『AK-47(カラシニコフ)』について語らないか? 水浸しOK、泥まみれOK、叩きつけても問題ナシ 伝説の名銃を徹底解剖
今回紹介するのは、オスガ71さんが投稿した『【迷銃番外編】 名銃で撃て! AK-47 ~概要・歴史編~』という動画。再生数は11万回超え、歴史カテゴリで過去最高1位を記録しました。
オスガさんが兵器・AK-47にまつわる知られざる歴史について解説を行います。
AK-47、通称「カラシニコフ」開発前史
アサルトライフル【※】。その歴史は20世紀直前から始まります。原型に近いと言われているものは、イタリア製の「Cei-rigotti」これは試作レベルにとどまり、軍隊への供与はされませんでした。
※アサルトライフル
実用的な全自動射撃能力を持つ自動小銃のこと。日本語では突撃銃と訳される。
同じ頃のお話。舞台はロシアに移ります。時の砲兵士官、ウラジミール・フェドロフは自動火気の研究に没頭してました。日露戦争において、両陣営で大活躍したこれらを発展させようとし、やがて研究は軽量フルオート小銃の開発へと進みます。
反動の大きさを考慮して、既存の7.62mm×54R弾より反動が弱い、専用の6.5mmフェデロフリムレス弾薬を制作し、試作品は軍のトライアルを通過。1913年には量産タイプの原型が完成し、フェドロフM1916突撃銃となります。
しかし、製造上の問題やソビエト政権樹立後の混乱により後継機が登場すると第一線から身を引きました。登場する銃の姿に「かっけえ!」「イタリアの銃の地味に強いよな」といった銃器マニアの方々のコメントが多く寄せられました。
一方ドイツもサブマシンガンに代わる、戦場での新たな火気を求めていました。そして、フェデロフの突撃銃に注目し、短小弾「クルツ弾」を制作。そして1942年には試作品のMkb42、のちのMP43を開発します。かの有名なStG44も、この銃の系列です。
これを第2次世界大戦中に鹵獲【※】したソ連は、フルオート射撃が可能な歩兵用自動小銃の開発計画を再開。M1916突撃銃の開発者、フェデロフ氏を再び引っ張り出して研究に就かせ、独ソ戦終結後はStG44の開発者、ヒューゴ・シュマイザーを拉致り、さらに当時新参の重機設計者、ミハイル・カラシニコフも参入します。
ここで後にAK-47を設計するカラシニコフ氏が歴史に登場します。独ソ戦を経て祖国を守りたい一心で独学で銃器設計に関する知識を身に着けていたそうです。そして1949年についにAK-47は正式採用されます。カラシニコフ氏の姿に「イケメン銃器設計者」「純粋な愛国心だったんだよな……」といったコメントが寄せられました。
AK-47が生み出した数々の武勇伝
AK-47。全世界的な知名度を誇るアサルトライフルです。基本的な設計概念なStG44のものを継承しましたが、一部部品機構はM1カービンからの影響を受け、そして基本構造は独自のものです。そこにカラシニコフが施した設計は、数々の伝説、武勇伝を量産しました。
正式採用されたAK-47は数々の伝説的な性能を発揮します。
とにかくどこでも動く。極寒の極地地帯、灼熱の砂漠地帯、水をかけようが砂に埋めようが泥をかけようが地面にたたきつけようが、動く、撃てる。
その秘密は部品の構成にあります。普通ならきっちり詰め込むところをカラシニコフはあえて隙間をあけておく設計をしました。これにより、砂や水が流入しても発泡するなどで振動を与えれば、隙間からふるい落とされるという仕掛けです。
多少の隙間があること前提なら、熱による部品の収縮の影響はあまりありませんし、少々の衝撃にはびくともしません。またいい加減な設計でも問題ないので、技術力が低くて正確な部品が作れない国でもほぼ問題なく生産が可能です。
結構にぞんざいに管理していても使えます。銃身や薬室などの内部機構の内側は、耐腐食性、耐摩耗性に優れているクロムでメッキされていて、腐食や摩耗を防いでいます。
