原始から弥生時代まで日本の歴史をざっくり解説 土器・弓矢の発明・精霊を信じる風習etc…歴史ロマンに「縄文・弥生がこんなに面白いとは!」
今回紹介するのは、最強のメラさんが投稿した『【ゆっくり歴史解説】日本史解説vol.1「10分で分かる原始時代」』という動画。再生数は19万回を超え、「歴史」カテゴリで過去最高3位を記録しました。
原始時代がいつぐらいなのか、その時代の生活・文化、歴史の流れをご存知でしょうか。
【ゆっくり歴史解説】日本史解説vol.1「10分で分かる原始時代」
音声読み上げソフトを使用して、同人ゲーム『東方Project』の霧雨魔理沙(きりさめ まりさ)と博麗霊夢(はくれい れいむ)の二人のキャラクターが日本史の原始時代について解説を行います。
原始時代とは? ――旧石器時代、縄文時代、弥生時代
魔理沙:
まず原始時代とはいつぐらいなのかというところだ。今回解説していくのは日本史なので、日本で言う原始時代は旧石器時代、縄文時代、弥生時代だな。古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代が古代だな。霊夢:
原始、古代といってもそこまで遠くはないのね。魔理沙:
まあ、イメージだったら古代なんていったら100万年くらい前って感じがするしな。まず人類というものが誕生したのは今から500万年前のアフリカ大陸発祥だと言われている。それが猿人と呼ばれているものだ。霊夢:
あーそれだったらこの前授業でやったわ。たしかアウトローピテクスだったっけ?魔理沙:
アウトローピテクスではなく、アウストラロピテクスだ。まあその猿人から原人となって、旧人となって数万年今現在の私たちである新人があらわれたわけだな。ちなみに言っておくと、原人ではジャワ原人、旧人ではネアンデルタール人が有名なところだな。そして、その500万年前の時代が中新世後期だと言われている。
魔理沙の歴史講義の導入部分に「グンマー時代はないのか?」「世界史は面白いけど日本史は微妙」と言ったコメントが寄せられました。
ホームレス!? 住居を定めず転々として生活してきた旧石器時代
魔理沙:
そして、日本列島に住み始めた人々は、石や木を組み合わせた打製石器を用いて、マンモスやオオツノジカなどの大型動物を狩って生活していたのだ。しかし、このときは住居なんてものはさだまっておらず、いろんな場所を奔放として生活してきたのだ。霊夢:
つまり家がなかったということよね。昔の人はみんなホームレスだったのね。魔理沙:
その大型動物を狩って、住居を定めず転々として生活してきたこの時代が旧石器時代だ。その旧石器時代は地質年代で言うところの更新世【※】と呼ばれる時代だな。※更新世
地質時代の年代区分の一つで、約258万年前から約1万年前までの期間。
私達の祖先が生きていたという巨大な動物と戦っていた世界に「原始人強すぎない?」「日本にもマンモスがいたとか、ロマンだなぁ」といったコメントが寄せられました。
氷河時代は今と平均温度がたったの5度しか違わない!?
魔理沙:
そして、その更新世は氷河時代とも呼ばれている。霊夢:
それだったら知ってるわ! この前テストにも出たしー。魔理沙:
その氷河時代だが、寒冷な氷河期と比較的温暖な間氷期とが交互に訪れたものなのだ。霊夢:
ただ一言に氷河時代とは呼べないのね。でも氷河時代って言うからとても寒かったのでしょうね?魔理沙:
まあ氷河時代と言ったらとても寒いイメージがあるだろうな。しかし、実際氷河時代は今と平均温度がたったの5度しか違わないのだ。霊夢:
えっ? たったの5度? なんだ氷河時代ってたいしたことないのね。魔理沙:
確かにたったの5度だけど、逆に言えば今の温度から5度違えば氷河期が来るということだが。霊夢:
確かに、温度ってちょっとぶれただけで全然違ってくるのね。
魔理沙:
そして、旧石器時代が長く続き更新世から現在まで続く完新世になったわけだな。そして、旧石器時代の遺跡といえば相沢忠洋が見つけた岩宿遺跡だな。
氷河期と現代の温度差に対して「1度違うと流氷が半分になるんだぞ。5度ってやべえよ」「5度も違うと生態系がガラリと変わるけどな」という意見も……。
縄文土器が出来た理由
魔理沙:
そして、細石器などが使われた中石器時代に入り、縄文時代となるわけだな。
霊夢:
縄文時代といえば縄文土器よねー。魔理沙:
