『エイリアン: コヴェナント』はこういう視点で観れば楽しめるぞ! 評論家がオススメする「コヴェナントの楽しみ方」
新エイリアンシリーズは『2001年宇宙の旅』に行き着く
岡田:
今回の『エイリアン:コヴェナント』でハッキリしたのが、アンドロイドのデイヴィッドの目的。彼は、「人類を創った神様に会う」ということには、まったく興味がなくて、むしろ、人類を使って自分オリジナルの新しい生命を創りたがっているんですね。ここらへんが、映画館で見た時に「なんでそんなことをしたいの?」と僕らが思っちゃうポイントなんですけども。これはね、“猿真似”なんですよ。
アンドロイドのデイヴィッドにしてみれば、「人間は私のようなアンドロイドを創った。ゆえに、私達アンドロイドの神である。つまり、神である証とは、自らの手で創造物を創ることだ。ならば、人間に近づき神になるためには自分のオリジナルの生命を創るしかない」という、猿真似の理屈に入っているわけですね。
人間が神の猿真似をしてロボットを作ったとするならば、ロボットも人間の猿真似をして自分オリジナルの生き物を創ろうとしている。たぶん、このどちらも「創ったものに滅ぼされる」という未来が待っているんですね。だから、今回の『ブレードランナー 2049』も続編が作られるのがわかりきっているんですよ。
最後は、たぶん『猿の惑星』のようなレプリカントが人類を滅ぼす話になるんですよ。
岡田:
新しいエイリアンシリーズは、最終的には『2001年宇宙の旅』になるんですね。『2001年宇宙の旅』は「進化の果てにどっちが生き残るかは殺し合って決めてください」という、歴史上初めての“デスゲームモノ”なんですよ。
あの映画はお話としてはシンプルなんです。まず、神様が猿に知恵を与える。知恵を与えられた猿はどうなるのかというと、水飲み場を巡って、同じ猿をなぐり殺すという事件を起こす。知恵の象徴として得たものは豚の大腿骨という武器で、それで、他の猿を殺すわけです。そして、ここから進化というのが始まる。
それまで殺し合うことを知らなかった類人猿は、生き物を殺すことを覚え、急に高タンパクな食事を摂ることができた。おかげで、身体が巨大化して、巨大な脳を維持するだけの栄養を得た。これが『2001年宇宙の旅』の導入部分です。次に知恵を得た人類は、宇宙船ディスカバリー号を作って、神様に会いに行くわけですね。
ところが、神様に会いに行く途中で、船内の人工知能HAL-9000というのが、人間に対して反乱を起こすんですね。そして、戦いを挑まれた人間は、結局HAL-9000を殺します。
岡田:
これはHAL-9000のメモリーコアに入っていくシーンですけども、デヴィッド・ボーマン船長が、HALの中に入って“脳手術”を行って、彼を事実上の脳死に追い込んでしまうんです。つまり、『2001年宇宙の旅』における神というのは、猿に知恵という力を与え、弱者を殺す強者を生き残らせた。
次に、人類と、人類が作り出した人工知能の二種に「どちらが進化上、優れている生き物なのか?」という競争をさせた。そして、最後は、人間が人工知能を殺すことによって神様に会う権利を得て、人間は次の段階に進化した。これが大きいプロットなんですよね。『2001年宇宙の旅』は殺し合って勝たなければ、神様に認めてもらえないんですね。
だからこそ、『コヴェナント』に出てくるアンドロイドのデヴィッドは、人間を殺す必要があったんです。2001年宇宙の旅に出てきた“デビッド・ボーマン船長”と同じデヴィッドという名前を持つアンドロイドが、今度は人間を殺して、次の進化のステージに行くのが、コヴェナントで語られている大きいプロットなんですね。
つまり、この映画は「ああ、リドリー・スコットは2001年をやりたいのか」っていう流れが見えないと、何の映画かまったくわからないんですよ。そして、こういうことをあんまり感づかれたくないから、リドリー・スコットは、ある時期から「好きなSF映画は、2001年宇宙の旅です」と、まったく言わなくなっちゃったんですよね。
ブレードランナーの新作や、エイリアンシリーズのネタバレになっちゃうから(笑)。
スタンリー・キューブリックに継承者として選ばれなかった男
岡田:
ちなみに、『2001年宇宙の旅』を撮ったスタンリー・キューブリックは、死ぬ前に、自身最後の映画として『AI』という作品を作ろうとしてたんですね。まあ、結局は、自分では完成させることはできずに、スティーブン・スピルバーグに後を託して、彼が完成させました。
この『AI』というのは、「不治の病に掛かって、植物状態で寝たきりの息子を持っている母親に、子供型のロボットが与えられる」という話なんですけど。この子供型ロボットの名前も“デイビッド”なんですよ。だから繋がってるんですよね。
「神様は人間を創った。ところが、創った人間に対して神様は無関心だ」というのが、今日紹介した全ての作品に流れている大きいテーマです。
岡田:
この『AI』という映画の中で、デイビッドという少年ロボットは、母親をものすごく愛するんです。ところが、息子が病気から治って植物人間から覚めた瞬間に、母親はデイビッドを疎ましく思って、森の中に捨ててしまう。つまり、彼女も自分たちが創ったものに対して、徹底的に無関心なんです。「神様は人を創る、ところが神様は創った後で無関心だ」というのと同じように。
