いまさら聞けない「オイルショック」のあれこれ。世界経済混乱の原因となった「第4次中東戦争」の勃発からじっくりと解説
今回紹介する、係長さん投稿の『【ゆっくり解説】オイルショック』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、1973年に発生し、世界経済全体に大きな混乱を与えた「オイルショック」について解説を行っていきます。
きっかけは第四次中東戦争
霊夢:
魔理沙聞いてよ、ガソリンが高騰しまくって、ついに170円まで来たんだよ! このままだと 物価が高騰して生活が苦しくなるんだ。
魔理沙:
まあ石油の高騰というのは、たまにあるからな。そこまで騒ぐようなことではないな。70年代のオイルショックはこんなの比較にならないほどの大騒ぎだったからな。
霊夢:
へー、そうなんだ。 気になるから教えて。
魔理沙:
中東で最初の油田が発見されたのは1908年のイラン。その後、イラク・バーレーン、サウジアラビア・クウェート、UAEなど次々と見つかる。
霊夢:
中東は石油がどんだけ眠ってるんだよ。
魔理沙:
もともとサウジアラビア半島に油田はないと言われてたからな。
霊夢:
そうしたら実際は世界最大の油田だったのかい。
魔理沙:
1932年にサウジアラビアが建国されて、翌年にアメリカの石油会社に採掘権を与えた。
霊夢:
なんでアメリカの会社に与えたの?
魔理沙:
英国は信用ならねえ。
霊夢:
わかるわ。
魔理沙:
わかっちゃったのかよ! それで毎年、5000ポンド、現在でだいたい数千万円から1億円ぐらいの利権が対価だったようだ。
霊夢:
あれ、めちゃくちゃ安くない?
魔理沙:
当時の石油は、そこまで価値がなかったし、必ず掘れるかどうか分からなかったからな。しかも当時のサウジアラビアは貧しい国だったそうだ。
霊夢:
確かに石油を抜かすと、サッカーワールドカップ予選で激突するイメージしかないわ。
魔理沙:
それでアメリカ型の石油メジャーが合弁会社を設立。これが後のサウジアラムコだ。 1938年に初めて石油掘削に成功。この後、アメリカ系石油メジャーの2社が資本参加して4社体制となる。
霊夢:
つまりサウジアラビアの石油はアメリカの石油会社が握っていると。
魔理沙:
第二次世界対戦後も、クウェートやイラクなどにも次々と巨大な油田で生産が開始された。
霊夢:
ということは、ここからアラブの石油王が誕生するのか。
魔理沙:
そう簡単にはいかない。石油メジャーは契約に基づき原油の生産量に対して利権料を払っていたんだが、1バレル=158.9リットル当たり、数十セントだけだったらしい。
霊夢:
そんなに安いの?
魔理沙:
それで産油国は1950年代に利益が折半されるように、50%の所得税を課すようにした。
霊夢:
なるほど。それなら中東の国々も潤いますね。
魔理沙:
しかし、公示価格より安く原油が売られるようになり、中東の国々は収入が減ってしまった。
霊夢:
価格の決定権を持ってないとやっぱきついのか。
魔理沙:
この資源国に利益が落ちない仕組みに反発が生まれ、「資源ナショナリズム」という考えが根付いた。
霊夢:
なんじゃそりゃ。
魔理沙:
自国に存在する資源を自国で管理開発するという考えだ。
霊夢:
つまり資源の独立ということか。
魔理沙:
それで油田の接収が行われて、国有化される動きが出始めた。1959年に石油メジャーが勝手に原油の公示価格を引き下げようとして、アラブ諸国は強い不満を抱いた。それで翌年、公示価格の引き下げを実行したので、石油産油国5カ国は反発。これらが集まって組織されたのが石油輸出国機構OPECだ。
霊夢:
OPECってニュースで聞いたことあるわ。
魔理沙:
それで1971年2月に所得税率や公示価格の引き上げる内容のテヘラン協定が決まった。さらに12月、石油開発事業を石油メジャーから産油国へ移譲を促すリヤド協定も締結された。
霊夢:
産油国にきちんと利益が行くようになったじゃん!
魔理沙:
逆を言うと、石油メジャーの利権は少なくなったんだ。
霊夢:
まぁ今まで暴利をむさぼってたんだからしょうがないのでは。
魔理沙:
しかしこれがとんでもないことになった。「パレスチナ問題」って知ってるか?
霊夢:
なんかイスラエル人とパレスチナ人がいつも争ってるやつだっけ?
