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フランス本国で最後の公開処刑を受けたシリアルキラー「オイゲン・ヴァイトマン」とはどんな人物だったのか?

 今回紹介する動画は、ゆっくりするところさんが投稿した『【1939年フランス】※検索してはいけない言葉 フランス史上最後の公開〇刑 『オイゲン・ヴァイトマン』【ゆっくり解説】』。
 ドイツ生まれのシリアルキラーで、フランス本国における、最後の公開処刑者といわれる男性オイゲン・ヴァイトマンについて解説した動画を紹介します。


■検索してはいけない言葉『オイゲン・ヴァイトマン』

魔理沙:
 今回紹介するのは、とあるフランス人男性についてだ。これは以前から動画で取り上げてほしいと言われていた男性の話なんだが、内容的には猟奇的で凄惨なものとなっている

 そのため、例によって、その紹介の一部でショッキングな表現をせざるを得ない部分がある。それに、これはあくまでも概要を伝えるものであり、すべての事柄を詳細に、正確に解説する動画ではない。

 以上のこと、コメントガイドラインを理解し、了承できる人のみ視聴・コメントしてくれ。

霊夢:
 うぅ……まだどんな内容なのか全然わからないけど……。気になりすぎるからおっけーおっけーしておくわ。

魔理沙:
 それじゃ早速本題に入ろうぜ。フランスの北部、イル・ド・フランス地域圏に位置するコミューン「ベルサイユ」。ここはイブリーヌ県の県庁所在地でもあり、「ヴェルサイユ宮殿」の所在地として有名な場所だな。

霊夢:
 あ、マンガで見たことあるわね。

魔理沙:
 ルイ14世が建設したこの宮殿は、地方の有力貴族の居住空間も用意されており、かつては権力の一極集中を実現していた、1600年代から1700年代にかけての、フランス絶対王政の象徴のような建物だな。

 かつては貴族たちが政治について議論したり、社交場としても使用されていたこの宮殿は、現在でもほぼそのままの状態で保存されており、世界遺産として、フランスでも人気の観光地のひとつとして世界中に知られている。

 1939年6月17日。まだ日付が変わったばかりの深夜0時すぎ。そんなここベルサイユのとある建物の前には、多くの人々が何かを待って集まっていた。

霊夢:
 ……? そんな時間に?

魔理沙:
 集まった人々の様子は様々で、神妙な顔で入り口ドアを見守る老人や、働き盛りの若者グループ、その一方で、酒盛りをしているような男女もおり、本当にいろんな人たちが深夜であるにもかかわらず集まっていた。

 そして、時刻は午前2時ごろ。この建物の中から、同じ制服を着た男性数名が登場し、大きな資材を中から運び出して、入り口を出たすぐそばの広場で、何か土台のようなものを作り始めた。

 彼らは一様に口を開かず、ただただ作業に没頭するだけ。群衆はそんな彼らから数メートルほど離れた位置から取り囲み、その様子をじっと見つめていた。

霊夢:
 な、なにが始まるのよ……。

魔理沙:
 制服の男たちが作っていたものは、市民たちがあまり見たことのない不思議な形をしていたが、彼らは慣れた手つきで、工具と木材を使い、約1時間ほどでそれを完成させた。
 群衆たちは、「何が作られているのかわからないが、とりあえず近づきたくはない」と言わんばかりに、静まり返って一定の距離を保ちつつも、この作業をずっと見ていた。

 午前3時を回ったころには、すべての作業が終わり、謎の装置をくみ上げた制服の男たちは、次に建物の中から、長方形の大きな箱を数名で運び出し、装置のすぐ後ろに設置した。

 この箱には蝶番で繋がった蓋が付いており、彼らはその蓋を開けた状態で、装置の横に移動させ、工具などを片付けて、建物の中へと撤収していった。

霊夢:
 台の横に長方形の箱……? そそそそ、それってまさか……。

魔理沙:
 このころには、群衆の人数は100人規模に膨れ上がり、装置を円で囲むような形で、市民たちが集まってきた。この中には、数10名のマスコミも含まれており、これから始まる「あること」を今か今かと待ちわびていた。
 その「あること」の開始時刻は公表されていなかったものの、人々の予想では、空が明るくなる前に開始されると考えられていた。

 しかし、施設の中で何かのトラブルがあったのか、なかなか目的のものは現れない。午前5時になる少し前。太陽が昇り始め、辺りが明るくなったころ、施設のドアが開き、群衆たちの目的である、1人の男性が制服の男たちに連れられて登場した。

霊夢:
 男の人?

