悲劇の海賊「キャプテン・キッド」の壮絶な人生とは。『ワンピース』のモデルになった海賊の、仲間やパトロンに裏切られ続けた歴史をご紹介
今回紹介する、モンド・ヒストリカ@歴史さん投稿の『【ゆっくり解説】悲劇の海賊キャプテン・キッドのことを解説するから見てけー』という動画では、音声読み上げソフトを使用し、「キャプテン・キッド」として知られるスコットランド人のウィリアム・キッドについて解説していきます。
「裏切りの連続」キャプテン・キッドの生涯
魔理沙:
今回はキャプテン・キッドの解説をしていく。キャプテン・キッドことウィリアム・キッドは、スコットランド生まれの海賊だ。キッドは最終的に捕まって処刑されるんだが、その際ある場所に財宝を埋めたと証言して話題となって、エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』やスティーブンソンの『宝島』といった文学作品もキッドの財宝を題材にしている。
霊夢:
確かに埋められた海賊のお宝なんてすごいロマンよね。それが日本の島に埋められているかもしれないってこと?
魔理沙:
そういう伝説があるってこと。ちなみに鹿児島県十島村の公式サイトにもその話は書いてある。
霊夢:
海外文学だけじゃなくて、日本にまでそんな伝説を残すなんて、七つの海を股にかける大海賊だったのね。
魔理沙:
ところがキッドは海賊になる気なんてなかったんだ。ウィリアム・キッドは1645年頃、スコットランドの牧師の家に生まれたとされる。その後、北アメリカのイングランド植民地に渡った。そして1688年、フランスとイングランドが戦争状態に入ると、各国は私掠船活動を奨励するようになった。
霊夢:
私掠船って国家が公認した海賊だっけ?
魔理沙:
厳密に言うと、免許で認められたターゲットを襲う分には、公式な活動として、「海賊」とはみなされなかった。ルールを破って許可された相手以外を襲い、本物の海賊になるものが多かったがな。そしてキッドも私掠船活動を始め、敵国フランスの船を拿捕する成果を出していた。
あるとき事件が起こる。キッドの部下の航海士・クリフォードという男が、キッドの船を強奪して逃走してしまったんだ。クリフォードは自由に船を襲ったほうが儲かると思い、多くの部下を引き抜いて純粋な海賊に転身してしまう。
こうした災難にもめげずに私掠活動を再開したキッドは、ニューヨークの植民地議会から表彰されるほどの活躍をする。そのうちキッドは、ニューヨークのお金持ちの美人な未亡人と結婚し、セレブ生活に突入する。
霊夢:
あらもう勝ち組な人生じゃない。
魔理沙:
しかしキッドは優雅な生活を手に入れても、海を恋しがった。一方、海賊たちは警備が強化されたカリブ海を離れ、インド洋を航行する東インド会社やムガール帝国の船を襲うことが多くなっていた。
こうした中、イングランドは東インド会社やムガール帝国の要請を受け、これらの海賊の鎮圧の必要に迫られる。イングランド海軍はフランスとの戦争で余裕がなかったので、民間の私掠船にインド洋の海賊退治を依頼することとなったんだ。
キッドはイングランド政界の有力者ベラモント伯に貸しがあったので、うまく国王に口利きをしてもらい、私掠免許を手に入れることができた。ベラモント伯の呼びかけで、政財界からの出資者も集まり、ロンドンの新造船「アドベンチャー・ギャレー号」と船員150人を率いることになったんだ。
霊夢:
政財界からの出資者って、国を挙げてのプロジェクトなのね。
魔理沙:
これがキッドにとって災いになるんだ。こうして意気揚々と出航したキッドだが、出だしから不運に見舞われる。ロンドンからテムズ川を下り海に出た瞬間、イングランド海軍に停船を命じられ、船員の強制徴募を受けてしまう。当時人員が不足していたイングランド海軍は、民間の船から無理やり船員を補充する権利が認められていた。
こうしてキッドはいきなり優秀な船員を半数近くも失ってしまう。ともあれ、キッドはまず太平洋を横断して、ニューヨークへ向かい、船員を募集した。しかし戦争中で船員が不足していた中、集まった70人ほどは身元のあやしいバッカニア出身者が大半だった。
とにもかくにもターゲットである海賊やフランス船を捕らえるため、キッド一行は海賊の巣窟、マダガスカル海域へ向かったが、航行中にコレラが蔓延し、乗組員の3分の1が死亡する。
