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「絶望先生」作者にとって最終回は“供養”である。「かってに改蔵」から最新作「かくしごと」まで、マンガ家・久米田康治が語る“終盤の急展開”に込めた想い

 久米田康治先生のマンガは、最終回に衝撃的な「どんでん返し」が起こるという特徴がある。

 『かってに改蔵』の連載終了当時、数年に渡るギャグ展開を全てひっくり返すような突然のシリアス最終回が波紋を呼び、話題となった。
 『さよなら絶望先生』ショックを受けるほどの暗いラストに、久米田先生が「最終回は連載開始前から決めていた」と語ったのも相まって、筆者もリアルタイムで読んでいて背筋が凍ったのをよく覚えている。

 そして、先日に完結した最新作かくしごとは、最終回で作品全体に仕掛けた大きな伏線を回収するという離れ業をやってのけた。

 正直、これらの作品が「日常はこれからも続いていくエンド」であれば、それほど印象的なものにはならなかったかもしれない。久米田先生の描く衝撃的な最終回が、いつまでも頭の中に強烈な印象を残して、筆者はいつからか久米田作品の大ファンになっていたのだ。

 今回、『かってに改蔵』『さよなら絶望先生』で高まり、『かくしごと』で爆発した「なぜ、久米田先生は最終回に大きな仕掛けを用意しているのか」という長年の疑問を、久米田康治先生に直接伺う機会を得ることができた。

 テーマの性質上、この記事は久米田作品のネタバレ全開でお届けすることになる。が、これまで久米田作品に翻弄されてきた読者はもちろん、久米田康治というマンガ家にちょっとでも興味のある方にとって、とても読み応えのあるインタビューになったと思う。

『かくしごと』12巻より ©久米田康治/講談社

 さて、インタビュー本編に入る前に『かくしごと』の終盤の展開を振り返っておきたい。

 本作は、妻を亡くしたギャグマンガ家の主人公・後藤可久士と、ひとり娘の後藤姫ちゃんの交流を描いた、ほのぼのコメディ作品だ。主人公がギャグマンガ家であることを娘に隠そうと奔走する姿を中心に描かれており、これまでの久米田作品の定番だった社会風刺や下ネタギャグは一切封印されている。

 本作の大きな特徴は、単行本の仕様がそのまま最終回の伏線になっている、ということだ。本編である「過去の話」と、終盤の展開である「現在の話」が交互に描かれるのだが、単行本において「過去」はモノクロ、「現在」はカラーで印刷されている。
 また、作中で主人公は「俺はカラーページは描かない」と何度も発言し、好んでモノクロを描いていることが語られる。

 そして最終回、生前の妻が色覚異常であり、主人公は妻のためにモノクロのマンガで色を表現しようとしていたことが明らかになる。主人公がモノクロのマンガにこだわるのは妻の死から立ち直れていないからであり、カラー絵は妻の死を受け入れることの象徴だったのだ。

 最終回でこうした作品全体に張り巡らされた仕掛けが明らかになり、最後のコマで主人公が描いたモノクロのマンガに色が塗られるという、これまでになく前向きで希望に満ちた最終回を迎えた。

『かくしごと』12巻より ©久米田康治/講談社

 インタビューでは、『かくしごと』はもちろん、『かってに改蔵』『さよなら絶望先生』のラストについても話をガッツリと聞くことができた。久米田作品の最終回はなぜ印象的なのかという問いの、ひとつの答えに行き着いたと思う。久米田先生は自覚的に最終回を大切に描いており、そこには雑誌で連載を続けてきたマンガ家ならではの覚悟があった。
 照れながらも真摯に語られた、作品の奥に隠された久米田先生の想いに、ぜひ触れて見て欲しい。

※本記事はマンガ『かくしごと』、『さよなら絶望先生』、『かってに改蔵』のネタバレを含みます。

取材・文:金沢俊吾
撮影:YSD


──本日はよろしくお願い致します。

久米田康治(以下、久米田): 
 よろしくお願いします。

──『かくしごと』、本当に素晴らしい作品でした! 今作が始まった経緯をお伺いできますでしょうか?

