「ぼくは“セカイ系”シン・ゴジラが見たかった」「天皇のタブー“儀礼”こそ省略すべき」東浩紀×猪瀬直樹×津田大介
日本初の「役人」パロディ
東:
でも僕は、『シン・ゴジラ』はすごい子供っぽい国家観の映画だったと思うけどな。あれが政治のリアリティだとは感じなかったけど、その点も、現実に政治の現場にいらっしゃった猪瀬さんが「あれがリアリティだ」って言うんだったら、そうですかと言うしかない。
津田:
猪瀬さんが言ってたのは「パロディとしてのリアリティ」ってことですよね?
猪瀬:
パロディにするには、ある種のリアリティがないとパロディにならないので――
津田:
すごく過剰に言ってますよね、テンポも含めて。役人の言葉は、あそこまで直接的に言わないとか。
猪瀬:
そうそう。役人の姿っていうのをあそこまでパロディにしたっていうのは、日本にはなかったんだよ。外国の映画ではそういうのをパロディにしてたんだよ。日本ではそういう水準に達しないで、鳥越俊太郎的な話になっちゃってたんだよ、要は。
津田:
なんでなんですかね?日本の意思決定っていうのは、ああいう役所とか会議で決められていくんだけど、それが物語になっていかないっていうのは。
猪瀬:
それが、今回できるようになったんだよ。パロディとして。
津田:
それが、戦後70年もの間、そういうものが出て来なかったんですかね。
猪瀬:
それは、意思決定の場から遠かったんだよ。鳥越俊太郎的に言えば、結局メディアっていうのは“中道左派”だから、意思決定は関係ないわけよ。意思決定がどういうふうに行われているかってのを描かなかったんだよ。
津田:
本当だったらマスメディアは、伝えたり、もしくはフィクションという形ででも伝えればよかったんだけど、そういうことをしてこなかった結果、リアリティみたいなものはなくなっていったと。
猪瀬:
まず、官僚機構をテーマにしてないんだよね、一度も。ほとんどしてない。官僚機構をパロディにしたのは、今回が初めてだと思うよ。こないだ『日本のいちばん長い日』がテレビでやってたよね。あれは去年の夏に公開された映画で、岡本喜八監督の、僕が学生の頃に見た白黒の非常によくできていた映画のリメイクで。それもまたそれでよくできていたと思うよ。
僕は去年、それを渋谷の映画館に見に行ったんだよね。一応、リメイクというものは見とかないとと。僕は後ろの方の席に座ったんだけどね、そんなにいっぱい人がいたわけじゃないんだけど、人の頭がいっぱい見えるわけ。白髪とハゲ頭ばっかりしか見えないんだよ。年配の人しか来てないんだよ。
津田:
ほんとだったら、ああいう映画こそ若い人が見たほうがいいんだけども、実際には届いてないっていうことですか?
猪瀬:
『日本のいちばん長い日』も、意思決定のドラマなんだよね。戦争をどうやって終わらせるかという意思決定で、それぞれ陸軍とか海軍とかいろいろな立場を背負ってる人たちが話し合って、まとまらないわけよね。だから、早くまとめれば、広島の原爆の後の長崎の原爆は少なくとも回避できた。ロシアの満州への侵攻も回避できた。
あの時、意思決定がずるずるずるずる不決断で、最終的に15日に玉音放送になるんだけども。日本のいちばん長い日っていうのは、14日の最後の夜に、昭和天皇の玉音放送の録音盤を奪い返すとか、そういうことをギリギリでやってるわけですよね。そういう意味で、意思決定のドラマって言ったら、『日本のいちばん長い日』なんだよね。
津田:
まさにそういう意味では、庵野監督自身も、「岡本喜八監督の映画は一番見ている映画だし、一番影響を受けている」ということを公言されてて。『日本のいちばん長い日』のままだと、今はリメイクしても若い人たちには届かないけれども、『シン・ゴジラ』というエンタメにしたことで、間口を広くしたような功績はありますよね。
猪瀬:
やっぱり、意思決定っていうもののドラマはやってるよ。ゴジラっていうものを使って、そういうものをテーマにしたこと自体を、僕は評価するね。
津田:
まさに先ほどメディアの話でおっしゃいましたけど、意思決定っていうものに光を当てて、ジャーナリズムの世界でやられたのが、この本(昭和16年夏の敗戦)でもあったということだと思うんですけど。
猪瀬:
これは、たしか1991年に2時間半ドラマになってるんだよね。『昭和16年夏の敗戦』はね。
津田:
ドラマ版はどうでした?
