どうしたって伝えたい『鬼滅の刃』の魅力。心優しき長男・炭治郎、切なく儚い散り際の描写、アニメ最終回以降の展開も激アツという奇跡
突然だが、『鬼滅の刃』という作品をご存じだろうか。
「週刊少年ジャンプ」にて連載中の『鬼滅の刃』は、人を喰う鬼が存在する世界を舞台に、家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹も鬼にされた主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、妹を人間に戻すために鬼と戦っていく和風剣戟漫画だ。
2019年4月よりTVアニメ化され、その人気も急上昇、“オリコン年間コミックランキング 2019”で年間1位(情報はオリコンニュースより)を獲得するほどの大躍進を果たした。
さて、そんなアニメ『鬼滅の刃』の全26話一挙放送が、2020年1月1日にニコニコ生放送にて配信される。
「この機会にぜひ『鬼滅の刃』を見て!!」
とは言っても、『鬼滅の刃』ファンならともかく、『鬼滅の刃』をまだ見たことがない方が「見てみよう」と思うに至るには、なにかしらきっかけが必要であろう。
そのきっかけに少しでもなりたい、そしてひとりでも多くの方が『鬼滅の刃』を好きになってほしい。そんな想いのもと、本記事では『鬼滅の刃』の魅力を紹介していく。
※本記事には『鬼滅の刃』のネタバレを含みます。
心優しすぎる主人公・竈門炭治郎
本作の魅力を語るうえで、なにより欠かせないのが主人公である竈門炭治郎の存在だ。彼の魅力をひと言で表すとその“底抜けの優しさ”である。
炭を売って生計を立てている一家の長男である炭治郎は、ある日、鬼に家族を殺されてしまう。ただひとり生き残った妹の竈門禰豆子(かまどねずこ)も鬼へと変貌、炭治郎に襲い掛かってくる始末だ。
突如として鬼に大事な家族を奪われた炭治郎、そんな絶望的状況に陥ったのにも関わらず、彼の心は優しさに満ちている。
驚くべきことに、それは討つべき対象である鬼に対しても変わらない。炭治郎にとって鬼は復讐の対象であり、憎しみの感情が溢れる存在なはずだ。しかし炭治郎は、鬼だからという理由だけで鬼を憎まない、罰さない。
当然だが、人を喰った鬼を討つために彼は躊躇なく刀を振るう。しかし、鬼を倒すときに苦しまないよう配慮したり、骨も残さず消えゆく鬼に対して「成仏してください」と、「(つぎの人生では)鬼になんてなりませんように」と願うのだ。
この優しさ、そして真っすぐなところが炭治郎の魅力であり、ひいては『鬼滅の刃』の魅力でもある。
散り際の描写が切なく儚い
『鬼滅の刃』において鬼は倒すべき敵だ。人を襲い、人を喰い、人々を恐怖の感情で染め上げる、滅せなければならない明確な敵である。
身体能力が異常に高く、傷ついてもすぐに傷が治ってしまう鬼は、太陽の光を浴びせるか特別な刀で頸(くび)を切り落とさないと殺すことができない。そのため、炭治郎をはじめとする鬼を討つ人々(鬼殺隊)は、命を賭して鬼を狩るのだ。
しかしながら、ここで忘れてはいけないのが、“鬼も元々は人間だった”ということだ。
鬼は頸を切り落とされると、骨も残さず消え散ってしまう。その散り際、はたまた散る瞬前、“回想シーン”が挿入される。鬼になる前の生活や鬼になるきっかけなど、鬼になって消えていた記憶が、走馬灯のように蘇るわけだ。
この回想シーンがとにかく丁寧に描かれているのも『鬼滅の刃』の特徴だ。そして、この散り際がとにかく儚く切ない。
ある鬼は涙を流しながら、
ある鬼はかつての家族を思い出しながら、
ある鬼は「ごめんなさいごめんなさい」と謝罪の言葉を口にしながら、
鬼は消えていく。骨も残さず散っていく。
直前まで全力で戦っていた敵であるはずなのに、身体が消え去る瞬間、なんだか胸が締め付けられるような思いに苛まれる。不思議な感覚としか言えない。
また、『鬼滅の刃』において、回想シーン=死への助走の役割が強く、回想シーンからそのキャラの死へつながるケースが多いように感じる。それが強敵との戦闘中であるならとくに危険だ。
敵である鬼の回想シーンならば、「この鬼にもこういう過去があったんだ……」と感慨深い気持ちになり、思い入れが強くとも胸が締め付けられる程度で済むだろう。
しかし仲間の回想シーンが差し込まれたらどうだろう。回想シーンが差し込まれると、過去が解き明かされ、バックボーン(背景)がわかる、そのキャラのことがもっともっと好きになる。だがその過程は死へのカウントダウンの可能性もあるわけだ。
