「『ハラスメント』という言葉そのものにストレスを受ける」――乱立する『○○ハラ』の造語事情にニコ生配信者が物申す
これってマナー違反でしょ!
私が考える新定義「◯◯・ハラスメント」
『ニコニコ生放送』を中心に活動する配信者の野田草履氏は、身に覚えのないデマを流される「デマ・ハラスメント」を新たに提案しました。
その一方で、高田健志氏は「◯◯・ハラスメントと言葉を定義していく流れ自体、要らなくない?」と問いかけますが、野田草履氏は「定義があることによって助かる人もいる」と反論。
ハラスメントの問題がメディアやネットで取り沙汰される度に、次々と新しい定義がうまれていく世の中。そのような流れについて、ひろゆき氏とともに議論しました。
編集/ノダタケオ ( @noda )
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「○○・ハラスメント」という造語を作ることで、かえって捉われてしまっている
高田健志:
私は「◯◯・ハラスメント」と言葉を定義していく流れ自体要らなくない?という感じですね。
野田草履:
なるほど。
高田健志:
ハラスメントは「いじめ」とか「嫌がらせ」を表す言葉だけど、いじめや嫌がらせを受けた本人自身より、周りが「それ、セクハラ(セクシャル・ハラスメント)だよ」と過剰反応することが多いじゃないですか。そういう時こそ、大したことではないケースもある。
「◯◯・ハラスメント」という言葉を定義すること自体が、なんだかクレーマーに近い気がしてならないし、極端な話、マスコミに踊らされているぐらいの勢いな気がしてならない。
野田草履:
それはハラスメントをする側の論理。された側からすると、なんて伝えていいのかわからない、この嫌な感じを、「◯◯・ハラスメント」という言葉があることによって、言語化ができて、初めて訴えることができる。だから、言葉があることで助かる。
ハラスメントをされることがあるでしょ?
高田健志:
されたことあるのかな……? 気にしない。
野田草履:
気にしない?
高田健志:
いじめや嫌がらせを受けても気にしないからわからないし、もし、そういう状況に陥ったとき、逃げだせないのかどうかが気になる。セクハラされる状況とか、パワハラされる状況は、自分から離脱することもできるんじゃないかなという気がする。
高田健志:
なんでも言葉をつけているから、それがあることで、余計にストレスを感じてしまったりすることもあると思う。「これ、セクハラだ」と言われたら、「セクハラなんだ。なんか嫌だな」っていう気分になったり。
言葉がなかったら、逆になにも感じないじゃないですか。だから、わざわざ作る必要はないのではないかな。
ひろゆき:
わざわざ問題点を作ってしまっている、と。
高田健志:
浮き彫りにさせる必要はないのでは。ほとんどの場合は、それほど気にすることではないはずなので、第三者がわざわざそれをピックアップする必要もないのではないかな、という気がします。
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