猪瀬:
ドラマ版は、シミュレーション空間でみんな議論してるわけよ、若い役人やジャーナリストや軍人がね。議論してるのをずうっと描いて行くんだよね。そういう意味では、議論している場面を映画にしていくってのは、日本映画にはあんまりないんだよ。そこはすごく大事だと思うんだよね、根拠を出しながら喋っていくっていう。
津田:
そういう意味では、ハリウッドとかでやられているようなものを、日本流にアレンジしてエンタメに昇華している例であるってことですね。
猪瀬:
久しぶりにこういうものを見たと思うよ。今の3・11も全部入れて、意思決定の官僚機構の問題も入れて、津波とかも全部含まれてるよね、あそこに。アメリカが結局原爆を落とすっていう話も全部混ぜてやってるから。
津田:
意思決定さえちゃんと内部でできていれば、この映画の中で東京に落とされそうになった「3度目の原爆」を回避できたって話でもあるわけですから、「戦前、ちゃんと意思決定ができていれば原爆を落とされなかったんじゃないか」と読み取ることもできるわけですよね。
猪瀬:
だから、『日本のいちばん長い日』や『昭和16年夏の敗戦』の文脈を踏まえてやったという意味では、日本の戦後のエンタメの中でこういうものは無かったんじゃないですか?
津田:
まあ、そういう意味では猪瀬さんは非常に高く評価されるって意味でもあると思うんですけども。
でも、気になるのは、今日、戦後71年目を迎えたわけですけども。じゃあ71年経って、日本の官僚機構が意思決定できない問題は、まさに3・11の後は行政官としてずっとやられていた猪瀬さんとしては、多少は良くなったんですか?それとも、まだまだ変わらないんですか?
猪瀬:
基本的な構造は変わってないよ。これはジャーナリズムにどういう認識があるかって問題だけどね。基本的には中道左派みたいなジャーナリズムがあって、地上波があって、それがタブーになってるから。実際のところは、テレビ局自体に官僚のような縦割りのところがあるからね。そこは変わってないよね。
東「『シン・ゴジラ』は良くできているけど興味が持てない」
津田:
(ユーザーから)メールが届いているようなので、ちょっと読んでいただけますか?