『鬼滅の刃』に奇跡はほとんど起きない。人は致命傷を受ければ死んでしまう。鬼とは違うからだ。その散り際の儚さ、切なさこそ本作の大きな魅力と言えよう。作者は鬼か。
炭治郎、善逸、伊之助のテンポのいい掛け合い
そんなわけで、ストーリーの関係上当然と言えば当然なのだが、作品の雰囲気は全体的に重め。炭治郎の性格のおかげかシリアス一色とはまではいかないが、とくに序盤は暗めだ。
しかし、この雰囲気に変化が生まれる転換点がある。我妻善逸(あがつまぜんいつ)、嘴平伊之助(はしびらいのすけ)、ふたりの仲間の登場だ。彼らは鬼を打ち倒すことが目的の組織“鬼殺隊”の隊員であり、炭治郎といっしょに試験を受け“鬼殺隊”へ入隊した同期でもある。
泣いたり叫んだり情けない姿ばかり見せる善逸、「猪突猛進! 猪突猛進!」と叫ぶ超絶野生児の伊之助。ふたりが物語に絡んでくるのはアニメ11話からで、その後はともに戦い、修行し強くなっていく仲よしトリオとして描かれる。
そんな3人(炭治郎、善逸、伊之助)が絡むシーンは、ギャグテイストが強く、もはや別作品なのではと感じるレベルで雰囲気が転調することもある。
日常パートでは、3人がそれぞれキャラの濃さで殴り合う、さながらハチャメチャコントのようであるし、戦闘パートでも、善逸は泣き叫び、伊之助の常識外すぎる行動は強いインパクトを残していく。
上記で紹介してきた、“炭治郎の優しさ”、“散り際の描写”とはまったく別軸の魅力なので、アニメ初見の際には12話くらいまでセットで視聴してほしい。
もちろん個人の趣味趣向はそれぞれ。合う合わないはあるだろうが、序盤の数話だけを見て“合う合わ”を判断するのは早計、非常にモッタイナイ。
アニメのクオリティがものすごく高い
人によっては、原作がある作品なら原作を読んでからアニメを見たい、と思う方も多いだろう。確かにその気持ちはわかる。そのほうが作品を最大限楽しめるのかもしれない。
しかし、アニメ『鬼滅の刃』は原作をしっかり踏襲して描写されている。そのうえでクオリティも最高峰。作画がすさまじいのはもちろん、音楽がいい、演出がいい。
例えば、1話の冒頭の炭治郎が禰豆子を背負って雪山を歩く場面、炭治郎の「ハァハァ」という息遣いから焦りが、絶望が伝わってくる。吹き荒れる吹雪や雪山の情景もすさまじい。
戦闘シーンも技アリのひと言。戦闘描写がわかりやすく表現されているのに加えて、水の呼吸や雷の呼吸など、いわゆる必殺技のエフェクトが鳥肌ものだし、なにより作画のよさに圧倒される。
そう、作品の世界観に深く、深く浸れるアニメに仕上がっている。そのため、アニメから『鬼滅の刃』の入るのは選択肢としてかなりアリだと思う。
ただ、アニメを見てしまうともう引き返せなくなるかもしれない。アニメは全26話、単行本でいうと7巻冒頭くらいまでが描かれているのだが、アニメ最終回の後から激アツの展開の連続が待っている。
【劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 制作決定!】
— 鬼滅の刃公式 (@kimetsu_off) September 28, 2019
本日放送された第26話の最後に劇場版「鬼滅の刃」無限列車編の特報が公開!
炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助が無限列車に乗り込むシーンで終了した最終話から繋がる劇場版。
続報をぜひお楽しみに。https://t.co/YFfHUL9LuD#鬼滅の刃 pic.twitter.com/fnnY5xMBcp
2020年に公開予定と発表されている劇場版『鬼滅の刃』無限列車編は、作中屈指の心が燃えるエピソードだ。アニメを見たら劇場版を見たくてしょうがなくなる。ようこそ。
さらに、ジャンプにて現在進行形で描かれている(2019年12月時点)エピソード、これがやばい。上記で紹介した“散り際の描写”がこれでもかと詰まっている。心が辛い。「もうこれで終わっても……」とつぶやきながら闇堕ちしそうになる毎週だ。
沼だ。『鬼滅の刃』沼は深いし、優しさと奇跡に満ち溢れたものではない。ときには残酷に心へ刃を突き立ててくることもある。それでも、それでも伝えたい。
「この機会にぜひ『鬼滅の刃』を見て!!」
「もし好きになったら単行本もジャンプも読んで!!」
文/竹中プレジデント
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