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なぜ羽生善治だけが伝説なのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol.24】

 6月23日に開幕した第4期叡王戦(主催:ドワンゴ)も予選の全日程を終え、本戦トーナメントを戦う全24名の棋士が出揃った。

 類まれな能力を持つ彼らも棋士である以前にひとりの人間であることは間違いない。盤上で棋士として、盤外で人として彼らは何を想うのか?

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 ニコニコでは、本戦トーナメント開幕までの期間、ライトノベル『りゅうおうのおしごと!』作者である白鳥士郎氏による本戦出場棋士へのインタビュー記事を掲載。

 「あなたはなぜ……?」 白鳥氏は彼らに問いかけた。

■前のインタビュー記事
渡辺明の視線【vol.23】


叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー

シード棋士 羽生善治竜王

『なぜ羽生善治だけが伝説なのか?』

 将棋界は今、伝説の中にある。
 それはたった一人の男と、それ以外の男達の物語だ。
 千五百年にも及ぶ長き将棋の歴史の中で今だけが『伝説』と呼ばれるのは、そのたった一人の男が神のごとき存在であるからに他ならない。
 それはまさに神話のような奇跡の連続だった。
 だから、今。
 将棋界は伝説の中にある。

     ──『りゅうおうのおしごと! 5』

 羽生善治竜王。
 言わずと知れた将棋界のスーパースターである。
 七冠同時戴冠。そして永世七冠。
 将棋界で誰も成し遂げたことのない数々の記録は、枚挙に暇がない。
 そしてそれは現在でも更新され続けている。
 48歳にして、羽生は未だ将棋界の最高位タイトルである『竜王』を保持している。
 それどころか、27年間にもわたってタイトルを保持し続けているのだ。
 一度も途切れることなく。

 今回、羽生のインタビューだけは書面で行うと、ドワンゴから連絡があった。
 こちらからいくつか質問事項を送り、それに対して羽生が回答してくれるという形だ。
 羽生からの回答はスッキリとして、非常に味わい深いものだった。
 そして時間のない中で、私が送った全ての質問に回答してくれた。
 質問の中には将棋と全く関係ないものもあり、そういうものに関しては「飛ばしていただいても構いません」と申し添えていたのだが……。

 前人未踏のタイトル100期か、それとも27年ぶりの無冠か。
 その戦いは大きな注目を集め、羽生がテレビに登場しない日はないほどだ。
 大一番を戦う羽生の肉声は世の中に溢れている。

 そこで今回は、過去の文献やこれまでのインタビューなどを駆使して、羽生の回答を比較・分析してみたい。
 多くの言葉を引き出すこともインタビューでは大切だが、もっと大切なことは、その言葉の中から何を得るかである。
 羽生の言葉の中から、なぜ羽生だけが27年間にもわたってタイトルを持ち続けられるのか、その強さの秘密を探りたい。

 そしてもう一つ、私はこの機会に書いておきたいことがある。
 それは──

 何を尋ねるかは非常に悩んだが……まずはやはり、叡王戦について尋ねた。
 七つのタイトルについては全て永世資格を保持する羽生にとって、叡王戦は唯一、体験したことのない舞台だ。
 それについてどう捉えているのだろう?

──叡王戦は、番勝負において、持ち時間が変動する棋戦です。
 様々な持ち時間のタイトル戦を戦ってこられた羽生先生にとっては、ご自身の経験が生きるフィールドだとお考えですか?
 それとも、羽生先生をもってしても、このように持ち時間が変わる番勝負というのは、戦いづらさを感じられるものなのでしょうか?

羽生竜王:
 番勝負で時間が変わるのは想像できません。対応する対局者はそれだけでも大変だと思います。

──叡王戦がタイトル戦になり、七冠の時代から八冠の時代となりました。新たなタイトル戦が生まれたことで、羽生先生の1年のサイクルにどの程度の変化をもたらしますでしょうか?

羽生竜王:
 1年を通じて切れ目なくタイトル戦が続く将棋界のスケジュールになったと思います。

──ご自身が獲得したことのないタイトルの出現は、モチベーションを向上させる要因として、やはり大きいものなのでしょうか?

