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TV版無印『セーラームーン』最終回を27年越しに演じた三石琴乃の胸に残ったもの――養成所時代からエヴァ完結編まで、半生を振り返る彼女が語った次に演じたい役とは?【人生における3つの分岐点】

■分岐点3:セーラームーンの人気絶頂での緊急手術、そして入院。

――『セーラームーン』と過ごした5年間の中では、まさに作品内容のボルテージも、人気も、最初の絶頂を迎えようとするタイミングで、大きな出来事も経験されました。

三石:
 はい。お話が前後してしまいましたが、そこが私の人生の3つ目の分岐点なんです。「24歳での緊急入院、緊急手術」……。
 『セーラームーン』がちょうど放送1年目のクライマックスを迎え、3話連続の長編エピソードが始まるタイミングの、1回目のアフレコ当日でした。
 当時、歌のCDを出すことが人気声優のステータスになっていたこともあって、アフレコと並行してオリジナルアルバムの作業をしていて、体が疲れていたんです。

――声優としてのお仕事も増え、作品人気に押されてメディアにご登場される機会も多かった印象です。いくら二十代でも、体力的にしんどいものがあられたでしょうね……。

三石:
 それにくわえて病院に行くことを怠っていたせいで、婦人科系の病気……「穿孔性卵巣嚢腫(せんこうせいらんそうのうしゅ)」という、卵巣の中に膿が溜まり、穴が空いてしまう病気になってしまいました。
 それ以前から、少しお腹が痛くなることがたびたびあったんです。内臓は痛点があまり無いので、内臓が痛むということは、かなり重症のときなんですよね。そのことを、当時の私は知らなかった。

――若い頃は病気の経験や身体に関する感覚はあまりないでしょうし、ずっと健康でいる人だとなおさら、なかなか意識しませんよね。

三石:
 お医者様に、「腹膜炎になりかかっていましたよ、危ない状態でしたね」と言われて、診断を受けたその日にすぐお腹を開けて、嚢腫を取って、3週間入院、3ヶ月間自宅療養。
 『セーラームーン』の仕事で楽しい! 楽しい! と気持ちが沸き上がっていたのに、突然体が動かなくなってしまって。
 幸い命はあったけれども、多大な迷惑を家族や関係各所のスタッフのみなさんにかけてしまったことと、自分が育てていた役が人の手に渡ってしまったことの、何かを剥ぎ取られるような感覚が……とにかく辛かったです。でも、体が動かないので仕方ない。しくしく泣いているほか無い。

――お気持ちを想像するだけで辛いです……。

三石:
 でも、少し落ち着いてからは、代役が立って作品が続いていくことを冷静に受け止めました。
 いくら「セーラームーン役の三石さん」といって持ち上げられていても、声優が変わっても役は存続し作品は継続していけることが、そこで見えてしまった。
 だから以降は自分が出会う役に対して、私らしさを存分に盛り込みつつも、どこかで「自分のものではない」という意識でいます。
 大事に表現したい、他の人とは違う何かを盛り込みたいという思いは今もあるのですが、それとその意識は共存しています。

――複雑なお気持ちですよね。替えのきかない芝居をするつもりで臨まれているけれども、一方で、自分がいなくなっても世の中は意外と平然と回っていく。それが現実かもしれませんが、24歳で受け止めるにはあまりにも重い。

三石:
 でも、あのまま「楽しい楽しい」で仕事していたら、多分いい気になって、30代半ばで業界から消えていたかもしれないなとも思うんですよ(笑)。
 謙虚さというか、少し一歩引いて取り組む、それゆえに役を大切に出来るというのを、この経験から覚えました。
 そうでないと、「この役は私のもの!」という独占欲で、勘違いした態度で役を扱ってしまっていたかもしれないし。神様の試練だったんじゃないかな、と今では思います。

――今お話しいただいたような形で、気持ちに折り合いをつけることが出来たきっかけは何かあったのでしょうか?