久米田:
 週刊連載が終わって、もう体力的にも精神的にもキツいなって思っていたんです。そうしたら、ちょうど『さよなら絶望先生』を担当していた編集者さんが「ちょっと月刊で描いてみませんか?」って声をかけてくれて。
 「ギャグマンガ家が主人公」っていうアイデアも、編集者さんから出してもらったものです。

──この作品の開始当初、「主人公のギャグマンガ家は久米田先生がモデルですか?」と何度も聞かれたと思うのですが、終わってみて、改めてどうですか?

久米田:
 そうですねえ……主人公の仕事のやり方とか、アシスタントや編集者への態度とか、悪いところはほぼ実体験に近いです(笑)。

──悪いところというと、主人公は「週刊少年ジャンプ」を模した「ジャンポ」に潰されて意識不明になってしまうわけですけど……。

久米田:
 いやいや。僕、「ジャンプ」に潰されたことなんて一度も無いですからね。

一同 :(笑)

『かくしごと』8巻より ©久米田康治/講談社

久米田:
 もし「俺はジャンプに潰された漫画家なんだ! 」なんて思ってたとしたら、もう完全な被害妄想男ですよ。
 でも、もしこの描き方に僕自身が投影されているとしたら……「マンガ家として潰されるより、物理的に潰される方がイヤだよな」っていう強がりはあったのかもしれないです。

『君は天然色』とのシンクロは偶然だった

──『かくしごと』の最終回についてお話を聞かせてください。まず、原作の完結とアニメの最終回がほぼ同じタイミングでした。このアイデアはいつ頃からあったのでしょうか? 

久米田:
 アニメ化が決まった時点で、「同じタイミングで終わろう」って話が出ました。
 本来は10巻ぐらいで終わる予定だったんですけど、アニメの終了に合わせて2巻ぐらい伸ばしたんですよ。

──原作の最後のページに、アニメのED曲『君は天然色』【※】の歌詞が書かれています。この歌詞が『かくしごと』という作品をそのまま表しているようで素晴らしいラストだと思ったのですが、この原作とアニメのリンクも元々意識されていたのですか?

※『君は天然色』
1981年に発売された、ミュージシャン・大滝詠一のシングル曲。近年でもCMに使用されることも多く、たくさんのアーティストがカバーしている。アニメ『かくしごと』のED曲では、大滝詠一のオリジナル音源が使用された。

久米田:
 大枠のテーマとしては元からあったんですけど、歌詞とストーリーがリンクして、最後のページにそのまま載せるっていうのはもう偶然なんです。
 アニメのプロデューサーの人が「もうED曲は『君は天然色』でいいんじゃない?」って勝手に決めて(笑)、じゃあ、せっかくだから漫画でも歌詞を使おうかなって。

──「思い出はモノクローム、色をつけてくれ」という歌詞、主人公は亡くなった色覚異常の妻のためにモノクロのマンガを描いていて、成長した娘の姫ちゃんがそのモノクロに色を乗せるというラストの展開と完全にシンクロしていますよね。

久米田:
 はい。本当にそうだと思います。

──『君は天然色』をモチーフにするというか、意識して描かれていたわけではないんですか?

久米田:
 違いますね。だから「こんなにピッタリな歌、よく存在していたな」って、後からビックリしました(笑)。そういう不思議なシンクロって、たまにありますよね。どうしても作品と作品が出会っちゃうみたいな。

──『かくしごと』は、アニメと同時終了がアナウンスされたことも含めて、終盤の展開が連載当初から示唆されてたのが、これまでの作品との大きな違いですよね。

久米田:
 そうですね。作品の本編である「過去の話」と、終盤の展開である「現在の話」を最初から織り交ぜて描いたのは、「長期連載をやるつもりはなかった」っていうのが大きいかもしれないです。「すごく売れたら続けよう」みたいな欲はありましたけど、そんなに売れなかったんで(笑)、予定通り短めに終わりました。

── やっぱり久米田先生の読者って、「最後に何かあるんじゃないか」っていう期待を持っていると思うんです。

久米田:
 でも、今回は本当に、ひき算っていうか、やらないことを決めてやっていたんです。ラストのどんでん返しも、あんまり意識せずに描きました。

── 「ひき算」っていうのをもう少し具体的にお伺いしてもいいですか?