羽生竜王:
 自分も参加できるように力を尽くしたいと思います。

 ……羽生はこれまで『夏から秋にかけて強い』とされてきた。
 真冬に行われる竜王戦ではタイトル獲得7期に留まるのに対し、同じ二日制のタイトル戦でも王位は18期も獲得している。
 春先に行われる叡王戦はサイクル的に調子を合わせづらい時期に加え、変則的な持ち時間なため羽生も「想像できません」「大変」と語っているように、戦ってみなければわからないのだろう。

 ただ、誰よりもタイトル戦を経験し、あらゆる持ち時間で結果を残してきた羽生の経験が活きるのでは……という思いが、実際に第3期叡王戦を盤側で観戦した私には、ある。
 私が観戦記を担当した第一局は、持ち時間5時間で夕食休憩ありという、王座戦と同じものだった。王座戦は羽生が無類の強さを発揮したタイトル戦である。
 特に、夕休後の『魔の時間帯』は集中が途切れやすく、対局者であった金井恒太六段もここでミスを犯していた。

 この叡王戦がタイトル戦に昇格すると発表される、その前日。
 当時行われていた名人戦の記者控室にいた私は、関係者のこんな声を聞いた。

「藤井聡太のためのタイトル戦だな」

 確かに藤井七段が『羽生を超えた』とみなされるためには、八冠同時戴冠という、タイトルの物理的な数によって超えることが最もわかりやすい。
 しかしそれは同時に、羽生にも自分を超えるチャンスが与えられることを意味する。
 タイトルが増えるという、棋士人生の中で体験したことのない事態に対して、羽生はどのような適応力を見せてくれるのだろう?
 また新たな羽生伝説が誕生するかもしれない。

2004年に行われた第62期名人戦 挑戦者は森内竜王(当時)
(写真提供:日本将棋連盟)

 ところで、羽生が現在持つタイトルは竜王の一冠。
 以前も羽生は一冠になったことがある。それは今から14年前。2004年のことだった。
 当時、将棋界では何が起こっていたのか?
 近藤正和六段がゴキゲン中飛車で勝ちまくり、連勝賞と勝率1位賞を獲得したのがこの年だ。一手損角換わりのような従来の常識を覆す戦法が流行し始めたのも、このころとされている。
 羽生はかつて、伝説のライター・畠山直毅氏のインタビューにおいて、こんなことを述べている。

「将棋ってふたつの波があるんですよ。ひとつは、自分個人の波。体調、気持ち、技術的な面でも好不調の波が必ずあります。
 もうひとつは主流戦法の波。いまだったら『一手損角換わり戦法』とか、時代の主流も日々変わっていきます。そのふたつの波がうまくマッチングするかどうかが問題なんです」(別冊宝島『羽生善治 考える力』)

 羽生をもってしても、『主流戦法の波』がズレた場合、不調に陥ることがあるという。
 また、羽生の持つタイトルを瞬く間に3つも奪って一冠まで追い込んだのは、『羽生世代』のライバル・森内俊之九段だった。
 森内は高川武将氏の『超越の棋士 羽生善治との対話』(講談社)の中で、当時の羽生についてこう述べている。

「あの頃は、早い投了や不自然な指し手があって、ちょっと元気がないなと感じました。彼にとっては難しい時期だったのかもしれません」

 2004年はおそらく、羽生にとって『ふたつの波』が噛み合わなかった時期なのだろう。
 現在の羽生の『自分個人の波』……体調や気持ちの面は、我々には伺い知ることはできない。
 ただ『主流戦法の波』については、非常に大きなものが来ているように思える。
 AIの登場である。
 将棋ソフトを使って研究する棋士が増えたことから、従来の固く囲う矢倉などが激減した。
 戦型を自動で認識する日本将棋連盟モバイル中継では、その日の対局のほとんどが『その他の戦型』に分類されることがあるほどだ。
 現在は『主流戦法の波』が来ているのだろうか?
 そもそも人間が作り出した波と、AIが作り出した波とでは、同じ次元で比較しうるものなのだろうか?
 そのことを羽生がどう捉えているのか尋ねた。

──これまで、藤井システムやゴキゲン中飛車、一手損角換わりなど、人間の考えた範囲での新戦法がたくさん現れる瞬間というのがあったと思います。
 羽生先生はそういった新戦法にも果敢に挑戦し、自らのものにしていかれたと思います。
 そして現在、今度は将棋ソフトの発達によって、我々素人には分類することすら難しいような序盤が出てきているように見えます。
 これは、藤井システムの頃のような変化と、本質的には同じなのでしょうか? それとも全く違うとお考えでしょうか?

