群雄割拠の世界アニメ市場で日本アニメは生き残れるのか? 世界最大のアニメーション映画祭アヌシー代表が語る、日本アニメのポテンシャル
『レッドタートル』など、クリエイターの出会いの場となるアヌシー
吉川:
2016年にアヌシーでオープンニング上映された長編アニメーションに『レッドタートル ある島の物語』があります。この作品はスタジオジブリがプロデュースし、高畑勲さんがアドバイザーとなってフランスのマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットさんがアニメーション監督を務めました。『レッドタートル』は違う国家間の人材が手を組んで作った究極のアニメーション作品だと思います。
アヌシーは今後もこうした取り組みに、何らかの役割を果たしていくのでしょうか?
マルセル:
『レッドタートル』でアヌシーが果たした役割があるとすれば、まず二人がアヌシー映画祭で作品を受賞したという共通点で、お互いの作品を知り得たきっかけに関わっていたことでしょう。『レッドタートル』は、多くの共通の世界観、共通点を持ったクリエイター同士が目指した作品です。ビジネス面でも、アーティスティックな面でも共通するものがあり、高畑勲さんとデュドク・ドゥ・ヴィット監督の二人が出会いは自然にできたのでしょう。
我々がその企画を聞いた時、「是非、それを応援したい」と考え、公開前の注目作を紹介する「Work in Progress」で取り上げ、翌年に上映し、その他の展開でアカデミー賞ノミネートまで結びつく、というようなルートを生み出していく、今後も『レッドタートル』ように、アヌシーを多くのクリエイターが話し合える交流の場にしていきたいと思っています。
数土:
日本と海外の取り組みは、今後も増えるのでしょうか?
ミカエル:
共同製作では、日本はやはり違いがあります。最近はフランスや韓国、インド、中国のアニメーターがアメリカのスタジオに所属して仕事をして経験を積み重ねる例を多く見かけます。一方で日本のアニメーターがほかの国のスタジオに行くのは、あまりない光景です。これは日本のアニメーションに力があるからだと思います。日本には自分たちでだけでアニメーションを作ることができる文化があります。
ただアヌシー映画祭を、日本と海外の出会いを生みだす場所にしていきたいですね。
今年のアヌシーでワールドプレミア上映となり、東京国際映画祭でも上映された『MUTAFUKAZ』【※】はフランスと日本のコラボレーションによる作品です。
※『MUTAFUKAZ』
2017年制作。西見祥示郎、ギヨーム・ルナール監督。フランスのバンドデシネ(マンガ)を原作にAnkama が製作、アニメーション制作を日本のSTUDIO4℃が担当したアクション作品。Ankamaは日本カルチャーの影響が大きいことで知られている。
日本のアニメが世界で果たすべき役割とは
数土:
今回、多忙な中でアヌシー映画祭/MIFAを伝えるために来日されたのは、日本に何かしらの期待をしておられるのだと思っております。お二人は日本のアニメーション業界が、世界のアニメーション界やアヌシー映画祭に貢献出来ることは何だと考えておれますか?
マルセル:
日本のアニメーションに大きな力があることは、まだ世界に充分知られていません。日本のアニメーションは国内だけでも産業として成立しているため、いくつもの特長ある製作会社やスタジオも、アヌシーでは知られていません。欧米のアニメーション業界には、日本のアニメーションのテクニックなどに、影響を受けてきた世代のクリエイターたちの作品があり、さらに実写映画のクエンティン・タランティーノの作品で日本のアニメーションがハイライトされたように、それだけ日本のアニメーション文化は、アニメーション業界だけでなく、欧米の社会の中でも大きな存在感があります。
私たちは、日本のアニメーションがもっと海外に発信できるのではないかと思っています。
数土:
それにアヌシーが活用できるというわけですね。
マルセル:
そうです。日本からの参加者は増えていますが、日本のアニメーション文化の海外への影響の大きさを考えると、その数字はやはりまだ少ない。だからアヌシーを海外と交流が出来る場所として活用して頂きたいと思っています。
ミカエル:
日本の手描きのアニメーションは、本当に素晴らしいクオリティの作品を生み出しています。それは海外でとても評価されています。日本の手描きはもちろんCGのアニメーターやスタジオには是非、世界に出て、そしてアヌシーに来て欲しいと思っています。スタジオジブリの成功も、日本国内だけでなく海外で広く知られた成功があったからこそです。
長編映画とテレビシリーズ作品の両方の分野で、豊富な技術、世界観、美術の全てに気を配り、様々な条件を組み合わせて作品を生みだすことは、日本のアニメーション産業が最も上手く行っており、それこそが日本のアニメーションの力だと思っています。
もちろん共同制作などでの海外との取り組みには言葉や文化の壁、制作工程の違いをどうするかなどの様々な課題があります。けれども時間をかけて信頼関係を深めていくこと、いろいろな可能性を試してみることも、最初にそうした機会を持たなければ結果として現れません。
今回、私たちが東京に来たことで、アヌシーをもっと知ってもらい、それがそうした作品を生みだす機会に結びつくと信じています。
取材後記:「アートか?ビジネスか? 変わるアヌシーはどこに向かう」
ここ数年、知り合いとアヌシー国際アニメーション映画祭の話をしていると「おやっ?」と思うことがある。相手のイメージする“アヌシー”と、僕のイメージする“アヌシー”に大きなずれがあるのだ。
それは過去5年間ぐらいの、アヌシーの急激な変化が理由なのだと思う。かつてはアヌシーと言えば、短編を中心に世界のアニメーション作家が集まり、交流する場であった。それが近年、急激に商業化を進めたことで、風景が一変しているからだ。
国際見本市のMIFAの成長はもちろんだが、アメリカのディズニーやワーナーといったハリウッドメジャースタジオの関係者の姿も、会場では珍しくなくなった。さらにいま日本の商業アニメにも大きなスポットライトを当てようとしている。
これが世界の映画界におけるアヌシーの存在感を高めているのも事実だが、一方で本来アヌシーが求めてきたアニメーション作家の交流という機能を弱くしているとの懸念も残る。勿論、映画祭ではアート作品の上映は沢山あり、作家も多く訪れる。ただ映画祭の巨大さゆえに、それらが以前に較べて埋もれがちだ。
今回のインタビューであまり触れられなかった点に、この商業化が進むことでの反作用がある。アニメーション作家にとってアヌシーは、以前ほど居心地よくないかもしれない。あるいは疎外感を持たせるかもしれない。それがアヌシーのクリエイティブの面にどう影響するのか、それは今後も注視したい点だ。
アートとビジネスのバランスは、アヌシーだけでなく、日本にとっての課題でもある。2017年は長編アニメーション部門で『夜明け告げるルーのうた』がグランプリ、『この世界の片隅に』の審査員賞とダブル受賞があり、『GODZILLA 怪獣惑星』や『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』のプレゼンテーションで沸き返った。
しかし、アニメーション作家の力が問われる短編部門で日本からコンペインしたのは、87作品のうち日本在住の韓国人作家キム・ハケン氏の『Jungle Taxi』のみ。学生部門は49作品のうち冠木佐和子氏の『夏のゲロは冬の肴』のみだった。『夏のゲロは冬の肴』は審査委員賞を受賞する快挙となったが、全体で見れば力不足は否めない。よりアートの強い部分でも、アヌシーと日本の関わりが、今後は求められるのではないだろうか。
今回の企画を実施するにあたり、特定非営利活動法人 映像産業振興機構(VIPO)にご協力いただきました。
VIPOによるアヌシーインタビュー記事もぜひ合わせてご覧ください。