ホワイトデーを過ごす諸兄に贈る 生涯童貞だった偉人達のエピソード珠玉の23選
レオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)同性愛であった可能性
―略歴―
・イタリア・ルネサンスを代表する芸術家。多芸多才の「万能の人」。
・遠近法や解剖学、立体表現や明暗法などを取り入れ、『最後の晩餐』『モナ・リザ』など、絵画史に大きな足跡を残した。
・絵画・彫刻のみならず土木工事・築城・兵器設計にも長けており、芸術作品の精密さを追求する過程で、天文学・物理学・数学・解剖学など自然科学にも強い関心を持った。
―童貞事由―
・生涯独身で、ダ・ビンチが同性愛であった可能性はしばしば指摘される。
・フロイトは、同性愛的な志向を抑圧した結果として無性愛になったと推定している。
・実際にどのような性的志向を持っていたかは明らかになっておらず、性的行動に及んだという証拠もないため、生涯純潔を貫いた可能性も十分にある。
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)「わたしは芸術の中に充分過ぎる妻を持っている」
―略歴―
・ダ・ビンチと並び称される多芸多才の芸術家。
・イタリア・ルネサンス期に活躍、『ダビデ』像や『最後の審判』など数多くの傑作を残す。
・システィナ礼拝堂の大規模な壁画を作成、 さらに教皇庁の建築・彫刻・絵画総監に任じられ、 サン・ピエトロ大聖堂の造営主任として建築にも関与。カンピドリオ広場やファルネーゼ宮の設計にも関わった。
―童貞事由―
・ミケランジェロと伝えられる言葉。「わたしは芸術の中に充分過ぎる妻を持っている」
・生涯独身。美少年ブラッチらに恋愛詩を送っているが、彼らと性的関係を有した証拠はないという。
・ミケランジェロに好意的な人々が、彼は純潔だと主張し、敵手がそうでないと考えている。
・彼が生涯純潔であったかは不明だが、可能性はある。
ティリー伯ヨハン・セルクラエス(1559~1632)「性的冷淡、あるいは全て性愛的なものへの頑固な嫌悪」
―略歴―
・神聖ローマ帝国の武将。三十年戦争で皇帝軍の司令官として活躍。
・三十年戦争の最後には、スウェーデン王グスタフ・アドルフに敗れ、致命傷を負い、まもなく死去。
・最後は敗れたとは言え、三十年戦争を代表する名将・偉人。皇帝とカトリックに献身し、異名は「甲冑をまとった修道士」
―童貞事由―
・「甲冑をまとった修道士」に相応しい敬虔なカトリックで、僧のような雰囲気と態度を保っていた。
・当時の指揮官としては珍しく、厳格な節制と純潔を保っていた事を誇りにしていたという。
・E・クレッチマーは彼について「性的冷淡、あるいはさらに進んで全て性愛的なものへの頑固な嫌悪」が見られるとしている。以上から彼が生涯純潔を貫いた蓋然性は高い。
宮本武蔵(1584~1645)「妻子迚(とて)も、これ無く」
―略歴―
・日本の名高い剣豪の一人。
・二天一流(円明流、武蔵流)の開祖。1612年巌流島での佐々木小次郎との決闘でも有名。
・50歳を過ぎるまで諸国を放浪し、晩年は島原の乱にも出陣、その後、肥後藩主細川忠利の保護を受けた。
・伝書『五輪書』を記した他、書画・金工にも長じており、水墨画『枯木鳴鶏図』などが代表作。
―童貞事由―
・武蔵が細川忠利に提出した口上書には、「妻子迚(とて)も、これ無く」とあり、生涯独身。
・『独行道』では、「れんぼ(恋慕)の道思ひよる心なし」と記し、愛欲を否定したと主張している。
・山田次朗吉『日本剣道史』には、武蔵は一生不犯と記されている。
・一方で吉原に馴染みの遊女がいた、などの説もあるが、別人説もあり、武蔵が生涯不犯かは今も謎となっている。