羽生竜王:
 新戦法というよりはたくさんのアイデアが生まれています。それは間違いなく序盤戦術に影響を及ぼしています。

 

 ……序盤戦術に影響を及ぼしてはいるが、ソフトの示すものはあくまでアイデアであって、戦法そのものを創造しているわけではない、ということだろうか。
 難解な返答ではあるが、それだけに味わい深い。
 ちなみに2004年6月に王座一冠へ後退した羽生だったが、その年度のうちに四冠になるという離れ業を演じている。
 かつて羽生は『ふたつの波』が合わないときは「ジタバタしても意味がない」「悪あがきすると、さらに深みにはまってしまう」と語った。
 だが一方で、こうも語っている。

「対局しているときは、とことんあがきますよ。時間の短い将棋はあがく間もなく終わっちゃうけど(笑)、2日制とかは、とことん」(『羽生善治 考える力』)

 そして先ほど紹介した森内の言葉の続きは、こうだ。

「羽生さんは、どんなに調子が悪いときでも、一方的に負けることがほとんどない。苦しくなっても簡単にダメにならないし、負けが込んできても同じように指せる」(『超越の棋士 羽生善治との対話』)

 羽生の言葉は、時として難解であり、諦念に似たものを感じる。
 だがそれは、大きな波を前にして、ただ諦めているわけではない。
 あがくこと。
 目の前の戦いから目を逸らさず、顔を苦悶に歪めながら髪を掻きむしり、あがく。
 それがタイトルを27年間も保持し続けられる理由のように思えた。

 だが、あがくことならば、他の棋士でも行っている。
 これまでのインタビューでも、23人の棋士はそれぞれの置かれた場所で、あがき続けていた。
 受けの木村一基九段、粘りの深浦康市九段……そんなトップ棋士たちの挑戦を、羽生は跳ね返し続けている。
 なぜ、羽生だけがここまで強いのか?
 その原因はどこにあるのだろう?

 この『叡王戦24棋士インタビュー』で最も反響があったのは、第1回の藤井聡太七段だったが……。
 そこに含まれていた話題で最も読者の興味を引いたのが、藤井の思考方法についてであった。
 脳内の将棋盤を使わないという、アレだ。
 インタビューを行った棋士からも「あれはどういうことなんですか?」と、逆に質問されるほどだった。
 では、羽生はどうなのだろう?

──羽生先生は『強いAI・弱いAI』という本の中で、ご自身の思考が『ゾーン』に入ったときのことを述べておられます。
『時間の観念も記憶も薄いので、言葉で説明するのは難しい』と、言語化が困難であるとおっしゃっておられますが、これは頭の中に将棋盤を思い浮かべて駒を動かしているような状態とは、全く違うものなのでしょうか?

羽生竜王:
 基本的には頭の中で駒を動かしています。

──羽生先生は同じ本の中で、AIと人間の違いは、恐怖心を持つかどうかだとおっしゃっておられます。
 羽生先生も、戦いの中で恐怖を感じる瞬間がおありなのでしょうか?
 それを克服するためには、どうすればいいのでしょうか?

羽生竜王:
 感情があれば当然、恐怖もありますが危険を察知する能力を高める事が克服につながると思います。

 

 ……『基本的には』という条件が付いているものの、羽生は頭の中の盤駒を使って考えている。
 一方で、藤井聡太と同じように、戦いの中で恐怖を感じている。
 では羽生の強みはどこにあるのだろう?
 危険を察知する能力を『高める』という部分に秘密があるように感じた。
 羽生はこの『危険を察知する能力』について、東京大学・鳥海不二夫准教授との対談の中でこう語っている。

「将棋の場合は簡単に詰まされてしまいますので、危機を察知する能力はとても大切になります。また、将棋で詰んだとしても、体が傷つくわけでも、死んでしまうわけでもありませんので、思い入れがなければ平気だと思いますが、それだと詰まないようにしようという意識にもならず、うまくもなりません」(『強いAI・弱いAI』丸善出版)