運営:
同じようなメールが3つほど届いておりますので、まとめて紹介させていただきます。「東さんがシン・ゴジラはつまらないとおっしゃいましたが、どの辺りですか? もっと詳しく聞きたいです」
東:
いや、だから、つまらないって言ってないんですよ!すごい良いと思ってるよ、俺!実際問題ね、ガイナックスから始まったオタクたちが、3・11以降、いまの現実にどういう解答出すのかなっていった時、あんなに上手く処理できると思いませんでした。
あと、人間ドラマの部分が薄いって言われてますけど、僕は『動物化するポストモダン』を書いた時にも言ってるんだけど、基本的にガイナックスとか庵野さんとか樋口さんとかっていうのは、データベース的な物語の作り方がすごくうまい人達。結局、今回もシン・ゴジラが出た後に、あの人間ドラマを補完するべくしてさ、人々があの中に書いてないドラマっていうのをいっぱい作るわけじゃん、二次創作で。それがあれば、本編でドラマなんか作る必要無いの。
エヴァンゲリオンの頃から彼らはそれをすごいわかってるわけ。そういう意味でも、今回のシン・ゴジラは教科書的にうまく作られた作品ですよ。僕はそれはよく分かる。素晴らしいです。
津田:
今回のコミケでも、ものすごくシン・ゴジラ本が出たらしいですよ。
東:
すごく上手くできてるし、それに対してマーケットも製作者の想定通りに反応しているし、なにもかもうまい。マーケットが期待するような程よいレベルのポリティカル・フィクションになっている。しかも、右からも左からも読めるような幅広さもちゃんと持ってて、政権批判みたいにも見えるし、そうじゃなくって政権に夢を語っているようにも見えるわけだよね。
例えばあの矢口蘭堂にしても、細野豪志のようにも見えるけど、小泉進次郎のようにも見える。そういうポイントの突き方もとても上手いと思いますよ。でも、そのトータルのものに、僕は関心が持てないんですよ。
なんて言えばいいのかな。例えば、こういう比喩ってよくないのかもしれないけど、すごい美人でプロポーションが綺麗な人でも、関心が持てないことってあるでしょ?だから、僕はシン・ゴジラに対して全然関心が持てないんです、そういう意味で。「綺麗だなあ」とは思う。良くできてる。素晴らしい。でも、それだけ。
だから、それを好きな人たちがいくらいてもいいんですよ。でも、「お前も、好きなのか?」って言われたら、「いや、別に……ほんと良いっすよね」みたいな感じで。
津田:
それはつまり“賢者モード”なんですか?
東:
賢者モードっていうものではなくて、そうじゃなくて、関心がないんですよ、本質的な意味で。シン・ゴジラに対して。
猪瀬:
いや、「関心がない、関心がない」なんて言う必要は全然なくて。ここから今、話しをね、今の世の中の話に展開していくわけであって、その取っ掛かりでやってる時にさぁ、何をさっきから言ってるんだいったい。ダメなんだよ否定形ばかり言ってたらさぁ。
東:
いや、否定はしてないでしょう。素晴らしいって言ってるじゃない!
猪瀬:
さっきから、良いとか悪いとかあんまり言ってないんだよ、二人とも。「面白いところはどういうところだったのかな?」って言ってて。「今までこういうのなかったね」とかさぁ。
東:
僕は、世の中の現実の問題についてだったら、もちろんちゃんと前向きに喋ります。でも、シン・ゴジラはフィクションでしょう。フィクションに対して、あたかもあれが現実みたいに喋ってもしょうがなくって。結局あれはエンタメであって、それを見て興奮するかしないかなんですよ、最終的な価値の拠り所は。そういう点で言うと、シン・ゴジラは、見た直後は良いなと思ったけど、一晩たったら、別にそんなに心に残るものでもないなと僕は思ったと。そういう話なんですよね。
津田:
期待されたものっていうのを期待以上にこなしたっていう意味ではウェルメイドな作品だってことですよね。
猪瀬:
でもね、やっぱりエンタメとして良いかどうかってのは大事なことなんだから――
東:
僕はいちおう“批評家”なんですよ。猪瀬さんは認めないかもしれないけど、そのかぎりで。虚構については好き嫌いがハッキリしてるんですよ。それが無くなったら、僕のアイデンティティが無くなるわけ。だから、僕は、シン・ゴジラに対してはこういう態度しか取れないわけ。そうじゃないと、僕は評論家としてウソを付くことになっちゃうから。
