茅野愛衣 『あの花』出演時にも美容エステの仕事を続けていた理由。「1年でオーディションに受からなかったら声優を辞める」と決めてから「声優を仕事にしていいんだ!」と思えるまで
2011年に放送されたTVアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』。放送当時から大きな話題になり、後に実写ドラマ化。舞台となった秩父は今なお聖地巡礼に訪れるファンが多いという、伝説的なアニメだ。
入野自由さん、戸松遥さん、 櫻井孝宏さん、早見沙織さんといった錚々たるキャストが作品を彩るなか、作品の鍵を握るメインヒロイン・めんまを演じる新人声優のことを以前から知っていた人はほとんどいなかった。
その声優の名前は、茅野愛衣。
彼女が演じる幼くもせつない「めんま」の声に、泣かされた人もたくさんいるのではないだろうか。
茅野さんは社会人として美容エステサロンに就職した後に声優の道に進むことを決意。その後、デビューから1年もたたずに『あの花』のヒロインに抜擢されるという、異例の経歴を歩んできた。
そのデビューから11年の時が過ぎ、茅野さんは声優の世界で確固たる存在感を放っている。
ニコニコニュースオリジナルで連載中の、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」。
これまで、大塚明夫さん、三森すずこさん、中田譲治さん、小倉唯さん、堀江由衣さん、ファイルーズあいさん、石原夏織さん、三石琴乃さん、平野綾さん、日髙のり子さん、小松未可子さん、関智一さん、田中敦子さんのインタビューを実施した。
今回は、デビュー10周年イヤーが過ぎ、11年目を迎えた茅野愛衣さんにご登場いただいた。
デビュー前、美容業界に働いていたことはよく知られたエピソードだが、なぜ美容業界で働くことになったのか。そこからなぜ声優に転身することになったのか。今回は詳しく伺うことができた。
そこには、早くに亡くなった破天荒で温かい父と、美容業界で働きながら茅野さんをひとりで育てた母の存在があった。茅野愛衣さんの人生を振り返るロングインタビュー、彼女の包み込むような優しい声が誕生した理由の一端を覗けるようなものになったと思う。
■分岐点1:父が早くに亡くなり、母とふたりの生活が始まる
──茅野さんの人生で最初の分岐点はどこになるのでしょうか?
茅野:
父が早くに亡くなって、母とふたりの生活になったことが最初の分岐点だったなと思います。
──たしかにそれは、生活が大きく変わる出来事ですね。差し支えなければお聞きしたいのですが、どんなお父様だったのですか?
茅野:
矢沢永吉さんの大ファンで、打ち上げ花火のように短い人生を濃く激しく生きた、破天荒でロックな父でした。
父が生きていたころは、毎日が刺激的で楽しかったですね。たとえば「動物園へ行こう!」と言って、連れて行かれたのが競馬場だったり(笑)。
──それはたしかに破天荒ですね!(笑)
茅野:
あんなに人生を楽しみ尽くした人は、そうそういないと思います。だからといって、そんなに早く逝ってしまうとは……とも思いますけどね。
──早過ぎる別れを経て、茅野さんの人生はどのように分岐されたのでしょう?
茅野:
もともと母とは仲が良かったんですけど、父の死をきっかけにより絆が深まって、「ふたりで頑張っていこう」とさらに強く考えるようになったんです。
そうして、美容業で働く母のカッコいい背中をずっと見ていたことで、高校生のころには「私も母と同じ仕事がしたい!」と思うようにもなりました。父の死をきっかけに、ひとつ大人になろうと思ったんですね。
──お父様が亡くなられたとき、茅野さんはおいくつだったのですか?
茅野:
15歳ぐらいでした。だから、考えてみれば、母は30代にして未亡人になったんです。今にして思うと、すごいですよね。
今の私と大して変わらない年齢で父を亡くして、それでもちゃんと私を学校に通わせてくれて、やりたいことをなんでも応援してくれて。
■母と同じ美容の仕事に就くために
──お母さまと同じ道に進むための美容の勉強は、いつ頃から始められたのでしょうか?