縄文時代は今から1万年前ほどに地球は氷河時代を終え温暖な気候となったのだ。その結果、南極かどっかの氷が溶け海面が上昇し、日本列島は陸続きではなくなり、今みたいな海洋国となったのだ。陸続きではなくなったおかげで、大陸からマンモスやオオツノジカなどといった大型動物が来れなくなり、日本列島内にいた大型動物は狩りつくされ絶滅したのだ。しかし、地球が温暖化したおかげで針葉樹林から落葉広葉樹木が日本列島を覆いドングリやクルミなどが採れるようになり食生活が安定したのだ。
そして、そこで土器の登場だ。肉や木の実などの煮炊きするために土器が作られたのだ。そのおかげで暖かいスープが飲めるようになったわけだな。
魔理沙:
とまあ、大型動物がいなくなったので代わりにイノシシやシカなどの小型動物を狩るようになったのだ。しかし、イノシシやシカは大型動物のマンモスとかと違って、すばっしこいので今までのように槍で捕えるのは難しいのだ。そこで登場したのが弓矢だ。霊夢:
へー弓矢ってそんな画期的な武器だったのね。魔理沙:
ああ、日本だけに限らずいろんな地域ですばっしこい動物を捕えるにはどうすればいいかと考え、その結果弓矢が生まれている。だから弓矢というのは、それほどすごいものだったということだ。この土器と弓矢の誕生が縄文時代の最大の特徴ともいえるな。
魔理沙の縄文土器が作られた歴史的背景の解説に対して「どきどきしたかったから作った」といった若干不真面目なコメントが寄せられつつも、「アメリカ大陸では馬まで食い尽くした」「食べものを保存するのにも役に立ったよ」という解説を補完するコメントも現れました。
貝塚は当時の人々の食事・文化・環境が分かる重要な遺跡
魔理沙:
縄文時代になると、磨製石器が使われるようになり、いわゆる新石器時代になるわけだな。気を付けるのが新石器時代や旧石器時代やら縄文時代やらを完全に別々と捉えることだな。霊夢:
どういうこと?魔理沙:
私がしていたミスだが、旧石器時代が終わり新石器時代が来て、そして縄文時代が来るというような覚え方をしていたのだ。そうではなく、縄文時代かつ新石器時代だということが結構ぐちゃぐちゃになりがちだと思うのでな。
魔理沙:
あと、もう一つ注意すべき点だが、縄文時代かつ新石器時代になり、磨製石器が使われ始めたわけだが、だからといって打製石器が使われなくなったわけではないのだ。あくまでも磨製石器と併用して打製石器は使われていたのだ。霊夢:
打製石器から磨製石器に完全にシフトチェンジしたわけではないのね。
魔理沙:
そういうことだな。縄文時代のもう一つの特徴が貝塚だな。霊夢:
貝塚って、たしかゴミ箱よね? なんでゴミ箱ごときがそんな重要視されてるの?魔理沙:
それは当時人々が食べていたものが形として残っているからだ。というのも当時の人々は分別なんてものはしないから、穴を掘ってそこに貝殻などのごみをポイポイ捨てたのだ。その結果、貝殻のアルカリ成分が溶け出したのだ。それにより土は物を溶かさなくなり、他の食べ物も全て溶かさなくし、そのままの形で残ったのだ。このようにして、当時人々が食べていたものが分かる、文化が分かる、環境が分かるということで重要視されているわけだ。霊夢:
へー。魔理沙:
その貝塚だが見つけたのは、アメリカ人の動物学者で進化論を日本に紹介したモースという人が発見したのだ。霊夢:
アメリカ人が発見したのね。
貝塚が情報源であることに対してコメント欄では「個人情報はゴミから漏れる例」「昔の人間でもゴミ箱に捨ててるのに…」という皮肉ったものや「出土した動物の歯から何歳のいつの季節に狩られたかが分かったりする」といったコメントも寄せられました。
快適でエコな家だった竪穴式住居
魔理沙:
そして、縄文時代のもう一つの特徴が竪穴式住居だ。竪穴住居でもよきかな。霊夢:
私は竪穴住居で習ったわ。魔理沙:
これは土を掘りくぼめたところを床とすることにより、夏場ひんやり冬場風をさえぎるという快適でエコな家だったのだな。そして、この竪穴式住居がたくさんある場所、まあ集落だな。その代表例が青森県の三内丸山遺跡だな。
魔理沙:
そして、最後の特徴は、精霊の存在を信じるアニミズムという考え方が広がっていたのだ。霊夢:
へー、それってどういう考え方なの?魔理沙:
まあ。昔の人らしい考え方といったところだな。死者を埋めるときは、幽霊を怖がって身体を折り曲げて埋めるという屈葬をしたり、女性を象った土偶などから呪術的な風習もあったということが分かるな。あとは男性のおちんちんを象った石棒というものもあった。これは子宝に恵まれるようにとかそういう願いがこめられていたと推定できるな。
女性を象った土偶という説明にコメント欄では「土偶とか美少女フィギュアの先祖だからな」といったツッコミも……。
身分制度が出来た弥生時代
魔理沙:
次は弥生時代だな。弥生時代の最大の特徴といえるのが稲作文化だな。
霊夢:
えっと確か水稲耕作だっけ?