久米田:
 「異世界に行かない、超能力はない。エッチなことはない。」
 そういう禁止事項を決めて、その枠内でやろうって決めてました。下ネタを出したくなったことは何度もあったんですが、何とか我慢できましたね(笑)。

──なんとか我慢(笑)。やっぱり下ネタは出したくなっちゃう瞬間があるんですね。

久米田:
 ありますね。何か思いついたら、つい描いちゃうみたいな。

本能的に下ネタを描きたい

『かくしごと』10巻より ©久米田康治/講談社

──『かくしごと』で主人公がジャンポに潰されて意識不明になってから目を覚ますと、記憶喪失になっています。この展開は久米田先生ご自身と通じる所はありますか?

久米田:
 意識不明で記憶が抜けてるっていうのは、「忘れたかった」っていう僕の意識の表れかもしれないと思っていて。

──忘れたかった、とは?

久米田:
 僕自身が「下ネタを描いているのを、なかったことにしたい」っていう想いの投影なのかもしれないです。

──「下ネタを描きたくなる時がある」って先ほど仰っていましたが、そういった自分のサガみたいなものと、「なかったことにしたい」っていう想いは、どうやって折り合いをつけてるんですか?

久米田: 
 やっぱり、僕は本能的には下ネタを描きたいんですよ。動物的には下ネタ種族なんだと思うんです。

『かくしごと』10巻より ©久米田康治/講談社

──でも、なかったことにしたいんですか?

久米田: 
 そうですね。そう思ってしまうのは、年齢的な理由もあると思います。若い頃はいいんですけど、年取ってからの下ネタとか本当にキツくなるんで。

──下ネタを描いてるときに我に返ってしまったり?

久米田: 
 我にも返るし、「この年齢でこれ描くのだめだろう」みたいなセルフツッコミが入ります。 下ネタって、突き抜けないと面白くならないんですよ。

──照れが出てきてしまうと、突き抜けられないってことでしょうか。

久米田:
 そうですね、本当にノリノリな20代のうちとかじゃないとね。それは下ネタに限らなくて、多分、ジャンプの作品とかって若い人がノリノリで描いてるから、「普通描かねえよ」って思っちゃうようなことを恥ずかしくなく描いちゃうっていう。これは僕の勝手な思い込みかもしれないけど(笑)。

──なるほど(笑)。年齢によって、描く筋力が衰えるみたいな実感ってあるんでしょうか。

久米田:
 筋力というか、瞬発力ですよね。途中で「あっ、やめよう」ってならずに描き切れちゃう瞬発力と若さ、そういうのがやっぱり下ネタには必要かなって思いますね。

──でも、下ネタを描く瞬発力が失われたことが、老成というか、作風の変化にも繋がるのかもしれないと思ったのですが、ご自身で実感はありますか?

久米田:
 いや、作風がそんなに変わってる意識はないですけどね。特に終盤の描き方とかは大体似たような感じで、『かくしごと』は終盤の伏線を最初から散りばめてるから、作風が変わったイメージがあるのかもしれないですけど。

 でも言われてみると、今まではギャグを優先、ギャグありきで周りにストーリーを作っていたんです。まず面白いことを考えて、それをストーリーに組み込んでいく形だったんですけど、今はストーリーの中で起こる面白いことを探しているので、そういう意味では、ちょっと変わってきたのかもしれないです。

──優先順位が変わったっていうことですね。『かくしごと』はギャグマンガではあるけど、ギャグありきではないというか。

久米田:
 そうですね。それに今の時代、ギャグマンガやろうとしても、面白いことをパッと考えてバズってる人がたくさんいるから、そこに立ち向かっていくのがイヤなんですよ。

──確かに、Twitterでは、時事ネタでいかに上手いこと言えるかの大喜利合戦がよく起こっていますよね。

久米田: 
 時事ネタはネットほうが早くて、紙のマンガが戦うのはもう無理だと思うんです。時代が変わって、ネタの鮮度が落ちるスピード感も変わりましたからね。『行け!!南国アイスホッケー部』を描いている頃にネットがあったら、僕はギャグマンガ家になっていなかったかもしれないです。

『行け!!南国アイスホッケー部』1巻。(画像はAmazonより引用。)

『かくしごと』のラストは日常への回帰

──『かくしごと』にお話を戻したいと思います。本作のラストは、主人公が妻の死を乗り越えて未来に向かって歩き出すという、とても希望があるものに感じました。これまでの作品のダークな印象からガラッと変わったなと思うのですが、ラストにはどのような意図があったんでしょうか?

