
 例えば、牧草を食べさせる放牧酪農の牛乳には青草の独特な風味がありますが、牛乳は牛乳です。

ーーという事はどんなものを食べていても大きく影響があるのは搾ることのできる牛乳の量だけと。

■牛の体調不良『ケトーシス』って?

中久保:
 そうですね。結局牛ってそれしかなかったら最終的にはあるものを食べるんです。牛は赤ちゃん(子牛)を育てるために牛乳を出すんです。赤ちゃんを育てるためですから極端な好き嫌いはしません。

 この本能があるからこそ、われわれは牛乳をいただけるわけですね。ただ、なんでも食べるからと言ってなんでもあげているわけではありません。

 牛たちの健康状態が最高のコンディションを維持できるように餌を調整しているわけです。でも、どんなごちそうがあっても食欲がわかない時ってありますよね?
 そんな栄養が足りない状態が続けばケトーシスと呼ばれる体調不良に陥ってしまいます。

ーーケトーシス? これはどういった状態なのでしょうか。

中久保:
 人間もケトーシスになるんですよ。例えば「つわり」、お腹の中に赤ちゃんがいてホルモンバランス崩れて、ご飯食べたいのに食べられなくて吐いちゃって、体が痩せてしまいます。夏バテも一種のケトーシスですね。

 ケトジェニックダイエットと呼ばれるダイエットはケトーシスの状態を意図的に起こすダイエット方法です。

 このケトーシス、体調不良はどういう状態かというと、必要なエネルギー量よりも摂取するエネルギー量のほうが少ない状態なんです。だから体が痩せ続けてしまう。痩せ続けるっていうのはどういうことかっていうと、体に留めてる脂肪をエネルギーとして分解していくということで、これを負のエネルギーバランスと言います。

ーー重ね重ねになってしまうのですが、ケトーシスの牛から搾った牛乳の味などに変化はないのですか?

中久保:
 ケトーシスの状態の牛から搾った牛乳も栄養成分は変わらないですし、ニオイもほぼほぼ変わらないんです。
 このような状態になる前に治療してあげるので、めったに起こらないことですが、それこそむちゃくちゃひどいケトーシスに陥ってしまって、本来なら30リットルの牛乳を出すところが10リットルしか出さない。
 みたいなところまで行ってしまうと、アセトン臭が牛の体からもにおってきますし、息からもにおってきます。

 もちろん牛乳のニオイもちょっと違うね、みたいに感じることもあるんですが、これ人間が牛乳のニオイをかいで「これはケトーシスの牛の牛乳だ!」ってなるかというとなかなかならないんです。
 ほぼ判別できないレベルのニオイの違いですね。

ーーアセトン臭がするとのことですが、そもそも『アセトン』とはどのようなものなのでしょうか。

中久保:
 アセトンは有機溶媒で身近なものだとマニキュアを落とす除光液で使われていて甘酸っぱいニオイがする揮発性物質です。
 牛乳から出てくる蒸気の中にも濃度で言うと3ppm【※】とか含まれているのが普通です。
 これが明らかに体調を崩してる牛ってなると、10ppmとか20ppmとかっていうふうに増えていくわけなんです。

※ppm
ppm(パーツ・パー・ミリオン)や百万分率(ひゃくまんぶんりつ)は、100万分のいくらであるかという割合を示すparts-per表記による単位。

ーーアセトン臭が強くなるとケトーシスになることはわかりました。では、体調不良の牛というのは見て判別できるようなものなのでしょうか。「あっ! あの牛ケトーシスだな」みたいな。

中久保:
 ケトーシスがひどくなると、絞れる牛乳の量が低下しますし、活動量も減ってしまうので、見た目で判別することはできます。でも、そんな状態まで悪化する前に、より早い段階で治療してあげられるのが理想なんですが、初期段階のケトーシスは見た目では全くわかりませんし、ましてや100頭いる中から見つけ出すのは大変ですよね。

■60%の隠れ体調不良の牛をどうやってマネジメントする?

ーー先ほど、酪農のマネジメント的な課題についてご説明いただきましたが、そもそも酪農ってどこからどこまでが『酪農』なのでしょうか。

中久保:
 乳牛を育てて、赤ちゃんが産まれて牛乳がでる。このサイクルが『酪農』ですね。
 そしてこのサイクルを効率化するために現在は
『フリーストール』という飼い方が広がっています。

 これはどういう飼い方かというと、80~100頭くらいの集団で牛を飼います。牛舎では牛たちは自由に動けて、おなかがすけば餌場に自分でいって食べて、休憩する場所も別にあって、決まった場所で休憩するわけでなく、その時空いている場所で休憩します。

 1日に2回から3回乳を搾る時間があってミルキングパーラーと呼ばれる場所で搾乳するんですが、近年は搾乳ロボットによる搾乳が増えてきています。牛は乳を絞ってもらいたいタイミングで自分で搾乳ロボットのところに行くと、ロボットが自動で搾乳してくれるという仕組みです。