魔理沙:
これは大陸からやってきた人々、渡来人たちが教えたことだな。他にも渡来人が教えたことで重要なのは金属器だな。金属器でもさびやすい青銅器は銅鐸などの祭器として用いられたのだ。一方で鉄は農具や工具に使われたな。稲の穂先を刈り取る石包丁もあった。そして、なにより稲作が出来るようになったことで米の備蓄が可能となったわけだな。
魔理沙:
そして、米の備蓄が出来るようになったことから、その米を狙って戦いが起きるようになった。米を保存する高床式倉庫を狙う輩を見張るために環濠という見張り台的なものを張り巡らせたわけだ。こういう環濠がある集落を環濠集落と言い、代表的なもので佐賀県の吉野ケ里遺跡だな。そして、集落同士で争うようになり、小国が出来たのだ。そして、このことから一緒に狩りをして皆平等に仲良くしてた縄文時代とかと違って、稲作に知識があるものが上位的身分になったりと身分制度も出来上がっていく。
霊夢:
争いあいに身分制度、だんだん今みたいになってきたわね。魔理沙:
ああ、米の備蓄が可能となったことでこれほど変わったのだからお米ってすごいなーって感じるぜ。だから皆もお米食べろ!霊夢:
あついわね。魔理沙:
そして『漢書』地理志にはこのころは100あまりの小国があったと記されているな。あと他にも楽浪郡に使者を送っていたことや。霊夢:
楽浪郡ってなんなの?魔理沙:
楽浪郡というのは、日本に稲作やいろんな文化を伝えた場所だな。いろんな地域から集めた文化を楽浪郡を介することで、日本に教えていたのだな。そして、『後漢書』東夷伝では倭人が定期的に使者を送ってくると記されているのだ。これは中国皇帝の後ろ盾が欲しかったと推測されるな。霊夢:
当時の中国はすごかったのね。魔理沙:
ああ、いろんな思想家を出したり、思いやりの心を大切にしようといった孔子も中国だからな。そして、これは有名だな。漢の皇帝が倭に金印を授けたということも書かれている。
霊夢:
それなら分かるわ! 確か「漢の委の奴の国王」っていう文字が書かれた金印よね。魔理沙:
ああそうだ。しかし、注意すべきことなのだが、この漢の委の奴の国王の委だが、これは当時の日本、倭という意味ではなく、100あまりある小国の一つだということだ。日本が小国全土の意思を継いで、中国に使者を遣わしたわけではないというこだ。あくまでも一国が言ったということだ。霊夢:
へーなんかややこしいわね。
身分制度が生まれ始めた背景に「古代中国はこのころの日本とは比べ物にならない先進国ですから」「作るより奪う方が簡単だからね」といったコメントが寄せられました。
邪馬台国は未だに場所が分かってない!?
魔理沙:
そして、弥生時代といえば、なんといっても『魏志』倭人伝に書かれている邪馬台国だな。霊夢:
邪馬台国の卑弥呼。これは有名よね。魔理沙:
邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使者を送り、親魏倭王に任命されていたことから倭国の王として認められていたということになるのだな。霊夢:
でも、そんな邪馬台国なのに未だに場所が分かってないのよね。魔理沙:
ああ、北九州説と近畿内説で分かれているな。霊夢:
でも、なんでそんな説が分かれているの?魔理沙:
これは『魏志』倭人伝に記されているとおりに日本を探したら、北九州と近畿内どちらとでも捉えることができるという理由があったり、北九州と近畿内どっしでも物的証拠が見つかっているということが分かれている理由だな。
がちがちの歴史解説ではなく、流れを理解してもらいたかったという投稿者に、「歴史が継続する以上流れのが大事」「物語だと思うと断然楽しいよね~」「一般教養ならそれで充分でしょ」といったコメントが寄せられました。
原始時代についての解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画を視聴してみてください。
『【ゆっくり歴史解説】日本史解説vol.1「10分で分かる原始時代」』
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