茅野:
高校生の頃からです。極力母を楽させたかった気持ちもあるんですが、それ以上に「手に職をつけたい」という気持ちが10代のときから強くて、高校と並行して専門学校に通いました。何か一つ、自分が得意なことを伸ばしたいな、と。
やっぱり好きなものは努力できるし、成長できると思うんですよね。そのときいちばん興味があるのが美容系のお仕事だったので、この分野で成長したいと思っていました。
──となると高校での過ごし方も、少しまわりの子たちとは違ったのでは?
茅野:
そうですね。美容の仕事に就くことを考えたら、なるべく普段から紫外線をカットして過ごそうと思って、登校時に日傘をさしていたり…体育の授業をお休みしたりしてました(笑)。
──その理由で体育を欠席したら、クラスでも目立ったんじゃないですか?
茅野:
悪目立ちしていたでしょうね(笑)。自分で言うのもなんですけど、「あんまり枠に収まりたくない」みたいな気持ちが強い子供だったんです。そんな反骨精神も「人と違うことをやりなさい」とよく話していた父から学んだものだと思います。
父は、ほかにも「テストの点数よりも友達を大事にしろ」とか、そういう話ばっかり私にしていたんです。
──カッコいいです。どんどんお父様に興味が湧いてしまいますね。
茅野:
父は歌がすごく上手くて、家にはドラムセットがあったんです。あと、マイクスタンド。マイクスタンドを蹴り上げる練習を家でやっていた姿も覚えています。
──おお、矢沢さんのライブ定番の「マイクスタンド蹴り上げ」。
茅野:
あとは、永ちゃんの言葉を家訓として家に貼っていたり(笑)。私が声優になってから歌の収録で、ODEN STUDIOという矢沢さんが作られたスタジオに初めて行ったときは「今、お父さんがいたら、めっちゃ自慢するのに〜!」という気持ちになりました。
ホント、父はネタが尽きないんですよね。母の誕生日になると薔薇の花束を100本持って帰ってきたり、別に知り合いでもない困っている人を、いきなり家に連れてきて助けてあげたり……。
──豪快で優しいお父様だったんですね。
茅野:
だから、大人になった今会えたら、絶対楽しいと思います。父と一緒にお酒を飲みたいですね。
──お酒もお好きだったんですね。
茅野:
好きでした! 毎晩飲んでましたね。焼き鳥をお土産に、千鳥足で帰ってくる父の姿もよく覚えています。
豪快な父と、ほんわかしてちょっと天然な母の間に産まれた私は、どちらの要素もブレンドされて持ち合わせているような気がします(笑)。
■分岐点2:声優の道に進む
──そんなご両親から生まれ、成長し、大人になろうと思った茅野さんが迎えた2つ目の分岐点はなんだったのでしょう?
茅野:
やっぱり声優という仕事を選んだことだと思います。本当に突然の決心でしたね。
──声優というお仕事には、どれくらいの知識があったのでしょう?
茅野:
アニメを昔から観てはいたんです。ひとりっ子でしたし、お留守番が多かったので、親が家にCSのアニメチャンネルを入れてくれていたんです。キッズステーションと、カートゥーン ネットワーク。
だから日本のアニメだと、年齢の近い人たちが親しんでいたようなものよりも少し以前の『らんま1/2』や『幽☆遊☆白書』といった作品になじみがありました。カートゥーン ネットワークで触れていた海外の作品だと、『パワーパフ ガールズ』や『オギー&コックローチ』が好きでしたね。『パワーパフ ガールズ』はサントラまで買って聴いてましたね。懐かしいなあ。
そういうふうに子供の頃にアニメに触れることはあったのですが、それ以降、大人になってからはアニメにドハマりすることはなくて。
──アニメ好きでも声優の存在を強く意識することもなかったのですね。
茅野:
アニメの存在をまた強く意識したのは、美容の仕事を始めてからでした。
美容業って接客だけじゃなく、閉店後の片付けにもタオルを使うんです。それも合わせて、仕事に使った大量のタオルを洗濯して、干して……とやっていくと、作業が終わるころには深夜になってしまうんですよね。まだ二十歳そこそこの私でも、「これは結構、体力を持っていかれるな」と感じるくらいの仕事でした。
そんなふうに忙しかったころ、深夜に家に帰ってきてテレビを点けると、アニメがやっていたんです。「アニメってこんな遅い時間にやっているんだ」くらいの興味から始まって、だんだんと「大人が観ても面白いんだ」と感じて、深入りしていったんです。
そして『ARIA The ANIMATION』という、最高の癒やしアニメに出会いました。
──佐藤順一監督の深夜アニメでの代表作ですね。のちに茅野さんはシリーズ作品にご出演もされます。
茅野:
この作品を観て「リラクゼーションって、直接手で触れることだけじゃなくて、作品を通してもできるんだ」と感じたんです。それで「こういう作品をつくる人たちの一員になりたい!」と考えるようになりました。
とはいえ、絵が描けるわけでも、お話を作るのが得意なわけでもない。ただ、接客業で、人とお喋りすることがとにかく大好きだったんです。
──人前で声を出すことには抵抗がなかった。
茅野:
だから、お芝居をやったことはなかったんですけど、声のお仕事ならもしかしたらできるんじゃないかと思ったんです。
──そこからどのように行動されたんですか?