 藤井は相手側から将棋盤を眺める『ひふみんアイ』によって、恐怖が少し薄れると、インタビューで語った。恐怖のない状態で手を選ぶのが重要だと。
 しかし羽生は、恐怖を完全に消してしまおうとしているわけではなさそうだ。
 むしろ恐怖を利用することで『うまく』なる余地を残そうとしているように思える。
 先ほどの言葉の続きで、羽生はこうも述べている。

「それでは将棋も面白くないでしょう」と。

 では将棋が上手くなるには、どうしたらいいのだろう?
 プロ棋士とは天才集団である。
 そして誰もが必死に努力している。
 その中で抜きん出た実績を残すためには何が必要かと考えれば……それはやっぱり、才能というものに繋がるように思える。
 これまでのインタビューで、私は棋士たちに『将棋における才能とは何か?』と問いかけ続けてきた。
 その答えは様々だった。
「わかりません」「考えないようにしている」「あると思う」「天から与えられたもの」「子供のころにどれだけ伸びるか」等々……。

 では、羽生はどう考えているのか?
 羽生本人の才能の有無を問いかけたインタビューは山のようにあるので、少し捻った質問をしてみた。

──将棋における才能とは、どんなものだと思われますか?
 たとえば、羽生先生よりも下の世代の先生方をご覧になって『この人は伸びそうだな』と思うことはおありでしょうか? また、それはどんな部分を見てそう思われるのでしょうか?

羽生竜王:
 局面を見た時にどの手を考えてどの手を考えないかは個性やセンスで、 それを自分で伸ばせるかがカギだと思います。

 

 ……局面を見た時に現れる個性。そしてセンス。
 そういったものが才能であり、なおかつそれを自分で伸ばすことができる者だけが、羽生と同じタイトル戦という舞台にまで上がって来られる者だということだろうか。

 このインタビューでも登場した広瀬章人八段や中村太地王座といった下の世代とタイトル戦で戦うようになったころ、羽生は彼らの印象についてこんな言葉を残している。

「なんか微妙に感覚が違うんですよね。その微妙な感覚の違いをどれだけ是正できるか、ということが大事なのかなと思っています。それをどれだけ自分の中に取り入れることができるか。どれだけ理解できるかということは、対局していくうえで重要なことだと思っています」(『将棋世界Special Vol.2 「羽生善治」』将棋世界編集部ほか)

 羽生は、自分よりも若い天才たちと対局することで自分自身を是正し、相手の感覚を取り入れ、理解する。
 そうやって羽生は成長してきた。

 では羽生は、広瀬や中村よりもさらに下の世代との戦いをどう捉えているのか?
 AIという、人間以外の感覚を取り入れて強くなることを覚えた……おそらく微妙どころではなく感覚の違うであろう棋士たちとの戦いを。

中原誠十六世名人

──中原先生は引退の際に、羽生先生とタイトル戦を戦いたかったとおっしゃいました。誰かとタイトル戦を戦いたいという気持ちは、モチベーションに繋がるものでしょうか?
 羽生先生は『藤井さんは必ずタイトル戦の舞台に立つ。そこに私がいるかどうかが問題』とおっしゃいましたが、藤井聡太先生や髙見泰地叡王といった若い世代の先生方とタイトル戦を戦いたいというお気持ちが、モチベーションに繋がっておられるのでしょうか?

羽生竜王:
 20代の前半以下の世代の人達とは対戦がまだ少ないのでこれから様々なところで対局するのを楽しみにしています。

 

 中原と羽生は23歳差。
 羽生と藤井は32歳差だ。
 これだけ年齢の離れた二人がタイトル戦で戦うことは、簡単なことではない。
 だが超人・大山康晴は66歳のときに26歳の南芳一棋王(当時)に挑んだという記録を持っている。
 数々の記録を覆してきた羽生ならば、その記録も超えるのかもしれない。
 あの藤井聡太よりもさらに若い世代との戦い……菅井七段がインタビューで語ったようなAIネイティブ世代とすら戦うことになるのだろうか?
 そしてその感覚の違いも是正し、理解しようとするのだろうか?

