「名勝負は人によって」 金井恒太六段―高見泰地六段:第3期叡王戦 決勝七番勝負 第4局 観戦エッセイ
今期から新たにタイトル戦へと昇格し、34年ぶりの新棋戦となった「叡王戦」の決勝七番勝負が2018年4月14日より開幕。
本戦トーナメントを勝ち抜き、決勝七番勝負へ駒を進めたのは金井恒太六段と高見泰地六段。タイトル戦初挑戦となる棋士同士の対局ということでも注目を集めています。
ニコニコでは、金井恒太六段と高見泰地六段による決勝七番勝負の様子を、生放送および観戦記を通じてお届けします。
■第3期叡王戦 決勝七番勝負 観戦記
・第3期叡王戦 決勝七番勝負 第1局 観戦記 第1譜(白鳥士郎)
・第3期叡王戦 決勝七番勝負 第2局 観戦エッセイ 第1譜(鈴木大四郎)
・第3期叡王戦 決勝七番勝負 第3局 観戦記 千日手局(大川慎太郎)
「名勝負は人によって」第3期叡王戦 決勝七番勝負 第4局 観戦エッセイ
柚月裕子
レトロな板硝子の外は、爽やかな風が吹いていた。
対局当日の天気はよく、会場となった富岡製糸場の敷地にある樹木は、強い陽を受けて輝いている。屋外は、工場を訪れた観光客の楽しそうな声に溢れていた。
賑やかな外とは対照的に、対局が行われている首長館の講堂室は、静寂に包まれていた。空調のために置かれた扇風機が回る音と、駒音しかしない。息をするのも躊躇われるほどの緊迫した空気が、対局室に張り詰めている。
盤を挟んで座る金井恒太六段と髙見泰地六段に、前夜祭で見せた優しい笑顔はない。ふたりとも厳しく、ときに辛そうな表情で盤上を睨んでいる。
決勝七番勝負は、髙見さんが三連勝で4局目を迎えた。この一局で、髙見新叡王が誕生するか、金井さんに光明が差すかが決まる。
将棋ファンが注目する対局は、相矢倉模様からはじまった。
控室では、塚田泰明九段、森内俊之九段をはじめとする、名だたるプロ棋士が対局を見守っていた。
髙見六段が、先手番では珍しいとされる▲6七金左と工夫を凝らして以降、駒組は一手一手、手探りで進んだ。控室にある二台のモニターのうちの一台には、ニコニコ生放送の視聴者のコメントが流れている。膨大な数だ。多くの人がこの大一番の行方を、凝視していることがわかる。
モニターには、時折、コンピューターの評価値が映し出された。評価値は、短い時間で大きく揺れた。どちらがいいのか、控室でも意見がわかれた。
夜の休憩を挟んで、勝敗の行方はさらに混迷の度を深める。持ち時間が少ない金井六段は、慎重に指し手を選びながらも、攻めた。髙見六段は、相手の持ち時間を考慮しているのか、攻めよりも受けに回る差し手が増えた。
私のような素人には、とても理解できない高等な駆け引きが続く。控室も、俄然、熱気を帯びた。
やがて、恐れていた事態が出来する。金井六段が先に持ち時間を使い切ったのだ。将棋に勝って勝負に負けた前3局が、脳裏をかすめた。見ているこちらの心臓が、早鐘を打つ。
秒読み――日常の一秒と、対局室の一秒は重みが違う。物理的には同じ時間の長さだが、勝負の場における一秒は無限であり、また瞬間であると感じた。現実の時間の概念がない空間で、棋士たちは闘い、勝利を目指す。目の当たりにして、その気迫と執念に圧倒された。
気がつくと、記者や関係者たちが二台のモニターの前に集まっていた。口を利く者は誰もいない。大盤解説者の声だけが室内に大きく響く。控室に漂う緊張した空気から、終局は近いと感じた。
多くの者が息をつめて見守るなか、髙見六段の駒を指す一手が、わずかに震えた。
パシリ――駒音が静かに響く。
盤上を見つめる金井六段が、深く頭を垂れ、ひと言だけ発した。
「負けました」
記者が一斉に控室を飛び出していく。
私はしばらくその場を動けなかった。全身全霊を傾けて闘った棋士への敬畏の念と、新叡王が誕生した瞬間に立ち会えた感動に、打ち震えていた。
感想戦で私は、熱闘を終えたばかりのふたりを見ていた。勝者は、精魂使い果たしたかのような、苦渋の表情を浮かべていた。敗者は、持てる力をすべて出し尽くしたあとの、清々しい表情をしていた。
ふたりの胸に去来するものはなにか。必死に読み解こうとしたが、出来なかった。ふたりの心中は、タイトル戦の場に臨んだ棋士にしか、きっとわからない。
多くの名シーンを残したこのたびの勝負で、私の胸に深く刻まれた光景がある。
対局を終えたあと、磯部ガーデンで打ち上げが行われた。その席で、金井さんが髙見さんにビールを注ぎにいかれた。ふたりのあいだにどのような会話が交わされたのかはわからないが、時間にして二言、三言だったと思う。
金井さんがその場を離れたあと、髙見さんが感極まったように項垂れた。
私は髙見さんへご挨拶するために側へいった。
「新叡王、おめでとうございます」
髙見さんは、ゆっくりと顔をあげて宙を見やった。
「僕が逆の立場だったら、いまの金井さんのようにできるかわかりません。僕は金井さんを尊敬しています。棋士としても人としても、素晴らしい人です」
そう言う髙見さんの目は、少し赤かった。
おふたりを見て、名勝負は人によって創られるのだ、と改めて思った。心揺るがす勝負というものは、棋士としての信念と深い人間性によって生まれるものなのだ。
記者会見で髙見さんは「これから一年、茨の道です」とおっしゃった。
第3期叡王戦が終わった瞬間から、第4期の闘いははじまっている。これから先、どのような名勝負が生まれるのか――。期待は高まるばかりだ。
若い世代の躍進を、将棋界のますますの繁栄を、心から願っている。
高見泰地六段が4連勝で初タイトルを獲得し、第3期叡王戦決勝七番勝負は幕を閉じました。
「第3期振り返り&第4期叡王戦の段位別予選組み合わせ発表会」は6月9日(土)に行われます。