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ポケモンのイシツブテ合戦の元ネタは日本の風習だったかも!? てるてる坊主の逸話など、世界の奇妙な風習を紹介

 今回ご紹介するのはおしえて!オカルト先生さんがニコニコ動画に投稿した『【口外禁止の奇祭】世界の奇妙な風習10選【ゆっくり解説】』です。

 風習といえば、身近なものでいえばお正月に神社にお参りに行くことも、子供の日にこいのぼりをあげることも、七夕に短冊に願いを書くことも風習です。
 今回投稿者のおしえて!オカルト先生さんはそんな風習の中でも世界にある奇妙な風習を解説しています。
 本記事ではその中からいくつか紹介していきます。


この動画で解説を務めるのは、左から春戸マリ(以下:生徒)、丘咲花(以下:先生)

■てるてる坊主の逸話

生徒:
 てるてる坊主ってティッシュを丸めて輪ゴムで止めて、顔を書いたものを吊るすと翌日晴れになるみたいなワケがわからないおまじないだよなぁ?

先生:
 そう、わけわからない風習だよね。

生徒:
 キッズのころ何回かやったきり、今は全然しなくなったなぁ。

先生:
 まあ、ティッシュもったいないしね。

生徒:
 そんでぇ~? これのなにが怖いん?

先生:
 このてるてる坊主ができた由来知っている?

生徒:
 いや知らんなぁ。

先生:
 明確にこれだ!!
 ってのはわからなくて、諸説あるんだけどさ、その一つがめちゃくちゃ怖いんよね。

生徒:
 というと?

先生:
 その昔、ずっと雨が降り続いた時があってさ、そうすると、作物が腐っちゃうじゃん?

生徒:
 そりゃそうじゃ。

先生:
 しかも川も氾濫して危ないから人々は、もう終わりだよこの町って絶望していたんだ。
 そんな時に、ひょこっと一人のお坊さんがやってきてさ、その人は、「こんなのワシがお経を唱えれば、100%晴れるよ」って自信満々な祈祷師だったんだ。
 それで、そのお坊さんが殿様の前でお経を唱えたんだけど、一切合切うんともすんともの効果皆無でさ、何日たっても雨は降りやまなかったんだ。

生徒:
 ダメじゃん。

先生:
 それに対して、殿はすごく怒って、そのお坊さんを死刑にしてしまったんだ。
 それでなにを思ったのか、殿様は死刑にしたお坊さんの生首を白い布で包んで吊るそうって考えてさ、そしたらなんと、次の日は数年ぶりの晴天に恵まれた。
 という逸話。

 そのほかにもこれが起源なのではって話はあって、それは『掃晴娘(さおちんにゃん)』って話なんだけどさ。
 中国に切り絵が得意な掃晴娘っていう美少女がいて、ある時大雨が降って水害になったんだよね。

先生:
 人々はこぞって雨が止むよう天に向かって何とかなってってお祈りをしてさ、掃晴娘も同じように祈りを捧げたんだ。
 そうすると、天から「龍王の嫁になるなら雨を止めてもいい」って声が聞こえたんだ。
 そして、掃晴娘がそれに同意したら、雨はやんで、その瞬間に風が吹き、掃晴娘は消えたんだ。

生徒:
 神隠しやん……。

先生:
 けれど、結果として雨はやんだ。そのため、人々は雨が続くと掃晴娘を偲んで切り紙で作られた人形を門にかけるようになった。
 という話。

生徒:
 いや、日本の方の話グロすぎない?

■石合戦

先生:
 続いては石合戦だよ。

生徒:
 あ、わかった! ポケモン図鑑に書いてあったやつだ!

先生:
 あーイシツブテ合戦ね。

生徒:
 そうそう、あれもクレイジーな遊びだよなぁ。

先生:
 今回の石合戦、ほぼそれです。

生徒:
 え、もしかして石を投げ合う風習ってこと!?

先生:
 多分イシツブテ合戦もここから来たと思うんだけど、鎌倉時代初期の源平盛衰記にもキッズたちが石合戦していたって記述があるんだってさ。

生徒:
 古のキッズの遊びこっわ!?

先生:
 ちなみに遊び方は、戦国時代の合戦を模して、二手に分かれてただひたすらに石をぶつけ合うんだって。
 基本的にキッズがやっていたんだけど、そこに大人も加わることもあってさ、普通の硬い石を使うから、死者、負傷者が出ることも少なくなく、リアルファイトに突入することもあったんだってさ。

生徒:
 今すぐやめて?