 羽生の恐ろしいところは、かつて対戦成績が拮抗していた相手を、いつのまにか突き放してしまうところにある。
 たとえば、かつて羽生からタイトルを奪った深浦は、2009年の時点では羽生との対戦成績が拮抗していた。
 しかしその下の中村太地や広瀬章人が台頭し始めた2010年から、羽生に10連敗している。

 それはおそらく、羽生が深浦よりも下の世代との戦いを通じて、己を変化させてきたからだろう。
 羽生は現在、中村や豊島将之二冠といった30歳前後の世代にタイトルを奪われ、竜王一冠に追い込まれている。
 しかし髙見に代表される20代前半の世代が台頭してくれば、『対戦がまだ少ない』彼らとの対局を経て、また新たな感覚を得るのだろう。
 さらにその下には藤井聡太が……。

 新たな世代が出てくれば、羽生は彼らの持つ新鮮な感覚を理解しようとし、己の感覚を是正して、もっともっと強くなるのだろう。
 そうやって自分を変えていくことが、羽生が『カギ』と言った、『自分で伸ばせるか』ということの意味なのではないか。

 ……と、言葉にすれば、羽生の強さとはこういうものだったのかと、わかったような気になることはできる。
 しかし仮に理論上この仮説が正しかったとしても、それを実践することは容易ではない。
 というか、他の棋士だってこうやって取り組んでいるかもしれない。
 どうして羽生だけが結果を出し続けられるのだろう?
 羽生は、そのためにどんなことをしているのだろう?
 27年間もタイトルを持ち続けるという途方もない記録を打ち立てるために、羽生はどんな努力を続けてきたのか?

 私はそのことも尋ねた。
 あなたは栄光の代償として何を犠牲にしてきたのか、と。
 その回答はこの記事の最後にご覧いただくことにして……。
 ここで少し、話を現実世界の羽生からシフトしたい。

永世七冠の新聞記事を読む羽生竜王(写真提供:日本将棋連盟)

 羽生の存在は現実世界を飛び出し、フィクションにも影響を与えている。
 将棋に関するフィクションは、全て2つに分類される。

 羽生善治が登場するか、しないか。その2つだ。

 羽仁名人(漫画『しおんの王』)や羽田六冠(漫画『名探偵コナン』)のように名前からして羽生を連想させるキャラクターが登場する場合もあれば、宗谷冬司(漫画『3月のライオン』)のように名前は違えども設定的に羽生を想起させる場合もある。
 また、実名で登場する場合(漫画『聖(さとし)』『ひらけ駒!』)すらある。

 羽生が勝ち続け、羽生の起こした奇跡が報道され続ける中で、いつしか羽生は一般の人々にとって将棋界を象徴する存在になっていた。
 将棋=羽生。
 この等式が成立するからこそ、羽○名人のような名前のキャラを出せば、それだけで『将棋がすごく強い人』というキャラ付けができるようになったのだ。

 ところで、アマチュアや奨励会ではなくプロ棋士同士が戦う将棋界を描いて初めて大きな成功を収めた漫画『月下の棋士』(小学館)は、谷川浩司や大山康晴等、実在の棋士をモデルにしたキャラクターが、実名をもじった名前で登場する。
 だが、羽生善治の名前は登場しない。
 なぜか?
 作者の能條純一先生は最終巻のあとがき(『月下の棋士』メイキング)で、羽生と作品の関わりをこう書いている。

『ごく普通の好青年が、いざ対局が始まると、恐ろしいほどの勝負師に変貌し、身体全体からオーラを発し、その姿はまばゆいくらいでした。そのカルチャーショックから、主人公・氷室将介は生まれました。「羽生善治」の名前を使わなかったのは、そんな理由からです。』

 羽生ではあるが……能條は、羽生の中に宿る『恐ろしいほどの勝負師』『オーラ』だけを表現したかった。
 だから羽生善治という名前を使わず、氷室将介というキャラクターを作り上げたのだ。
 氷室、という冷たさをイメージさせる名前は、羽海野チカ先生が創造した宗谷冬司というやはり同様に冷たさを感じさせる名前と共通しており、興味深い。

