「処女信仰の男はクズ」社会学者・宮台真司が語る”アカデミック童貞論”が快刀乱麻の切れ味
「損得のセックス」と「贈与のセックス」
宮台:
「何か分からないけど凄い」から見放された「法の奴隷」「言葉の奴隷」増え、「損得を越えた内発性」を動機付けにできないクズが増えたのは、明らかに「社会の問題だ。でも、言ったように、「法の奴隷」や「言葉の奴隷」であるがゆえに「損得を越えた内発性」に駆動されず、「何か分からないけど凄い」から見放されれば、快楽の相対性を越えた享楽の絶対性に届かず、幸せになれない。ならば個人で生き方を変える他ない。
という僕の言葉を聞いた以上、コストをかけてでも生き方を変えた方がいい。そう、間違いなくコストがかかる。試行錯誤しなきゃいけないからね。でもコストを厭わず試行錯誤すれば、さっき話した「見えないコミュニティ」がいつか必ず見つかる。「お前は何か分からないけど良い奴だから、仲間に入れてやる」と言われて、そこで初めて仲間と法外でシンクロする享楽を体験できる。それを知らずに死ぬのは哀れすぎるよ。
セックスをしてもさして解決にならない。そのことは「素人童貞」や「精神的童貞」というクズが蔓延している話として説明した。とはいえ、セックスができないがゆえに劣等感や妬み嫉みで鬱屈したクズの、鬱屈度が下がることも事実だ。僕も幾度か実証した。童貞ゆえに鬱屈した男をAVに紹介すると、憑き物が落ちたようになる。良い事だけど、「どうにもならないクズ」が「どうにかなるかもしれないクズ」に変わっただけの話だ。
「祭りのセックス」「愛のセックス」「ただのセックス」がある。「ただのセックス」は損得勘定の二人オナニーだ。要は快楽の相対性に留まる。「祭りのセックス」と「愛のセックス」は損得勘定を越え、交換ならぬ贈与、バランスならぬ過剰に、近づける。或いは、繰り返しを通じて、近づきつつあるのを実感できる。「愛のセックス」と「祭りのセックス」が重なれば、フェチ系ならぬフュージョン系セックスが開かれる。享楽の絶対性だよ。
童貞で悩んでいる人へ「過去自分が1番幸せだった時間を思い出せ」
宮台:
僕の話が真実だと実感させる方法がある。アンビエントの音響を流す。遠くに聞こえる子供の歓声を流す。公園の日向に寝転んだ自分を想像する。過去を振り返って一番幸せだった自分を思い出させる。必ず人間関係の中にいる自分が思い浮かぶ。家族や仲間と一緒に過ごしている。そこには損得を越えた贈与の時空がある——アウェアネストレーニングの方法だけど、セッションが終わると誰もが涙が止まらなくなる。
これをすると感情が劣化した自分を実感できる。実感できたら一番幸せだった自分を「回復」することを人生の最終目標にする。「回復」と言っても昔と同じリソースはない。だから試行錯誤しなきゃいけない。とはいえ闇雲に足掻くのとは既に違っている。考えてほしい。母親があなたを育てた時、交換を越えた贈与の時空、バランスを越えた過剰の時空、損得を越えた内発性の時空を生きていた。あなたは既に知っている。
関係するけれど、性愛ワークショップをしてきた経験から言うと、交換を越えた贈与の時空、バランスを越えた過剰の時空、損得を越えた内発性の時空に、入りやすいのは圧倒的に女だ。だから恋愛稼働率も女は男の2倍だ。なぜだろう。たぶん進化生物学的な理由だ。女は子供を産み育てる潜在性を持つ。子供の産み育ては、交換を越えた贈与の時空、バランスを越えた過剰の時空、損得を越えた内発性の時空だ。
一番幸せだった自分の「回復」を最終目標にするのは、なぜか。今までの生き方を変えようという動機付けが生まれるからだ。それが生まれないと、感情の劣化は克服できない。できなければ一人寂しく死ぬしかない。実際それ以外の可能性はない。長生きすることよりも人々に悼まれながら死ぬ方がずっと大切だよ。そう思うのなら、一番幸せだった自分の「回復」を最終目標にすること。そうすれば「童貞」を卒業できる。
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