常軌を逸した手法でアニメを25年作り続ける男が居た──セルをクリアファイルに描き、声優、音楽、その他全てを1人で完成させるクリエイターはいかにして生まれたか【伊勢田勝行インタビュー】
「そこそこ食える漫画家になりたかった」冷めた子供時代
――子供の頃のお話を伺いたいと思うのですが、伊勢田さんは子供の頃から漫画家になりたかったんでしょうか?
伊勢田:
“ある程度、食べていける漫画家”になりたいと思っていました。だから、子供の頃文集に書いたことがあるんです。それで先生に呼び出しをくらったんですよ、「僕もそのうちそこそこ売れる程度の漫画家になってやる」みたいなのを書いていたので、「そこそこ売れるはだめです」とか言われちゃいました。
「なぜ日本一と書かないの?」って怒られて……「いや、日本一は絶対嫌だ。とにかく寝る暇のない作家にだけはなりたくない」と、すると「そんなの今から考えててはだめですよ」と言われましたね。
――伊勢田さんが子供の頃に描いた漫画や、そのときの写真なども今日は持ってきていただきましたが、これが子供の頃の伊勢田さん?
伊勢田:
この頃は学芸会ですね。絶対主役をやりたくはなかったので、なるべく目立った行動はしなかったですね。
――小学校の頃から、たくさん漫画を読んでいたんですか?
伊勢田:
でもそんなに、めちゃくちゃ読んだりしたことはないです。でも、ハマっていたのは少女漫画とか特撮。特撮の怪獣に「あと一歩でやっつけれたのにな」って、いつもくやしい思いをして指を鳴らしてました。
――怪獣側に共感していたんですね。ご家族は伊勢田さんにどのように接していたんでしょうか? ありがちですけど「漫画なんか描いてないで勉強を」みたいな感じだったんでしょうか。
伊勢田:
両親は、私が小さいときには離婚していたので、別れて暮らしていました。おばと祖母と3人暮らしです。思い出すと、祖母からは隠れて描いていた面もあるかもしれない。やっぱり怪獣やロボットに対する捉え方も、私と祖母とでは違っていましたね。ロボットは人に従うものっていう、アシモフ三原則【※】をそのまま取り入れたような祖母だったんです。
※
ロボット工学三原則。SF作家アイザック・アシモフのSF小説において、ロボットが従うべきとして示された原則。「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を目的とする三つの原則から成る。
僕はロボットは自分の意思で動くもの『鉄腕アトム』みたいな感じです。その時点でもう全く違いますよね。ロボコンみたいな劣等生もいるわけじゃないですか。生まれたときからロボットには意思があって、人間に逆らうこともあって、三食食らって……人間より人間臭いものがロボットだと思っていたので、その辺も違ってるんですよね。
――ご家族に自分の漫画とかアニメを見せたことはありますか?
伊勢田:
内緒でやっても、結構ちらほら見に来たりはしてます。
――感想とかは、聞きましたか?
伊勢田:
やっぱり、面白いとかはあんまり言われたことないです。僕もあんまり言わないほうなんで。ぶっちゃけた話、知り合いも家族も自分の作品にそんなに興味ないみたいです。
特撮は自分たちの仲間が出てるんで、見てくれたりはしますね。漫画とかアニメになると、やっぱり世代も違いますし。子どもの頃から、「そこそこ売れる漫画家になりたい」そんな欲望しかなかったから、今このざまなのかも。
――アニメ内の楽曲はすべてご自身で作られている、とのことですが音楽はもともと、ピアノとか習っていたんですか?
伊勢田:
中学の頃は、一応無理やり入れられた感じのブラバンにいました。中学校はスポーツ系が強くて、ブラバンとかそういう文化系が弱かったんですよ。漫画研究会とかなくて、小学校の頃、実は自分が漫画研究会一回作ったことがあったので中学でも作ろう思ったら、なかなか人が集まらなくて。
みんな小学6年生になったら漫画を卒業していくんですよ。漫画よりアイドルとかを追っかけていくから。漫画を描いている人は絶対いたとは思うんですけど、隠れて描いてたりとか。
中学はまず、漫画を持ち込んじゃいけなかったんですよ。なので、僕がノートに描いてるうちに、ほかの友達でもない人たちが、「それ見せてくれ」みたいな感じだったんです。先生に注意されたら「これは持ち込んだ漫画ではなく、ここで描いた漫画です」と言い訳したことがあります。
ヒーローに負けても、立ち向かう怪獣のほうがいじらしい
伊勢田:
子供の頃の原稿も持ってきています。一応こんな感じでした。賞を獲ったときに、地元の神戸新聞に載ったやつですね。
――ご家族が取っておいてくれたんですね。
伊勢田:
この頃、『ジャンク』【※】っていう実録ホラー映画があって、死刑の仕方を集めた内容で、電気椅子とかの収録もあって、それを1コマ漫画にしました。
※ジャンク
1978年製作の『ジャンク 死と惨劇』に端を発するシリーズ。作品内容は幅広いが、解剖、処刑、事故、屠殺といった「死」の風景ばかりを扱うのが特徴。本作は当時のスプラッタ映画ブームの中で製作されているが、その中にあっても過激さで特筆され、DVDボックスの宣伝文句によれば46ヶ国で上映禁止処分を受けている。
――当時の神戸新聞には漫画の投稿コーナーがあったんですね。これを見る限りは、まだ柊あおい先生の影響は……。
伊勢田:
その影響はまだありませんね。そういう漫画を送っても、多分載らなかったと思います。あの頃は今より丁寧に描いていたかもしれない。
――その頃から既に、少女漫画好きだったのでしょうか?
