「文春砲に唯一対抗できるのはネット」 岡田斗司夫が分析する日本のジャーナリズム
2016年、週刊文春の勢いが止まらなかった。ベッキー、SMAP、乙武洋匡など、他のメディアが書けないような数多くのスクープを堂々と連発し世間を賑わせた「文春砲」
12月11日放送『シン・ニコ生 岡田斗司夫ゼミ』では岡田斗司夫が、ジャーナリズムの原点に立ち戻り、文春砲を徹底解析した。
日本の老舗マスコミの中で一番過激かつ先鋭的な雑誌
コンビニによくある90年代から2000年代くらいにブームだった実話系雑誌。「◯◯の真相を書いてある」とか「芸能人の裏事情が書いてある」というところは完全に敗北しちゃったよね。嘘みたいなネタしか乗せることがなくなって、編集者、ライターの人たちの好き嫌いで勝手に敵を決めて攻撃するような、なんかつまんないものになっちゃっている。今は実話系雑誌の方がスポンサーの言いなりだったり提灯記事の方が多いんだ。
日本のジャーナリズムっていうのは、新聞とテレビと週刊誌の3つのファクターで出来ていて、この3つはそれぞれ補完関係にあったという風に言われるんだよね。
なにかっていうと新聞は取材力は強いんだけど記者クラブがあって書けないことがいっぱいある。そういう書けないことを雑誌がすっぱ抜く。雑誌に載ったらテレビの方は、だったらタブー解禁だということで報道する、こういう3つの力は補完関係にあったんだ。
これが80年代バブル時代までのマスコミの大きい三角関係、構図だったんだよね。新聞は相変わらずだけど、今や独自の取材力を持っている週刊誌・雑誌っていうものがほぼ無くなって、文春だけになっちゃったんだ。
テレビや他の雑誌はただの告知メディアになってしまった。
新聞と文春しか取材力を持っていない、つまりテレビとか一般の雑誌っていうのは、まとめサイトとほぼ同じになっちゃったんだよね。
では文春砲というのは最強で欠陥がないのかと言われたら、一応それに唯一対抗できるのがネットだよな。例えばSTAP細胞の捏造疑惑だったり、五輪エンブレムの 盗作疑惑っていうのは、ネットがないと絶対に話題にならなかったんだ。
今の日本のジャーナリズムと言えるのは、それぞれなりに欠陥がある。例えば新聞だったら記者クラブ。文春だったら文春ひとつしかないっていう欠点がある。あと、ネットは本当のことも1から2あるけど、嘘も99から98ある。
それでも新聞と文春とネットは日本の三大ジャーナリズムになってしまった。この補完関係がどうなっているというと、新聞に書けないことは文春に書かれる。ネットに書かれていることで本当のことは文春に書かれるっていう(笑)。
文春がチェック機構みたいになっちゃっているんだ。
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