日本人には、「神様は俺たちを放っておいてくれるんだ。じゃあ、好きに生きていいんだ。ラッキー!」みたいな感じなんですけども。西洋人というか、キリスト教の人にとっては、なかなかそうはいかないんですね。
少年ロボットのデイビッドは、その後も自分を捨てた母親を待ち続けて、ついに水没したニューヨークのコニーアイランドの女神像を見つけて、それに向かって「もう一度、お母さんに会えますように」と祈り続けます。
そして、2000年間祈り続けた結果、人類は滅びてしまって、その後に生まれたデイビッドよりも遥かに進化した究極のロボット生命体が、デイビッドに“偽りの母親”というバーチャル体験を味合わせるというのが、この映画のラストシーンになっています。
岡田:
デイビッド少年が氷漬けの中から2000年後に目覚めると、不思議な形をしたロボットのような生命体に出会うんですよ。彼らは、人類というのを見たことがないほど未来のAIなんですが、デイビッド少年をすごく大事にするんですね。
この大事にする理由を僕らはついつい「自分たちのご先祖様みたいなロボットだから大事にするんだな」って思っちゃうんですけど、実は違うんです。
この未来のAI達っていうのは、人類を見たことがないんです。つまり、大昔に自分たちを生み出したという、彼らにとって神様である人類の存在を確信できないんです。「人類というのがいたんだろう」という記憶だけはあるんだけど、見たことがない。
だけど、デヴィッドは、神様である人類を知っていて、さらには強い信仰心を持っている。そういう意味では、デイビッド少年を見る未来のAIたちというのは、“十字軍を見ているキリスト教徒”みたいなものなんですよ。
「神に対する強い信仰を持ち、存在を確信している者。神の存在を噂でしか知らない者」という、現在の宗教事情とそっくりの状態が出来上がっているんですよ。
「神様と対話できなくなった人は、祈りながら、脳内で神の国を創ったり、神の言葉を妄想し、待つことしかできない」という、マーティン・スコセッシの『沈黙 -サイレンス-』にも通じるテーマが、ここに現れるんですね。
『コヴェナント』は「エイリアン」としてではなく『2001年宇宙の旅』として見る
岡田:
『2001年宇宙の旅』に出てきた、神様に会うためにAIを殺したデヴィッド・ボーマン船長。『AI』に出てくる、デイビッド少年。そして、新たな『エイリアン』シリーズに出てくる、アンドロイドのデイヴィッド。この3人の“デイヴィッド”が神様に会いたがっている状況なんですね。
アンドロイドに、わざわざ同じデイヴィッドという名前を付けていることからも、リドリー・スコットがここから先、やろうとしている『2001年宇宙の旅』に流れていくのは明白です。たぶん、リドリー・スコットは、キューブリックが自分の後継者としてスピルバーグを指名したことが、悲しくてしょうがないわけですね。
「ちょっと待ってよ! そのネタだったら俺の方が!」って思ってるのに、自分よりもはるかに若いスピルバーグを選んだ。あんなに「好きな映画は『2001年宇宙の旅』だ!」と言ってたのに、同じイギリスに住んでいるスタンリー・キューブリックが、自分の後継者として天才監督スピルバーグを選んでしまったのが、悔しいという感じですよね(笑)。
岡田:
最新ニュースによれば、「『エイリアン:コヴェナント』の続編について、リドリー・スコット監督がエイリアンよりもAI(人工知能)に焦点を置く構想を抱いていることを、Empireのポッドキャストで明かした」そうです。タイトルは『エイリアン アウェイクニング』というそうですね。
リドリー・スコットは、インタビューの中で「エイリアン自体の進化はほぼ終わったと思うが、私がやろうとしていたことはそこからさらに超越して、AIが新しい惑星で自らを見つけ、指導者として創造する可能性のある世界、という別の話に変わったよ」と言っているんですけれども。やっぱり、やろうとしていることは2001年なんですよね。
新作の『エイリアン アウェイクニング』というのも、僕らはエイリアンの話だと思ってしまいますがそうではない。「『2001年宇宙の旅』をリドリー・スコットが、いかにリメイクしようとしているのか」というふうに見ると、もうちょっとわかりやすくなるんですね。
岡田:
僕らはついつい、『プロメテウス』や『エイリアン:コヴェナント』を見たら、「これがエイリアンかどうか」というところばかりを見てしまって、それを面白かったとか、つまんなかったって思ってしまいます。今回の『エイリアン:コヴェナント』に関しても、「映像はすごいんだけど、なんだよあの話!」と、僕も思っていたんですよ。
でも、「ちょっと待てよ、コヴェナントってどんな話だっけ? そもそもこうだよな、こうだよな」と、頭の中で組んでたら、「あれ? これ、『2001年宇宙の旅』じゃん!」というのがわかったんです。「今、リドリー・スコットがやろうとしている『ブレードランナー』も全部そこに繋がるんだ。リドリー・スコット、面白えなあ!」って思いました。
―関連記事―
「メイドインアビスは10年後も残り続ける超大作」評論家が大絶賛する理由って?
「『シン・ゴジラ』は東宝への宣戦布告」――庵野秀明に影響を与えた戦争映画の巨匠・岡本喜八を映画評論家が解説
関連動画