久米田: 
 主人公が日常への回帰していくのを描きたかったんです。娘の姫ちゃんはお母さんがいないのは当たり前で、乗り越えていないのは父親である主人公だけなんですね。終盤の展開を通して、主人公の心の変化を描けたと思います。

『かくしごと』12巻より ©久米田康治/講談社

──日常への回帰っていうのは、妻が亡くなってしまったという現実を受け入れて生きていく。ということでしょうか?

久米田: 
 そうですね。現実を受け入れて、「このままやっていこう」って前を向くということだと思います。

──久米田先生はこれまでも「死」を色々な形で描いてきたと思うんですが、最愛の人の死から日常に回帰していくというテーマは、どういうところから生まれたんですか。

久米田:
 あんまり死んだとかで感動させるのはイヤなんで、今回みたいに最初から死んでるならいいかなって(笑)。でも、「ないものはない」と諦めなきゃいけないよなって、それはずっと思っていることなんです。

──諦めなきゃいけない。

久米田:
 うん、諦めるというか、現状を受け入れて生きていかないとダメだよな、っていうことですね。
 僕だって、マンガが売れないなら売れないで、現状を受け止めて生活するために描いていかなきゃいけないし……。

──マンガは売れてらっしゃるじゃないですか。アニメ放映後、一時的にAmazonで単行本が品切れになっていました。

久米田:
 品切れ……それは、そもそも存在しない可能性がありますね(笑)。

── そんなことないです(笑)。『かくしごと』は親子の関係が大きなテーマになっていますが、読者に伝えたいメッセージみたいなものってありますか?

久米田:
 あ、メッセージとかは本当にないですね。マンガって、自分から読みにいって、自分の中で解釈するものだと思うんです。だから「こう読んで欲しい」って読者に押し付けるのは作者のエゴかなって思うので。

── 久米田先生の作品は、伏線やラストの描写がたくさん考察されていると思うのですが、もう解釈は読者に委ねるということでしょうか。

久米田:
 そうですね。作品の足りなかった分は、読者の方の脳内補正でお願いしますって。もうお任せしちゃおうと。
 でも、読んでくれてる人がすごく頭が良いんですよ。だから分かりやすく全部描かなくても、作品を汲み取ってくれているのをすごく感じているので、もう安心して皆さんにお任せしてます。

──そういえば『かくしごと』の主人公も、作品に対しては投げやりな態度をとり続ける印象があります。それは「読者を信頼する」という久米田先生の想いの裏返しなのかなと、お話を思聞いていて思いました。

久米田:
 あ、それはあるかもしれないですね! そういうエピソード、『かくしごと』に入れればよかったなあ。「私は読者に全幅の信頼を置いているからこそ、投げやりに出来るのだ!」みたいな。

 でも、本当にそういうことなのかもしれないです。やっぱり作品は、読者にそれぞれ想像して読み取ってもらうものだと思うので。

『かってに改蔵』の衝撃的なラスト

『かってに改蔵』26巻。(画像はAmazonより引用。

──ここからは、過去の作品について少しお話聞かせてください。『かってに改蔵』はひとつの町を舞台にした1話完結のギャグマンガですが、町での出来事はすべて精神病患者の治療の一環だったことが明らかになるラストが衝撃的でした。作品の舞台や登場人物は全て精神病の主人公が操るミニチュアであり、物語は主人公の頭の中で作られたものだったという……。

久米田: 
 この最終回は「箱庭療法」っていう言葉をすごい使いたかったんですけど、少年誌っていうことで専門的な医療用語がダメだったんです。夢オチ的に捉える人もいたので、ちょっと残念だったなと思っています。

──「ストーリー全体が箱庭療法」というアイデアは、連載開始時からあったんですか?

久米田:
 そうですね、「街全体が箱庭」っていう大枠は最初から決まっていました。

──『かってに改蔵』、6年に渡る長期連載となりましたが、描き続けている中で、最終回に向かって進んでいく感覚ってあるものなんでしょうか?