茅野:
声優養成所を調べて、所属のためのオーディションを受けてみることにしました。それで「落ちたらきっと向いていない、受かったら声優の道もあるかもしれない」と考えようと思ったんです。
──明確な判断基準ですね。
茅野:
オーディションを受けに行くかどうかすら、悩みはしましたけどね。オーディションも無料じゃないので「お金をかけて行く意味ってあるのかな?」なんてことも考えてしまいましたし、試されることって何にしても、怖いじゃないですか。
会場には本気で目指している人がいっぱいいるわけで、自分みたいに宙ぶらりんな気持ちで受けるのは失礼だなとも思ったんです。これは、オーディションに合格して養成所に入ってから、より強く感じました。
──合格後もですか?
茅野:
そうなんです。私が入ることになったプロ・フィットの養成所は、基礎科と、もう少し実践的な本科に分かれていたんです。私は本科に入ったんですが、あまりにもはっきりと周りの人との力の差を感じて「基礎科に入り直すことはできませんか?」と聞いてしまったくらいでした。
■1年でオーディションに受からなかったら辞める
──少し話を戻させてください。養成所の試験を受けるときに、茅野さんの背中を押してくれた方はいたんですか?
茅野:
母です。母は私が子供のころから、すべてを応援してくれる人だったんです。
やりたいと言ったことに対して、「やめなさい」と言われた記憶はないですね。養成所を受けたいと言ったときも、「いいじゃない!」と背中を押してくれました。
──それが本当にスゴいと思うんです。親としては、自分と同じ仕事に子供が就いて、助けてくれる状況って、とてもうれしいはずですよね。そこから違う道を歩もうというときに、背中を押せるのは素晴らしいなと。
茅野:
私の性格をわかっていたのかもしれないなと思います。「試してみたい」と思ったら突き進んじゃうタイプでもあるので。しかもその「やってみよう」の精神は、母から学んだことでもあるんです(笑)。
もしかしたら、今、あらためて母と話したら「実はあのときは葛藤があったのよ」みたいな話が出てくるのかもしれないですけど、少なくとも当時は全然そんな印象はなかったですね。
──養成所の学費はどうされたのでしょう?
茅野:
必死に働いて稼ぎました。それまでと同じ仕事も続けつつ、バイトもして。
余談ですけど、そのときのバイト先だった喫茶店で、声優仲間の赤﨑千夏ちゃんもバイトをしていたんです。同期でバイトに入って、そこから業界でまた出会って。
──そんな偶然ってあるんですね。
茅野:
それどころか、『俺修羅』(『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』)ではふたりでメインの役を演じたんですよ。本当に運命的ですよね!!
──美容のお仕事はどのくらいまで続けておられたんですか?
茅野:
デビューしてすぐのころは、まだ働いていました。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のころでも、まだ並行して続けていたはずです。
──『あの花』のころになると、さすがにそろそろ声優の仕事にもやっていけそうな手応えがあったかと思いますが、その前は、以前のお仕事に戻るかもしれないと考えることもありましたか?