魔理沙:
 この男は、後ろ手に手を拘束された状態で、制服の男たちとは違う格好で登場し、あの装置の前まで連れてこられていた。彼の着ていたシャツの襟は内側に織り込まれており、その様子は群衆にとって非常に珍しい光景だった。

霊夢:
 何が始まるのよ……。

魔理沙:
 この男の名前は、「オイゲン・ヴァイトマン」。1908年、ドイツ、フランクフルトに生まれた彼には、幼いころから物を盗むという悪癖があり、成人した後ここフランスに移り住んだが、それでもこの悪癖は治らず、それに関連して強盗事件や殺人などの罪を犯していた。

霊夢:
 さ、殺人犯……!

魔理沙:
 ああ。彼がこの広場に連行される約2年前の、1937年。パリに暮らす人々は、連続殺人の脅威におびえていた。最初の事件が起きたのは、同年9月8日。あるタクシー運転手が、パリのオルレアン街道沿いで、血まみれの状態で死んでいるのが発見された。

 彼は、「ディクソン」と名乗る自称アメリカ人男性を乗せた後、何日も行方不明になっていた運転手で、警察は殺人事件が発生したものとみて、捜査を開始。しかし、犯人の足取りはつかめず、その後の10月16日には、パリ郊外のヌイイ・シュルセーヌで、若い興行師の遺体が発見された。

 この遺体は、乗用車の後部座席に布をかけられた状態で、その車ごと路地裏に放置されていた。そして、その後の11月25日には、レイモンという不動産業者が、自らを「ショット」と名乗る客とともに訪れた男性客の邸宅で、血塗れになった状態で死んでいるところを発見された。

霊夢:
 さ、3件も……。

魔理沙:
 これら3件の被害者たちは、すべて首の後ろを銃撃されたことが死因になっており、警察は同一犯の犯行として、捜査を進めた。この連続殺人のことが報道されると、パリの市民たちは、どこに潜んでいるかもわからない犯人に怯えた。

 しかし、警察はすべての事件で現金が奪われていること、そして同じ銃が使用されていることや、3件目の事件が起きた邸宅に残された手掛かり、家主への事情聴取の末、ある人物に行き着いた。

 それは、事件のあった地域に暮らす、「サワーブライ」と名乗る男だった。早速警察は、彼のもとに捜査員数名を派遣し、事情聴取を行うことにした。
 家を訪問すると玄関口では「カールラー」と名乗る男が対応し、捜査官たちの話を聞いた。事件当時のアリバイや、被害者たちとの関係について質問されていたが、彼は次第に答えに詰まっていき、突然銃を取り出して発砲。

霊夢:
 えぇぇぇぇ!?

魔理沙:
 警察官2名が被弾し負傷するも、カールラーはすぐに現行犯逮捕された。実はこのカールラーと名乗っていた男性こそが、ディクソンであり、ショットであり、サワーブライであり、カールラーであり、本名を「オイゲン・ヴァイトマン」という男だった。いざ逮捕されると、ヴァイトマンは洗いざらい過去の犯行を自白し、「その3件以外にも殺してる」と供述。

 彼は以前から強盗殺人を繰り返しており、その当時仲間として活動していた男性3名の命を、グループ強盗によって得た金目当てで奪っており、最近発生した3件も、すべて金が目的の犯行だということがわかった。

霊夢:
 連続強盗殺人事件……!

魔理沙:
 ああ。しかも彼が奪った金は、2件目の興行師の男性から奪った、5000フランが最高額で、その他の強盗では、たったの50フラン、多くても100フラン程度しか奪っていなかった。

霊夢:
 そ、それって日本円でいくらくらい?

魔理沙:
 当時の貨幣価値を今の日本円に換算することは難しいが、1937年当時の1000フランは、日本円にして約141円程度だったといわれている。これはあくまでも目安だけどな。

霊夢:
 ってことは、一番高くても700円程度のために、人を殺してたってこと!?