三石:
 全部、大事な宝物をバーッとこぼしてしまった感じだったわけですけど、それでも「立って」と手を差し伸べてくれる人がちゃんといたことと、今も取ってありますが、お手紙を病院に送ってくれた先輩の役者さんや、絵本を贈ってくれたお友達、お見舞いに来てくれた方々……そういう人たちに救われたのだと思います。もちろん家族も。

――三石さんのお仕事に取り組む姿勢が真剣だったからこそ、周囲の人たちも手を差し伸べてくれたのかもしれませんね。

三石:
 先輩の中には、事故で同じような経験をされた方もいたんです。当たり前かもしれませんが、「自分だけが特別じゃないんだ」と、お話をうかがって感じました。
 あとはやっぱり、24歳という年齢も大きかったのかな。今だったら「もういっか……体が大事!」となりそう(笑)。

――そこで心が折れず、お仕事を続けてくださったおかげで、ファンは三石さんの素敵なお芝居を長年楽しんでこられました。セーラームーン以降も、本当に多彩な、印象深い役をたくさん、さまざまな監督と作り上げてもいて……。

三石:
 本当にありがたいですね。

――また、そうしてお仕事を続けて行く中で、演じられなかったシーンを演じる機会もありましたよね。NHK BSプレミアムで放送された「発表!全美少女戦士セーラームーンアニメ大投票」で、『美少女戦士セーラームーン』の最終話のクライマックスを生アフレコで披露された。

三石:
 生アフレコの企画は、番組のお話をいただいたときから決まっていたんです。でも、何であのシーンをやることになったんだったか……「無印」と「Crystal」のバランスを取っていく中で細かい経緯は、忘れてしまいました。もしかしたら、私から言い出したのかもしれません。
 他にも生アフレコの候補に挙がったシーンはあったんです。でも、やっぱりあのシーンを演じられなかったことで、大事なものを落としてしまったというか、ひとつ、ぽっかりと自分の中に「穴」が空いているような感覚が、ずっと胸のどこかにあったんですよね。

――人生の分岐点に、「月野うさぎ役との出会い」があるわけですから最終回を演じられなかったというのは、やはり心残りだったということかもしれませんね。当時の代役を務めた荒木さんとは何かお話になったのでしょうか?

三石:
 代役だった荒木香恵ちゃんは、演じるとき、きっと大変なプレッシャーを感じたはずです。それを乗り越えて素敵なお芝居をしてくれた彼女に申し訳ない気持ちもありつつ、私の気持ちも、あのシーンを私の声で観たかったと今でも願ってくれているファンのみなさんの気持ちも、あの場を借りて浄化できたら良いなと思ったんです。
 だから「香恵ちゃんの了承がいただけたらやりましょう」とスタッフさんにはお伝えしました。その結果、やらせていただくことになったんです。

――そうして……三石さんの胸にあいた「穴」はどうなったのでしょう?

三石:
 落としものは拾えませんでした。というか、そこには何もなかったんです。
 当時の空気の中で、共演者たちと一緒に収録した香恵ちゃんの芝居には敵わない。演じてみても、ほかのみんなの声と自分の芝居が、一緒に混ざらないなと思いました。
 時間が経っているのもありますが、もっと何か、いろいろなことが重なって、やっぱり「あの場所には戻れない」ということが分かりました。落としものは拾えなかったけど、「穴」はふさがったな……と思いましたね。

■月野うさぎ、葛城ミサト…「三石がいると作品が続く」と言われることが

――さきほど人気作で役のイメージがついてしまうことの難しさをお話になられていましたが、『セーラームーン』からさほど間をおかずに、『エヴァ』の葛城ミサトで大人の女性を演じられて。しかも、これも結果的には、長寿作品になりました。

三石:
 長かったですねぇ、ホントに(笑)。

――25年ですもんね。『セーラームーン』も、そもそもの放送が5年続き、そして『美少女戦士セーラームーンCrystal』に始まるリブートもあり、30年以上愛されるシリーズになっています。ほかにも、三石さんの出演作品には、長く愛され、展開が継続する作品が多いですよね。

三石:
 これ、自分で言うのは本当におこがましいんですが、「三石がいると作品が続く」と言われることがありました……(笑)。

――やっぱり(笑)! しかも三石さんのスゴさは、『エヴァ』でも『セーラームーン』でも、あの頃の声や芝居の雰囲気を保ち続けておられることだと思います。その秘訣みたいなものはあるのでしょうか?

