5分で分かる“ピクサー映画”の特徴「泣くタイミングが用意されてる」「実はブラックジョークが大盛り」
ピクサーを支える「ブレイン・トラスト」の存在
マクガイヤー:
ピクサーに「ブレイン・トラスト」というのがあって、これは監督経験者とか、ピクサーの有名クリエイターが作った顧問団みたいなのがあるらしいんですよ。いつでも相談できる場所みたいなのがあって、システムとしてそういうのを持っていて、新しい映画を作る監督が定期的にそれに見せる。ブレイン・トラストに、それで助言を受ける。
マクガイヤー:
ただ、その助言には強制力はなくて、それを採用するもしないも監督次第みたいなのがあって、例えばそれは『トイ・ストーリー2』でもいろんな敬虔から生まれたと言っていまして、例えば『ウォーリー』では、このウォーリーの最後は、このウォーリーとイブが荒れ果てた地球でなんとか暮らすというラストだったらしいんですけど、ちょっとそれはないんじゃないかと。
このブレイントラストに言われて、最後に見たいのは、今までウォーリーがイブを助けていたのが、イブはそれを逆転して、イブがウォーリーを助けるところじゃないかと言われて、ああいうラストになった。最後の盛り上がりをちょっと足した。『トイ・ストーリー3』も、熊のロットだっけ?
しまさん:
赤い熊ね。
マクガイヤー:
赤い熊のロットが、みんなからのそれまでの信頼を失うという展開をしなければいけなかったんだけど、その理屈をどうにかして考えた。このロットというのは、どう考えてもオモチャのムッソリーニではないか。ムッソリーニってイタリアで革命起こされて死ぬじゃないですか。そういう革命をなんとか起こさなきゃいけないんだということで。あと巨大な赤ちゃんのオモチャがいましたね。
しまさん:
いるね。
マクガイヤー:
あいつが、ああいうふうになったのは、「ロットの責任だっていうことにすれば、上手くまとまるんじゃないか」というようなアドバイスをもらって、そういうラストになった。
しまさん:
なんか、そのせいかキャラクターの思想とか、生きている感にちょっと齟齬(そご)が出てきて、理屈でつなぎ合わせてる感じがでてきたりしません? 部分的に。
マクガイヤー:
そうです。腑に落ちるというわけです。
しまさん:
腑に落ちる?
マクガイヤー:
まあ、だからあれでしょ? 全部理屈ばっかりということでしょ。
しまさん:
そうそう。だからキャラクターの志向とかに一貫性がなかったり、ちょっと話を進めるために、ここをつなぎました、みたいな。
マクガイヤー:
一貫性がないとは思わないですけど、全部理屈で作っている感はあります。だから、会議を相当した感があるでしょ、ずっと前に言っていた。
しまさん:
そうそれ。『カーズ2』とかも次々要素が盛られてて、終わらないじゃないかみたいに長くなったじゃないですか? これが原因じゃないですか?
マクガイヤー:
だから、すんなり終わらせるのが嫌なんですよ。すべらない話みたいなやつで、1回オチやっただけではダメ、もうひとつオチ、もうひとつオチみたいにしないと、観客が満足できない。
しまさん:
これでもか、これでもか、感動、感動みたいな感じ。わかった! そこが嫌いなんだ(笑)。気づいちゃったね。
マクガイヤー:
そうなんですか! そこが俺は好きなんです。だから観客が思ってもみないところへ連れて行かれるみたいなのは、例えば『トイ・ストーリー3』がそうじゃないですか?思ってもみない友達の家に連れて行かれたっていうオチじゃないですか。
しまさん:
え?そう?
マクガイヤー:
ああ、もう予想してた?
しまさん:
予想はしてなかったけど、幸せに暮らすとしたらそういう感じなんだろうなという。
マクガイヤー:
そうです。でも1、2と見てたらやっぱりアンディとウッディは別れたくないわけですよ。どうしても。ひとりだけ大学の寮に連れて行かれるならば、そういうラストもありかなと思います。
しまさん:
そうだね。
マクガイヤー:
だって、俺たちオタクのおっさんは、お気に入りのオモチャを壁に飾っているわけだから! みたいな。でもそれはピクサーの進む道ではなかった、というメッセージだと俺は思ったんですけど。
しまさん:
なるほど。
マクガイヤー:
本当ですか?(笑)
しまさん:
いや、なるほど。うん。
マクガイヤー:
あと、このエド・キャットマルが言っているのは、映画の比較は会議とかではなくて、ひとりかふたりの個人のビジョンによってのみ推進されるべきものだと。最初の発想は、企画屋とか映画の重役は考えるんではなくて、個人個人の思い込みとかから出来るもんだと言ってまして、でもそれを仕上げるのが会議だと言ってるんですが。
しまさん:
なるほど、会議か!