魔理沙:
 そういうことになる。多く見積もっても1000円前後のために、彼は何度も殺人を繰り返していたんだ。先述したように、彼はフランクフルトで生まれ、一般的な家庭で育ち、ごく普通の少年時代を過ごした。
 にもかかわらず、ある時期から彼はなぜか、「物を盗む」という行為に魅了されてしまい、若くしていつのまにか詐欺師になってしまっていた。

 詐欺行為を繰り返す中で、彼は警察に逮捕され、投獄されて刑務所で暮らしていた時期があったが、その時に親しくなった囚人数名と徒党を組み、強盗グループを形成して、出所後に繰り返し犯行に及んでいた。
 詐欺だけではなく、強盗を繰り返す生活で彼の中に残っていた、少ない良心はどんどんすり減っていき、いつしか仲間が邪魔になり、その命を奪っていたということだった。

霊夢:
 なんでそんな……。

魔理沙:
 逮捕後、ヴァイトマンは法廷で、まるで人が変わったように懺悔したが、上告することなく、彼に死刑判決が下った。さて、話を元に戻そう。

霊夢:
 おっけーおっけーだけど……。

魔理沙:
 実は冒頭で説明した、この無機質な白い壁の施設というのは、刑務所で、その前で行われようとしていたのは、ヴァイトマンの公開処刑だったんだ。

霊夢:
 ここここ、公開処刑!? それって、死刑をみんなが見てる前でやるってことでしょ?

魔理沙:
 そう。そして、先ほど制服の男たちが組み立てていたのは、ヴァイトマンを斬首するための「ギロチン」だった。

霊夢:
 ヒッ!

魔理沙:
 制服の男たちに抑えられ、ヴァイトマンがギロチン台に固定されると、群衆たちは先ほどとは打って変わって、彼に向って罵詈雑言を浴びせたり、歓声を上げ始めた。そして、うつぶせに固定された彼の首に、ギロチンの刃が落ちていった。

霊夢:
 イヤアアアアアアアアアアアアアア!!!!

魔理沙:
 ギロチンの刃は、吸い込まれるようにオイゲンの首を通過していき、彼の胴体はギロチン台の横に設置されていた、長方形の箱に綺麗に倒れ入った。彼の首と亡骸は、直ちに警察官たちによって回収され、施設の中に収容されていった。そして、警察官たちが施設内に入った直後、群衆たちはギロチン台へと群がり始めた。

霊夢:
 は? なんで?

魔理沙:
 なんと、彼らは公開処刑を見た記念として、斬首されたヴァイトマンから出た血液を、ハンカチやスカーフにしみこませ、持ち帰ろうとした。

霊夢:
 オエエエエエエエエエエエ!!!! なんでそんなことするのよ!!!

魔理沙:
 さらに、この処刑の映像は近くの建物の屋上から、あるカメラマンによって盗撮されており、その後映画館でその映像が公開されたこともあったという。

霊夢:
 悪趣味すぎる!!

魔理沙:
 また、群衆のこの異常な行動も映像に残されており、この公開処刑に関連する騒動は、各メディアで連日大きく取り上げられることになり、海外にまでこのニュースが広まりつつあった。

 しかし、フランス政府はこの群衆たちの行動が各国で報道されることによって、自国民に対するイメージが損なわれることを恐れたため、報道規制がかけられることになり、さらにはこれまで行われていた、公開処刑は以後すべて中止されることになり、ヴァイトマンのこの処刑が、フランス史上最後の公開処刑となった。

霊夢:
 そういうことだったんだ……。私なら絶対見たくないけど、そんな目的であんな時間にあんな人が集まってたのね……。

魔理沙:
 ああ。こういった人の死に関することや処刑というのは、当時の市民たちにとって、ある意味でエンターテインメントとしての一面もあったと考えられており、非・日常を感じられるイベントのひとつとしてとらえられていたためかもしれない。

霊夢:
 こわぁ……今じゃ絶対考えられないわ。

魔理沙:
 ちなみに、この時のヴァイトマンの映像は、現在でも検索すればネット上で閲覧できてしまう状態にあるので、検索する人は注意してくれ。

 

 公開処刑がエンターテインメントの一部だったり、映像が上映されてしまうとは現在では考えられませんね……。
 この解説をノーカットで聞きたい方はぜひ動画を視聴してください。


▼動画はこちらから視聴できます▼

【1939年フランス】※検索してはいけない言葉 フランス史上最後の公開〇刑 『オイゲン・ヴァイトマン』【ゆっくり解説】

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