三石:
 「これで大丈夫かな?」とは毎回思いながら取り組んでいるのですが、そもそも基本的に、声帯って一番老化しにくい器官らしいんです。
 どちらかというと気になるのは、積み重ねてしまった経験から、同じセリフでも20代と40、50代ではニュアンスが変わってしまうことですね。同じ文言でも、何か「深み」が出てしまう。そこをどうするかの戦いですよね。毎週レギュラーで続いている役ではなく、空白の時間を経て取り組むのは、「さてさて」となります。

――月野うさぎや葛城ミサトと出会った20代から、仕事以外にもさまざまな人生経験を積んで心境は変化していくわけですから……。

三石:
 ただ、そうはいっても、「この声と身体の細胞の中に役がいるんだから、恐れずにしゃべれば出てきてくれるかな」と思ってもいます。自分を信じる。
 そのために、自主的にリテイクをお願いすることもあります。演出家の演出意図もあるでしょうし、OKテイクが出ているのであれば大丈夫なんだろうけれども、自分の中でもう少し、あのころの声や芝居に近寄れるかもしれない……と思ったときには、わがままながら録らせてもらうこともありました。

――以前、別の方の取材で、「子供ができて、子供に語りかける機会が増えると、語尾の調子が変わってしまう。その変化を直すのが難しい」とうかがったことがあるのですが、精神的なものというより、そうした習慣による変化のご苦労はあられたりは?

三石:
 その方は一つ積み重ねたという事でしょう。
 私は子供が出来たことは、ありがたかったですね。子供がいないころ、母親の役をやるときには、「母親『風』」のお芝居をするしかなかったのが、今は堂々と、自信を持ってお母さん役が出来るし、お母さん役の中でもバリエーションを付けることが出来る。変化ではなく、できること、役の解釈の幅が広がったような印象です。

■「おばあちゃんになるまでこの仕事を出来れば良いな」

――今日お伺いした分岐点に限らず、すべての経験が三石さんの現在の芝居の豊かさに繋がっている気がします。そんな三石さんの分岐点を超えた未来といいますか、今後の目標についてもうかがわせてください。

三石:
 おばあちゃんになるまでこの仕事を出来れば良いなと思っています。なので、体を大切にすることと、より研ぎ澄ませて役に取り組むことが目標ですね。
 あと、仕事を初めてから35年くらい経つので、良い感じに力を抜いても良いのかな、とも思っています。「楽をする」という意味ではなく、続けていくためにこそ、適切に力を抜く。

――先程お話いただいたご病気をされた経験を踏まえると、特にお身体をいたわってほしいと思っている三石さんのファンは多いかもしれませんね。

三石:
 あとは……下の世代に「声優って楽しいよ」と伝えたい気持ちもあるのですが、コロナ禍でアフレコが様変わりしてしまい、いろいろな交流をすることで刺激をあたえたり、もらったりすることもなかなかできない今、私が感じてきたような楽しさや喜びを味わわせてあげることが、なかなか出来ない世界になってしまっているのが寂しいですね。

――そんな中でもいろいろ努力されているみなさんに頭は下がるのですが、昔を知る人からすると、どうしても寂しい気持ちは湧きますよね。

三石:
 もともと私は引っ込み思案で、声優は表に出なくても演じられる、裏方という部分に魅力を感じていたんです。
 そんな私が舞台に立ったのは、お芝居が上手くなりたかった一心です。養成所での経験で舞台でのお芝居は俳優として学ぶことが多い……と直感で思ったからでした。先輩方にも、「声優とはいうけれど、同じ俳優なのだから舞台での芝居が出来ないとダメだよ」とおっしゃる方がいましたし、はっきりと「君らは声優になりたいのか、役者になりたいのか?」と問われる方も。
 赤面するし手が震えて恥ずかしいけれども修行だ……と思ってやり続けられたのは、出会いがあったからでした。

――出会いがあったから、できた努力があった。今の人はどうしたら……。

三石:
 昨今テレビなどでは、個人の才能が溢れて多方面で活躍している方々が多いですよね。華やかに見えるけど、裏でちゃんと勉強して努力してるんですよ。今、声優を目指している方は「どんな声優になりたいのか!」というビジョンをしっかりと思い描いて、勉強すれば良いのだと思います。チャンスが来たときの為に準備しておく……。
 例えば「歌って、CDを出して、アイドルのような活動もできる声優になりたい」という方、実際そういった仕事が多いのは事実です。
 オーディションで歌唱イベント、コスプレ等の可否を問われたりします。以前私も『アイドル防衛隊ハミングバード』という作品の役としてライブ活動したことがありますが、声優業との両立はそれは大変でした。
 疲れていようが、レギュラー番組で手を抜くことは許されませんし、共演者にも失礼になってしまう……。