カラシニコフは日頃の整備の手間を可能な限り省く設計を行いました。
部品は細かくならないようにある程度ユニット化して統一、構造も極力シンプルにし、用意に分解、結合ができるようにしています。教育を受けていない新兵もすぐ使える、親切設計です。
基本設計だけでも非常に優秀なAK-47ですが、戦場でも伝説を量産します。猛威を奮ったのは間違いなくベトナム戦争です。ベトナムの劣悪な環境でもサクサク動きます。
基地建設の整地作業をしていたら、長いこと土に埋まっていた泥まみれのAK-47が出てきて、コッキングレバーを引いたら何事もなかったかのように銃弾を撃ち出した……とかそんな逸話には事欠きません。
AK-47の残した数々の伝説にコメントでは「お手軽で壊れにくいって理想だよな」「文字が読めなくても使える」などのコメントが寄せられました。
世界中に拡散したAK-47。内戦、タリバン政権による混乱、911テロ後の米軍の侵攻……
ベトナム戦争で大活躍したAK-47は、「世界最高のアサルトライフル」の名声を確固たるものとします。その人気を背景に、東側諸国、第三国を中心に世界各地に輸出され、一部の国でのライセンス生産、はては模造品まで登場します。
が、この後、AK-47はカラシニコフの意思に反する拡散を始めます。きっかけは1978年のソ連・アフガニスタン戦争でした。アメリカは「敵の敵は味方」としてCIAを通じてアフガニスタンを支援します。
1984年頃になるとアサルトライフルが支援物資に加わります。無論、西側の立派なものをプレゼントすれば、即座に関与が発覚します。そこでCIAは中国にAKライフルのライセンス生産品、主に56式自動小銃を大量に発注しました。
同じ共産主義国家とはいえ、当時の中露関係は思想の対立、領土問題ですっかり冷えてしまっていたので、これを利用したわけです。
アメリカが関与していた背景が紹介されると「どこにでも出しゃばるUSA」「ランボーがアフガンゲリラと共闘してたんだよな」といったコメントが寄せられました。
東側諸国の反体制派がAKをCIAに横流し、第三国からの中古武器を含めた大量の銃器がアフガニスタンに流れ込みました。そして戦争終結後もそれらの武器は何ら後始末されることなく、アフガニスタン国内に残りました。
その後の内戦、タリバン政権による混乱、911テロ後の米軍の侵攻。現在まで続く世紀末状態はご存知のとおりです。
カラシニコフ「テロリストたちに使われているのは悲しい」
そして冷戦終結はさらなる拡散をもたらします。ロシアは財政が危機的な状況に陥り、経済も混乱の極みに達し、数多くの武器が国外へ流出しました。ワルシャワ条約機構の加盟国も、急場しのぎの資金を稼ぐために倉庫にしまいこんでいた銃器を国外へ売却。大量のAKライフルが世界中に出回ったのです。
それらの流れ着いた先は、中南米や中等、アフリカなど。当然行く先々で紛争の火種となります。
このことをカラシニコフ本人は心苦しくおもっているそうで、2002年にはスピーチでこんなことを話しています。「私は自分の発明を誇りに思っている。しかし、それがテロリストたちに使われているのは悲しい。人々が使えて、農民の助けになるような機械を発明すればよかった。たとえば、芝刈り機のようなものを」
カラシニコフ氏の後年の述懐に「国のためを思って作ったのにな」「国を守るために作った銃がテロリズムな使い方されてしまったからねぇ」といったカラシニコフ氏に同情するコメントが寄せられました。
AK-47、カラシニコフの歴史をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画を視聴してみてください。
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『【迷銃番外編】 名銃で撃て! AK-47 ~概要・歴史編~』