 このような飼い方なのでただでさえ難しい初期段階のケトーシスを発見することは不可能に近い。

 逆に、それほど気づきにくい症状を早期に発見することが求められているので、技術的には簡単なことではありません。

ーー人の目での判別が難しいということがわかったところで気になったのですが、ケトーシスになっている牛というのは全体のうちどのくらいいるのでしょうか。

中久保:
 潜在性ケトーシスというのですが、見た目じゃ全然元気に見えるけど、実はケトーシスの状態に陥っていてる隠れケトーシスをふくめれば妊娠してお産するっていう周期の中で60%ぐらいの牛が一時的な体調不良を経験していると言われています。

ーー60%!? 想像以上に多いんですね。

中久保:
 結構な数ですよね。
 では、どうしてこうなってしまっているのかというと、お産というのは人間でもそうですが牛にとっても一大イベントだからなんです。
 とにかくエネルギーをむちゃくちゃ使うわけです。そして、お産でエネルギーをむちゃくちゃ使ってぐったりしていても、赤ちゃんが生まれたその日から本能として生まれた赤ちゃんに牛乳を与えないといけない。これは人間も牛も同じです。

 本当だったら数リットルで赤ちゃんには十分なのですが、現在の牛というのは、人がそのおこぼれとして牛乳を飲むために飼われているわけなので、より多くの牛乳が搾れるように育種改良されています。

 より多くの牛乳を出す、能力の高い牛が選ばれているので1日に30、40リットルと牛乳が出せる能力があるんです。

 そうすると、お産で疲れてぐったりして餌を食べられないような状態でも、わが子を育てるためにはおっぱいを出さないといけないから、自分が痩せてでもたくさんの牛乳を出す、ということになるんです。
 このお産という一大イベントの後、一時的に体が痩せてしまう状態がケトーシスなんですね。
 
 一度ケトーシスに陥ると食欲もなくなってしまいます。食欲がなくなるから、どんどん痩せてしまう。食欲がないからいっぱい食べて痩せるのを食い止めるというのも難しいんです。

 ただ、ケトーシスのほとんどは隠れケトーシス、潜在性ケトーシスです。
 見た目じゃわからないくらいの一時的な体調不良なので、逆に人間でも出産に伴って一時的に陥る程度のレベルと考えてください。

ーーそうして、出す牛乳の量も減っていく。これが先ほどおっしゃられていた『負のエネルギーバランス』なんですね。

中久保:
 出す牛乳の量が減るということは農家さんの金銭的な目線でも大変な問題で、例えば今まで30リットルの牛乳を出していた牛が29リットルしか出さなかくなったら、農家さんからすると1リットル差で、一頭1日約120円損するって感じになるんです。経済損失は1頭あたり25,000円と言われています。

ーー牛の体調で死活問題になってしまいますね。

中久保:
 そこでこの問題を解決するために目を付けたのが『ニオイ』だったんです。

■牛の体調を管理して利益の最大化に貢献する『ニオイセンサ』

ーー『ニオイ』ですか。牛のどんな『ニオイ』に目を付けたのでしょうか。

中久保:
 はい、牛乳のニオイを『ニオイセンサ』を使って測って牛の体調を管理するんです。
 ケトーシスになってからでなく、なりかけているときにケアして健康を維持できるようにするんです。

ーー牛乳のニオイで……。ちょっと想像がつかないですね。どうやって体調管理に活用するのでしょうか。

中久保:
 牛は1日に2~3回自動搾乳されるわけですから、その時に牛乳を継続してサンプリングすることが可能です。で、取った牛乳のニオイ成分を比較していけば体調を崩したときにすぐにわかるようになるんです。

ーーどの牛の牛乳かという事もわかるんですか?

中久保:
 はい。牛の首にはICタグがついていて、どの牛が何リットル牛乳を出したとか、何時何分にこの搾乳ロボットを訪問したかとか、そういったデータが全部ビッグデータとして残っているんです。あわせて牛乳のニオイデータも管理すればどの牛が、ということがわかります。

ーーふとした疑問なんですが、牛のおしっことかうんちとかではケトーシス状態を見抜くことはできないのでしょうか。

中久保:
 技術的にはおしっこでのケトーシス検知は可能ですよ。ただうんちやおしっこの場合、これがだれのものなのかってことがまず特定できないんですよね。

ーー集団でいるんだから確かにそうですね。

中久保:
 それと、タイミングを管理できないんですね。人間だったら検便なり検尿やりますってなったら用意してくれるじゃないですか。でも牛相手ではそうもいきませんから。
 一応促す方法はあってお尻のあたりをなでなでしてあげると、自律神経系を直接刺激しておしっこを出してくれるテクニックはあるんですけど、私もやってみたけどなかなかできないんですよ(笑)。

ーー(笑) それで牛乳のニオイからなんですね。

中久保:
 呼気からでもわかるんですが、これもうんちやおしっこと同じなんですよね。人間なら「ふーってやってください」って言えばやってくれますけど、牛はやってくれない。

