ココ・シャネル――膝丈スカート、香水、ショルダーバッグ…女性の在り方を変えたファッションデザイナーの生涯を解説
20世紀を代表するファッションデザイナーのひとり、ココ・シャネル。当時コルセットに代表される窮屈な女性服に対して、紳士服の仕立て方法や素材を使うことで“働く女性・活動的な女性”の為の服を生み出した彼女はファッションの歴史を変えたとも言われています。
今回紹介する、いつかやる社長さんが投稿した『【ゆっくり解説】世界の奇人・変人・偉人紹介【ココ・シャネル】』という動画では、ココ・シャネルの生い立ちから、彼女が世に送り出した斬新な発想の衣服やアクセサリーが現在の女性ファッションの根底に息づいていることが解説されています。
■“ココ・シャネル”の不遇な幼少時代
ユスタ:
自由とは決して人から与えられるものじゃないのよ。ココ・シャネルのように。どんな生まれや環境からでも自由に生きることはできるのよ。ベルサ:
ココ・シャネル? 誰それ?ユスタ:
有名なブランドの創始者にして、女性の在り方すら根本から変えたファッションデザイナーよ。ベルサ:
わー! 何それ! 教えて教えて!ユスタ:
しょうがないわね。それじゃあ今日はココのお話で自由に生きるって事を教えてあげるわ。
ユスタ:
ガブリエル・ボヌール・シャネルについてのお話よ。ベルサ:
名前ココじゃないの?ユスタ:
ココは彼女が生涯名乗った愛称で、本名は別なのよ。まず彼女を一言で言うならば、「運命に抗い続けた女性」。彼女は世界的に有名なブランド『CHANEL』を立ち上げた人物なのだけど、その成功をつかむまでには多くの不運や変えることのできない運命と戦い続けていたのよ。ベルサ:
ああ! あのシャネルの人なんだ!
ユスタ:
ココは1883年、フランスのド田舎ソミュールで生まれる。家は非常に貧しかったにも関わらず、父親は女癖が悪く家族を置いては遊び惚け、母親は病弱で子供の世話もできなかったため、幼少期の頃はひとつ上の姉といつも二人きりだったの。さらに12歳の時にそんな母親が死去すると、父親は子供が邪魔になったために、彼女たちを孤児院に預けてしまうの。ベルサ:
初手が重いんですけど。
ユスタ:
この孤児院は通常の学校も兼任しており、彼女たち孤児は親がいないという理由でイジメにあい、また、通常の勉強は受けさせてもらえず、職業訓練としてひたすら裁縫をやらされていたわ。ベルサ:
なんと不遇な……。ユスタ:
面会が許された日曜日には欠かさず父親を待ち続けるも、父親がココに会いに来ることは一度もなかった。後に彼女は孤児院時代についてこう語っているわ。「裁縫が得意になって日曜が嫌いになった」ベルサ:
運命とは残酷。
ココ・シャネルの不遇な生い立ちに「人生ハードモード」「なんというファッキンファザー」と言った同情のコメントが寄せられました。
■“ココ・シャネル”と呼ばれるようになった理由
ユスタ:
そんなココが18才になると孤児院を卒業し、仕立て屋で衣服を直すお針子として働き始める。この仕立て屋は軍人の服の仕立ても行っており、彼女はよく軍人に誘われてはキャバレーに足を運んでいたわ。ベルサ:
キャバレー?
