声優・緑川光が語る、セリフ一文字にも感想をくれるファンが気づかせてくれた“自分の魅力”――「『おはよう』の『よ』が良かった! って凄くないですか!?」
「授業で「いつまでも王子様やってろ」と言われたのは、忘れられないですね。」
人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」。
第1回の大塚明夫さんを皮切りに、「今の自分を形成するうえで大きな影響を及ぼした人物や出来事」や「声優人生を変えてくれた作品やキャラクター」など、これまで数多くの人気声優たちの人生における分岐点に迫ってきた本シリーズも第16回を迎える。
今回お話をお聞きするのは、声優・緑川光さんだ。
往年のアニメファンなら、『新機動戦記ガンダムW』の主人公・ヒイロ・ユイや、TVアニメ版『SLAM DANK』の流川楓で知った人も多いのではないだろうか?
現在もその人気は翳ることなく、『名探偵コナン 警察学校編 Wild Police Story』諸伏景光や、ゲーム『あんさんぶるスターズ!!』の天祥院 英智として出演するなど、今も第一線で活躍し続けている人気声優だ。
緑川さんが演じる役と言えば、二枚目でクールなヒーローそんなイメージを抱く人は多いのではないだろうか。
しかし、声優として歩み始めた当初は、長らく「かっこいい」雰囲気しか出せない自身の声と地元栃木県の“訛り”に悩んでいたという。
冒頭で紹介した言葉は、後に本記事で明かされる養成所時代に緑川さんが受けたものだ。
挫折を経験した緑川さんは、事務所へ休暇を願い出るまで追い詰められる。しかし、そんな状況を一通のファンレターが変えてしまったという。
本記事では、緑川さんが人生の3つの分岐点で、いかにして己の“声”と向き合い、「王子様」を捨てて、自身の演技を妥協することなく成長させるプロの声優になったのか、その全てが赤裸々に語られている。
ぜひ、最後まで読んでもらえると幸いだ。
取材・文/前田久(前Q)
取材/竹中プレジデント
編集/田畑光一(トロピカル田畑)
撮影/金澤正平
■分岐点1:『機動戦士ガンダム』との出会い――「ロボットものの主役をやりたい」
――緑川さんの人生を振り返って、最初の分岐点はどこになりますか?
緑川:
パッと浮かんだのは「『機動戦士ガンダム』に出会ったこと」な気がしますね。
最初に観たのは、本放送じゃないんです。本放送のときは多分、別の番組を観ていました。
子供のころって「何月何日の何時から、『〇〇』が始まるから観るぞ!」みたいなことって、ないじゃないですか。
偶然、何かのきっかけで出会って観ていくと思うんです。
僕に『ガンダム』のよさを教えてくれたのは学校の友達でした。
――どのあたりが心に響いたのでしょう?
緑川:
僕が子供の頃はロボットアニメ全盛期だったんです。
男の子はみんな、ロボットアニメを観て育っているといっても過言じゃない(笑)。
で、『ガンダム』以前のロボットものの定番の形式は、1話完結の物語で、毎話敵の新しいロボットが出てきて、戦って、倒して、終わり……みたいな感じだったんですけど、『ガンダム』は1話で同じ敵メカが3体出てくる。ありえない! みたいな。
――ザクが3体出てくるのが、まず衝撃だった。
緑川:
そうですね。でも、車なんかを思えば、メカを量産するって普通の考え方だよな、よりリアリティがある方向にロボットアニメが進むんだ……みたいなことを、すぐに考えるようになりました。
ちょうど男の子的に、そういうリアリティのある発想に目覚めていく過程を、『ガンダム』を通じて味わえたのかなって、今からすると思います。
主人公の乗っているロボなのに敵にボロボロにされたり、そもそも主役が熱血キャラじゃなくて、爪を噛んじゃうようなやつだとか。
そうしたいろいろな点が、どれもとにかく新鮮に感じられて、「すげえな、『ガンダム』!」って、感動していました。
『ガンダム』を観てからはもう、ゲームをやっているときも、敵の弾を避けまくれると、「今の俺、ニュータイプみたい!」なんて思ってましたよ(笑)。
――額に光がピーンと走るような(笑)。
緑川:
そうそう(笑)。で、それくらい影響を受けた作品だったので、いろいろ調べたんです。
当時、本屋さんに売っていたアニメ誌に「『機動戦士ガンダム』振り返り特集」みたいなのがあったので、そういうのを読んでみたりして。
そこで主人公のアムロを演じていた古谷徹さんだとか、ほかの声優さんたちが取材を受けている記事を読んで、声優という仕事の存在を知ったんです。
「青二プロダクション」なんて単語も覚えましたけど、でも当時は「これは『あおに』なのか『せいじ』なのかわからないな」と思っていたくらいでした。
――漠然と声優と、声優業界を意識するきっかけだったわけですね。それですぐ、声優になろうと考えるようになったんですか?