さらに船が漏水する。生き残った船員も大半が壊血病にかかってしまう。私掠船は獲物を捉えないと報酬は出ない決まりだから、今のところ部下はノーギャラで働いていることになる。途中に寄った島で50人ほどの人員を補充したが、どの顔ぶれも明らかにベテランの海賊だった。
霊夢:
もうほとんど乗組員が海賊に入れ替わっちゃったじゃない。
魔理沙:
とにかく獲物を捕らえなければならない。キッドはフランス国籍の船や海賊船を探し回ったが見つからない。こうして10カ月が過ぎた。当然ながら部下たちの不満は爆発寸前。どこの船でもいいから襲ってしまえ、という声は日に日に大きくなっていた。
こうして熱帯の海をよろよろとさまようキッドたちは、ちまちまと小さなアラブ船を襲っては食いつないだ。しかし、キッドはあくまで海賊ではなく、私掠船員だと自覚していて、自国イングランドの船を襲うという部下を叱ったりしていた。
霊夢:
なんか今更って感じだけどねぇ
魔理沙:
こうした中、ついに大きな獲物を捕らえることに成功する。フランスの通行証を持っていたケダー・マーチャント号だ。この豪華な船は、金や絹、宝石、砂糖、その他高価な品を総額71万ポンドも積んだ、まさに宝船だ。
このマーチャント号はフランスの通行証を持っていたものの、国籍はアルメニア、船長はイギリス人だった。
霊夢:
それって私掠免許の対象に入るの?
魔理沙:
キッドが認められている私掠対象は「フランスの船、もしくは海賊船」だ。ただ、キッドはフランスの通行証を持っているからフランス船だと認識していたようだ。
霊夢:
このあとが怖いわね。
魔理沙:
こうしてテンションMAXのキッドは、寄港したサント・マリー島で意外な人物と出会う。かつてキッドの船を乗っ取った海賊・クリフォードだ。そもそもキッドの任務は海賊退治だから、復讐と仕事を同時にこなす大チャンスだ。
この時キッドの手勢は100人以上、クリフォードは40人程度だった。キッドは部下たちにクリフォードの捕縛を命じた。
が、部下たちはまるっきり聞く耳を持たなかった。あまりの部下の圧に押されたキッドは、「お宝の一部を分配するから」と、分前を受け取った部下たちは、心置きなくクリフォード側についた。
霊夢:
うぼぁ!
魔理沙:
部下のうち97人がクリフォード側に寝返り、キッド側に残ったのは18人だけだったという。失意のキッドは今にも沈みそうなアドベンチャー・ギャレー号を捨て、捕らえたケダー・マーチャント号に乗って、カリブ海へと出航した。
こうしてロンドンを出航してから3年後の1699年、キッドはカリブ海のアンギラ島というところで衝撃的な情報に接する。逮捕状が出てるよ。
本当に自分が海賊っていう自覚がなかったのね。
魔理沙:
ケダー・マーチャント号を捕らえたニュースはすでにロンドンに届いていたが、問題をより大きくしたのは、キッドがいち個人の私掠船ではなく、政財界からの出資を受けた海賊討伐隊だったことで、これが政界を巻き込む大スキャンダルになっていたんだ。
こうしてキッドは裁判にかけられたが、内容は出来レースのようなものだった。
霊夢:
でもマーチャント号のフランス通行証があれば、ワンチャン無罪の可能性も。
魔理沙:
キッドはベラモント伯を信用していて通行証を渡していたんだが、ベラモント伯は、そんなものは知らないと主張した。さらに彼は自分はキッドの航海に何の関わりもないということを必死に証明しようとした。
ベラモント伯は知人に宛てた手紙で、「これまで世界でキッドほど恐るべき嘘つきもいなければ泥棒も見当たりません」と書いている。そして何故かキッドの航海日誌など、無罪を主張する彼に有利な証拠品は全て紛失していた。
しかし、キッドは裁判で自分をかばおうとしなかった。出資者たちを批判することはなかった。こうして海賊行為と殺人の罪でキッドは死刑判決を受ける。ちなみにこの殺人というのは、イングランドの船を襲うという部下を止めるときに勢い余って行ってしまったものだ。
1701年、テムズ川の河畔でキッドは絞首刑に処せられた。
キッドの遺体は腐らないようにタールを塗られ、見せしめとして数年間さらされ続けたと言う。
仲間に裏切られ、パトロンにも切り捨てられた悲劇の海賊・キャプテン・キッドの生涯を紹介しました。解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画をご視聴ください。
『【ゆっくり解説】悲劇の海賊キャプテン・キッドのことを解説するから見てけー』