久米田:
 いや、『かってに改蔵』は打ち切りなので、わりと急に終わったんですよ。1話完結の作品なので「終わりって言われたら使おう」ぐらいの感じで持っておいたものを、急いで引っ張りだしてきた感じですね。

──終わり方としてずっと隠し持っていたっていうことですね。

久米田:
 はい。だから、もっと終わるっていうのが早く分かっていれば、いろいろ伏線を散りばめられたのかもしれないですけど。

──ラスト、主人公の改蔵と、ヒロインの羽美ちゃんは精神病院を退院して小さなアパートで新しい生活を始めます。すごく希望のある終わり方だと思いました。

久米田:
 打ち切りになって、「もう主人公たちは病院にはいられないよ」って編集部に言われちゃったんで仕方なくですけどね(笑)。でも、予定外の退院ではありましたが、彼らはなんやかんや元気に生きていけると思うので、作品が終わることは彼ら2人とって、良かったのかなと思っています。

『絶望先生』はハーレム作品への皮肉

『さよなら絶望先生』30巻より ©久米田康治/講談社

──『さよなら絶望先生』は、連載終盤でヒロインの可符香ちゃんが連載開始時には既に死んでいたことが明かされ、他の女子生徒達は自殺未遂者で、可符香の体の一部がそれぞれ移植されていたことが明らかになります。単行本で追加された最終回、「一つの可能性としての30X話」も衝撃の展開でした。

久米田: 
 あれはかなりエグい話なんで、本編として続けるのはちょっとどうかな? っていう気持ちもあったんです。なので、連載の最終回とは別に、「ひとつの可能性として」という形で、単行本で描き下ろしました。

『さよなら絶望先生』30巻より ©久米田康治/講談社

──かなりホラーチックですよね。絶望先生が女子生徒たちと一夫多妻のコミュニティを築き、絶望先生はヒロインの「可符香ちゃん」ひとりだけを愛していると思っていて、女子たちは自分だけが愛されていると信じていて。他者からみると異様な関係が成り立っているという。

久米田: 
 でも、あれを描かないとだめなんですよ、『絶望先生』はハーレム作品への皮肉として描いていたので。

──ハーレム作品への皮肉、ですか?

久米田:
 はい。複数のキャラクターがみんな主人公のことが好き! みたいなハーレム作品のラストって、誰とくっついても読者から文句出たりとか、誰とくっついたか分からない曖昧なラストでも読んでいて消化不良になるじゃないですか。「じゃあ、どうすればハーレムは成り立つんだ」って僕なりに考えたのが、『絶望先生』のラストなんです。

『さよなら絶望先生』30巻より ©久米田康治/講談社

──リアルにハーレムを築いた先には、一夫多妻の地獄が待っているぞと(笑)。

久米田: 
 そうですね。「30X話」はそういうことです。

─連載開始時に最終回の内容が既に決まっていたと聞いたことがあるのですが、「30X話」が最初から用意されてたんですか?

久米田: 
 そうですね、「30X話」が本当の最終回なので。ただ、あれをいきなり出すとイヤな思いをする方も多いかなっていうことで、ラストを何段階か用意して、連載ではきれいな終わり方を選びました。

──連載の最終ページ、ウェディングドレス姿の可符香ちゃんがとても美しかったです。

『さよなら絶望先生』30巻より ©久米田康治/講談社

久米田:
 きれいに終わったけど、でも本当はこういう闇もありますけどね、みたいな感じです。やっぱり、長く読んでくれてる人にはあまりひっくり返すと怒られちゃうんですよね。あまり読者からは嫌われたくないんで、連載と単行本で違うラストを用意する形にしました。

──でも、ショックを受ける方がいるのも、ある程度は織り込み済みなんですよね?

久米田:
 そうですね。逆に、そういうショックがないと不満に思う読者もいて(笑)。だから今回の『かくしごと』は、そういう闇展開を期待していた方には物足りなかったかもしれないです。

──ちなみに、ハーレムを描くのに、なぜ可符香ちゃんは死んでなきゃいけなかったのですか?