先生:
 そう、だから鎌倉幕府のお偉いさんも危ないからやめさせるように言っていてさ。

生徒:
 そりゃそうじゃ。

先生:
 けれども、石合戦はなんというか宗教的な意味合いで受け取る人もいたみたいで、各地のお寺や神社の行事の一環で石合戦が行われていたこともあって、それを禁止された石合戦大好きマンが激怒。
 1230年に大飢饉が起きたんだけど、それは石合戦を禁止したから。って主張する民も現れて幕府も石合戦の禁令を緩めたって記録もあるみたい。

生徒:
 もう無茶苦茶やん……。

先生:
 噂では、織田信長もキッズのころに石合戦が大好きで、近隣の子供たちを集めてよく行ったみたいよ。

先生:
 それで、この石合戦、どのくらいまでやられていたか調べたら、1930年に埼玉と群馬で行われていて。
 というのも遊びではなくて、昭和5年の7月15日に埼玉の長幡村と群馬県の神流村で大干ばつが起きて、水不足になったんだ。
 そこで、お互いの村にいる総勢1500人が神流川を挟んだ河原で石合戦をして、負傷者を出す大乱闘になったんだって。

生徒:
 まさか、約100年前に石合戦をしていたなんて……。

先生:
 まあ、これは風習というより争いだけどね。

■海難法師

先生:
 続いては海難法師だよ。

生徒:
 なぁにそれ?

先生:
 これは伊豆七島に伝わる幽霊のことでさ。

生徒:
 オカルトだぁ!

先生:
 そうそう、水難事故で死亡した人の幽霊で、たらいに乗って沖からやって来て、その姿を見た人は、同じように水難事故で死んでしまうという無茶苦茶な怪異なんだ。

生徒:
 理不尽やめて!?

先生:
 起源は江戸時代にまで遡って、悪代官、つまり主君に代わって事務を行う役人の悪い人が、島民たちを苦しめていて、憎まれていたんだ。
 そこで、島民たちは悪代官を殺してしまおうと考えて、わざと海が荒れている日を選んで、「島巡りはいかがでしょう?」って悪代官に勧めたんだ。

生徒:
 そんな提案に乗るかなぁ?

先生:
 悪代官はまんまと受け入れて、言われた通りに海に出て、高波にのまれて死んでしまったんだよね。
 それ以来、毎年1月24日になると、島民たちにだまされたことを怨む悪代官の霊が海難法師となって島々を巡るってな話が起源みたい。

生徒:
 まぁそりゃ、気持ち的には巡りそうだけども……。

先生:
 また、別の説もあって、代官を殺そうとしたところまでは同じだけど、島巡りをさせるのではなく、怒った村の若者25人がこの悪代官を殺して、その後その25人は船で別の島に逃げたんだけど、罪人である若者たちを受け入れてくれるところはなくて、そのまま海に漂っているところを嵐にまれて全員死んでしまったんだ。

 それが1月24日だったから、その日に若者たちの霊が島に戻ってくるって話もあってさ、この死んだ25人を日忌様(ひいみさま)っていって祠を作って守っているんだって。

生徒:
 めちゃ2chの創作でありそう!

先生:
 創作を超えてくるよね。
 という事で、この海難法師関連で怖い風習があってさ。

生徒:
 というと?

先生:
 1月24日は決して外に出てはならないという風習。

生徒:
 えっ? 仕事しなくてもいいってこと?

先生:
 完全にオフではないんだけど、3時頃になったらもう帰るんだって。
 それで、その日は可能な限り引きこもっていなくてはいけなくて、玄関には魔除けをおいて、カーテンも全部閉めて、カーテンがない家は、窓に新聞紙とか貼って外から見られないようにするんだって。

生徒:
 なんか不気味やん。

先生:
 別のパターンで海を見てはならないってのもあるみたい。

生徒:
 ちなみに、それを守らないとどうなるん?

先生:
 噂でこんな話がある。
 とある人がこの伝承を馬鹿にして外出したところ、なぜか顔中ちまみれになって帰ってきたり、この話を信じずに家の玄関の戸を開けたところ、なぜかその人は一切口が聞けなくなって、精神病院に入院してしまったとかね。

生徒:
 その日は島中をその海難法師が歩き回っているんかなぁ?

先生:
 でしょうね。ちなみにテレビクルーがこの噂を聞いて撮影しに来た時に、市役所から1月24日は夜の撮影はやめてくださいって言われたみたいよ。

生徒:
 こっわ!

 

 今回は動画内から日本にあった奇妙な風習を取り上げて紹介しました。動画本編ではここで紹介した3つのほかに、「アカマタクロマタ」「赤ん坊落とし」「ゾ・トム・アミ」など世界の奇妙な風習も取り上げていますので、興味を持たれた方はぜひフルバージョンをニコニコ動画でご覧ください!


▼動画はこちらから視聴できます▼

【口外禁止の奇祭】世界の奇妙な風習10選【ゆっくり解説】

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