――ご病気をされたときのお話にもありましたが、売れっ子声優になりスケジュールが過密になっても、プロとして手は抜けない……ということですね。

三石:
 役者としての基礎は大前提として、何を自分の軸にしたいのかを見据えていないと、回転の速い業界で消耗されてしまいます。今後もっと変化するかもしれない。

――時代が求めるものも変われば、仕事の仕方も、努力の仕方も変わる、と。

三石:
 でもそんな華やかな仕事とは違う方面の原石が沢山いると思っていて、そういう人たちは現場で先輩たちが手を差し伸べてくれることで演技の幅が広がると思うんです。
 どうしたって一人では限界があるし。私がスタジオで先輩から学んだ事は、良いことも悪いことも養成所の100倍濃密です。

――『キャッ党忍伝てやんでえ』の際のエピソードにもありましたが、間近で見るからこそわかる技術もあるでしょうし。

三石:
 それがここ数年コロナの影響で、全員揃ってのアフレコを知らない世代が増えてくるはずなんですよね。共演者の顔も知らないままレギュラー番組が始まり、そして打ち上げもないまま解散です。味気ないと言うか……なんとかできないかという気持ちはあります。

――三石さんが、師や先輩方に学ばれて歩んでこられたように、これからは後進に伝える側に回っていくということでしょうか?

三石:
 そこまで自分のことを買いかぶっていないです。

 私がこれだけ仕事を続けてこられたのは、奇跡に近いと思っているんです。一人では何も出来なかった。そもそも水鳥さんと出会えたこともそうで、他の先生だったら「あの子はダメだね」で終わっていた気がします。だから大それたことをするのではなく、ひとつひとつのご縁を大切にしていきたいですね。

――演じてみたい役や作品はありますでしょうか? とても幅広く演じておられる方にお聞きするのもなんですが……。

三石:
 声優は自分から役を取ることは出来ないので、来てくれたご縁を大事に育てるしかないかなとは思っています。ただ、そのうちまた、舞台でコメディや楽しいお芝居をやりたいですね。
 もちろん、アニメでも映画でも良いのですが。そうそう、コメディといえば、昔から『奥さまは魔女』【※】が大好きなんです。いつかサマンサみたいな役を演ってみたいですね。。

※奥様は魔女
1964年から1972年までアメリカで放送されたテレビドラマ。広告代理店勤務のダーリンと魔女のサマンサの夫婦生活をコミカルに描く、シットコム(シチュエーション・コメディ)というジャンルを代表する作品。日本でも1966年から吹替版が放送され、大好評を博した。

――それはぜひ聴いてみたいです!

三石:
 今はわりと、ミサトみたいな役のイメージが表面にあるので、シリアスなかっこいいお姉さん役をいただくことが多くて。
 それもありがたいのですが、真面目なおふざけが好きなんですよ(笑)。

声優 三石琴乃 インタビュー 人生における3つの分岐点

 インタビューを読んだ皆さんならわかると思うが、三石琴乃さんは若手時代から今に至るまで仕事に一切手を抜かないプロフェッショナルだ。
 それだけ強いこだわりを持って役に向き合っている三石さんが、一時的とはいえ病気を理由に月野うさぎ役を降板したときに感じたであろう悔しさは計り知れない。

 TV版無印の最終回を演じた後の「あの場所には戻れない」という感想は、三石さんの感情に左右されないプロとしての厳しい意見なのだと思う。
 しかし、その感想に「落とし物は拾えなかったけど、穴はふさがった」と言葉を続ける三石さんの表情はどこまでも穏やかだった。
 それは病に倒れてなお、声優として人生をかけて真摯に役と向き合い続けた三石さんだからこそたどり着ける境地なのだと思う。

■三石琴乃さん直筆サインをプレゼント!

 インタビュー後、三石琴乃さんに直筆サインを書いていただきました。今回はこの直筆サインを1名様にプレゼントします!
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■関連情報

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