茅野:
思っていました。だから、自分で期限を決めたんです。事務所に入ってから1年間でオーディションにひとつも受からなかったら「この道じゃないんだ」と決めよう、と。
そうやって自分の中で期間を決めている子は、実は多いと思います。「○歳までに軌道に乗らなかったらやめる」みたいに。
私はこの業界のことをまったくわからないまま声優になったので、そうやって決めている人が多いことも知らなかったのですが「食べられないと困る」というのはあったんです。やっぱり「好き」だけでは、続けていけないですから。
──そこは大事ですよね。
茅野:
「好き」を仕事にできたら、もちろんいちばんなんですけどね。
私は養成所を卒業して、事務所に入った時点で23歳くらい。別にこれは声優として遅くもなく、早くもないくらいの年齢ではあると思います。ただ、すっかり大人の状態から新しい道に入っていく形ではありました。だからこそ、1年間でどれくらい声優を「仕事」にできるのか、自分を試す意味でも期限を切ったんです。
ありがたいことにいくつかの作品が決まって、『あの花』みたいないろんなかたに知ってもらえるきっかけになる作品がありました。それから「声優を仕事にしてもいいんだ!」と思えて、完全にそちらの道一本に切り替えてやってきた感じですね。
──美容業も、声優業も、どちらのお仕事も好きだけど、仕事があるのなら……と。
茅野:
やっぱり求められることって、うれしいじゃないですか。私たち声優って、自分で仕事を作る職業じゃなくて、オーディションを受けたり、監督さんや音響制作さんに「この役をお願いしたい」と言われてお仕事ができる立場なんです。
今後の人生の中で、自分から生み出すようなこともやっていきたいとは思うのですが、求められているうちは、求められる場所で自分を試したい。どんな仕事であっても、そうやって自分が誇れる自分でいることが、次の仕事に繋がるとも私は感じていますしね。
──『ARIA』をご覧になって、「リラクゼーションって、直接手で触れることだけじゃなくて、作品を通してもできるんだ」と気付いた……というお話がありました。アウトプットの形は大きく違っても、茅野さんにとって仕事の本質的な部分は近いのではないかと、今のお話をうかがっていて感じました。
茅野:
そうですね。「人のために何かをしたい」という気持ちが、どこかにある気がします。美容の仕事、私が働いていたエステでは1対1で向き合ってその人と関わっていくんですけれど、アニメだと私が知らない人のところにも届く。場所も、時代も超えるじゃないですか。
私が声優の仕事を辞めた後や、私がこの世からいなくなった後でもずっとずっと、作品は届き続ける。それって、エステの仕事では絶対叶わないことなんですね。
──たしかに。
茅野:
「死してなお生き続ける」みたいなことって、すごく素敵なことだなぁ……と思うんです。
あらためて話していても感じますけど、ありがたいことですよね。クレジットに最初に名前が載ったとき、感動したんです。「作品をつくっている大勢の中のひとりなんだ!」 と。
あとは、過去の作品を最近観た方からファンレターを頂くのもすごくうれしい。私がこの先40代、50代、60代になっても、人それぞれ、違うタイミングで作品と出会った方がこうして感想を伝えてくださるのかな……と。そう考えると、これからも頑張る意味があるなと思っていて、声優ってとてもいい仕事だなって、つくづく思うんです。
■分岐点3:声優デビューから10年
──では、第3の分岐点をうかがわせてください。
茅野:
第3の分岐点をどこにするかは悩ましいですね……でも、「声優デビューから10年目を迎えた、節目の年」ですかね。多分、そこが声優になってからの、いちばん大きな分岐点かなと思います。
──10thメモリアル ブック&ミニアルバムの『むすんでひらいて』を刊行されたり、動画配信などさまざまな企画を行われたり、「10年」という数字にこだわりを持ってアニバーサリーイヤーを過ごされていた印象を受けました。この数字にこだわったのは、なぜなんでしょう?
茅野:
10年同じ仕事を続けるのって、なかなか大変じゃないですか。「10年やれたら、初めて一人前と名乗れるのかな」と思っていたんです(笑)。
一人前というか、新人のころにいい作品に巡り会って、いろんなかたに知ってもらって、いろんなかたに現場に呼んでもらった。そのことに対する、恩返しをしていくタイミングが来たのかな、と思いました。
──恩返しとは、具体的にはどういうことなのでしょう?