 このように、羽生の存在はクリエーターのイマジネーションを刺激し続けてきた。
 将棋とは本来、非常に敷居が高いゲームである。
 棋士は誰もが将棋普及の難しさを語る。
 そんな将棋を漫画の題材にするのは非常に難しい。
 だが……将棋ではなく、羽生を描くのであれば?
 漫画の命はキャラクターである。魅力あるキャラクターが存在すれば、それだけで漫画は面白くなる。
 将棋=羽生という等式が成立している状態であれば、羽生を描くことで、将棋を面白くわかりやすく表現することができる。
 そしてフィクション、特に漫画やアニメといったわかりやすい形に翻訳されることで、実際には将棋を指したことがない人も、将棋について触れることができるようになった。
 そしてそれは、作家の中にある『羽生善治』に触れることでもある。
 そのことがさらに、将棋=羽生という等式の浸透を加速させていった。

 ところで羽生自身、フィクションを通して物事の理解を深めることを肯定的に捉えている。
 かつて羽生がAIに関する著書の中で、とあるSF作品に触れていたことがあった。
 その作品が少しマニアックなように感じたためずっと不思議に思っていたのだが……今回、思い切って質問してみた。

──羽生先生はAIについて書かれた『人工知能の核心』(NHK出版新書)のあとがきで、『攻殻機動隊』に言及しておられました。
 かなりコアな作品なので驚きましたが、こういったサブカルチャー的な作品からも得るものはおありなのでしょうか?
 また同作は、様々なメディア展開をされていますが、ご覧になったのは原作漫画でしょうか? それとも、約90分の映画版や、シリーズもののアニメでしょうか?

羽生竜王:
 攻殻機動隊はアニメで知りました。AIの世界ではよく取り上げられる作品でもあります。

 

 ……このように羽生は、アニメだからと否定するのではなく、その世界でよいとされているものであれば抵抗なく興味を持ち、受け容れて、咀嚼する。
 私自身も非常に好きな作品だったため、個人的な興味からの質問だったが……この好奇心の強さと柔軟性は、将棋において若い世代の感覚を取り入れることとも共通しているように思える。
 羽生は将棋を指すときに、相手の得意戦法に飛び込むことで知られるが、それは戦略的なものというよりは性格的なものなのかもしれない。

 ところで、将棋漫画には必ずしも羽生が登場するわけではない。
 羽生を登場させることは大きなリスクも孕んでいる。
 ぶっちゃけて言ってしまえば……『現実の羽生が凄すぎて、漫画がショボく見えちゃう』のである。
 かつては将棋そのものの敷居が高かったのだが、羽生が次々と将棋界の記録を塗り替えるにつれ、羽生を描くことも同様に敷居が高くなっていったのだ。
 羽生に憧れて将棋漫画を書こうと思っていたのに、羽生が超えられず、創作する意味を喪失してしまう。
『羽生の壁』である。

 これもあってか、将棋漫画というのは商業的に成功させるのが非常に難しい。
 大ヒット作もある一方で、多くの場合が短命に終わっている。あの週刊少年ジャンプですら2作品続けて1年未満で連載終了となった。
 将棋=羽生の図式が世の中に浸透すればするほど、羽生の壁は高く険しくなる。

 そのため現在では、むしろ羽生(をモデルとしたキャラ)を登場させない作品のほうが多くなっている。
 主人公をプロ棋士にしたりすると羽生の壁に直面してしまうので、そこから距離を取ったり迂回する設定を考えるのだ。
 奨励会を退会した主人公が改めてプロ棋士を目指すというストーリーの『リボーンの棋士』(小学館)と『将棋指す獣』(新潮社)が最近ほぼ同時に始まったのは、象徴的な事例のように思える。

 また『将棋めし』(KADOKAWA)のように飯漫画+将棋としたり、『ナリキン!』(秋田書店)のようにサッカー漫画+将棋としたりと、他ジャンルとの融合という試みもなされた。
『ナリキン!』は全8巻、『将棋めし』は11月に4巻が発売予定で現在も連載中と、1~3巻程度で終了してしまうことが多い将棋漫画の中で、大成功している。