久米田:
 そうですね……別に死んでなくてもいいのかな。他の方法もあったのかもしれないですけど、「死んだひとりの女性を愛する」という形しか、僕には思いつかなかったですね。

──『絶望先生』といえば、首つりのビジュアルが印象的ですが、あれはどんな意図で描かれたのでしょうか。

久米田:
 あれは、死者との交信というか、チャネリングみたいなものですね。絶望先生は半分死んだような存在だからこそ、作中で既に死んでしまっている可符香ちゃんと繋がることができるという。

『さよなら絶望先生』1巻より ©久米田康治/講談社

──なるほど、死の世界に半分足をかけている絶望先生だけが、可符香ちゃんの存在を認知できるという。

久米田: 
 そうですね。実は、そういう説得力をちょっと上げるための作戦だったんです。

最終回は「供養」である

──過去のインタビューで「最終回のない作品描きたい」とか「次は『サザエさん』みたいな作品を描きたい」っておっしゃっていたのですが、もう最終回らしい展開がある作品は描かれないのでしょうか?

久米田:
 いや、そんなことはないですね。最初から終わり方を決めて、そこに向かって描いていく思います。

─作品の設定だったりテーマ作りは、『かくしごと』と同様、編集者の方と一緒に考えられるんでしょうか。

久米田:
 そうなると思います。僕自身はいろいろ枯れちゃって「こういうのが描きたい!」みたいな情熱もないので、編集者に言われたことを「じゃあやってみるか」って始める感じじゃないですかね。

─「情熱がない」と仰るなかではありますが、楽しさとか、手ごたえを感じる瞬間ってあるんですか?

久米田:
 うーん……「最終回を描けた、終わらせたぜ」っていう感覚は強く残っています。

─なるほど、「終わらせたぜ」

久米田:
 「何とかこじつけてでも、ちゃんと終われたらいいな」って、連載をしている時はいつも思いますね。

─今日いろいろお話を聞いて改めて、先生は「最終回」をすごく大事にされてるなと思うのですが、ご自覚はありますか?

久米田:
 そうですね、最終回をちゃんと描かないとスッキリしないですから。
 作品をしっかり供養してあげたという感じです。この世に無念が残らないように。『かくしごと』も、今まで描いてきた最終回はすべて全部そうですよね。『かってに改蔵』も『さよなら絶望先生』も、タイミングは急だったりしたけど、一応供養できたぞと。

──無念なく、ちゃんと供養してあげられたっていう想いがあるわけですね。

久米田:
 連載中は無事に終われるのかっていう不安が一番大きいです。だから、本当に最終回を描けた時はホッとしますね。

久米田康治にとって「死」とは?

──先ほど「供養」という言葉が出てきましたが、『かくしごと』も『絶望先生』にしても、死の気配みたいなものを多くの作品から感じます。先生ご自身も生前葬を行われたことも話題になったりと、死への意識が強いのかなと思うのですが、先生にとって「死」ってどんなものでしょうか?

久米田: 
 時限爆弾みたいなものですね。マンガ家の平均寿命が50代っていう噂があったので、僕はもうそろそろ死ぬんじゃないかっていうのがあって(笑)。時間は有限だよな、っていうことは意識してるかもしれないです。

──時間が有限なのは怖いことですか?

久米田: 
 うーん……怖いっちゃ怖いですけど。早く「その瞬間」が来てほしい時もあります。

──来てほしい時っていうのは、「もう仕事しんどい! 死にたい!」みたいなやつですか?

久米田:
 はい、おっしゃる通りです。(笑)。

──それはちょっと分かります(笑)。絶望先生が首吊りしたくせに「死んだらどーする」って怒るみたいな。本当は死にたくないという。

『さよなら絶望先生』1巻より ©久米田康治/講談社

久米田:
 そうですね、死にたくないですよ
ね。
 『絶望先生』でもどこかで言ってると思うんですけど、やっぱり自分のタイミングで死にたいじゃないですか。何かやりかけてるときに急に死ぬのはイヤだなっていうのすごくありますよね。
 僕自身は幸い、大きな病気もなく健康なんですけど、やっぱり何があるか分からないですからね。