緑川:
それはもう少しあとです。
そんな流れでアニメ誌を買うようになったら、あるとき、青二塾(※青二プロダクションの声優養成所)が特集されていて、そこに行けばアニメに声をあてる仕事ができるのかな……と、子供なりの短絡的な考え方ですが、意識するようになりました。
ただ、そこまで強く、なりたいと考えたわけではなかったですね。
――アニメ誌で紹介されていた他のアニメに関する職種には、ご興味はもたれなかったのでしょうか。アニメーターだとか、監督だとか。
緑川:
小学校のときからなんとなく、授業で当てられて教科書を朗読したら、「上手いね」とまわりから言われたし、高校で演劇部に入ったら、公演のあとにファンができたりしたんです(笑)。
――それはすごい。
緑川:
自分ではどうしてなのか、理由はよくわかっていなかったですけどね。
ともあれ、そうした人から褒められたり、求められたりした経験を通じて、なんとなく、演じたい気持ちが強くなっていったんです。
『ガンダム』にものすごく感銘を受けて、「ロボットものの主役をやりたいなあ」と考えるようになって、その気持ちが根底にあったところに、そういう流れが来ていて、自然と声優になろうと思った。
■分岐点2:“訛り”と声質に悩まされた自分を救った一通のファンレター
――そのあと、2つめの分岐点はどこでしょうか?
緑川:
ホントにいろいろな節目があるので、選ぶのは難しいんですけど……あのファンレターかなぁ、やっぱり。
――ファンレター? 気になります。
緑川:
高校を卒業したら声優の道に進もうと考えて、青二塾のオーディションを受けたら、幸いにも合格できました。
でもそこから、授業にはちゃんと出つつも、割と遊んでしまっていたんです。
同じ趣味の、高校を出てすぐの子が多かったこともあって、仲良く、楽しく過ごしていた。
久川綾さん【※】が同期なんですけど、授業中にふざけていて、彼女に怒られたこともあります(笑)。僕はそのころ志が低くて、彼女は最初から志が高かったから。
もちろん、真面目にやっていたところもあります。
たとえば、塾長からのこんな教えは守っていました。「君たちはこれから声優になるのだから、アニメファンとしての考えは捨てなさい。これからアニメは観るんじゃない」と。
アニメの内容がどうこうというより、自分たちがこれからファンを作っていかなきゃいけない立場になるのだから、ファンのような姿勢でいるのはよくない、と。
――プロとして一線を引くべきであるということですね。
緑川:
授業で「いつまでも王子様やってろ」と言われたのも、忘れられないですね。
自分ではそんなつもりはなかったんですけど、自分の声がコントロールできていなかったというか。何をやってもカッコいい雰囲気になってしまっていた。
僕の声質だと、癖のある芝居をしようと思ったら、普通の人が「3」の声の変化でできるだろう表現をするために「10」の変化をつけるくらいの意識がいる。
それをやるには深く役を掘り下げて、思い切る必要があるんです。でも演技力が足りないと感じていたから、そこまで思い切れない。
当時は演技の幅の狭い自分の声が本当に嫌でしたね。
――のちに大活躍される方でも、若い頃はやはり、いろいろあるものですね。
緑川:
さらに、訛りにも悩まされたんです。
栃木県出身なこともあってか、当時の僕には、自分ではわからないような訛りが結構あって、そのせいで急に渡された原稿をすぐに読めない。
アクセントを調べて準備をするのに、他の人よりも時間がかかってしまう。
先生に「緑川くんは時間があればいいものをやってくるんだけどね」とよく言われました。
そしてあるとき、ナレーションの仕事で10ページ近くの原稿をいきなり渡されたんです。
数言のセリフを読むときですらアクセントに苦手意識があったのに、そんな分量じゃない。
その場で一生懸命チェックしたものの、1ページ分の確認が終わったかどうかくらいで、「もう行けますか」と呼ばれてしまって。粘ってはみたものの、2、3ページ行ったくらいで痺れを切らされて、行き当たりばったりで収録が始まった。
案の定、途中で詰まりました。そこから立て直せなくて、あまりにもひどいものだから、最終的に帰されて、他の人を呼ばれてしまったんですよ。
それはもう、ショックでした。
――それは、たしかにショックですよね……。
緑川:
それで、声優の道を諦めたくない気持ちもあるけれど、このまま続けていってもどこかで仕事がなくなってしまうのでは?
少し休みを貰えないだろうか……と考える、弱気な自分が顔を出して、実際に事務所にそんな相談をしに行くところまで追い詰められたんです。
でもその日、話をしようと思っていた専務が、たまたまいらっしゃらなかったんです。さすがにこれだけ大事なことは直接お話ししなければならないと思ったので、その日は帰ることにしたんですけど、そこにファンレターが届いていたんですよね。
当時カセットテープのボイスドラマとかにちょこちょこ出させてもらっていたんですけど、まだまだ全然端役なのに、そんな自分を応援してくれるファンの方がいた。
で、持ち帰って読んでみたら、すごくいろいろな作品を聴き込んでくれた感想と合わせて、「これからもがんばってください」と書かれていたんです。
それを見たとき、「こんなにも応援してくれている人がいるのに、少し弱気になったからって休みをもらってしまうのは、逃げなのかな? これまでも努力をしてこなかったわけじゃないけど、もっと必死にやれないのかな?」と、考えが変わったんですよ。
――ファンの存在を重く受け止められたんですね。そこから具体的には、どんな努力を?
緑川:
現場でアクセントがわからない単語があったら、とにかく書き出す。
学生が英単語を覚えるように、わからない言葉をまとめて、丸暗記していきました。
アクセント辞典には始まりがあって終わりがあるのだから、ずっとこうやっていけば、いつかわからない単語もなくなるんじゃないか!? と。
そうやっていくうちに、実際になんとなく、アクセントの法則性がわかってきたんです。
一度わかってくると、一気に見えてくるものなんですよね。そこまで努力しきれたのは、大きかった。
それを思うと、努力の大元になったファンレターを受け取ったことは、大きなターニングポイントかもしれない。