茅野:
これまでは、作品のド真ん中にいるような役をやらせていただくことが多かったんです。でもだんだんと、お母さん役だったり、これから出てくる新人の子たちを支えていくような立ち位置で演じさせていただく機会が増えてきました。
そうやって広がった役柄を演じる中で、新人の子たちにいい風を送れる存在になれたらいいなと、常々思っています。業界全体にお世話になって今の私があるので、今度は私が後輩たちの話を聞いたりして、なにか少しでも作品にいい影響を与えられるようになるといいな……と思っています。そうやって、少し活動が変わっていく分岐点になったのが、10年の節目だと思います。
──茅野さんの関わられている作品の現場からは、同じ目標に向かってがんばっている、チームのような意識が感じられることが多い印象を勝手に持っているんです。『あの花』の関係者のみなさんは昔も今も集まったときの空気が温かいですし、『冴えない彼女の育てかた』にしても『この素晴らしい世界に祝福を!』にしても、取材やイベントで関係者が揃ったとき、本当にみなさん、楽しそうで。
茅野:
声優は表に出ることが多い仕事かもしれないですけれど、基本的にスタッフさん一人ひとりと一緒の立場だと私は思っているんです。私たち声優のお仕事は作品に声を吹き込む、命を吹き込む作業ですが、それは絵を描いている人、話を作る人、宣伝さんもみんな一緒で、どこか歯車が欠けて、ちぐはぐになっちゃうと、お客様の元に作品が届かない。
作品に関わる人たちが本当に仲間にならないと、いい作品ってなかなか産まれないんじゃないかな? と感じています。
──それは声優というお仕事を始められてすぐの時期から、そういう意識があったのですか?
茅野:
最初は全然わからなかったです。どうやってアニメを作っているかすらわかりませんでしたから。現場でいろいろな人と関わる中で、仲間の大切さを知ることができました。
──現場には10年前の茅野さんのように、何もわからず入ってきた子がいっぱいいるわけですものね。今度は、茅野さんが何かを教える立場になられる。
茅野:
そうなんですよ。とくにいまはコロナの影響で分散収録なので、先輩の姿を直接現場で見ながら学ぶことができないんです。どんなお仕事をされているかたもきっと、どうやって新人に教えるかは悩まれていると思うのですが、特にお芝居では現場で学ぶことがたくさんあるんです。そういう子たちに学びの場があればいいなと思うのですが……難しい問題ですね。
──ちなみにそういう意味でいえば、今ご出演されている(2022年12月現在)『デリシャスパーティ♡プリキュア』のキュアフィナーレ役は、茅野さんの中ではどのようなお気持ちで取り組まれているのでしょうか。同じプリキュアであるキュアプレシャスを演じる菱川花菜さんは、これが初レギュラーの、ほぼ新人の方ですが。
茅野:
菱川ちゃんはプロ・フィット養成所の後輩でもあるんです。初めて会った時に「茅野さんがいるからプロ・フィットの養成所を選びました!」と言ってもらえてすごく嬉しくて。先輩として恥ずかしくない芝居をせねば!と背筋が伸びる思いでした。
ただ、あくまで私たち声優は、作品の中で、その役をいかに魅力的に見せるかが大事なので、先輩・後輩だとか、新人を支えていくだとか、演じる上では気にしていません。キュアフィナーレ/菓彩あまねちゃんをとにかく素敵に見せたいな、という気持ちで演じています。
──なるほど。それにしても、若干脇道の話しですが、悪役からスタートして味方になるのもさることながら、妹キャラで、生徒会長で、ちょっと天然ボケっぽいところも時折あって、大変な役ではないですか?
茅野:
属性が多いキャラクターですよね(笑)。オーディションで役に決まったあと、スタッフのかたからも「難しい役なので……」って説明はいただいていたんです。とりわけ感情の移り変わりが大変でしたね。敵から味方になるまでのドラマを、どう演じるか。
でもそういう難しい役にはめていただけるのも、10年やってきたからこそかなと思っています。最後まで、これまで得てきたものを発揮して演じきりたいです。
■生きている限り、お酒を飲みたい
──では3つの分岐点をうかがってきましたが、ここから現在の茅野さんのお話もうかがってみたいなと思います。2022年現在の茅野さんが、生きる上でもっとも大事にされていることはなんなのでしょう?