分析はできる。いくらでも。高い点も与えられる。でも、それは関係ないんだよね、作品を好きになるか嫌いになるかに関しては。すごいダメな作品だって愛するときもあるし、すごく美しい作品でよくできてたって関心を持たないってこともある。そういう点では、僕はシン・ゴジラっていう作品にはあんまり関心が持てなかったということ。
”フィクション“に期待する事
津田:
今、コメントで、東さんに対して「じゃあどうして欲しかったんだ?」というものが来てるんですけど、オープニングでしゃべりましたよね、その願望の話は。
東:
ゴジラが東京を全部焼きつくし、アメリカから核が来るんだけど、それはゴジラがATフィールドで……つまりこれは神風だけどね。それで守るんですよ。そして、東京も滅び、ゴジラもなんとなくATフィールドで力を使い尽くしていて、冷温停止。核兵器は止められたんだけど、人間は無力。「いったい俺たちどうなっちゃうのかな?」っていうのが、例えばね、最後がそういう感じだったら、僕はすごい好きだったと思う。
津田:
完成度じゃなくて、「好きだった」と。
猪瀬:
それは東が作ればいいんだよ、自分で。
東:
それもよくない。評論家がなんか言うと、すぐ「じゃあ自分で作れ」って言う人いるでしょ?じゃあ、なんにも喋らない!(笑)ってなりますよ。実際、さっきまで何も言ってなかったじゃん。
津田:
いや、今のね、結論から最初に言ったじゃないですか。今までの説明があった上でどうして欲しかったかっていったら、「僕はあそこでゴジラがATフィールドで東京を守る~」って言ってたら、もうちょっと納得する人もいるんじゃないかと。
東:
いや、納得とかじゃなくって。そんな作品を作っても一般には受けないと思うよ。そういう意味ではいまのシン・ゴジラが正しいんですよ。そういうことじゃなくて、猪瀬さんは「そんなことを言うのは鳥越的だ」って言うかもしれないけど、問題はこれがフィクションであることなんです。フィクションであるってどういうことかというと、「クリエイターが今の日本の中で、どんな変なビジョンを出してくるかな?」ってことを、我々は期待するわけよね。
その時に、冷温停止したゴジラが東京のど真ん中にいて、「あと何百秒」ってカウントがあってね、「ギリギリ薄氷でしたね」と。「ところで放射能の半減期は意外と短かったです」だから復興も可能みたいなやつはさ、なんかビジョンとしてさ、つまんないわけですよ。
だから、さっき言ったみたいに、「ドォォーン!」とか東京都が焼け野原になったりすれば、「やべえやべえ、こんなの見せられて俺たちどうなっちゃうの!?」とか思うじゃない?やっぱり、そういうタイプの、すごい変なものがドカーンと注入された、みたいなインパクトっていうのは、今回感じてないわけ。僕が言いたいのは。
僕は、アニメとか、特撮とか、ファンタジー的なものですよね、ある種、子供っぽいジャンルのものだけど、そういう子供っぽいものに僕が求めているのは、“ビジョンの強烈さ”なんですよ。
そもそもお二人とは、この点では話が合わないんですよ。なんでかって言うと、僕はずーっと庵野秀明を観てるわけ。エヴァンゲリオンの前から見てるわけですよ、あの人達を。だから、思い入れが違うんですよ!最初っから! シン・ゴジラに対して!
それだってあたりまえで、だからお二人が悪いとかじゃなくて、違う人間なんだから温度差があるに決まってるじゃない。温度差があることに対して、「いやいやお前、もっと冷静に見ろよ」って言ったって、「こっちはエヴァから見てんだぜ!?」って話になる。ずーっと見てる流れの中で、「あ、今回、庵野さん、結局このビジョンかよ」って思うわけですよ。
僕はね、何度も言うけど、シン・ゴジラだって熱く語るんだったらいくらでも語れる!でも、そんなことやっても、みんな引くでしょ?
津田:
いや、ニコ生民は期待してると思いますよ。
東:
そういう点で言うと、今回のシン・ゴジラは、最後のビジョンが映画としてシケてる。「これが俺たちの今生きている日本なのか……絶望的だ」とか。そういう、ドーンと重くのしかかってくるようなビジョンっていうのが、最後に来ない。
猪瀬:
パロディの映画なんだからさぁ。
東:
いや、だから、そう言われてもぼくも困るんです。