魔理沙:
大昔に、聖書で肥沃な大地と言われていたパレスチナにユダヤ人が住んでいたんだ。そのユダヤ人は世界中に散り散りになり、迫害を受けながらも頭の良さから多方面で活躍して富を築いた人もいた。そして時が進み、第一次世界対戦時にイギリスがユダヤ人にこう言うんだ。
「ユダヤ人さん、パレスチナあげるんで戦争に協力してくれませんか」。一方で、アラブ人にはこういった。「アラブ人さん、戦争に協力してくれたらパレスチナあげますよ」。
霊夢:
あれ、さっきユダヤ人にも同じことを言ったよね?
魔理沙:
さらにフランスとロシアにはこういった。「戦争に協力してくれたらパレスチナあげますよ」
霊夢:
いい加減にしろ!
魔理沙:
第一次世界対戦は連合国側が勝利した形になって、連合国側だったイギリスは……。
「パレスチナを支配していたオスマン帝国の代わりに、うちらが統治してあげますわ」。
霊夢:
こいつら頭○ってんのか。
魔理沙:
それでユダヤ人が大量にパレスチナに流入して、第二次世界対戦でドイツのやべー奴がユダヤ人を迫害し始めた。こいつがユダヤ人を迫害したので、パレスチナにさらにユダヤ人が流入。それでユダヤ人とアラブ人が対立し始めた。
霊夢:
これはイギリスが頑張って矛を収めさせなきゃ。
魔理沙:
イギリス「もう無理なんで撤退しますわ」
霊夢:
逃げるなー!
魔理沙:
それで丸投げされた国連が「パレスチナを分割しましょう」となった。アラブ人は反対するものの、ユダヤ人は受け入れて分割されて、イスラエルの独立が宣言された。これに怒ったアラブ人が進行して戦争が勃発、これが中東戦争だ。
霊夢:
なんもかんもイギリスが悪いのでは。
魔理沙:
それでイスラエル対アラブ人という構図ができあがり、イスラエルにはアメリカやイギリスフランスが支援を行った。アラブ側にはソ連が支援を行って泥沼化。
霊夢:
冷戦の代理戦争になったのか。
魔理沙:
それでこの1973年に行われた第4次中東戦争が、石油危機へとつながった。1973年10月から第4次中東戦争が始まって、ペルシャ湾岸の6か国は原油公示価格を上げることにした。
霊夢:
いくらあげたの?
魔理沙:
だいたい7割アップ。それで戦況はイスラエル側の優位に進んだ。それでアラブ石油輸出国機構諸国が、経済制裁として段階的に石油の輸出禁止をした。
霊夢:
えらいことになったな。
魔理沙:
実はこれ、6年前の第3次中東戦争でもアメリカや西ヨーロッパに対して同じように禁輸措置をしていたんだ。しかしこの時はアラブ側が石油収入がなくなり厳しくなって失敗に終わった。
霊夢:
じゃあ今回も同じように失敗に終わるんじゃ?
魔理沙:
この6年の間で石油事情が大きく変わった。まず世界的にも石油の需要が急激に伸びて、石油の輸出量は1967年で35億バレルだったが、72年には62億バレルまで伸びた。それでサウジアラビアの石油収入は8.5億ドルが31億ドルに増えた。これにより、中東は貧乏国から脱出することができた。 この石油需要と中東の財政が、石油輸出や生産制限を有効にすることができた。
霊夢:
これは石油を輸入している国は大打撃だ。
魔理沙:
この削減決定から6日後の10月23日に停戦決議を受託して、第4次中東戦争は終わりを迎えた。
霊夢:
ふぅ。これでなんとか石油危機も終わるんだね。
魔理沙:
しかし石油削減は緩和どころか、より削減されることになった。
霊夢:
なぜに?
魔理沙:
しかもサウジアラビアなど一部の国々は、アメリカやオランダに対してイスラエル支援国として輸出が禁止された。理由はイスラエル支援による報復措置だ。日本は中立国として対岸の火事と決め込んでいたら、非友好国という扱いになって削減された。
霊夢:
こっちにも被害が及んできたのか!
魔理沙:
友好国には供給の全面保証をして、非友好国に残りを提供するという形だ。
霊夢:
つまり仲間になれば石油を融通してくれるから、仲間が増えると非友好国はより供給を受けられないのか。
魔理沙:
ちなみにイギリスは友好国になってる。
霊夢:
納得いかねぇ!
魔理沙:
とまぁここまでが石油危機の大まかな流れだ。
石油危機とは、第4次中東戦争におけるアラブ側の報復措置が原因で発生した出来事でした。動画では石油自体の歴史や、石油危機が与えた影響についても解説していますので、ご覧になりたい方はぜひノーカットで動画をご視聴ください。
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