茅野:
大事にしていること……お酒と犬かなあ(笑)。なんだか『デリシャスパーティ♡プリキュア』みたいな話になっちゃうんですけど、本当に食べることも、飲むことも大好きなんです。それこそ『おとなの週末』さんで連載させていただくことになったのも、美味しいものが好きで「好きだ、好きだ」と言い続けたからなんですね。ずっとやらせていただいているお酒を扱う配信番組『かやのみ』がそもそもそうやって始まって、そこからのご縁でコラムの連載が始まった。
本当に「好きは好きを呼ぶんだな」と思ったものですが、今までもそうだったように、これからも「食」のことを大切にしたいなと思っていますね。
──生活の基本ですものね。犬に関してはいかがですか?
茅野:
犬は癒やしなんですよね。ずっと飼っていた杏・杏(あんあん)が去年亡くなって、今は次の子のくーちゃんをお迎えして一緒の生活を楽しんでいるのですが、新しい犬を飼うと癒やしだけでなく、しつけという新たな課題もできるんです。一から向き合って育てていく面白さをまた感じています。
杏・杏は大人しくて、おうちにいるのが大好きなわんちゃんだったんですけど、くーちゃんは外に出て走り回るのが大好きなので、一緒に太陽の光を浴びて運動をしています。
──高校のころの紫外線カットの日々を思うと、隔世の感がありますね(笑)。
茅野:
本当に(笑)。体を動かして、コロナに負けない免疫力を高めていきたいと思っているので、とにかくご飯を食べて、運動をして、しっかり寝て……本当に、人間の基本的なことをやることを大切にしています。
やっぱり健康な体がないとお仕事もちゃんとできないので、呼ばれたときに全力で力を発揮できるように、基礎的なものをもう一回見直しながら頑張りたいなと思っています。10周年を迎えて、もう一度ちゃんと体づくりをやらないとな、と。
──声優業は体力勝負な側面もありますものね。しかし好きなものとお仕事が自然につながるというか、今のお酒の話にしろ、愛犬との運動の話にしろ、やられることが趣味と実益を兼ねる形になることが多いのではないですか?
茅野:
そうですね。不思議ですよね(笑)。
──そこが茅野さんの大きな魅力なのかなと。
茅野:
少し前までの「声優」という職業の枠を越えた仕事が今は多いと思うんですけれど、その中でもお酒が自分の「好き」にいちばん通ずるものだったので、それを仕事にできるなんてなんてラッキーだったんだ! と思っています。家でお酒を飲んでいても「(これは仕事よ……)」って、心の中で思いながら飲めますからね(笑)。
──『かやのみ』はライフワークでずっと続けられるんじゃないですか?(笑)。
茅野:
そうなったらうれしいですね。生きている限り、お酒を飲みたいです(笑)。
私たち声優って個人事業主で、事務所に所属していても、個人でやりたいことをやれる立場にいます。だからせっかくなので、いろいろな「好き」を突き詰めて行きたいですね。声のお仕事はもちろん、お酒のこと、犬のこと。この三大「好き」なことを、楽しくバランスを取りながらやっていきたいなと思っています。
「人生における3つの分岐点」のインタビューを続けていると、1つ目の分岐点としてご両親との関わりを挙げる方が多い。茅野さんの場合、芸能活動のサポートというよりは「生きる背中を見せてくれた」という意味で、ご両親それぞれが茅野さん自身に大きな影響を与えていると感じた。
破天荒でお酒が大好きで、まっすぐな父。美容の仕事に取り組み女手一つで娘を育て、学生時代の茅野さんの憧れでもあった母。このご両親によって、茅野さんの声優業界を生き抜く強さと、荒波にもまれても決して失われない穏やかさが形作られたのだと思う。このインタビュー記事が、声優・茅野愛衣の魅力を紐解く一助になればうれしい。
■茅野愛衣さん直筆サインをプレゼント!
インタビュー後、茅野愛衣さんに直筆サインを書いていただきました。今回はこの直筆サインを1名様にプレゼントします!
プレゼント企画の参加方法はニコニコニュースTwitterアカウント(@nico_nico_news)をフォロー&該当ツイートをRT。ご応募をお待ちしています。
「茅野愛衣さん直筆サイン」を1名様にプレゼント🎁
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) December 27, 2022
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▼インタビュー記事https://t.co/1ItA8cAV9O
締切:2023/1/3(火)23:59
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■茅野愛衣さん撮りおろしフォトギャラリー
インタビュー後、茅野愛衣さんのフォト撮影を行いました。
記事とあわせて、ぜひお楽しみください。