【元ドイツ・Uボート】旧日本海軍潜水艦『呂500』に秘められたドイツの技術力。「日本は徹底的に調べたが量産化できず」
2017年8月22日から行われた「旧日本海軍・潜水艦『伊58』特定プロジェクト」において、九州工業大学特別教授の浦環さん、元海上幕僚長の古庄幸一さん、海軍史研究家の勝目純也さんらで構成される調査チームは、『伊58』、『呂50』、『伊47』など五島列島沖で処分された24隻の潜水艦のほぼすべての特定に成功しました。
そして迎えた今年のプロジェクトのターゲットは、第二次世界大戦後、連合軍によって海没処分となり、今も日本海の若狭湾に眠り続けている旧日本海軍の潜水艦『呂500』。
6月18日より実施予定の『呂500』探索プロジェクトへ向け、ニコニコ生放送ではジャーナリストである堀潤さんの司会で「ドイツ生まれの潜水艦・旧日本海軍「呂500」を追え!探索プロジェクトを徹底解説」を放送しました。
番組では浦さん、古庄さん、勝目さんが、前回の『伊58』特定プロジェクトの振り返りにはじまり、今回の『呂500』探索プロジェクトや当時のドイツの技術力について解説を行いました。
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『伊58』特定プロジェクトを振り返る。「みなさんのおかげです」
堀:
日本海の若狭湾に眠る旧日本海軍の潜水艦を探索するプロジェクトが6月18日より、ニコニコで生中継されると発表がありました。今夜は「ドイツ生まれの潜水艦・旧日本海軍『呂500』を追え!探索プロジェクトを徹底解説」と題して、今回のプロジェクトについてお話を進めていきたいと思います。
昨年の8月に海底に眠っているかつての船たちの状況を調査しようと、その解説番組を行いまして、そこから実際に探査も行われました。どのような結果になったのかなどを改めてお伺いしたいです。
浦:
おかげさまで大成功でした。
堀:
振り返ってみるといかがでしたか?
浦:
大変だったんですけれども、多くの方々に支援を受けてうまくできた。当初は『伊58』、『呂50』というふたつをターゲットにしていましたが、ほとんど全部の名前を特定することができました。みなさんのおかげです。
第二次大戦中、ドイツと日本を繋いだ潜水艦
堀:
勝目さんも昨年、ご一緒させていただきました。今回のUボート『呂500』に関しては、明らかになっていることは多いものなのですか?
勝目:
むしろ少ないと思います。お詳しい方とかお好きな方でも、「ドイツから潜水艦をもらったんだ?」と言うような方とか、海軍の方でも存じていらっしゃらない方もおられたので、やっぱりまだまだ資料というのは世に出ていないと思います。
堀:
実際に(当時の)ナチスと大日本帝国の間ではUボートの行き来はしていたんですよね?
勝目:
行き来ほどではないですね。喜望峰をぐるっと回って……非常に距離が遠いですので、時間もかかりますし、なにせ当時の潜水艦は速度が遅いです。ですから容易ではないですね。往復を成功したのは1隻だけです。
堀:
そうですか。片道でドイツから日本にやってきて……というのはあったのですか?
勝目:
今回は片道ですね。
堀:
Uボートというのは、そもそも第一次世界対戦下で開発された潜水艦ですよね?
勝目:
潜水艦を各国が関心を持って作りはじめましたけれど、果たして本当に戦争に有効なのか未知の時代に、第一次世界対戦でドイツのUボート・U9がイギリスの巡洋艦3隻、U21がイギリスの戦艦2隻を撃沈したんですね。
これで世界が驚いた。潜水艦ってこんなにその秘めたる力があるんだ、ということで世界が驚いた。ですから潜水艦がどれだけその戦力となり、価値があるのかというのを実戦で証明したのがUボートではないかと思います。
当時の日本ですら真似できなかったドイツの技術力
堀:
他のものにも共通するのかもしれませんが、ドイツがどうしてそこまで高性能な潜水艦を当時開発できたのでしょうか?