ユスタ:
舞台があるレストランやナイトクラブのことよ。 ココもよくステージに上がって歌を披露しては賞賛を受けていたのよ。ここで彼女が歌った「ココリコ」と「トロカデロでココを見たのはだれ」。
ユスタ:
この曲から名前を取り、彼女はココ・シャネルと呼ばれるようになったの。そんな人々に注目される中で彼女は歌の素晴らしさに目覚め、歌手を志すようになり、なけなしの全財産で都会に出るも、田舎の孤児院にいたという理由でオーディションは全て門前払いにあう。ベルサ:
どんだけ生まれが大事なのさ!?ユスタ:
この時代はそれが全てよ。貴族出身の者以外が成功するなんてのは不可能に近かったのよ。夢やぶれ、仕事も住処もお金もなくなったココだったのだけど、そんな彼女に救いの手を差し伸べた人物がいた。
ユスタ:
それがエティエンヌという貴族軍人だったわ。キャバレーでココの歌う姿を見て一目惚れをした彼は彼女と恋愛関係になろうとしたの。ベルサ:
おお! 運が向いてきたじゃん。ユスタ:
しかし、エティエンヌの一族が下賎の出身であるココを認めなかったため、ココは愛人として彼の屋敷に住むこととなった。それでも憧れの豪邸生活を手にしたココだったのだけど、その生活は彼女の望んだものではなかった。
身分ゆえに不遇な目にあうココ・シャネルにコメント欄では「今の日本だって生まれが超大事だよ」「貴族主義ははじめからまちがっていたんだよ……」といった意見が寄せられました。
■ココのシャネルストーリーの開幕「美的センスは貴族も庶民も変わらない」
ユスタ:
貴族でないココは、上流階級の社交場に参加できず、毎日、豪邸の中で食事と読書を繰り返す日々。そんな生活で時間を持て余したココは、得意な裁縫で帽子を作ったことがあった。
ユスタ:
当時、貴婦人が被る帽子は花や宝石などをあしらった巨大なものが主流で、 如何に他人より目立つかが大事だったのだけど……。
ユスタ:
ココの作るシンプルな帽子が逆に目立つと大評判になり、 周りの誰もがココの作る帽子を欲しがった。そして、この一件でココはある事に気づいたの。ベルサ:
何を気づいたの?ユスタ:
美的センスは貴族も庶民も変わらない事。そして、自分には可能性があるという事よ。だからココはその可能性に人生を懸けた。変える事の出来ない運命に真向勝負を挑んだの。それは、貴族に生まれなかった彼女にしか出来ない戦い方。気高く、そして美しいココのシャネルストーリーの開幕だった。そして、ココは自分の技術を広めるために、自ら店を構えようと豪邸暮らしを捨て、開店資金の調達に奔走した。その中で彼女は運命の人物と出会いを果たしたわ。
ユスタ:
それが、ココが生涯でただ一人愛した男性、実業家のアーサー・カペルという人物よ。ココの作る帽子が売れると考えた彼は、彼女の店の資金を全額出資したの。そして、フランスのガルボン通りに一軒の帽子専門店を構えた。店の名前は「シャネル・モード」。これこそが世界トップのファッションブランド『CHANEL』の第一号店だったわ。そして、アーサーとココは、二人三脚で店を盛り上げた。
逆境で自分の才能を開花させたエピソードに「マジでチャレンジャー」「リアルシンデレラだ」と賞賛のコメントが寄せられました。
■ファッション界に革命! 歴史を作った“ココ・シャネル”
ユスタ:
彼女の作るシンプルで女性らしいデザインは大好評。ココの帽子は飛ぶように売れ、すぐに2号店をオープン。そして、ここから彼女はファッション界に革命を起こした。
ユスタ:
2号店ではアーサーの助言で衣服も取り扱い始め、当時、女性はスカート以外は服と認められていない時代に、馬の世話役からヒントを得て作った世界初の女性のパンツスタイル。更に漁師の作業服から構想を得たハイウエストスタイルを作成。ベルサ:
女性がズボン履くのこの人が作ったの!?ユスタ:
そうよ。そして、彼女のファッションはある事がきっかけで新たなる女性像すらも作り上げた。ベルサ:
ある事って?
ユスタ:
第一次世界大戦よ。ベルサ:
戦争がどう関係あるの!?
ユスタ:
この戦争では、男は皆戦場に行き、女性も今までとは違い、身分や家に関係なく働かなくてはいけなくなったの。だから世の女性は動きやすい服を欲しがった。
ユスタ:
そこでココは男性の下着に使われている伸縮性のあるジャージを使い、世界初のジャージードレスを作成。
ユスタ:
機能性と美しさが合わさった新しいドレスは多くの女性に好まれ、終戦後も新しいファッションとして定着、後にこのジャージー素材の服は、ワンピースや体操服、ジャージなどにも使用されていくわ。ベルサ:
革命どころか歴史作ってるやん!
次々と偉業を成し遂げていくココ・シャネルにコメント欄では「ヤバい、服装が中世から一気に現代風に突き進んでる」「現代文化を一端を作ったといっても過言ではないな」といった意見が寄せられました。
■“ココ・シャネル”が作った文化とは?
