スタジオより先にCG学校を作り人材を育てた! ハリウッド帰りのタイのクリエイター達がいつか日本を追い越す日
タイのCG教育の礎を築いたImagimax
次に訪れたのはタイでは老舗スタジオとなるImagimax。日本の作品ではマッドハウス製作で、りんたろう監督の『よなよなペンギン』に参加しているほか、GONZOの『ラストエグザイル-銀翼のファム-』、JRAの『シネマ競馬 JAPAN WORLD CUP』シリーズ、さらにコナミの『実況パワフルプロ野球』シリーズなどのゲーム、『フィーバー倖田來未』や『CRサイボーグ009~未知なる加速へ~』等のパチンコ遊技機のCGアニメーションも手掛けている。
その前身はタイ初のCG学校であるバンコク・コンピューター・アーツ・センター(以下、BCAC)。設立当初からハイエンド3DCGソフトであるMayaの開発元エイリアス・システムズ(現 オートデスク)との提携を実現し、ピーク時は1000人ほどの生徒を擁した。BCACのカリキュラムは現在のタイの大学のCG教育のベースとなっている。タイCG業界で活動している20~30歳代のデザイナーの7割がその出身者といっても過言ではないという。
ここでは、タイのCG教育の礎を作ったとも言える創業者で共同代表のサクシリーさん(Saksiri Koshpasharin)にお話を伺った。サクシリーさんは元々建築家で向学のために渡米。そこで建築の完成予想図を描くための3次元設計支援ツール(CAD)に触れたことで 3DCGの基礎を覚えることとなった。当時のタイでは建築は手書きの図面を使用しPhotoshopを学べる専門学校すらなく、サクシリーさんがタイ帰国後、一番先に行ったのがまず学校を作ることだったという。
CGスタジオよりも先にまずCG学校を作ることが必要だった
──まず、CGの学校であるBCACをつくろうと思ったのは何故なのでしょうか?
サクシリー:
当時のタイにはアーティストと呼べる存在すらいなかったので、まずは人材を育てなければならないと思いました。仕事の依頼自体は多くあったのですが、技術を学ぶ場所がなく、学生もどこで学べば良いのか分からないという状況があり、その需要に気付きました。
BCACを始めた当初は、それまでCGに全く触れていなかった人、なかには会計士だったという人もいました。そうした人々がアーティストへと転職していきました。生徒数が増えていったことで、大学から教育方法へのアドバイスを求められ、今では大学でCG教育が行われるまでに至っています。
──日本には本格的にCGを学べる大学というのはあまり多くありません。タイでCG教育が大学にまで普及した理由とはなんでしょう?
サクシリー:
BCACを開いた当初は困難も多く、その点では日本と大きく違わないかもしれません。大学や管轄する政府の関係者もPCを知らない人が殆どで、PCを使って大学の授業を行うという基本的な考えすらありませんでした。その方々を説得するのはとても大変でした。
しかし開校後は、BCACのカリキュラムを導入することでCG教育の普及は比較的楽に進みました。BCACを始めた当初は専門学校だったのですが、生徒の将来を考えると4年制の大学に切り替えた方が良いだろうと考え、それぞれの大学にヘルプの講師としてImagimaxの社員を配置して教えるようになりました。BCACのカリキュラムが政府公認となり、それをベースにすることで最近ではスムーズに4年制大学でもCG学科を開くことができています。
ここ5~6年で、CGを扱う大学は増えていて、排出する学生のクオリティも上がっています。タイの大学出身で、卒業後に海外で活躍するクリエイターも出てきています。
なかなかタイ国産のコンテンツの芽が出にくい状況
──CG教育への政府からの資金援助などはあるのでしょうか?
サクシリー:
特にありません。タイのアニメーション制作のクオリティは非常に高いのですが、タイ国内においては、政府や放送事業者からタイ国産のCGアニメーションのコンテンツはまだそうした資金援助などの支援対象として認められていないのです。そのため、なかなかタイ国産のコンテンツの芽が出にくくなっています。その代わりに日本や中国の案件でクオリティの高い作品を作ることでストレスを発散しているという状態です。
やはり自分たちのオリジナルコンテンツを作るというのが目標です。日本や世界の他の国とも協力をしてやっていくということになるのだろうと思います。他にも日本のコンテンツのCGアニメーション化なども実現できたらと思っています。元々タイのアーティストたちは日本作品だけでなく日本という国自体をリスペクトしているので、そうした作品があるとモチベーションも上がると思っています。