 だが、これらの漫画が成立しうる状況が将棋界において確立されたのもまた、羽生の存在を抜きには語れないのだ。
 奨励会を年齢制限で退会し、そこからサラリーマンを経てプロ棋士になったのは瀬川晶司五段だが……そこに羽生の後押しがあったことは、瀬川の著書である『泣き虫しょったんの奇跡』(講談社)の中に、非常に印象的なエピソードとして記されている。

 また観戦記者の後藤元気氏は、渡辺明棋王の著書『渡辺明の思考』(河出書房)の中で、将棋界では新しい何かを始める際に必ずそのときの第一人者が後押しをしてくれたと語り、こんな例を挙げる。

『羽生さんなんかはタイトル戦の対局中でも「食事の写真を撮るんですよね。撮らないと将棋ファンの方々にこっぴどく怒られるんですよね」とニコニコしながら協力してくれます。自分でフタを開けてくれたりもします』

 丸山忠久九段のように、食について独自の研究を深める棋士がいたからこそ、現在の将棋めしブームがあることは間違いない。
 だが、羽生の協力によって棋士の食事事情がオープンにならなければ、そもそも我々は棋士が対局中にどんなものを食べているのかすら知ることはできなかっただろう。
 もし羽生が食事の撮影を拒否していたら、藤井聡太の29連勝の際に起こったような、報道各社がみろく庵の豚キムチうどんに群がるようなフィーバーは発生しなかっただろう。
 ところで……果たして羽生はこのような事態を想定していたのだろうか?

──『将棋めし』という、ドラマ化もされた漫画がございます。棋士の食事に着目した作品です。
 羽生先生は、ネット中継などで対局時の棋士の食事を撮影・報道することに対して、早くから好意的に対応してくださっていたとうかがっております。
 棋士の食事にまで世間の興味が及ぶ事態を、また、それを扱ったものが作品としてヒットすることを、予測しておられたのでしょうか?

羽生竜王:
 そこはまったく予想していませんでした。

 

 ……さすがの羽生をもってしても、世間の興味が棋士の食事にまで及び、それがドラマ化されるとまでは思っていなかった。
 だが、密室だった対局室が、将棋界が、少しずつ開かれていったのは……間違いなく羽生の功績が大きい。
 現在では、ほぼ全てのタイトル戦が中継され、それどころか羽生や藤井が登場する対局であればタイトル戦以外でも中継されることがある。
 そんな中継を観た若きクリエーターたちが、今後も将棋界を題材にした作品を描こうと、壁に挑んでいくのだろう。
 それは羽生に憧れて将棋の道に入った若きプロ棋士たちが、羽生に挑んでいく様にも似ている。

第2期竜王戦では島朗竜王(当時)から竜王位を奪取。初タイトルを獲得した
(撮影:中野英伴)

 ところで、私の書いた『りゅうおうのおしごと!』という作品は、16歳にして竜王となった主人公のもとに9歳の女の子が弟子入りするという話だ。
 主人公はプロ棋士である。
 当然、私も羽生の壁に直面した。

 そこで私が出した答えは……羽生を出さないことによって、羽生を登場させる、ということだった。

『りゅうおうのおしごと!』は、漫画ではなく小説だった。
 だから外見を描写する必要がない。
 その特性を活かして、私は主人公と対峙する最強の棋士を単に『名人』とだけ記し、徹底して読者から隠した。
 外見だけではなく、名前も、容姿も、セリフすら存在しない。
 読者の心の中にある『最強の棋士』を思い描いてもらうことで、『羽生をモデルにしたキャラクター』ではなく『羽生そのもの』を作中に登場させようと試みたのだ。
 ありがたいことに作品はヒットし、アニメ化もしていただけることになったのだが……その試みが成功したのか、それとも単に9歳の女の子がウケただけなのか、判然としないところがあった。

 自分の試みが成功していたことを知ったのは、アニメを見たときだった。
 アニメ化に際してはさすがに顔がないというわけにもいかず、『名人』の姿も描かれることになった。
 できあがったフィルムを見て、私は驚愕した。