ユスタ:
ココは美しく魅せる女性から美しく働く女性を作り上げたの。まさに順風満帆だったのだけど、そんな彼女に運命はまたしても試練を与えた。ベルサ:
試練?ユスタ:
店の資金を出資し、彼女と親密な関係になっていたアーサーが交通事故で亡くなってしまったの。ベルサ:
うええええええ!!ユスタ:
最愛の人の死に彼女は大きなショックを受ける。ベルサ:
どんだけ不運なのさ!ユスタ:
それでもココは決して立ち止まらなかった。これからは自分の力で戦い、この階級社会を破壊する。ココはアーサーの死を乗り越え仕事に励んだ。そして彼女はついにあるものを作ったことで世界にその名を轟かせたわ。
ユスタ:
それこそがシャネルの名を不動のものにし、販売から100年経った今でも世界で愛用されている革命的香水シャネルの5番よ。ベルサ:
香水?ユスタ:
そう、当時、香水は体臭を隠す為に使用されていたのだけど、彼女は世界で初めて人工化合物を使い香水を作り、今までにないまったく新しい香りを作り上げたの。体臭を隠すのではなく、女性をより美しく魅せるファッションの一つとして定着させたの。ベルサ:
じゃあ、現代の人が香水をつけるのって。ユスタ:
ココ・シャネルが作った文化よ。ベルサ:
マジかよ!
■デザイナーというよりも、発明家!?
ユスタ:
このヒットで彼女の名は世界に知れ渡った。そして、資金を稼ぐとココは次に世界を相手にファッション革命を仕掛けた。女性が足を見せるのは、はしたないと言われていた時代に、後のミニスカートにもなる膝丈のスカートを制作。ベルサ:
この人が作ったのかよ!
ユスタ:
更に膝丈スカートに背広を合わせたシャネルスーツを制作。ベルサ:
まんま今の女性スーツ!
ユスタ:
喪服に使っていた黒を使ったブラックドレス。
ユスタ:
上下のスタイルを同じにしたパジャマスタイル。
ユスタ:
太い羊毛を使い動きやすさと高級感を備えたツイードスーツ。ベルサ:
入学式のお母さん!
ユスタ:
ハンドバックしかなかった時代に両手をフリーに出来るショルダーバッグ。そのバックの中を分ける仕切りも初めて発案。ベルサ:
学生バッグの原型です。
ユスタ:
本物に似せて作ったアクセサリー。コスチュームジュエリー。
ユスタ:
手を汚さないで使えるリップスティック型の口紅も発案。ベルサ:
この形にしたのもこの人なの!?ユスタ:
そう、ココは誰もが平等に美しくなれる時代を築き、ファッションという分野から階級社会を打ち破ったのよ。不遇な過去を送りながらも、決して諦めなかったココだから出来た偉業だったわ。そして、多くの革命を終えた彼女は1939年にファッション業界を引退。ココの活躍は多くの新しさを生んで終わりを告げた。ベルサ:
激しすぎる人生だったね。ユスタ:
と思いきや……。ベルサ:
えっ!?
ユスタ:
15年後、世に溢れるファッションが気に入らないと77歳で復帰。ベルサ:
77歳!?ユスタ:
誰もが時代遅れのデザイナーと考えていた中、ココは時代の変革に合わせたシャネルスーツを数多く発表。これがアメリカで大ブームを起こし、ファッション界の最高賞、モード・オスカー賞を受賞。その後最期まで第一線で活躍し続け、1971年1月10日、ココは87歳でこの世を去った。その死は皮肉にも彼女の嫌った日曜日の出来事だったわ。ベルサ:
なんという因果。ユスタ:
それでも彼女の作り上げた『CHANEL』は今でもファッション界のトップとして多くの女性の美しさを牽引し続けているのよ。
ユスタ:
これがココ・シャネルよ。ベルサ:
まさに自由を作った人だったんだね。ユスタ:
生まれを変える事は出来ないけど、生き方はいくらでも自由に出来る。自由を求めるのではなく、自分で掴みにいく事が大切って事よ。
今では当たり前となっている女性のファッションのほとんどが、”ココ・シャネル”が生み出したことに、「全部今あるファッションの源流やん・・・」「デザイナーというかもう発明家やんけ。」「ちょっと感動して涙出て来たんですけど」「マジモンの英雄やんけ」「この人いなかったら現代ファッションはどうなっていたことやら」といった絶賛のコメントが寄せられました。
二人の解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画を視聴してみてください。
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