マクガイヤー:
ただ、これは、さっき出ていたカッツェンバーグに対する反感みたいなものがあるわけですよ。このカッツェンバーグはディズニー時代にプリンセスものをいっぱい作ってまして、それは完全にマーケティングで作ったわけですね。今までアジア人のプリンセスがいなかったから、『アラジン』を作ろうみたいなね。
しまさん:
ああ、なるほどね。今、世界中にプリンセスいますもんね。
マクガイヤー:
プリンセスものを作ると、子供だけでなくて、大人、それも女性客も来るから、プリンセスものをいっぱい作るんだという感じで、企画屋とか重役がもともとの話しを作る、発想の原点を作るっていうのが、結構当たり前にあるわけですけど、それはダメなんだ! ということで、ただ、カッツェンバーグはその後、ドリームワークスに行って、ディズニーに対する批判というか、ディズニープリンセスなんじゃい! みたいなものを作っていたりしていますけれど、ドリームワークスはドリームワークスで結構面白いんですよね。
親(になってしまった我々)の視点
マクガイヤー:
ピクサー映画に共通するのは、全部じゃないんですけど、親になってしまったぼんくらな子供、ぼんくらな我々みたいな視点が常にある。
『トイ・ストーリー』はあからさまで、基本的には「子供を見守る親の話」なんですよ。子供を見守る親がオモチャになっているみたいな話で、『ファインディング・ニモ』は、ちょっと子供が成長するには突き放さないと。『モンスターズ・インク』も結局、子供の驚く・楽しむみたいなエネルギーで我々は生きているんだ、というような話ですよね。
しまさん:
なるほど、それが親の視点であると。
マクガイヤー:
そうです、そうです。あと子供にDVDを売って稼ぐ我々ピクサーの視点でもあります! そこらへんは『エヴァンゲリオン』にちょっと近いんですよね。基本的には私小説みたいな。ただちょっと例外もあるんですけどね。
さっきしまさんが結構面白いと言ってた『Mr.インクレディブル』はちょっと違う。家族ものだけど。
しまさん:
違うねー。
マクガイヤー:
あとこの『モンスターズ・インク』の続編というか、エピソードゼロみたいな『モンスターズ・ユニバーシティ』はちょっと若い、青春物語だから子供は関係なくなっていますよね。
しまさん:
ピクサーは、常に親子というのを意識しているわけだ。
マクガイヤー:
親子というよりか、もう大人になっちゃった俺たちみたいな感じです。だから『Mr.インクレディブル』はそれに近いわけですよ。あれのお父さんというのは。
しまさん:
もともと、スーパーヒーローですね。
マクガイヤー:
そう、もともとスーパーヒーローなんだけども、今やつまんない仕事をしなきゃいけない、本当に俺のやりたいことをできていないということで、大人になって会社で働かなきゃいけない。
おっさんになっちゃったけど、心は子供な俺たちの話をブラッド・バードはよくやるし、あそこで奥さんじゃなくて、ちょっとすごい美女にふらふらっとなっちゃうのは、もう他人事とは思えない。
しまさん:
思えない(笑)。
マクガイヤー:
ね? おっさんになった俺たちの話。
しまさん:
そこを感情移入できると。
マクガイヤー:
『カーズ』もそういう感じありますよ。
しまさん:
そうね。
マクガイヤー:
『カーズ』はもうロハス、最高みたいな話ですよね。面白いのは、『インサイド・ヘッド』のピート・ドクターの監督は、『モンスターズ・インク』と同じ監督なんですけど、モンスターズ・インクの娘が大きくなって、こんな風になったみたいなのが元になっています。
しまさん:
そうなんだ。
マクガイヤー:
ピクサーの社屋はサンフランシスコのあるんですけど、だからインサイド・ヘッドもサンフランシスコっぽいところに引っ越すところから始まりますよね。
しまさん:
ああ、そうだね。
マクガイヤー:
環境が変わって、ちょっと娘がおかしくなった、みたいなのが発想の原点にあると。
しまさん:
なるほど。ピクサーの映画って、全体的にそれぞれにつながりがあるみたいな説もありますけど、どうなんですかね?
マクガイヤー:
ありますね。わかんないです。『スーパーピクサー大戦』とかできるかもしれないですね。
しまさん:
出来るかもしれないですね。
マクガイヤー:
『貞子vs伽椰子』みたいな感じで。
しまさん:
出来るかもしれないね。
マクガイヤー:
これは、ピクサーが相当ヤバくなったら、絶対出来ると思います。
しまさん:
そうだね。
マクガイヤー:
エド・キャットマルとラセターが死んで、ピクサーの経営が相当ヤバくなってきたら(笑)。
しまさん:
相当ヤバくなったら、全員でCMに出る的なみたいな感じで。
マクガイヤー:
「モンスターズ・インク」VS「トイ・ストーリー」とかできるかもしれない。
しまさん:
できるかもしれないね。やりそう。
マクガイヤー:
その前にパチンコになると思うんですけど。
しまさん:
CRトイ・ストーリー。辛いわあ。