── それこそ、『かくしごと』を書いてる時に途中で終わっちゃう怖さとか。

久米田:
 それは本当に怖いですね。だからもう、これからはそんな長い作品は描かないつもりなんです。

命は有限だから何とか生きている

──「死」は怖いものであるという一方で、久米田先生の描く「死」って、『さよなら絶望先生』は亡くなった少女の魂の救済にも読めますし、『かくしごと』は受け入れて前を向くものと描かれていました。決してマイナスだけのものではないという印象があります。

久米田:
 やっぱり、命が有限だからこそ何とか生きているっていうか。グダグダにならずに日常が送れるのかなっていうふうに思います。作品にしたって、締め切りなかったらもう完成しないので。有限だからこそ出来ることがあるじゃないですか。

── 例えば、身近な人が亡くなったら当然悲しいと思うのですが、そういった出来事に対しては、先生はどう感じられますか?

久米田:
 どうだろうな……。死ぬ、死なないではなくて、その人が生きていたときに幸せだったら、それで良いのかなとは思いますけどね。

 でも、マンガ家みんなで集まると「次に会うのは誰かの葬式だな」ってよく話すんですけど、いざそうなった時に自分がどう感じるかは分からないです。だから、逆に「会えるこの時間を大事にしよう」みたいな気持ちになったりしますよね。

── ちなみに、マンガ家さんにとって打ち切りは、「突然訪れる死」みたいなものですよね。

久米田: 
 はい、その通りですね。突然の死亡宣告です。

──やっぱり作品も自分のタイミングで終わらせたいですか?

久米田:
 それはもちろんそうです。でも、それをやると、いつまでも続けてグダグダしちゃう可能性もあるし、やっぱり自分がコントロールできないところで終わって悪くないような気もしますね。

── お話を聞いていて、先生の描く「死」は、マンガの打ち切りのメタファーなのかな、なんて思ったのですが。

久米田:
 でも確かに、終わり方を最初に決めるのもそうですけど打ち切りという死の準備は常にしているつもりではあります。そういう意味でもやっぱり、死ぬことを意識しているのかもしれないですね。

──作品を描いている間はご自身が死んでしまうのが怖いとのことですが、逆に作品を完結させることで肩の荷が下りるというか、死の恐怖が軽くなることはあるんでしょうか?

久米田: 
 連載が終わったタイミングで「今ならもう死んでもいい!」 みたいなことですか? そうですね、そういう解放感はやっぱりあります。

 あ……でも、今はせっかく連載がない期間なのにコロナで旅行にも行けてないから、このまま死ぬのはイヤですね! 外出も全然していないので、今日は家から出る機会を与えていただいてありがとうございました(笑)。

──こちらこそ、本日はありがとうございました。次回作を楽しみにしております!


 『かくしごと』において主人公はギャグマンガ家を引退するのだが、それは自身の暗い過去が週刊誌に載ってしまい「自身のシリアスな過去を知られたら、もう誰も自分のギャグで笑ってくれない」という理由からだった。
 今回のインタビューに際して、久米田先生の個人的なことに踏み込んでも、うまくはぐらかされてしまうのではないかと思っていた。ギャグマンガ家にとって自身の胸の内を晒すことがリスキーなのは、十分に想像できる。
 しかし、久米田先生は、はぐらかすことなく、丁寧に言葉を探しながら話をしてくれた。

 久米田先生自身は「情熱は枯れた」と話したが、並々ならない作品への愛情を言葉の節々から感じた。愛情が作品を完結させることへのプレッシャーを生み、プレッシャーが綿密に考えぬかれた終盤の展開や最終回の衝撃を呼び寄せ、どの作品も久米田作品独特の強い読後感を残すのだと思う。

 もう長い作品は描かないということだが、ひとたび新連載が始まれば最終回まで全力で描き抜くだろうし、連載の終わりには、また私たち読者をあっと言わせてくれるだろう。(それが闇なのか心温まるものなのかはわからない)
 何にせよ、久米田康治先生の新連載が、今から楽しみで仕方がない。

直筆イラストを1名様にプレゼント

 取材後、久米田康治先生にサイン入りの直筆イラストを描いて頂きました。『かくしごと』の後藤親子&ロクが描かれた1点モノです!
 今回はこのサイン入りチェキを抽選で1名様にプレゼントします。

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