 それはまさに──羽生の生き写しとでもいうべき姿だったのだ。

 これまでに生まれた将棋フィクションの中で、これほどまでに羽生がそのまま顕れたものは、おそらく存在しない。
 キャラをデザインしたイラストレーター・しらび先生は、「名人の顔を似せるつもりはなかったんだけど」と語ったが、それにも関わらず、出来上がったものは羽生だった。
 そしてアニメの中で動く『名人』の仕種もまた、現実の羽生に瓜二つだった。
 将棋にそれほど詳しくないイラストレーターやアニメーターの中にまで、非常に明確な形で羽生善治が存在しているという、これがその証明だった。

 

 なぜ、羽生善治だけが伝説なのか?
 それは私たち一人一人の中に、羽生がいるからである。

 なぜ、私たち一人一人の中に、羽生がいるのか?
 それは羽生善治が強さを証明し続けたからである。

 ではなぜ、羽生は強さを証明し続けることができるのか?
 どれほどの努力を重ねればそんなことができるというのか?

 長くなったが……最後の質問と回答をご覧いただこう。

──将棋における努力とは、どんなものだと思われますか?
 羽生先生はこれまで、誰も為し得たことのない実績を積み重ねてこられ、今もそれは続いております。そのために何かを犠牲にしたとお感じでしょうか?

羽生竜王:
 長い期間においては自然にできるかが大事で、 特に何かを犠牲にするという感覚はありません。

 ……では、羽生はどんなことを『自然に』行ってきたのか?
 史上三人目の中学生棋士となり、19歳で竜王を獲得。史上初の七冠同時戴冠を果たし、七つの永世称号を全て得るどころか永世称号を14回獲得できるほどの勢いでタイトルを獲りまくった。通算獲得タイトル数は99。棋戦優勝は44回。そして史上最速・最年少・最高勝率で1400勝を達成。
 ありとあらゆる戦型で新しいアイデアを示し、敵の得意戦法に飛び込み、マジックと呼ばれる終盤の秘技で名局を次々と生み出す。
 将棋だけではない。
 災害が起これば、羽生は真っ先に現地へ赴いて、傷ついた人々を勇気づける。
 膨大な数の講演をこなし、イベントで子供たちと将棋を指し、各界の著名人と対談し、バラエティー番組で将棋を紹介しつつAIの最先端を探るため独自に勉強を重ねる。
 若くして家庭を持ち、子を育て、苦手だった動物も克服し、英会話を勉強し、対局やタイトル戦のため一年の大半で日本中を旅し、その合間に海外でチェスを指す。
 
 この全てを一人で行い、それでいて何かを犠牲にしたと感じることのない人間。
 この全てを、自然にできる人間。

 それはやっぱり、千五百年という将棋の歴史の中で、唯一無二の存在なのだ。
 歴史の中でそこだけが、その人物だけが特筆されるのであれば……それこそが伝説なのだ。

 ……いや。
 私が話を聞いてきた中で1人だけ、羽生と同じ言葉を口にした棋士がいた。

「自分は、何かを抑えてとか、努力してきたという感じではないので……」

 他の誰かの言葉ではない。
 自分の中だけにある答えを探し出すように俯いて、少年は、その言葉を口にした。

「すごく意識的にやってきたというよりは、自然に……という感じが近いのかな、という気がしています」

 タイトル100期がかかった竜王戦で、羽生は開幕から2連勝。前人未踏の記録まで、あと2勝と迫った。
 将棋界は今も伝説の中にある。
 だがそれはもう、たった一人の男とそれ以外の男達の物語ではない。
 たった一人の男の前にはもう一人、同じ力を持つ少年が立ちはだかっている。
 フィクションを超えた少年と、伝説の男。
 二人はこれから、何度でも戦うだろう。長き将棋の歴史の中でそこだけが特筆される、奇跡のような時代を紡ぐだろう。

 新しい伝説が、始まる。


 第4期叡王戦本戦トーナメントは10月27日より開幕。対戦カードは及川六段・増田六段、ニコニコ生放送にて14時30分から放送開始(対局開始は15時より)。

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第4期叡王戦 本戦 及川拓馬六段 vs 増田康宏六段(10月27日放送)

第66期王座戦 五番勝負 第5局 中村太地王座 vs 斎藤慎太郎七段(10月30日放送)

第4期叡王戦 本戦 斎藤慎太郎七段 vs 藤井聡太七段(11月23日放送)

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