 ただ牛は人間と違ってみんな同じものを食べていますから、牛による口臭の違いは人間ほどではありません。人間だったら餃子食べただけでニオイが変わりますからね。そういう意味では、呼気測定にはニオイセンサの可能性がまだ秘められていると思いますね。

ーーそれでは『血液』ではダメなんでしょうか。人間も採血でいろいろとわかることが多いですよね。

中久保:
 技術的には可能ですし、ケトーシスの確定診断は本来は血液検査で行うものです。でも現実的には採血と測定の労力を考えるかなりハードルが高い。
 少なくとも健康管理のために予防的に実施できるレベルではないですね。

 もし、人間の血を自動で採血できる機械が開発されればそれは牛にも応用できる可能性はあるかもしれませんが……ただ、牛の血管って探すのが難しいんですね。

ーーどういった点が難しいのでしょうか。

中久保:
 牛の皮膚って革製品にも使われるように厚いんですね。かつ、毛も生えているから血管を見つけるのが難しいんです。しかも人間と同じで血管がぴょこぴょこ動くんですよ。そういった技術的な面で自動採血装置の開発が難しいというのがまず一つあります。

 二つ目の理由として、血液を取るって牛にとってすごいストレスになるんですね、人間と同じで。血液検査をした日の牛の乳量ってストレスのせいで絶対に落ちるんです。すごい神経質な生き物なんですよ。

 例えば搾乳する前に人間が牛を怒鳴りつけたりすると、もうそれだけで乳量が数リットル落ちるとかっていうのはよくあります。だから現場の酪農家さんは非常に優しく牛を扱っています。

ーーそんなに影響するなんて驚きです!

中久保:
 血液からっていうのはそういう理由で難しいのかなと思います。それに、血液をその場でとって、その場で測定できるかと言ったらできないんですよね。
 ただ、血液の中のアセトンの量って牛乳の中のアセトンの量よりも多いので、血液が自動で採取できるような技術が開発されれば、そこからケトーシスをニオイセンサで判定するっていうのは、今以上に簡単になるかなと思います。

■ニオイビジネスの可能性

ーー『ニオイセンサ』の活用について他の業界での活用というのは考えられているのでしょうか。例えば香水とか。

中久保:
 香水とかのレベルになると個人的に思うのは、人間の鼻が一番センサとして正確かなというふうに思うんですよね。
 どういうことかっていうと、結局、感性、好みの問題というのがあることや、あとは人間の鼻はppmとかじゃなくて、さらに下のppb【※】でも感知できるニオイがあります。
※ppb
十億分の幾つにあたるかを表示する単位で、ppm、pptなどとともに、濃度、存在比率などについて用いる。

中久保:
 そういう微妙なニオイを組み合わせてるのが香水なんですね。それで言うと、このケトーシスを測定するときに見るアセトンのppmっていうのは100万分の1っていう非常に薄い単位なんですけど、まだこれ、ニオイの世界では濃い部類なわけなんですよ。こういった点で人間の鼻のほうが優れているんですね。
 ニオイセンサは、ここからほかのニオイ研究のほうに発展していく可能性はあるんですけど、まだまだppmっていうのが一つのしきい値というか、実現可能性の限界のところなのかなと思っています。

ーーなるほど。ここまで『ニオイ』についてさまざまなお話を伺ってきましたが、最後にこの研究についてどのように考えていていらっしゃますでしょうか。

中久保:
 ニオイって全然ビジネス化されてない領域なんです。ほとんど『ニオイ』でビジネス化されていることってなくて、唯一あるのがガス漏れの検知とかです。都市ガスやプロパンガスとかのガスセンサっていうガス漏れセンサですね。
 これは非常に普及してるんですけど、それ以外の産業で『ニオイセンサ』でどうこうっていうのはなかなか進んでいません。
 

 そうしたことを考えたときに、ニオイって、まだ産業として成功してないところはありますが、可能性はいっぱいありそうなんです。餌の品質評価にも使えるかもしれない、とか、色々アイデアはあるんですよね。

中久保: 
 例えば、今使っているニオイセンサを開発した物質・材料研究機構さんは、ゆくゆくは医療分野で活用したいって考えられてると思いますが、ケトーシスの早期発見っていう、牛の体調管理を突破口として、そこで実績を積むことができれば、医療の分野って非常にハードルが高いですけど、その方向に進んでいけるのかな、と思っています。

中久保:
 牛で言っても人間で言っても、これからは健康診断で異常を発見するっていうよりも、健康であることを毎日確認できるような時代になってくると思っています。
 そういう意味で、牛のこのケトーシスっていうのは非常にいいロールモデルかなと思っています。
 毎日牛乳を測ることで牛乳のニオイから牛の体調が見えてくるっていうのは。
 それは体調が個別にわかってくるということなので、この牛は今日も体調いいんだ。みたいなのを毎日チェックするような感じになっていくのかなと思います。
 そういうのがこれからの『ニオイセンサ』の使い方になっていくのかなと思っていますね。

[了]


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