勝目:
ひとつ面白い例があって、『伊8』はドイツ―日本間を行って帰って来られたのですが、その中で魚雷艇のエンジンをそのままもらっているんです。『伊8』の後ろのほうに、飛行機を乗せる格納が左右に分かれてあるんです。
そこに魚雷艇のエンジンをそっくりそのまま置いて、日本に持って帰ってきた。設計図でじゃなくて、本物現物なんです。アメリカのケネディ大統領で有名だった、PTボート【※】で随分日本はいじめられます。
※PTボート
主に第二次世界大戦期にアメリカ海軍によって運用された高速魚雷艇。後のアメリカ合衆国大統領であるジョン・F・ケネディもPTボートの艇長を務めていた。
だから日本は高速魚雷艇のエンジンが欲しくてしょうがない。エンジンが小型で高速というのがなかなかないんですね。だから『伊8』から持って帰ってきてもらったそれを三菱におさめました。しかし、三菱のトップの技術者が『伊8』で持ち帰って来たエンジンを目の前にしても作れない。
堀:
再現できない?
勝目:
ですから、いかにその当時のドイツの技術と日本の技術の差があったのかというのが、その証左なんですね。『呂500』は現物そのものがあって徹底的に調査して、実はその調査レポートはまだ残っていますが……徹底的に調べているんですけれど、やっぱり作れない。
鋳造技術で細かい部品が再現できない。ヒトラーは通商破壊戦【※】をやりたいから、「(Uボートを)あげるから、これでいっぱい量産してね」って言ったわけですよね。
※通商破壊戦
通商物資や人を乗せた商船を攻撃することによって、海運による物資の輸送を妨害する戦法。第一次世界大戦では、主に大西洋・地中海・北海において、ドイツによって連合国(主にイギリス)に対して潜水艦(Uボート)による通商破壊作戦が行われた。
堀:
(現物をもらっても)ダメだったんですね?
勝目:
できない。
古庄:
第一次世界大戦から鋲打ちで船体を作っていたのを、最初に溶接技術にしたのはやっぱりドイツ。それで水抵抗を少なくしてスピードが出るようになる。最終的には日本のほうが技術は上がっていくんですけれども。
私が本当にびっくりしたのは、昭和45、6年の時代なんですけれど、我々が学校を卒業して最初の練習航海で世界一周した時です。その時にドイツのキール軍港のすぐ近くに海軍の記念のUボートが置いてあったんですね。
それはものすごくきれいに整備されていました。第一次世界対戦の時に使ってた『U995』というUボートなんですけれども、ラーボエというドイツの海軍の戦没者慰霊碑の脇にその潜水艦を陸にあげて、見学できるようになっていて、我々はそこへ見学に行きました。
ちょうど休みの日に親が子供を連れて見学している。すると出てきた子供たちがみんなUボートの艦長になったような顔をして出てくるのを見て感じたんですよ。これはすごいなということと、記念館として第一次世界対戦のボートの中をそのまま見られるということ。これを見て驚きました。
だから私が潜水艦の中をじっくり見たのは、あの時が初めてです。未だに鮮明に覚えていますね。
堀:
Uボートが培った技術というのは、その後各連合国軍の間でも共有されて、潜水艦開発にも、より貢献していくことになったんでしょうね。
――番組はこの後も、Uボートがソナー・レーダー・爆雷などその後の冷戦時代の海戦兵器に与えた影響の解説や、「勝目さんのような海軍史家になるにはどうすればいいか」という高校生の視聴者からの質問が寄せられるなど大いに盛り上がり、最後には『呂500』探索プロジェクト成功へ向けたの意気込みで締めくくられました。
ニコニコでは6月18日から旧日本海軍「呂500」の探索を行う様子を『ドイツ生まれの潜水艦・旧日本海軍「呂500」を追え!日本海より探索調査を生中継』と題して中継いたします。
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