カニバリズム(食人)について語らないか? 「人間が人間を食べたくなる理由」まとめてみた
サブカル評論家のDr.マクガイヤーさんが、世間のオタクトピックを語りまくる番組『ニコ生マクガイヤーゼミ』。今回紹介する特集は、ズバリ「食人」です。
一口に食人と言えど、宗教、薬用、食材など様々なパターンが存在します。書籍編集者のしまさんさんもアシスタントとして話題に加わり、真面目に食人を語りました。
そもそもカニバリズムってなに?
マクガイヤー:
そもそもカニバリズムとは何か、というところからいきますか。
しまさん:
お願いします。
マクガイヤー:
まず、このカンニバルの語源なんですけど、これはもともとカリブ族のカリブから取ってきてるんですよね。
しまさん:
そうなんだ!
マクガイヤー:
そうなんですよ。もともと土人は野蛮みたいなところからきてるんですよ。
しまさん:
その時点で、ちょっとヤバい。
マクガイヤー:
カリブ、カニブ、カンニバルとなってるんです。
マクガイヤー:
もともと西洋の人には、「カリブに住んでいる人というのは、人とか食うくらい野蛮なんだぜ」っていう話になっているんです。
しまさん:
酷い話だ。
マクガイヤー:
カリブインディアンはカンニバルみたいな感じですね。
しまさん:
そういうことだったんですね。
マクガイヤー:
だから言葉が生まれた時点で、差別主義があるんですよ。 あともうひとつは、このキリスト教文化圏において、食人というのは最大のタブーなんですよね。
しまさん:
なるほど。
マクガイヤー:
これは有名なゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』という絵です。貧困とか戦争になると、自分の子供を食べちゃう、人間が獣に戻るって最大のタブーも犯してしまうから怖い! みたいな価値観がキリスト教にはあるんですけど、キリスト教が伝わる以前はどうだったのかと思うわけですね。
しまさん:
自分と同じ種族や子供を食べるというのは、宗教以前の問題じゃないのかな。
マクガイヤー:
そうですね。宗教以前の問題でも、自分の子供を食べるというのはお母さんが泣いちゃいますよね。
しまさん:
そうよ。生き物として。
マクガイヤー:
でも、ギリギリの選択を迫られることはあったんじゃないですか。特に農耕牧畜が始まる前は、基本的に人間は飢餓と隣り合わせの生活を送っていたはずなので、子供を残すか、親が生きるかみたいな時に、じゃあちょっと涙を呑んで子供を食べるみたいな時もあったかもしれない。
しまさん:
めちゃめちゃ遡っていったらね。
マクガイヤー:
今はそういう話は最大のタブーになっているわけですよ。今は映画とか小説とかをみると、キリスト教伝来以降、食人をテーマにした作品ってそれなりの数があるじゃないですか。
しまさん:
そうね。
マクガイヤー:
「食人」という最大のタブーに挑戦したい! っていうクリエイターの欲望みたいなものが、ちょっとあると思うんですよね。
しまさん:
考えてみたい、表現してみたいという。
マクガイヤー:
山があるなら登りたい! みたいな。道がなければ作ればいいじゃんみたいな。
しまさん:
なるほど。
マクガイヤー:
あと、もうひとつの理由としては、人間は食物連鎖の頂点だというのがありますね。食物連鎖の頂点にいる人間が食われるという恐怖を作品化したいというのがあるわけですよ。このふたつが、食人をテーマにした映画がそれなりに数ある原因、理由だと思うんです。
マクガイヤー:
あと、映画を見ていてちょっとワクワクするのは、その気になれば食人は自分でもできるということなんですよ。わかります?
しまさん:
あえて、今回はユーモアとして受け止めておきます。
マクガイヤー:
例えばアメコミ映画とかをみると、俺たちはスーパーマンみたいに空とか飛べないじゃん。キャプテンアメリカみたいに、スーパー血清を打たれて、パラシュートなしでスカイダイビングするとか無理じゃないですか。でも食人は、根性さえあればできるわけです。
しまさん:
ちょっと小腹が空いたな、そんな時。
マクガイヤー:
だから、その気になれば自分にもできるというか、自分もそういう状態に陥っちゃうんじゃないか、みたいなドキドキ感、ワクワク感。 そういうわけで、カニバリズムは、古来より人間と深い関係があった。
しまさん:
なるほど。