伊勢田:
そうですね。『仮面ライダー』とかは好きですけど、基本的に争いとか戦いは苦手なほうなんです。あくまで悪者の視点から見て好きになってるだけで、仮面ライダーが怪人をやっつけたあとは、やっぱりさみしいですね。
実は、小学校時代は学校のガキ大将相手の怪獣ごっこで怪獣役をやらされていたんです。大体、ガキ大将って絶対怪獣とかやらないじゃないですか(笑)。構造的に、私みたいな弱いのは大体怪獣とか戦闘員とかなんです。
――やられ役だったんですね。
伊勢田:
それでも、おかげでバク転とか覚えましたけどね。
――(笑)
伊勢田:
特撮では仮面ライダーのような、ヒーローも勿論かっこいいんですけど、敵の怪獣のほうがやっぱりいじらしいなと思っていました。毎回登場してもヒーローにやられるじゃないですか。それでも、また向かっていくところがいじらしいなと思っていました。
自分も、ごっこ遊びで怪獣役をやるようになっていつの間にか、弱かった体が「絶対、次もいくぞ! 俺は怪獣なんだ!」っていう感じで、「ウルトラマンなんかに負けるか!」と登校するようになりました。それまでは学校は休みがちでしたね。
自分の作りたいものを作ったらいいんだよ
――伊勢田さんは普段どんな心境で創作をされているんでしょうか?
伊勢田:
どうでしょうね……。本当に何か長い流れの一瞬にいるような、私はその中でファミレスに行って端っこで作業している感じです。私はいつもそんな感じの行動をしている人間なので、どうしても一番を目指してがんばるとかいう考え方が苦手なんです。
――お話を伺っていて、伊勢田さんから創作意欲がなくなったら、死んでしまうんじゃないかと思ってしまいました……。
伊勢田:
敵がいる限り、創作意欲はなくならないんじゃないかと思いますね。
――「敵がいる限り」というのはどういうことでしょうか?
伊勢田:
子供の頃から「友達何人できるかな?」という考え方じゃなく、「自分には敵しかいない」という意識でいます。
本当に高校時代は敵だらけだったんです。高校に入ってすぐはぐれてしまって。掃除のごみ捨てのときに、別に先生は悪くないんですけど、「段ボールを運ぶの手伝ってくれ」と言われて運んで帰ってきたら、掃除が終わってて、サボり扱いされたんです。
――誤解されてしまったんですね。
伊勢田:
「いや、段ボールが……」って言ったら、「言い訳なんて男らしくねえ! おまえはサボり決定」みたいなことを言われて、こいつらとはなじめないなと、その次の日から図書室登校するようになって。
でももちろん授業は学生の義務だから、受けてたんです。休み時間はずっと図書室にいました。
教室には授業以外は入らないって決めて、ずっと図書室で生活してて、弁当のときは“踊り場飯”はしたりしました。
――はぐれるって自分が少数派になることじゃないですか。多数派の人たちに対する恨みみたいなものはなかったんですか?
伊勢田:
恨みは全然ないけど、この人たちとは通じ合えないんだって。小学校の時代から自分のあだ名がエイリアンっていうぐらいなんで。
異形な者として扱われた経験が、怪獣をいじらしくてかわいいと思う理由なのかもしれない。迫害された人に共感するんです。
――伊勢田さんのアニメ作品を、記事の公開にあわせてニコニコで一挙放送することになっていますが、そうすると数万人に自分の作品が露出することになるじゃないですか? それに対して思うことはありますか?
伊勢田:
自分が思うことは特にないです。人それぞれの反応なので。
――じゃあ、ニコニコをきっかけに作品にふれることに対しては、好きなように感じてくれ、と?
伊勢田:
そうですね。私も他の作家の作品に触れたときには好きなように感じるしかないですし。
――今回、伊勢田さんの自主アニメを紹介することで、自分もアニメを作ってみたいと思う人が出てくるかも知れませんね。
伊勢田:
作品の構想を持っていれば、特別な環境がなくても誰でもアニメって作れるんですよ。人の意見や目線なんか気にせず、どんどん作りたいものを作っていったらいいと思います。
[了]
既存の美術教育を受けずに独学で作品を作り続けた人々が、生み出した芸術のジャンルに“アウトサイダー・アート”と呼ばれるものがある。
たとえば、誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で膨大な絵物語『非現実の王国で』を執筆し続けたヘンリー・ダーガー。
あるいは、知的障害児施設で「ちぎり紙細工」と出会い、生涯を旅と創作に捧げた“裸の大将”こと画家の山下清。
伊勢田氏本人が意図しているかは別として、彼の作品は、ひょっとするとこれらアウトサイダー・アートの巨匠たちの作品と通じるところがある……かも知れない。
当初は、変わったアニメを作っているクリエイターに会えば面白い話が聞けるのでは? という気楽な思いで臨んだインタビューだったが、伊勢田氏の“やや天然な言動”に、おかしさを感じつつも、終わってみれば取材陣は伊勢田氏の創作への熱量に圧倒されていた。
誰からも評価されなかったとしても、自分の信じる道を進み続ける伊勢田氏に対して、背筋が伸びた取材からの帰り道だった。
■info
・伊勢田勝行氏の全作品の動画を期間限定で公開しています。
・伊勢田勝行氏の25年間の全作品27時間一挙放送 11月2日(土)21:00から放送開始!